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2004年4月 アーカイブ

2004年4月 1日

口紅とお酢とフリオ

「その国では男はみんな口紅をさす」

フリオは砕いた氷をフリーザーに放り込みながら言った。

ゴルフギャグの課長達3人連れはいつの間にか帰っていて、お客は僕とカウンターに
座っている女の子の二人だけになった。女の子はやっぱり頬杖をつきながら、水槽と
壁に掛かった絵を交互に眺めている。絵は海沿いに建っている白壁の家々を描いたも
ので、スペインとかその辺りの風景のように見えた。

「その国って、日本じゃないの?」

「正真正銘の日本国だよ。でも、今ぼく達がいる日本とは違う日本なんだ。ぼくは1
5歳までそっちの日本にいた。そして、ある日突然こっち側に移ってきた。昼寝をし
ていて目が醒めたらもうぼくはこっち側にいたんだ。実は、最初の3日間は違う国に
来ていることに全く気がつかなかった。だって、あまりにも状況がそっくりなんだ。
昼寝をしていた部屋や、家族や、飼っている犬までほとんど一緒だった。

ただ、こっちの日本で違っていることは、男がみんな口紅をしていないことだった。
最初のうちは、そのことにも気がつかなかった。ちょうど中学を卒業した春休みで、
毎日家で昼寝ばかりしていたので、ほとんど外出をしなかったし、父親は贅沢もので
どちらかというと派手好みだったけれど、何故か口紅だけは目立たないものが好きだっ
たので、家で父、というか正確には父に良く似た別人だったわけなんだが、彼に会っ
ても口紅を差していないことに気がつかなかったんだ。

どうして、こちら側に迷いこんでしまったのかは今でもよく分からない。思い当たる
こととすれば、その日の朝に口紅をさすのを忘れたことくらいだ。でも、それまでだっ
て口紅をさし忘れたことは何度もあった。

ぼくは違う国に来ていることに気がつかなくても全く問題が無かった。まるで、非常
に良く似た世界が二つあって、ぼくという存在がその二つの世界の間で入れ替わった
みたいだった。こっちの世界ではぼくはフリオと呼ばれているらしかった。そのこと
に気がつくのに3日かかったんだ。案外、家の中にいると名前って呼ばれないものな
んだね。

最初のうちは少し心細かった。でも、すぐに慣れたよ。特に大きな問題も無いまま、
ぼくは高校に通っていた。でも、ある日突然全てが馬鹿らしくなってしまったんだ。
だって、ここでの生活は本当のぼくの人生じゃないんだ。ぼくはぼくそっくりのフリ
オってやつを演じているだけだし、家族や周囲の人達だって、みんな似ているだけで
本当はぼくとは全く関わりの無い人達なんだ。そう考えたらなんだか全てがむなしく
思えてきた。

そういう時期が3年くらい続いた。でも、そのうちそれもどうでもよくなってきた。
ぼくの人生は、ぼくがぼくみたいな誰かを演じている間に否応なく流れていくんだ。
戻りたくても、自分の力であっちの世界に戻ることはできない」

「他にはそっちの日本とこっちの日本で違うことはないの?」

「あっちの世界では、お酢をとりすぎると体が硬くなると言われている」

「それホントかよ。なんだか嘘っぽい。ひょっとして今の話、全部うそじゃないの?」

「さあ、どうかな。少ししゃべりすぎちゃったね」

フリオは寂しそうに笑った。

夜は確実に更けていった。このまま永遠に深く潜っていきそうな夜だった。

2004年4月 5日

四年生の決意表明

4月3日(土)

同じ医局のN先生の結婚披露宴に出席しました。めでたいめでたい。

披露宴が始まる前に、指導教官の先生が投稿中の僕の論文が雑誌に受理されたことを
教えてくれました。よかったよかった。

4月1日(木)

今日から大学院4年生になりました。

最終学年です。たぶん、ぼくの人生の中で最後の学生生活ということになることでしょ
う。

鈴木先生(すーさんのこと)は、やっぱり3年生になった中学生に「最終学年として
の自覚をもって行動しなければならん」とかそういう指導をされておられるのでしょ
うか。

僕も浜松の中学3年生に負けずに、自覚をもった行動をしなければなりません。でも、
32歳の大学院4年生はいったいどういう自覚を持てばよいのでしょうか。

とりあえず、今年度は研究室の宴会係に任命されそうな雰囲気なので、それを頑張ろ
うと思います。

実験もちゃんとやります。

病院の注射係では、1年間、注射失敗ゼロを目指そうと思います(血管が見えにくい
人もいるのでこれは結構たいへんかもしれない)。

2004年4月 7日

レバ刺しとシュレッダーにご注意

4月6日(火)

えー、現在は平日の昼日中なわけですが(ただいま午後3時15分)、昨日から断続
的な腹痛と39℃の発熱にみまわれまして、家でお休みをしています。

世の中がくるくると動いている間に、自分だけが部屋に取り残されてお腹をさすりな
がらアロエヨーグルトを食べるというのは、これはこれでなかなか趣深いものであり
ます。

テレビをつけると、NHKの児童合唱団がベルサイユ宮殿で合唱を披露したとか、犬を
飼う人は自分と似た犬を選ぶ傾向にあるということがアメリカの大学の調査で判明し
たというニュースが紹介されたりしています(そのなかで紹介されていたそのまんま
東とその飼犬は確かに似ていた)。

当たり前ですが、普段私が研究室で大腸菌の入ったフラスコをごしごし洗ったりして
いる間に、僕の家の前の公園ではガキどもが遊びまわっていたり、NHKの桜井アナウ
ンサーは、児童合唱団の女の子に「『ベルばら』の舞台で実際に歌った気分はどうだっ
た?」なんて聞いているわけであります(今どきの女子高生は『ベルばら』なんて知
らないだろうに)。

たまには自分が普段いないところでどういうことが起こっているのかを知るのも面白
いですね。というか結構大切なことのような気がします。

それにしても、やはり日曜日の夜に食べたレバ刺しが悪かったのだろうか。

4月5日(月)

さっそく病院の注射係をしました。

外来の処置室で点滴や輸血を受ける人たちに注射の針を刺していきます。今日は患者
さんが3人だけしかいませんでした。

みなさん立派な血管をお持ちの方々で、失敗もなく無事役目を終えて研究室に戻りま
した。

最後の患者さんの処置中に、隣の部屋でなにやら小さな騒ぎが起きています。

帰り際にその騒ぎの横を通ると、どこかの科の先生の白衣の裾がシュレッダーに巻き
こまれて、白衣がすだれのようになっていました。あるいは真っ白なきしめんのよう
でした。

みなさんシュレッダーの置き場所には注意しましょうね。

2004年4月 8日

たのしい遺伝子

4月7日(水)

だいぶ調子が良くなってきたので、午後から仕事に復帰しました。

ほとんどお粥とヨーグルトしか食べていなかったので何となく体に力が入りません。

消化に悪いかなーと思いつつ、体が塩分を欲していたので、レトルトのお粥に、
先日出席した結婚披露宴でもらった昆布の佃煮を入れて食べていました。Nせんせい、
昆布ありがとう(読んでないと思うけど)。

天保山にある診療所で診療をしてから研究室へ行き、本日中に出さなければならなかっ
た書類を郵送したあとで、培養中の細胞の処理をしました。

嬉しいことに、ここ数ヶ月間上手く遺伝子を導入することができなかった細胞に、2
クローンだけちゃんと遺伝子が入っていることが分かりました。調子があまりよくな
い中、研究室まで来たかいがあったというものです。

細胞に遺伝子を導入するという作業は、いってみれば「基礎工事」みたいなものでし
て、とても大切な実験であることは確かですが、それができないとお話にならないと
いうところがあります。

本当に行いたい実験というのは、ある特定の遺伝子を導入した細胞を用いて様々な細
胞現象を見ることなわけですから、そのスタートラインにさえ着けないとどうしよう
もありません。

今回は先輩の先生のアドバイスで、遺伝子導入の方法を変更することで何とか成功す
ることができました。だいぶ足踏みしてしまったのですが、これでやっと先の実験に
進むことができます。

同時に進めていた遺伝子発現解析の実験でも、ちょっと先まで踏み込めそうな良い結
果が出たので、最近ちょっとうきうきしながら仕事をしています。

研究していると、よい事というのは極くまれにしか訪れてくれないのですが、その分、
そういう時は本当に嬉しくなってしまいます。

それはまるで、普段酒ばっかり飲んでごろごろ寝てばかりいるダメ亭主が、めずらし
く働きに出て家に金を入れてくれたときのようです。

そう思いますと、いままで考えてみたこともなかったのですが、僕の中には「貧乏に
じっと堪えながら子育てに励む妻」のような、どこかMっぽい気質が存在しているの
かもしれません。

僅かばかりの金を渡されて、涙ぐみながら

「あんた、ありがとう」

なんてつぶやく妻を演じながら、研究生活を過ごしているような感じです。


ところで、僕がここで言っている「よい結果」とか「うれしい事」というのは、希望
通りの実験結果が出た、とかそういう予測の範囲内の出来事です。

おそらく、本当の意味での「よい結果」というのは、そういう自分の予測の範囲を超
えたところで起こってくるものなのだと思います。残念ながら僕はそういう体験をし
たことがまだありません。

そんなことに巡り合ったら、ああ、体がぶるぶる震えてしまいそうです。

でも、もしかしたら、もうすごい結果に巡り合っているのに気が付かずに、僕はそこ
を素通りしちゃっているかもしれません。マリちゃんのことばっかり考えながら実験
していたりするので。

2004年4月16日

なめこ汁のただしい食べ方

4月13日

お昼ご飯はいつもおじいさん先生のお家で食べる。

すみ子さんという、おじいさん先生の姪にあたる人が毎日お昼ご飯の用意をしてくれ
る。

今日の献立は、さばの塩焼き、切り干し大根と油揚げの煮物、ポテトサラダ、それに、
ごはんとお味噌汁だった。お味噌汁はなめこ汁で、刻んだ葱がたっぷりと入っている。

なめこ汁は子供のための味噌汁だ。

湯気がもうもうと立ったなめこ汁がテーブルに運ばれてきても、大人はけっして喜ん
だりしてはいけない。

「なんだよ、なめこ汁かよ」とでも言いたげな、不機嫌そうな顔をして、あつあつで
とろとろとした液体を注意深くすするのが大人の正しいなめこ汁の食べ方である。

おじいさん先生は正統派の「なめこ汁イーター」だ。面白くなさそうにお椀をすすっ
ているが、本当はなめこ汁が大好きなのがテーブルの向かい側に座っているとよく分
かる。

すみ子さんもそれをちゃんと承知しているようで、なめこ汁はかならず週に1回は食
卓にあがる。

さばは骨が多くて年寄の献立には向かないのではないかと思ったが、どうやらこれも
おじいさん先生の好物らしい。


ここで働くようになって最初の頃は、近所の喫茶店でランチを食べたり、外来でコン
ビニ弁当を食べたりしていたのだが、しばらくすると、診療所の裏にあるおじいさん
先生のお家でお昼を食べるようになった。

ご飯を食べている間、僕たちはほとんど何も話をしない。ときどき、流行りはじめた
風邪や花粉症の話をする程度である。

おじいさん先生は、なにか難しいことを考えながらご飯を食べているようにもみえる
し、目の前の焼き魚の骨を取り除くのにただ必死なだけのようにも見える。

「さとう先生は、たしかバスケットボールをやっていたと言っていましたよね」

背もたれに寄りかかってお茶を飲みながらおじいさん先生は言った。

年寄にとって食事をとるというのは結構な労働らしく、どうにか一仕事を終えたとい
う「やれやれ感」が、おじいさん先生の体からにじみ出ている。

歳をとると何が難儀になってくるか分からない。おじいさん先生はさばの塩焼きとな
めこ汁を食すという小さな喜びと、食事をとるということ自体の煩わしさの間で引き
裂かれていたのである。

そんな事さえもう慣れっこなんだよ、とでも言いたげな感じでおじいさん先生は、
「さとう先生は、たしかバスケットボールをやっていたと言っていましたよね」と僕
に聞くのだ。

「NBAの選手でね、どうしても思い出せない選手がいるんですよ。デトロイト・ピス
トンズのスター選手でね、すごく育ちがいい人。最近名前を聞かないので、どうしちゃ
ったのかなあと思ってね。まあ、僕もNBAのニュースなんて見ないから、元気にして
いるのかもしれないんですけど」

「ああ、なんとなくわかります。お母さんがおっきい会社の社長かなんかやっている
んですよね。うーん、何ていう名前だったかなあ。顔はわかるんですけど。そういえ
ば最近見かけないですよね。とってもやさしそうな人」

「うん、そう。その人です。何ていう名前だったかなあ」

「何ていう名前でしたかねえ」

二人でお茶を飲みながら、やる気の無さそうな会話を続けていると、後片付けを終え
たすみ子さんが、自分のお昼ごはんをお盆にのせてテーブルにやって来た。

2004年4月19日

フォエベ・コールフィールドの悲劇

4月16日(金)

村上春樹が翻訳したサリンジャーの『キャッチャー・イン・ザ・ライ』が出版された
のが、たしか1年前の4月だった。

野崎孝翻訳の『ライ麦畑で捕まえて』も読んだことがなかったので、これを機会に両
方読んで翻訳の違いを比べてみようと考えた。

翻訳を比べる前に原文を読んでみようと思い、本屋でペーパーバックを買った。だら
だらと読み進めていたのだが、他に読みたい本がたくさん出てきたので、最後の数十
ページを残して半年以上放置してあった。

数日前にふとペーパーバックのことを思い出して、ここ2日で読み終えた。この勢い
で2冊の訳本を読もうかとも思ったのだが、さすがに同じ話を3冊連続で読むという
のにはちょっと気後れしてしまったので、これもまた読むのを楽しみにしてた、村上
春樹、柴田元幸両氏の『翻訳夜話2サリンジャー戦記』を読み始める。

原書を一冊最初から終わりまで読むというのはたぶん初めての経験だったのだが、分
からないなりに、肌で感じる感覚のようなものがあった。

サリンジャーの“THE CATCHER IN THE RYE”は『翻訳夜話2』の中で村上春樹が言っ
ているように、ホールデンくんが口癖のようにつかうphonyとかlousyという言葉や、
いちいち差し挟まれるgoddamとかand allという表現が独特のリズムを作っている。
これが最初のうちは気になったのだが、読み進むうちに体がそのリズムに慣れてきて、
だんだん心地よくなってくる。自分もクリスマスのニューヨークの街中にぽつんと一
人でたたずんでいるような気分になってくる。

と書くと、なんだかちょっと格好がよすぎるのだが、実は『翻訳夜話2』を読んでい
て僕が最初に衝撃を受けたのは、ホールデンくんの妹であるPhoebeは「フィービー」
と発音するという、しょうもない事実であった。あの、フィービー・ケイツのフィー
ビーですね。

どう発音するのか分からなかったので、僕は便宜上「フォエベ」と決めて”CATCHER”
を読み進めていた。どう考えてもこんな読み方するわけがないと分かっていながらも、
そのうちすっかり「フォエベ」に慣れてしまい、読み終えたときには何の疑いもなく、
「ホールデンのカワイイ妹はフォエベ」と思っていたので、『サリンジャー戦記』の
なかでいきなり「フィービー」と言われたときには、「やばい、やられた!」と、か
なり動揺してしまった。

誰に聞かれたわけでもないのだが、こういう瞬間というのは本当に恥しい。

小学生の時に国語の教科書に載っていた「空っ風」という言葉を「そらっかぜ」と読
んで母親に指摘されたことや、「朝永振一郎」を「あさながしんいちろう」と言って
しまった悲しい経験が思い起こされる。

話はちょっと違うが、英語の文章を黙読するときは、数字が出てくるとその部分だけ
は日本語で読んでしまうということがある。

二ケタの数字までだったら、そのまま英語で読み進めるが、三ケタ以上の数字になる
と、いちいち英語で読むのが煩わしくなってくる。

実はこれが結構くせ者で、「英数字の日本語読み」に慣れすぎると、いざ英語でその
数字を口にしようとしてもすぐに出てこない場合がある。

実験によく用いられる白血病の細胞株に”K562” というものがあって、日本語では
普通「けいごうろくに」と呼ばれている。

学会などで英語で口演するときに、すらすらとプレゼンテーションしていながら、
K562のところだけ「けいごうろくに」と言ってしまうということがある。

原稿を準備している場合は問題ないと思うのだが、質問に答えるときなどの、討論の
場で間違えることが多い。こういうのもとても恥しいと思う。

僕も、『キャッチャー』について英語で話す機会があるとすれば、最初のうちはちゃ
んと気をつけて「フィービー」と発音していても、話しているうちに「フォエベ」と
言ってしまいかねない。

こういう刷り込みって髪の毛の生え癖みたいになかなか直らないものですよね。

ああ恐ろしい。

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