2011年4月 8日

二月と三月まとめて日記

3月31日(木)

 大学に行って、今日で退職される内田先生にご挨拶する。
 ちょうど部長室に辿り着いたとき、キャンパス内のあちこちで記念に写真を撮るべくやってきていた卒業生のフォトグラファーの方がいた。流れで一緒に学内を歩く。
お初にお目にかかります。お名前は以前から…などの挨拶もそこそこ、わたしは通りすがりの人物のふりをして写りこむ。先生の愉快な一面も垣間見る。学内の知られざる空間を覗きこむ。(見知った職員の方に会い、こちらもどうぞとなぜかわたしが促される)。
今日はまた、春からの新入生のためのクラブ紹介があったので、後輩たちの勇姿を拝見。
 そのあとに稽古。なんとも不思議な時間の流れる年度末。


3月30日(水)

 年度末、今年な何を思うのか。


3月29日(火)

 

3月28日(月)

 気が付いたら募金するぐらいしか何もできないね。でも、それでも募金しよう。たとえほんの僅かでも、ずっと続ける。


3月27日(日)

 日に日に新聞をめくるのが嫌になってきた。ページはぱらぱらと捲って、適度に見ることにしよう。


3月26日(土)

 合宿明けの土曜日。合宿明けの土曜日が迎えられたことはよきことと思う。


3月25日(金)

 あと少しなんだから、あと少しで山を崩せるのだから。


3月24日(木)

 先月始めた片付けがまだ終わらない。あと少しなんだが。


3月23日(水)

 稽古して稽古する。これがわたしの生きる道。


3月22日(火)

 不思議なくらいに起き上がれない痛みを伴う。筋肉痛?いやいやそんなのとはちょっと違う感じだ。その証拠に夜になればすっかりおさまってきたからだ。


3月19(土)~21日(月)

 どこか心が晴れやかに落ち着かないまま合宿に行く。どことなく神妙な空気が流れている気配もある。稽古ができることに深く感謝。合宿から帰還後は、意味不明な身体の痛さを伴う。


3月18日(金)

 明日からの合宿はあるのだろうか。また行くべきだろうか。合宿について、初めてそんなことを思う。
 

3月17日(木)

 まったく落ち着かない日々。そうこうするうち頭も激しく痛い。


3月16日(水)

 気がふさいでいても仕方がない。前を向くことも大事だ。


3月15日(火)

 それでも太陽は昇り、また沈んでいった。


3月14日(月)

 誰も来なくても稽古しようと思っていた。非常事態だから休む方も多いだろうと頭によぎったが、そんなことはなく、和気藹々と稽古できた。いつもの生活をいつものように行うこと。これが大事なんだと感じる。


3月13日(日)

 きちんと生きることが大切だと感じる。一緒に舞い上がって、浮足立ってはいけない。できることをきちんとする。できることを確実に行う。


3月12日(土)

 昨日からのあまりのショックで寝込んでしまいそうだった。てっきり稽古はないかと思っていた。そんなことはなく稽古はあった。あるというよりも私が指導担当になった。先週からでかけられていた先生が地震のなかに巻き込まれて、足止めを食らう羽目になったからだ。


3月11日(金)

 生まれて初めての宝塚の初日観劇をしていた。東北、関東地方で大きな地震があった。何にも言えない。


3月10日(木)

 朝になってもまだずっと胃が痛い。きしむ。


3月9日(水)

 非常に胃の痛い思いをする。いや実際胃が痛いのだ。


3月8日(火)

 舞踊公演を観る。今回は第五回公演。今回はまた新たな感触。


3月7日(月)

 さすがに遠出した日の翌日はどっと疲れる。


3月6日(日)

 高砂は遠かった。お好み焼きはおいしかった。


3月5日(土)

 夕方には例の相愛大学へ対談を聴きに行く。登壇された方々の服装ばかりに目が行く。


3月4日(金)

 もう我慢できなくなり、髪を切ってもらった。すっきりした。前回切ってもらった時に次回の予約をしているが、なかなか次回の予約との折り合いがつかない。かなり変更ささえてもらっている。先のことはわからない。


3月3日(木)

 部屋の片づけがまだ終わらない。結構あそこの棚が、向こうの隅が時になりだしてくると止まらなくなる。時間を見つけての掃除なので一向に前に進まないということもあるが。すでにごみ袋5袋分は捨てた。


3月2日(水)

 あるひとつの出来事が起こり、ある怒りの感情が出てくることがある。怒りの感情があって、それをうまく表に吐き出したり、伝えたりできないことがある。そういうとき身体の中に怒りをため込んでしまうことがある。けれどもそれでは、怒りが怒りとして存在しないし、そもそもの身体もおかしくなる。まったくもっていいことがない。ならば、怒りを発するような回路を持たなければいいというふうに考えることができる。怒りのような得てしてマイナスのほうに働きやすい感情を持たなければいいという意味である。なるほど、一理あるかもしれない。
しかし、それでは、怒りをさらに抑えこんでしまうことになるだろう。それは、怒りが正常な働きを持つことがないまま、この世に生まれてそのまま宙ぶらりんになってしまうのだ。でも、その感情を受けた身体がある。モノはあるのに、それを受け入れる器がない。それはそれでさらに身体に悪い。感じていることに蓋をして、まるで何も感じてないかのようにふるまうからだ。だから、私は怒りの感情を隠すことなく、蓋をすることなくし示す。声を荒らげて怒るのは好きではない。そんなことをするときは、よっぽどのときである。かといって、怒りがよほどのことでないということではない。くどくなった。要は、私は怒りの感情をはっきりと感じ、はっきりと示したのだ。
 

3月1日(火)

 早いものでもう三月である。あっという間に二月が終わってしまった。
2月28日(月)

 二月の月末、今日は雨。


2月27日(日)

 一生懸命になるときは一生懸命な時間がやってくる。


2月26日(土)

 今日は珍しく下川先生の舞台を拝見。「橋弁慶」のシテである。弁慶の役側が先生によって演じられる。ぐわっと動く大薙刀。動きもラインも首の向きも、すべての動きがすさまじくきれいだった。
 その後、ソッコーで移動し、合気道の稽古に行く。稽古で手首を恐ろしくぎゅっと掴まれた。わあ、めちゃくちゃ痛い。結果、壊されてしまったみたいだ。くっすん。悲しいね。
 その後、また大阪に移動。「武術的立場」の対談を拝聴。
 移動の多い日であった。
 ♪俺は今日からゴーゴー、そんなもんでっせー。っと桑田佳祐氏が歌う。


2月25日(金)

 夕刻には西宮北口の芸術文化センターへ。「大いなる辺境」という公演というか能の舞台で、「鞍馬天狗」(半能)を拝見。ふーむ。こわ。


2月24日(木)

 今日は今日とて…。


2月23日(水)

 このところ桑田佳祐氏関係の本や雑誌や歌が出まくっていて、追いかけるのがたいへん。追いかけるあたりですでに遅い。当人は、冗談抜きで、ほんとに生まれ変わったみたいで、ときおりええ感じにも見える。


2月22日(火)

 フフフのフ。


2月21日(月)

 内田先生の研究室と入試部長室の掃除に行く。何年もお世話になっているので、これだけは行こうと決めていた。ゼミ生になったときのことを振り返れば、こんな日を迎えるなんて、感慨深いというよりも、どこか不思議な感じがする。
掃除は、そこいらを箒でささっと掃いてごみ捨ててというのではなく、膨大な量の本を全部段ボールへ詰めてパッケージするのが主である。もちろん詰めるのは、事前に先生のよって取捨選択されたものだ。数十年分なのでその量がとても多い。また、掃除の合間にも先生は、会議に呼び出され、取材に行ってしまわれ、数時間不在なので、その間の過ごし方が難しい。どんどん不要な本も増えていく。
その次は紙類が多い。これは取捨選択が早いのだが、すてればいいものは案外少なく、シュレッダー行きのものがひたすら出てくる。わたしは、ふたりがかりでそれをかかえて、際限なくシュレッダーマシンと化した。ここにクリップやホッチキスの針がついていたら外さないといけないので、その時間がまたさらにかかる。
 ところで、今日掃除に参加していたのは杖道会の学生さんたちだ。毎度のことながらほんとうによく働いていた。休憩時間までもそうだし、適当に手を抜くということもしない。部屋の広さや場所による立ち居振る舞いがいいし、何か見つけて掃除しに来ている。何かすることないですか?などと馬鹿な質問もしない。
人数が適度だったのだろうか、昼に始まり、夕暮れ時には、すっかり片付いていた。二日間予定されていた掃除も一日に短縮された。これは、チームワークのよさもあると思う。
興味深い掃除だった。

2011年3月 2日

掃除の日々

2月20日(日)

 今日はさすがに疲れて休養日。明日からもあるので台所の残りを掃除して何とか目標を達成。残りの部分は来週に持ち越し。まあ、それでも今日は、周囲のできることをこつこつと仕掛けていったのがよかったのか、いくらかの話が前に進む。


2月19日(土)

 掃除の合間を縫って稽古。部屋は何者かが押し寄せたかのよう。あまりにはかどりの悪そうな(遅そうな)様子を聞いて、今日は稽古の後に手伝い要員数名が来てくださる。なんということもなくはかどる。ありがたやありがたや。


2月18日(金)

 掃除をしていると、ときに必要なものとそうでないものの見極めが難しい。一説には「二年使わないものは捨てる」というのがあるが、また別の説によれば「一年使わないものは捨てる」というのもある。三年ならどうなんだろうかと思う。三年経てば、周囲の状況や環境といったものも変化していることが多い。ふと官公庁などの資料保管が義務付けられているのは、どのくらいの期間なんどろうかと思う。いや、私がさほど機密書類を持っているわけではない。そんなことはないのだが、ふと思う。そんなことを思いながら紙類をザクザク捨てている。


2月17日(木)

 掃除熱がさらに上がり、いらない資料を捨てる。使わないまま行き場をなくし、部屋の隅に追いやられることになった品々も分別する。棚に乗っているいらないものを認識し、使わないものは処分することにする。いや、いっそ棚さえも捨ててしまいたい。そんな欲望に駆られる。部屋にあるものの並べる場所を変えるだけで、案外部屋の中はすっきりするものだ。続いては台所へ。カオスを見つけて排除しよう。


2月16日(水)

 急に片付け熱が発生する。年度末に出てくる片付けたい病がいままさに私の身体に飛び込んできた。それはまた春の訪れを告げるものでもあるのだろう。
とりあえず水回り、下駄箱からきれいにすることになる。要は入口から改善ということだ。


2月15日(火)

 やっと咳が収まってきた。いつの間にか風邪も治ったのだろう。だらだらとひいていたものだけに、だらだらと治っていったみたいだ。なんだか調子も出てきた。


2月14日(月)

 ごりごりと稽古したくなってきた。ようやく元気になってきたのか。外の雪のせいかな。外は朝から真っ白な雪。それだけでうれしくなるって、ありがたい気候に育ったものだ。


2月13日(日)

 終日新年会。いちにち着物で過ごす。たくさんの人に会ったからか、なんだかぐったり疲れる。


2月12日(土)

 ぐったり。まさに体調不良であり、その信号をきちんと受け取る。


2月11日(金)

 今日は祝日なんですね。雪が降ってきましたよ。


2月10日(木)

 ま、いろんなことがありますわな。


2月9日(水)

 昨日に引き続き、たくさんのメッセージ、贈り物などをいただいた。
 うれしくて、しあわせな時間の連続だ。


2月8日(火)

 ぐったりしたまま、それでも目をはっきりを覚めた。日付が変わって今日を迎えた。誕生日を迎えた。また新しい日が来たのである。


2月7日(月)

 本当に具合が悪くなり、起きてもいられなくなった。横になる。横になる。


2月6日(日)

 寝込んでみる。ほんとに具合が悪くなってきた。


2月5日(土)

 まだ咳が出る。長引くぜい。げほげほ。


2月4日(金)

 終日片付けと休養に徹するつもり。実際はそうもいかない。


2月3日(木)

 粕汁とか鰯や節分の豆まきなどすることは、こどもの頃のほうが確実に行い、確実に食べていたものだ。今頃になって家族に感謝。


2月1日(火)~2日(水)

 杖道会の合宿に行く。遠い。果てしなく遠い。しかも風邪をひいているので、寒い。果てしなく寒い。


1月31日(月)

 まだいくらか咳が出る。ぼんやりする。明日は寒くないだろうかと考える。それだけで荷物が多くなる。


1月30日(日)

 気分がよくない。でも、休んでもいいんだ、という気持ちからか風邪がやまない。


1月29日(土)

 疲れる土曜日であった。


1月28日(金)

 風邪をひいてもいいんだ、と思った途端に喉は痛む、身体はだるくなる、眠くなる、それなのにお腹が減る、咳が激しく出る。わかりやすい身体だ。

1月27日(木)

 さあ、倒れよう。風邪をひこう。


1月26日(水)

 どうも身体がほてって、喉が痛くて、だるくて、これは風邪ですよね。でも、風邪っていってしまうと途端に倒れそうである。明日なら倒れることもできるぞ、と身体に言い聞かす。


1月25日(火)

 朝から礼拝に。午後から講義に。


1月24日(月)

 喉の痛みが激化する。危ない。風邪の兆候だろうか。


1月23日(日)

 翌日は朝早くから祖母の満中陰のおつとめに行く。これまたあちこちに動き回るであろうし、何よりふるまいが難しいであろうと予想される場所である。ぐったりする。


1月22日(土)

 内田先生の最終講義、茶話会、退職記念パーティの日。朝から各地でざわついている。
 私も朝からカジュアルとはいえ、普段しないような恰好でいるためか、不思議な感慨を覚えながら化粧台の前に座る。この不思議な記憶と感触とざわめきは、まさかこんなに長く教えていただくことになろうとは、思ってもみなかったことが理由でもある。
最終講義、茶話会共に予定していた聴衆人数を軽く超え、講堂はほぼ満席になった。
茶話会は、用意していた食べ物はいつあったかのかわからないくらいにあっという間に消えてなくなっていた。あの念入りな打ち合わせはなんだったのかと思うくらいに(私は幹事を承っていた)。
退職記念パーティはさすがに事前予約制だったので、場所に対して人口が溢れかえることはなかったが、極端に食べ物が少なくてかなりひもじい思いもした。
盛大かつ盛会ないちにちであった。

2011年1月24日

一月のわりと一行だけ日記

1月21日(金)

 さてはて、どうしたものか。明日着ていく服がまだ決まらない。うーん。


1月20日(木)

 前に進もう。それしかない。


1月19日(水)

 予定はあれこれハードだった。その分、どっと疲れる日でもあった。


1月18日(火)

 今日明日は厄神さん参りみたいだ。


1月17日(月)

 生きていることに感謝する日。この町に住んでいる自分をありがたく思う。


1月16日(日)

 極寒と噂される名古屋を通り過ぎ、東京日帰り。前々から予定していたとはいえ、積雪により、まさかの徐行運転。無事に帰れてよかったよかった。何より講習会参加できて、身になることをたくさん身に付けて、これから身に付けることもたくさんあって、よかったよかった。


1月15日(月)

 本日はセンター入試なり。きびきびした人たちに遭遇。誰とは知らないけれど、誰もがマスクをしている。当然といえば当然の冬の風物詩。


1月14日(金)

 悩むことの多い日。


1月13日(木)

 学ぶことの多い日。

1月12日(水)

 ガンガン稽古していこう。ようやく正月ボケがどこへやら。


1月11日(火)

 知人に新しい命が生まれた。
初めての西宮戎につれていただき、残り福をいただいた。
マグロが何か知らなかった。


1月10日(月)

 午前には、能楽の稽古始め。本年もよろしくお願い申し上げます。
 午後には、合気道の新春特別稽古@主宰道場。ぶっとおしで四時間!いやあ、たっぷり。でも、これでも稽古したりないなあ。


1月9日(日)

 ぐったり。


1月8日(土)

 稽古始め。鏡開き。本年もよろしくお願い申し上げます。


1月7日(金)

 細かく移動。あちこちで疲労、いや拾う。

2011年1月 6日

年末年始のできごと

1月5日(水)

年末年始になまった身体と飲み食いしすぎた身体を静かに見つめつつ、馴らしていく稽古始め。

稽古のあと、善哉をいただく鏡開き。


1月4日(火)

実家にて のんびり過ごす 火曜かな


1月3日(月)

初詣 静かな土地ですする蕎麦


1月2日(日)

お年始に向かうは東京旅の空


1月1日(土・祝)元旦

本年もよろしくお願いいたします。

昨夜紅白歌合戦ツイートをしてみましたが、リアルタイムの評価や文句、批評批判の類が聞けておもしろかったです。こういう使い方もあるんですね。

桑田佳祐も出演も見られましたし。元旦の生ラジオも聞けました。

今年はやりたいこと、昨年までにほうっぽりだしてしまったことをきっちり再開します。

叶ったら適宜報告します。


12月31日(金)

いやあ、大晦日です。
昼から実家に帰ります。


12月30日(木)

 とてつもなく洗濯物が多いので、これをいかに片付けるか。それが問題だ。ことしのうちにやっておきたいすごく近い未来のこと。
 さて、今年最後の忘年会へ。ありがたいやー。ありがたいやー。

12月29日(水)

 恒例の内田先生宅のお掃除隊になる。本棚を片付けて埃を払って、移動して。結構時間がかかるものだが、だんだんと段取りがよくなってきているので、ささっと終えることができた。忘年会という名の宴会六日目。

12月28日(火)

 ようやく掃除開始。大掃除ほど大きくはないけれど、すべての部屋を片付けて、掃除機をかけてさっぱりしました。いらないものって結構周りにあふれている。年度末の書類整理のときには、もっとたくさん捨てよう。
 夜は前々から予定されていた忘年会。なんということでしょう!素晴らしい時間でした。ご縁に感謝。

12月27日(月)

 前々から楽しみにしていた年末特大プレゼントを受け取るべくまたしても大阪へ。このところ毎日のように通っています。エビフライはだんだんと細くなってまいりました。

12月26日(日)

 親戚宅を訪問。なんとなく冬休みっぽくなってまいりました。今日は宴会三日目。

12月25日(土)

 稽古納めと納会。稽古人数は多い、納会参加人数は多い、で酔いそうになりながらも大変食事が潤沢な濃密な時間でした。ありがとうございます。来年もよろしくお願いいたします。

12月24日(金)

 クリスマスイブにまた病院。さすがに人が少ない、か?いろいろと事情が変わってきます。


12月23日(木)

 憧れのラバーダックを見る。かわいいいいいいいいいい。かわいい。

12月22日(水)

 稽古納めと納会。
 賑やかに稽古し、賑やかに納会が済みました。今年も一年、ありがとうございます。来年もどうぞよろしくお願いします。


12月21日(火)

 大学院の打ち上げもなかなか立ち居振る舞いが難しいものです。


12月20日(月)

 さあ、忘年会シーズン到来です。その前に今日は贈り物の準備を。

12月19日(日)

 着たきりすずめと寝たきりすずめ。いずれがかわいいか?


12月18日(土)

 西へ東へ南へ北へ。行ったり来たり。
 稽古して、人に会ってお話して、家に戻って、そのあと相談を受け、それに応える。時間いっぱい使ってできる限りのアドバイスをする。また移動して豊かな食材とにぎやかな友人たちに会う。忘年会その1.

12月17日(金)

 今日になっていきなり友人がクリスマス礼拝チケットをくれたので、いそいそと出かける。なんだかんだといったって、生演奏で、クリスマスキャロルを歌って、祈りを捧げ、静かな時を過ごすのはいいものです。普段と変わらぬ場所なのに味わい深くなれるから、さらに良さが増すのです。ことしの変更点は、電光掲示によって讃美歌の歌詞が壁に映し出されたこと、蝋燭の光は通路側の方に限られたことです。もちろんこれには、いろんな事情があるのでしょう。でも、試みとしてよかったと思います。

12月16日(木)

 今日は木曜日ですよ。


12月15日(水)

 誰もがとっても楽しそうに稽古しているので、とっても楽しそうな雰囲気に包まれた今日。新しいひとも入門を決めたそう。決め手は、たのしそうに見えること。

12月14日(火)

 今日の夕べは、るる様の公演へ。へええ~いい音だなあ。

12月13日(月)

 誰もが休むであろうと思われた今日は、予定変更することなく休まず実行。休講を出してもよかったかもしれないが間に合ったのである。でも、なかなか疲れました。


12月12日(日)

 今日予定していた行事も残念ながら実行されないままに変更し、別の予定となる。それはそれでまたよし。土日のことでよかったのだろう。さすがだなあと手を合わせる。


12月11日(土)

 稽古を休んで、身内のお悔みに行く。
休むのもお悔みに行くのも久々のことで、いずれにしても、こういった場所での立ち居振る舞いは難しい。


12月10日(金)

 病院に行って結果を聴く。まあ今のところ問題はないらしい。薬をもらったが毎日毎日忘れずに飲み続けられるのかどうか、それが心配だ。薬って習慣づけることができるものなのかしら?


12月9日(木)

 今日も今日とてがんばろう。

2010年12月 9日

ジョン・レノンの日

12月8日(水)

 今年もこの日がやってきました。ジョン・レノンの生誕日です。いえ、それは戦後の話で、それよりも太平洋戦争勃発ということのほうが大事なことだと思います。「戦後」ということばを使いましたが、そもそもの線引きの基準となってしまった出来事が歴史上動かぬ事実としてあったわけです。かような出来事を記憶としてとどめ、受け止め、考えなければなりませぬ。この地球上で人間として生きる限りは。
日本に限って言うなら、なぜ夏ばかりが戦争の記憶をよみがえらせようとする傾向があり、冬や秋にはそういったことは目立った様子で表に出てこないのでしょうか。おそらく理由のひとつは、先の大戦の始まりと終わりの時期的なことに関係ありましょう。でも、すべてひっくるめて戦争なのではないか。今を生きていること、この平和ボケになったともいえそうな時代だからこそ、全部俯瞰し、すべてひっくるめて考えて生きる。戦争に限らずとも、どんな事実でも出来事でも、その意味と重要性を考え、受け止めなければ風化してしまう気がします。
ある出来事が賛美や賞賛に値するから考えるべきということではなく、ある出来事(やそれにまつわる経験)について、「いま」の続いてきた道のなかにあったということを認識しなければならないと思います。決して、「いま」が唐突に現れてきたわけではなく、無数ともいえるさまざまな道筋から「いま」が導き、見出されてきたということを。それが「いま」を生きる人間の義務であり、責任なのではないでしょうか。その「いま」なるものは常に更新され、常に動き続ける。だから永遠に考え続けなければならないのではないか。
なぜか、ふとそんなことを思う今日です。


12月7日(火)

 物事がスムーズに進むときと進まないときは、波や月や風に影響することが、身を以て実感される。自然のなかに身を置いていることがわかれば、世の中の大方の問題は片付いてしまう気がする。いや逆に自然に逆らったり、逆行したり、ちぐはぐな方向に進もうとしたりするから問題が発生するのではなかろうか。


12月6日(月)

 今年も師走になりました。ご無沙汰しております。
一年はなんと早いという実感は実はあまりなく、その印象よりも先に頭をよぎるのが、年初に掲げた抱負を達成できたかどうかということです。
 思い返せばことしのはじめ、昨年末からの風邪が治らずにいました。熱は上がり、咳は出て、鼻水は垂れる、頭痛は当たり前、食欲は激減する…など、症状は年明けにもまだ続き、年初は大風邪とともに始まりました。こんな様子では何もできず、ましてや人に会うような場合はうつしてしまうこともありますし、第一思考回路がうまく機能しない。それで予定していた年末年始の行事やイベントはほとんどキャンセルか欠席しましたっけ。ふだん、あまり大風邪はひかないだけに、年明けにわたしの姿を見たひとの目に映ったのは、ひとまわり「しぼんだ」ものであったようです。まあ、実際に体重は減っていたのですから、そうなりますね。
 さて、それでは今年の抱負が何であったのか、実はこれもあんまりはっきり覚えていないのです。ただただ風邪を引いた身体じゅうがぼんやりしていたので、今何を考え、行動し、それが身体じゅうを隈なく行き届いた感じがしたのは、翌月の二月くらいだったと思います。そうだ、そのときにツイッターというものを始めてみたのでした。

 それからまた夏前に体調を崩しましたっけね。見た目にはわからないくらいにこそっとですけど。そんなときに限って、あちらから、こちらから依頼や改革やご縁をいただくのです。「体調が悪い」というのを理由に動かないということが、生まれてこの方経験がないので、始めはそんな実感するより先に動いていたと思います。なんか体調変ね、バランス悪いわね、ことしの夏は異常気象ですからね、というくらいのところ理由を置いていました。ですから、これまた周囲の目には元気そのもの、元気百倍!に見えたことでありましょう。
 けれども、これを機にまったく好きではない病院というところで、あれこれ検査や診察や治療を受けました。体調不良の原因がどこにあるのか、いまのところ明確なものは出てきませんが、休める時に休むというメリハリのある時間の使い方をこれまで以上に心がけ、一時は休息時間を大幅に確保しました。おかげでだいぶ回復しているようには感じます。
 今はゆっくり自分の身体を見つめ、心身ともに何がしたいのか、何ができるのか、何をすべきなのか、それともそんなこと自体を考えるほうが問題なのか、と時折感じる見つめる時間もとっています。
 それでも現実は現実としてあるので、毎日仕事をこなして生きている日々です。


12月5日(日)

終日頭痛。流行病ではなく、今頃言うが、今更言うがわたしは幼稚園の頃から頭痛が激しいのである。生来の我慢強さで、状況として目の前にある物事をさぼったり、手を抜いていい加減なことをしなかったりするだけのことである。そんなふうには見えないだけで、歩くだけで頭が痛い。なんて、痛すぎると、実際文字なんて書けないから、書いたのはもちろん翌日のこと。

12月4日(土)

 誰かが見ていると思うとだんだん書きづらくなるこの頃。
 ともあれ、今日の稽古は、成瀬雅春先生が見学に来られた。ヨガの先生である。


12月3日(金)

 愉快な会話の中に愉快なつながりもあるのか?


12月2日(木)

 装束付けと稽古と稽古。慌ただしくも充実した日。


12月1日(水)

 さあさあ、師走ですよ。何もしなくても、ただそれだけでせわしい気分になるのはなぜ?


11月30日(火)

 昼の打ち合わせ。そのあと興味深い本を見つける。中庭を歩くことはない。


11月29日(月)

 そして月末。明日で11月も最終日だ。


11月28日(日)

 今日は疲れを癒す安息日。


11月27日(土)

 稽古指導担当。道場に着くと、新入会員(か希望者)の方が多く、有段者がまったくもって少ないので、考えてきたことは、またもやうっちゃってしまいました。基本を重点的に。


11月26日(金)

 まとまる感じ。


11月25日(木)

 連続稽古六日目。五日目くらいがちょうどいいことを確信する。六日になると身体によくない。けれども、今日は多方面に気付くこと、発見したこと、わかったこと、感じたことが多く、稽古してよかったと思う。これまた何回目のことだろうかと思う。


11月24日(水)

 さすがに日帰り後の稽古は、それなりに疲れが残っているようですね。診ていただいてわかる自らの疲労よ。


11月23日(火)

 今日は今日とて遠方へ。それは稽古のためですよ。


11月22日(月)

 今日は何ともいい日である。雨が降っていてもいい日である。


11月21日(日)

 剣杖居合の特別稽古日。ざっと4時間ほど、休憩なしのノンストップで稽古した。時間のあるときに時間のかかる稽古に参加できるのはありがたいことだ。


11月20日(土)

 四段の免状を拝受した。これをいただかないことには昇段した気にならない。というわりには結構四段面していた局面も多々あり。なにはともあれ精進精進。これからも前に進みましょうっと。


11月19日(金)

 明日から続く連続稽古に向けて養生。


11月18日(木)

 ようやく炬燵を出してみた。結構寒いのである。でも、また暑くなりそうな予感。


11月17日(水)

 秋の審査シーズン終了。やれやれ。結構審査は疲れますね。


11月16日(火)

 今日はまた寒かったな。でも、たくさん進むべき道が開けていったので、よかtっよかった。


11月15日(月)

 通常の月曜日。流れに乗れた。


11月13日(土)・14日(日)

 久しぶりに実家でごろごろ。
 本棚を見ると、懐かしい雑誌や懐かしい(どころか半分くらい記憶にない)パンフレットが発掘された。見ているうち記憶もだんだんとよみがえってくる。
 さらに別の本棚を見ると、『ONEPIECE』が並べてあるのを知ったので、なんとなく手に取る。ときおりうるるっと目頭が熱くなる。相変わらず仲間が増えていく、お涙ちょうだい的な成長譚は途端に涙腺が弱くなる傾向にあるのだ。それにしても読み出したら止まらず、まだまだ先は長い。ところで、作者の尾田栄一郎氏の絵をどこかで見たことのあるなあと感じていたら、尾田氏は『るろうに剣心』の作者、和月伸宏氏のアシスタントをしていたらしいことがよみ進めるうちにわかった。
 それにしても長い話だ。まだ終わってないしねえ。


11月12日(金)

 今更逃げるわけにいかぬ~


11月11日(木)

 今日はポッキーの日だなんて、そんなの、いつから始まったんですか!


11月10日(水)

 こんな日もありますよ。


11月9日(火)

 今日はとっても寒い。夕べは特に唸るような風が吹き荒れていた。

2010年11月 9日

山に登りました

11月8日(月)

 しばらく更新されてないねとお尋ねがあったから更新します。
 わたし今日は元気に生きてます。今日は、朝から、仕事や稽古やでたいへんでしたが、ぶっ倒れずに一日過ごせました。ありがとうございまする~。


11月7日(日)

 人生初めてくらいの山登りをする。
 早朝、芦屋川に集合し、ロックガーデン経由、六甲山頂へと向かう。山頂ではお昼ご飯(もちろんお弁当持参!)を食べ、さらに今度は有馬方面に下っていく。
 有馬温泉では、いろんな湯があるなか、金の湯に浸かり、山登りの疲れを癒す。神戸電鉄で三宮へ。一気に山の上から都会に戻ってきた感じがする。
 兵庫県って広いのねえという実感と身体に合う山というのはあるものだなという感覚が残る。


11月6日(土)

 結構暖かい土曜日であった。それだけに夕方からの喉の痛みは、なんともかんとも。


11月5日(金)

 神社に参ってきた。


11月4日(木)

 こちらもまたまた仲良し度アップか?


11月3日(水・祝)

 主宰する道場の方々により、昇段祝賀会を開催していただいた。
 実感も伴わないうちに、いろんな方にお祝いしてもらい、感謝するばかりのこの頃である。たいそう気持ちのこもった贈り物もいただいてしまった。
周囲の暖かい見守りと、暖かいご支援と、暖かい励ましがあって、今の私があるということをまた何度目かにして気づく。さらに精進せねば。
みなさま、ありがとうございます。


11月2日(火)

 結構いいこともある。


11月1日(月)

 演武会に出たことで、誰もがぐっと仲良くなった感じがするこの頃だ。


10月31日(日)

 もちろんのように洗濯の嵐!


10月29日(金)・10月30日(土)大学祭演武会

いつもの合気道、杖道の演武に加え、今回は初めて居合の演武もさせていただいた。演武というには程遠かったが、面白い体験ができたように思う。演武中は、ただただ孤独であると感じるのみであった。


10月28日(木)

 明日から演武会なので、身体をメンテナンスしてもらい、髪を切る。きれいに整える。
 午後からは講義も休講となり、大学すべてが学祭の準備へととりかかる。気分はお祭りモードになる。
 畳を上げて、運んで、軽トラに乗せて、また運んでという具合に会場を設営する。毎年同じことをしているのだが、毎年新たなる発見と新たなる改革が行われる。畳はこの向きで置いたほうがよいとか、あの荷物はここに置いたほうがよいなど。細かなことだが、異常にスムーズになっている。
この設営における時間と感覚が結構好きで、この作業をいかに効率的に成すかということが毎回の課題となる。ことしもこれに参加できてよかったと思う。演武会も好きだが、この準備も好きなのだ。


10月27日(水)

 水曜日は頑張ろう。稽古が多いぞ!朝から晩まで、たくさんあるぞ。


10月26日(火)

 寒気がします。急に寒くなったからかな。


10月25日(月)

 ひいひい言いながら、山を登り、山を駆け下り、山を越え、谷を越え、律して、努力するのだ!


10月24日(日)

 今日が24日の日曜日なので、昨日は23日の土曜日となり、その前が22日の金曜日だったのだろう。だから、その前は21日の木曜日ということになる。その前日は20日の水曜日。さらに前日は19日の火曜日だ。日々それぞれいろいろとあったが、今更明かすこともなし。どうもツイッターを使いだすと何か書いた気になってしまって、ずいぶん書くことへの感覚も使い方も変わってきている。

2010年10月21日

合気道合宿

9月18日(土)~20日(月)

 今回の合宿はいつもより長く感じるのだろうか。
そんなことを思いつつ、大量の荷物を抱えて家を出る。往復バスに乗り込むので、たとえ多くの荷物を持って行っても、さほど苦にはならない。けれど、最寄りの集合場所まで歩きながら、駅や道路には思ったよりもエレベーターやエスカレーターがないことや段差が多いことに気付く。遠回りしたり、迂回したりして辿り着くのと、えいこらえいこら担ぎ上げるのとでは、いずれが楽だろうか。そんなことを思いつつ、臨機応変に前に進む。大荷物を抱えられるくらいの人間ならいいが、身体の不自由な人やお年寄りには、遠回りもたいへんなことだってあるだろう。身体が動きにくい人々にとっての視点からも優しい街であってほしいと、こんなとき不意に感じる。とりあえず、わたしは道衣四着も持ってきていたら、きっと、さらにえらいことになっていただろうなあと思うくらいですむのだから。

 さてと、高速道路千円の企画もなくなり、到着予定よりも一時間くらい早く宿に着く。部屋割りを見て、準備して、少し横になって、着替えて道場へ。まずは場所を作る。

呼吸法をたっぷりしてから稽古開始。稽古も早く始まった。暑かったので、途中一度休憩が入る。それ以降はノンストップで稽古続行。受け続行。基本的な事柄がこういうときにとても大事だと気付く。

合宿は概ね、稽古→風呂→めし→寝るの連続となる。それが6回。
というわけなので、午後の稽古の後はすぐさま風呂に入る。夕食はすき焼き。関東と関西の食文化の違いが大きく出るのか、テーブルを同じくした人々には作り方をご存じない方が多い。今回は関東風。関西風がメインの方は割り下を探していた。まあ、なんとか最後には帳尻があった。集金時間があり、プチ宴会を経て二次会。その後はささっと就寝。

翌19日は朝稽古から。実は朝稽古は自由参加なので朝寝している人も多い。そして朝風呂、朝飯、朝仮眠…はずが、片付けたり、いろいろ話したり、自主稽古しているうちに午前稽古に突入。技は両手取り。途中、「これも審査に出るのよ」と親切な先生のお言葉あり。

稽古後はまた風呂。昼飯、昼仮眠。仮眠を切り上げて道場へ。少しだけ自主稽古。午後の稽古でもまた受けをとらせていただいた。少しだけ休憩が入り、審査の時間となる。
今回は、2級受験者からが審査対象とされたので、人数がうまく削減されたがそれでも待ち時間は長かった。審査は若い段級から行われる。自身の時間が来るまでに途中何度となく眠くなるのを堪えてのち、およそ2時間ほどあとだろうか、審査の時間となりました。

 受けの方々におかげと会員のみなさんの熱い視線、応援の気持ちもあり、無事に昇段できた。四段になった。ありがとうございます。何より内田先生、ありがとうございます!
 そのあとにまた午後の稽古続き。風呂に入って、夜はバーベキュー、花火大会、宴会へとイベントは続く。二次会もまた。

 さらに翌日も朝稽古から。朝風呂、朝飯、朝仮眠はカットして片付け。そろそろ鞄を整理しなければ。午前稽古で午前風呂。皮膚がどこかに行くくらい、しっかり風呂に入る。そう24時間風呂なのだ、ここ。
 昼食は恒例のカレーライス。とち餅を買って部屋を片付けるころには合宿おつかれさま号が迎えに来ている。帰りは、昨年と同じ顔をした運転手さん(志垣太郎似)は、一年見ないうちに白髪が増えて、より渋さを増していた。
 SAに三回止まるうち、渋滞に巻き込まれる。これぞ三連休の夕方といった混みよう。それでも無事に着いた。

 合宿のすべてが終わり、ほっとしたとき、まだ実感のわかぬ身体で洗濯を始める。今回、昇段させていただいたのはうれしくもあり、切なくもある、というのが正直なところだ。これから先の稽古や精進の仕方が、さまざまな形で自らのへの課題となっていくように思う。
 内田先生、ほんとうにありがとうございます。まさかこんな日が来るなんて、思いもよりませんでした。今後ともよろしくお願いいたします。

 さあ、またがんばろう。前しか向かない体質はこんなときには大いに役立つ。


9月17日(金)

 さあ、明日から楽しい合宿の時間です。


9月16日(木)

 今日も稽古。完全なる対策稽古。それはそれでおもしろい。


9月15日(水)

 そしてまた稽古。立つ続くと何やら不思議な感じです。


9月14日(火)

 ぐったり。


9月13日(月)

 本日より稽古増やします。夜の時間に稽古します。稽古時間が増えるのはいいことですねえ。さ、がんばろっと。


9月12日(日)

 一瞬だけ夢の世界へ~


9月11日(土)

 戻ってくるなり稽古。しかも指導担当も。暑い。暑いぞ!暑いのだぞ!そしてまた稽古の後に稽古。


9月8日(水)~10日(金)

ちょっくら遠出してました。

2010年10月20日

多田塾合宿に行ってきました

10月18日(月)

 どっぷり疲れがたまっている。でも、気持ちはすっきりしている。お天気も良い。身体の具合もいい。洗濯もよく乾くし、布団も干せる。にこやかに笑える。すがすがしい。会う人会う人と愉快に話せる。仕事がある。友達がいる。いいじゃあないか。それはそれで。いいことじゃあないか。


10月17日(日)

 夢なら醒めないで~な~んて思うのも秋のせいかしら?

10月16日(土)

 合宿から戻ると稽古場は大盛況の様子。一週間の時間があったからか、果てまた気候がよくなったからか。人が多すぎると酔うのですよね。動くのも暑くなるし。ぶーん。

 夕方は、気を取り直して、ささっと着替えて、夢の世界へ。きゅん。


10月15日(金)

 先に行われた自らの審査映像を改めて見る。すでに、こっぱずかしい。あんなふうだったんだなあと、初めてくらいに感じるところ多々あり。いかんなあ。精進せねば。いかんなあ。


10月14日(木)

 きれいなものを見る週間。
 大学の舞踊専攻の四回生による、第二回卒業公演を観る。身体があんなに動かせるなんて。心身の可能性を垣間見る。じーっと。


10月13日(水)

 さあ、水曜日だよ!今日は長時間だよ!稽古稽古稽古の三つ連続。


10月12日(火)

 うまい具合に創立記念日なので、それをいいことに洗濯ものと長時間過ごす。


10月9日(土)~11日(月・祝)

 多田塾合宿に参加。今回で参加が10回目になるようだ。まだ白帯のころから出かけていたのでかなり歴史を感じる。他道場の方にも、だいぶ顔見知りの方が増えてきて、だんだん面白くなってきている。とはいえ、いまだに、未知なところもあるので、できるだけ顔を覚えていただけるようにしたい(友人になる、知り合いがある、というのはありがたいことなのだと毎回感じる)。
 今回三日間のうち、二日ほど雨に降られて移動が大変だった。それは、毎日稽古の時間に合わせて道場と宿とを往復せねばならないからだ。晴れていれば心地の良い通りである。しかし、雨だとそれが勢い難儀になる。ときおり優しい人に声をかけてもらえることもあり、拾ってもらって車で移動できたのはうれしいことだ。
 先だって昇段したことを内田先生のブログから確認され、会うなり声をかけていただいた方もたくさんいた。すごくありがたいことだ。そして、これからが大事である。ますます精進せねばと肝に銘じる。
三日間、多田先生の世界とパワーのなかで過ごす機会を得ると、自ずとわたし自身まで大きくなったかのように感じられるから不思議だ。同時に、身も心もますますの稽古と精進が肝要であり、かつとても重要であるとの認識を抱くことになる。夢のような時間はあっという間である。けれども、これでしばらくはまた元気に生きられる、そう思える。

10月8日(金)

 多田塾合宿のため、前泊。明日の朝出発では現地に間に合わない。

10月7日(木)

 やはり持つべきものは師匠である。

10月6日(水)

 さあ、今日もがんばろう。


10月5日(火)

 芸術の秋シリーズ、何かが欠乏していたのはこれだったのか!的に心の充足。


10月4日(月)

 どうも先日から調子が狂うわね(良い意味でバランスが変わったわね)と思っていたら、‘秋’が来たらしい。そうである、‘芸術の秋’である。おかげでこちらの身体に僅かな変化が起きてきている。観たいものや読みたいもの調べたいことこうありたい自分の姿が、かなり明確になってきている。現実の人であれ、空想の世界の人であれ、憧れたり、尊敬したりする人に出会えることはまことにもって素晴らしいことだ。もちろん、いまも近くにもそんなふうに感じるひとは周囲にたくさんいるが、わたしの人生のなかで、そのような対象がひとりでも多くなると、また違った世界が見えてくるみたいだ。
 偉大な人は、素直なのだと最近そんな出会いが立つ続けにある。

10月3日(日)

 「舞う身体、響きあう身体」のシンポジウム拝聴。島崎徹先生、吉田都先生、内田樹先生の対談。「身体性の教育」と銘打たれたこの企画も今回で第五弾だそうだ。‘芸術の秋’ということで今日も出かけます。でも、今日はいつもの大学なので、雨が降ってはいても近いのですよ。

10月2日(土)

 朝に稽古、昼に稽古、夜に買い物(ほとんど見るだけ)。


10月1日(金)

 10月だね、という感覚がつかみにくい10月。でも少しは前に進むんだ。


9月30日(木)

 大いなる月末。偉大なる上半期末。


9月29日(水)

 おお、今日は水曜日ではないか!


9月28日(火)

 内田先生の還暦お祝いパーティ@たぶんサプライズ編が開催される。全然サプライズではなかったが、誰もが愉快で、にこやかでよかったです!もちろん、先生、お誕生日おめでとうございます!


9月27日(月)

 後期開始です。初発から元気な学生たちがやってくる。素直な子たちだ。ああ、ありがたや、ありがたや。
 あちこちで、ありがたやありがたや。
 親類縁者そうでなくとも周りのみなさまに「生かされている感じ」がしてばかりのこの頃だ。ひとりでは、決して、たぶん立つことさえもできないことが、だんだんとできるようになってきている。でもそれは、自分ひとりでできたことでは決してないなあと思うこのごろ。感謝です。


9月26日(日)

 日曜日は休日です。


9月25日(土)

 稽古をできるだけして、それから大阪に出る。相愛大学でのシンポジウム拝聴。タイトルは「『人文科学の挑戦』」中沢新一×内田樹×釈徹宗」。600名ほどの枠に1600名ほど応募されたらしい。応募者多数の抽選があったと聞くそこは、たしかに溢れんばかりの会場となっている。


9月24日(金)

 一日仕事して過ごしてみた。


9月23日(木)

 いちにち休日らしく過ごしてみた。


9月22日(水)

 合宿での余韻に浸る間もなく稽古開始。なんか変わるかなあ。いやあ変わったよなあ。


9月21日(火)

 合宿から帰るとどうしてかとても眠い。そして洗濯物が多い。当たり前だが、その当たり前のことを当たり前にして過ごす日常がやってくる。

2010年9月 8日

台風の来る頃ですけど

9月7日(火)

 台風が向かっているのかしら?久しぶりの雨を見た。つぶやき的このごろ。


9月6日(月)

 まるいちにち、動き続けて、考え続けて、くたくた。


9月5日(日)

 ぐったり休んでしまいました。疲れたのでしょうね、昨日は。


9月4日(土)

 8月35日な今日。まだまだ暑いのです。昼から稽古すると、こりゃもう溶けそう。
一度うちに戻って、着替えて、夕方からは上半期祝賀会。笑い転げそう。


9月3日(金)

 言わずと知れたドラえもんの誕生日。


9月2日(木)

 あついあついあついあつい。「あつい」と発声するたび温度が下がるドラえもんの道具があったことを思い出した。なんだったけな、あれは。


9月1日(水)

 稽古の日。防災の日。そして8月32日の日。


8月31日(火)

 この夏は暑すぎて。何をやっても暑すぎて。そしてわたしは分厚すぎて。


8月30日(月)

 片付けが止まらない。


8月29日(日)

 夏休みにしたいことのひとつは片付け!というか大掃除。いらないものを捨てるのだ!さっくりと、すっきりとおかげで部屋が広くなった気になる。しかし、あっちを片付ければ、こっちが雪崩。どないなっとんのや!の大崩れです。


8月28日(土)

 今日は演武会です。暑いのです。でも演武会なのです。演武会では段級があがればあがるほど、出番がだんだんと少なくなるのです。一時は出場回数を競うほどでした。
さてはて、終われば打ち上げ。とても早くに解散したので身体がとても楽でした~ありがとうございました!


8月27日(金)

 うーん、久しぶりの緊張だ。いい意味合いで。


8月26日(木)

 夕方にはお能の稽古。これもまた久しぶりでよい。


8月25日(水)

 満月の夜、大阪城薪能にて、初めて能『翁』、『安宅』、狂言『貰婿』を鑑賞。チケットいただきました。ありがとうございまする。


8月24日(火)

 緊張するなあ。


8月23日(月)

 暑すぎて、くたくた。ぐたぐた。

2010年8月24日

袴洗ってね

8月22日(日)

 歌仙会でした。疲れました。お昼に食べた穴子の箱寿司か押寿司の小骨が喉に刺さったまま、謡いつづけました。


8月21日(土)

 そしてこの暑い中を今日も今日とて稽古です。実際暑いうえに、ひとも多く、風が通らず、汗もかくので、稽古のあとは、全部洗います。時折「袴を穿いてから一度も洗ったことがありません」と自慢げに言われる方がいますが、当方には信じられない話です。


8月20日(金)

 今日は今日とて暑い日です。あんまり実物は見ませんが、こんな暑い日に野球している人がいるなんて、考えただけでもすごいことですなあ。

8月19日(木)

 さすがに疲れました。ごろごろしてます。が、でも、こういうなんにもしない日ってのは、この夏は初めてかも。

8月16日(月)~18日(水)

 お盆休み!ということで熊野を目指す。今月、なんと二回目の和歌山県である。
 今回は珍しく、父、母、祖母と一緒に出かけることになった。行先は熊野とその近辺。朝から大阪を経由して一度田辺に入り、そこから「熊野ロマンチック街道」とかいう道路を通る。空いているし、通りやすいし、対向車はほとんどないしで走りやすい。そのまま本宮大社に行くのもよかったが、夕方なので明日にまわすことになる。実際長い道のりだったので、初日の今日は移動するだけでほとんどの時間が流れていったわけである。それでも自然林の緑は深く、空気もよく、心地よい。いい感じの山々を満喫できた。
湯の峯温泉郷の宿に到着。すぐさま温泉に浸かる。おいしい料理を食べる。これでもか!というほどの食事の量の多さである。さすがに食べるのが早くて、大喰らいで名の知れた一家でも食べきれないほど。ゆっくり食べるといいのだね、とは今日の教訓。そしてまた夜に再び温泉に浸かる。24時間風呂なのだ。
明けて翌日も朝食をたっぷり。朝風呂に浸かって心地よい身体になる。昨日と女湯男湯の入れ替わりがあったので、また違った感じがあり、何度も楽しめる。
さて、晴天となった本日こそ熊野本宮大社へ。石段を登り、参拝。
 二年前に初めて来たときは時間もあまりなく、ざっとしか詣でることがなかったので、こんどはたっぷり詣でる。八咫烏伝説の紹介や所狭しとグッズが陳列されている。神社仏閣の類で商売っ気がありすぎるのも、すこし悲しい気もする。
 おみくじを引くと大吉であった!一年に二度もおみくじで大吉を引くのは人生で初めてだ。ことしはとてもいい年らしいので、謙虚に精進しよう。
 その後は、無料化社会実験が行われているとも知らずに通った伊勢自動車道で尾鷲、松阪を経由して、時間もあったので伊勢に降り立つ。急遽伊勢神宮に行くことになるが、行ってみると、あまりの人の多さに驚く。昨今のスピリチュアルブームなのかスポットなのか、矢鱈とひとがいるのである。年始を除いて、夕方に神社に来るような人は、以前はほっとんどなかっただけに、流行はすごいね~ということで、一同車窓から手を合わせてとっとと退散。
 再び自動車道に乗り、親戚の住む市内を目指す。その前に祖父たちご先祖の墓参り。わたしが明日帰るので、これも急遽のことになった。静かなお寺で、そっと手を合わせて、静かに拝む。夕刻は親戚が集まり会食。濃い一日であった。
 また明けて翌日は朝食を食べ、すこしだけのんびりしさせてもらってから、一足お先に親戚宅を辞去する。近鉄特急と阪神電車を乗り継ぎ道場へ。なんと二時間ちょっとで到着。近くなったのですねえ。それもこれも阪神なんば線のおかげです。
 なかなか濃い、時間と空間の入り乱れる興味深い久しぶりの家族旅行となりました。こんどは伊勢神宮に久々の足を運びたいものであります。

8月15日(日)

 強化合宿第二弾。きれいなものを見るのよ。今日もまた。

8月14日(土)

 お盆ですけど稽古です。あつうううう~。しかも延長戦です。へろへろ~~~。

8月12日(木)~13日(金)

 お盆強化合宿。目の保養に行ってきます。きれいなものをいっぱい観るの。

8月11日(水)

 今日も暑いです。お盆休みも返上でお稽古です。わお!

8月10日(火)

 夕方には杖道会の学生さんのための壮行会。日本よりも暑いところに留学するのだそうな。

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2004年3月までの長屋日記

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