4月13日
お昼ご飯はいつもおじいさん先生のお家で食べる。
すみ子さんという、おじいさん先生の姪にあたる人が毎日お昼ご飯の用意をしてくれ
る。
今日の献立は、さばの塩焼き、切り干し大根と油揚げの煮物、ポテトサラダ、それに、
ごはんとお味噌汁だった。お味噌汁はなめこ汁で、刻んだ葱がたっぷりと入っている。
なめこ汁は子供のための味噌汁だ。
湯気がもうもうと立ったなめこ汁がテーブルに運ばれてきても、大人はけっして喜ん
だりしてはいけない。
「なんだよ、なめこ汁かよ」とでも言いたげな、不機嫌そうな顔をして、あつあつで
とろとろとした液体を注意深くすするのが大人の正しいなめこ汁の食べ方である。
おじいさん先生は正統派の「なめこ汁イーター」だ。面白くなさそうにお椀をすすっ
ているが、本当はなめこ汁が大好きなのがテーブルの向かい側に座っているとよく分
かる。
すみ子さんもそれをちゃんと承知しているようで、なめこ汁はかならず週に1回は食
卓にあがる。
さばは骨が多くて年寄の献立には向かないのではないかと思ったが、どうやらこれも
おじいさん先生の好物らしい。
ここで働くようになって最初の頃は、近所の喫茶店でランチを食べたり、外来でコン
ビニ弁当を食べたりしていたのだが、しばらくすると、診療所の裏にあるおじいさん
先生のお家でお昼を食べるようになった。
ご飯を食べている間、僕たちはほとんど何も話をしない。ときどき、流行りはじめた
風邪や花粉症の話をする程度である。
おじいさん先生は、なにか難しいことを考えながらご飯を食べているようにもみえる
し、目の前の焼き魚の骨を取り除くのにただ必死なだけのようにも見える。
「さとう先生は、たしかバスケットボールをやっていたと言っていましたよね」
背もたれに寄りかかってお茶を飲みながらおじいさん先生は言った。
年寄にとって食事をとるというのは結構な労働らしく、どうにか一仕事を終えたとい
う「やれやれ感」が、おじいさん先生の体からにじみ出ている。
歳をとると何が難儀になってくるか分からない。おじいさん先生はさばの塩焼きとな
めこ汁を食すという小さな喜びと、食事をとるということ自体の煩わしさの間で引き
裂かれていたのである。
そんな事さえもう慣れっこなんだよ、とでも言いたげな感じでおじいさん先生は、
「さとう先生は、たしかバスケットボールをやっていたと言っていましたよね」と僕
に聞くのだ。
「NBAの選手でね、どうしても思い出せない選手がいるんですよ。デトロイト・ピス
トンズのスター選手でね、すごく育ちがいい人。最近名前を聞かないので、どうしちゃ
ったのかなあと思ってね。まあ、僕もNBAのニュースなんて見ないから、元気にして
いるのかもしれないんですけど」
「ああ、なんとなくわかります。お母さんがおっきい会社の社長かなんかやっている
んですよね。うーん、何ていう名前だったかなあ。顔はわかるんですけど。そういえ
ば最近見かけないですよね。とってもやさしそうな人」
「うん、そう。その人です。何ていう名前だったかなあ」
「何ていう名前でしたかねえ」
二人でお茶を飲みながら、やる気の無さそうな会話を続けていると、後片付けを終え
たすみ子さんが、自分のお昼ごはんをお盆にのせてテーブルにやって来た。