4月16日(金)
村上春樹が翻訳したサリンジャーの『キャッチャー・イン・ザ・ライ』が出版された
のが、たしか1年前の4月だった。
野崎孝翻訳の『ライ麦畑で捕まえて』も読んだことがなかったので、これを機会に両
方読んで翻訳の違いを比べてみようと考えた。
翻訳を比べる前に原文を読んでみようと思い、本屋でペーパーバックを買った。だら
だらと読み進めていたのだが、他に読みたい本がたくさん出てきたので、最後の数十
ページを残して半年以上放置してあった。
数日前にふとペーパーバックのことを思い出して、ここ2日で読み終えた。この勢い
で2冊の訳本を読もうかとも思ったのだが、さすがに同じ話を3冊連続で読むという
のにはちょっと気後れしてしまったので、これもまた読むのを楽しみにしてた、村上
春樹、柴田元幸両氏の『翻訳夜話2サリンジャー戦記』を読み始める。
原書を一冊最初から終わりまで読むというのはたぶん初めての経験だったのだが、分
からないなりに、肌で感じる感覚のようなものがあった。
サリンジャーの“THE CATCHER IN THE RYE”は『翻訳夜話2』の中で村上春樹が言っ
ているように、ホールデンくんが口癖のようにつかうphonyとかlousyという言葉や、
いちいち差し挟まれるgoddamとかand allという表現が独特のリズムを作っている。
これが最初のうちは気になったのだが、読み進むうちに体がそのリズムに慣れてきて、
だんだん心地よくなってくる。自分もクリスマスのニューヨークの街中にぽつんと一
人でたたずんでいるような気分になってくる。
と書くと、なんだかちょっと格好がよすぎるのだが、実は『翻訳夜話2』を読んでい
て僕が最初に衝撃を受けたのは、ホールデンくんの妹であるPhoebeは「フィービー」
と発音するという、しょうもない事実であった。あの、フィービー・ケイツのフィー
ビーですね。
どう発音するのか分からなかったので、僕は便宜上「フォエベ」と決めて”CATCHER”
を読み進めていた。どう考えてもこんな読み方するわけがないと分かっていながらも、
そのうちすっかり「フォエベ」に慣れてしまい、読み終えたときには何の疑いもなく、
「ホールデンのカワイイ妹はフォエベ」と思っていたので、『サリンジャー戦記』の
なかでいきなり「フィービー」と言われたときには、「やばい、やられた!」と、か
なり動揺してしまった。
誰に聞かれたわけでもないのだが、こういう瞬間というのは本当に恥しい。
小学生の時に国語の教科書に載っていた「空っ風」という言葉を「そらっかぜ」と読
んで母親に指摘されたことや、「朝永振一郎」を「あさながしんいちろう」と言って
しまった悲しい経験が思い起こされる。
話はちょっと違うが、英語の文章を黙読するときは、数字が出てくるとその部分だけ
は日本語で読んでしまうということがある。
二ケタの数字までだったら、そのまま英語で読み進めるが、三ケタ以上の数字になる
と、いちいち英語で読むのが煩わしくなってくる。
実はこれが結構くせ者で、「英数字の日本語読み」に慣れすぎると、いざ英語でその
数字を口にしようとしてもすぐに出てこない場合がある。
実験によく用いられる白血病の細胞株に”K562” というものがあって、日本語では
普通「けいごうろくに」と呼ばれている。
学会などで英語で口演するときに、すらすらとプレゼンテーションしていながら、
K562のところだけ「けいごうろくに」と言ってしまうということがある。
原稿を準備している場合は問題ないと思うのだが、質問に答えるときなどの、討論の
場で間違えることが多い。こういうのもとても恥しいと思う。
僕も、『キャッチャー』について英語で話す機会があるとすれば、最初のうちはちゃ
んと気をつけて「フィービー」と発音していても、話しているうちに「フォエベ」と
言ってしまいかねない。
こういう刷り込みって髪の毛の生え癖みたいになかなか直らないものですよね。
ああ恐ろしい。