二月と三月まとめて日記
3月31日(木)
大学に行って、今日で退職される内田先生にご挨拶する。
ちょうど部長室に辿り着いたとき、キャンパス内のあちこちで記念に写真を撮るべくやってきていた卒業生のフォトグラファーの方がいた。流れで一緒に学内を歩く。
お初にお目にかかります。お名前は以前から…などの挨拶もそこそこ、わたしは通りすがりの人物のふりをして写りこむ。先生の愉快な一面も垣間見る。学内の知られざる空間を覗きこむ。(見知った職員の方に会い、こちらもどうぞとなぜかわたしが促される)。
今日はまた、春からの新入生のためのクラブ紹介があったので、後輩たちの勇姿を拝見。
そのあとに稽古。なんとも不思議な時間の流れる年度末。
3月30日(水)
年度末、今年な何を思うのか。
3月29日(火)
3月28日(月)
気が付いたら募金するぐらいしか何もできないね。でも、それでも募金しよう。たとえほんの僅かでも、ずっと続ける。
3月27日(日)
日に日に新聞をめくるのが嫌になってきた。ページはぱらぱらと捲って、適度に見ることにしよう。
3月26日(土)
合宿明けの土曜日。合宿明けの土曜日が迎えられたことはよきことと思う。
3月25日(金)
あと少しなんだから、あと少しで山を崩せるのだから。
3月24日(木)
先月始めた片付けがまだ終わらない。あと少しなんだが。
3月23日(水)
稽古して稽古する。これがわたしの生きる道。
3月22日(火)
不思議なくらいに起き上がれない痛みを伴う。筋肉痛?いやいやそんなのとはちょっと違う感じだ。その証拠に夜になればすっかりおさまってきたからだ。
3月19(土)~21日(月)
どこか心が晴れやかに落ち着かないまま合宿に行く。どことなく神妙な空気が流れている気配もある。稽古ができることに深く感謝。合宿から帰還後は、意味不明な身体の痛さを伴う。
3月18日(金)
明日からの合宿はあるのだろうか。また行くべきだろうか。合宿について、初めてそんなことを思う。
3月17日(木)
まったく落ち着かない日々。そうこうするうち頭も激しく痛い。
3月16日(水)
気がふさいでいても仕方がない。前を向くことも大事だ。
3月15日(火)
それでも太陽は昇り、また沈んでいった。
3月14日(月)
誰も来なくても稽古しようと思っていた。非常事態だから休む方も多いだろうと頭によぎったが、そんなことはなく、和気藹々と稽古できた。いつもの生活をいつものように行うこと。これが大事なんだと感じる。
3月13日(日)
きちんと生きることが大切だと感じる。一緒に舞い上がって、浮足立ってはいけない。できることをきちんとする。できることを確実に行う。
3月12日(土)
昨日からのあまりのショックで寝込んでしまいそうだった。てっきり稽古はないかと思っていた。そんなことはなく稽古はあった。あるというよりも私が指導担当になった。先週からでかけられていた先生が地震のなかに巻き込まれて、足止めを食らう羽目になったからだ。
3月11日(金)
生まれて初めての宝塚の初日観劇をしていた。東北、関東地方で大きな地震があった。何にも言えない。
3月10日(木)
朝になってもまだずっと胃が痛い。きしむ。
3月9日(水)
非常に胃の痛い思いをする。いや実際胃が痛いのだ。
3月8日(火)
舞踊公演を観る。今回は第五回公演。今回はまた新たな感触。
3月7日(月)
さすがに遠出した日の翌日はどっと疲れる。
3月6日(日)
高砂は遠かった。お好み焼きはおいしかった。
3月5日(土)
夕方には例の相愛大学へ対談を聴きに行く。登壇された方々の服装ばかりに目が行く。
3月4日(金)
もう我慢できなくなり、髪を切ってもらった。すっきりした。前回切ってもらった時に次回の予約をしているが、なかなか次回の予約との折り合いがつかない。かなり変更ささえてもらっている。先のことはわからない。
3月3日(木)
部屋の片づけがまだ終わらない。結構あそこの棚が、向こうの隅が時になりだしてくると止まらなくなる。時間を見つけての掃除なので一向に前に進まないということもあるが。すでにごみ袋5袋分は捨てた。
3月2日(水)
あるひとつの出来事が起こり、ある怒りの感情が出てくることがある。怒りの感情があって、それをうまく表に吐き出したり、伝えたりできないことがある。そういうとき身体の中に怒りをため込んでしまうことがある。けれどもそれでは、怒りが怒りとして存在しないし、そもそもの身体もおかしくなる。まったくもっていいことがない。ならば、怒りを発するような回路を持たなければいいというふうに考えることができる。怒りのような得てしてマイナスのほうに働きやすい感情を持たなければいいという意味である。なるほど、一理あるかもしれない。
しかし、それでは、怒りをさらに抑えこんでしまうことになるだろう。それは、怒りが正常な働きを持つことがないまま、この世に生まれてそのまま宙ぶらりんになってしまうのだ。でも、その感情を受けた身体がある。モノはあるのに、それを受け入れる器がない。それはそれでさらに身体に悪い。感じていることに蓋をして、まるで何も感じてないかのようにふるまうからだ。だから、私は怒りの感情を隠すことなく、蓋をすることなくし示す。声を荒らげて怒るのは好きではない。そんなことをするときは、よっぽどのときである。かといって、怒りがよほどのことでないということではない。くどくなった。要は、私は怒りの感情をはっきりと感じ、はっきりと示したのだ。
3月1日(火)
早いものでもう三月である。あっという間に二月が終わってしまった。
2月28日(月)
二月の月末、今日は雨。
2月27日(日)
一生懸命になるときは一生懸命な時間がやってくる。
2月26日(土)
今日は珍しく下川先生の舞台を拝見。「橋弁慶」のシテである。弁慶の役側が先生によって演じられる。ぐわっと動く大薙刀。動きもラインも首の向きも、すべての動きがすさまじくきれいだった。
その後、ソッコーで移動し、合気道の稽古に行く。稽古で手首を恐ろしくぎゅっと掴まれた。わあ、めちゃくちゃ痛い。結果、壊されてしまったみたいだ。くっすん。悲しいね。
その後、また大阪に移動。「武術的立場」の対談を拝聴。
移動の多い日であった。
♪俺は今日からゴーゴー、そんなもんでっせー。っと桑田佳祐氏が歌う。
2月25日(金)
夕刻には西宮北口の芸術文化センターへ。「大いなる辺境」という公演というか能の舞台で、「鞍馬天狗」(半能)を拝見。ふーむ。こわ。
2月24日(木)
今日は今日とて…。
2月23日(水)
このところ桑田佳祐氏関係の本や雑誌や歌が出まくっていて、追いかけるのがたいへん。追いかけるあたりですでに遅い。当人は、冗談抜きで、ほんとに生まれ変わったみたいで、ときおりええ感じにも見える。
2月22日(火)
フフフのフ。
2月21日(月)
内田先生の研究室と入試部長室の掃除に行く。何年もお世話になっているので、これだけは行こうと決めていた。ゼミ生になったときのことを振り返れば、こんな日を迎えるなんて、感慨深いというよりも、どこか不思議な感じがする。
掃除は、そこいらを箒でささっと掃いてごみ捨ててというのではなく、膨大な量の本を全部段ボールへ詰めてパッケージするのが主である。もちろん詰めるのは、事前に先生のよって取捨選択されたものだ。数十年分なのでその量がとても多い。また、掃除の合間にも先生は、会議に呼び出され、取材に行ってしまわれ、数時間不在なので、その間の過ごし方が難しい。どんどん不要な本も増えていく。
その次は紙類が多い。これは取捨選択が早いのだが、すてればいいものは案外少なく、シュレッダー行きのものがひたすら出てくる。わたしは、ふたりがかりでそれをかかえて、際限なくシュレッダーマシンと化した。ここにクリップやホッチキスの針がついていたら外さないといけないので、その時間がまたさらにかかる。
ところで、今日掃除に参加していたのは杖道会の学生さんたちだ。毎度のことながらほんとうによく働いていた。休憩時間までもそうだし、適当に手を抜くということもしない。部屋の広さや場所による立ち居振る舞いがいいし、何か見つけて掃除しに来ている。何かすることないですか?などと馬鹿な質問もしない。
人数が適度だったのだろうか、昼に始まり、夕暮れ時には、すっかり片付いていた。二日間予定されていた掃除も一日に短縮された。これは、チームワークのよさもあると思う。
興味深い掃除だった。