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2004年5月 アーカイブ

2004年5月 3日

マイケル、君はしあわせかい?

5月1日(土)

午前中だけ研究室へ行き、お昼から合気道のお稽古へ。

帰省ラッシュのため名神高速は西宮インターでいつになく渋滞している。

お稽古にはなんとかぎりぎり間に合うことができた。

車を駐車場に停めて更衣室へ急ぐ。着替える前にトイレへ行くと、中学生の三浦君が
いた。

三浦君はタイガースファン。得に赤星選手が贔屓である。

「昨日、タイガース勝ったね」と話しかけると、昨日は甲子園に試合を見に行ってい
たそうである。

良いゲームが見られて良かったね。

4月30日(金)
校正を終えた論文を茨木郵便局へ出しに行くと、すでに夜11時をまわっていた。

駅前に借りている駐車場に原付きバイクを停めて駅までの道を歩く。夕飯がまだなの
で腹が減ってふらふらしている。風に吹かれたら飛んでしまいそうだが、幸いなこと
に風のない穏やかな夜だった。

駐車場から駅までは歩いて3分くらいの距離である。駅まで近づくと、線路沿いの狭
い道にはラーメン屋や居酒屋が並んでいる。

先輩のT先生が教えてくれた水餃子のお店の看板が出ていたので、帰りの電車を一本
遅らせて、お店に入ってみることにした。

L字型のカウンターの奥にテーブルが一つあるだけの小さなお店で、若い男3人がお
店をやっている。

金髪のショートヘアーの男性が店の主人らしい。僕より4つか5つくらい年上、30
台後半のように見える。

T先生の話によると、以前は年配の頑固おやじが店をやっていたそうだ。ある日、T
先生が電話で持ち帰りの水餃子をこの店に注文して、取りに行くのが10分くらい遅
れたら、おやじに「来るのが遅い!」と、きつく叱られたそうである。

数か月前に頑固おやじがクモ膜下出血で急に死んでしまい、江坂に分店を出していた
息子さんが、急遽、茨木駅前の本店を継ぐことになった。

お店の壁にはトミーズの料理番組に出て餃子を作っている主人(若。生きてる方)の
写真が飾ってある。写真の中の主人(若)は髪が黒い。トミーズの二人と551のぶ
たまんの女性に囲まれて、餃子を包んでいる。

カウンターに腰掛けてビールと水餃子を注文した。

ビールは瓶ビールが500円で、生ビールが450円。一瞬迷ってから生ビールにし
た。

水餃子は一人前で良いのかと聞かれたので、二人前頼んだ。

ビールを飲みながら、アマゾンの古本コーナーで買った『マイケル・ジャクソンの真
実』を読みながら餃子が現れるのを待つ。

この本によると、マイケルはお猿のバブルスを特別に可愛がっていたわけではなくて、
ヘビとかキリン(マイケルはジャバーと呼んでいた)とか羊(マイケルはミスター・
ティッブスと呼んでいた)と同じように扱っていたらしい。バブルスと毎晩一緒に眠
るというようなことは無かったそうである。

マイケルにつきまとう変人のイメージというものは、周囲の人間が勝手に作り上げて
しまったところも多いようだ。

マイケルが普通と違う感覚を持っていることは間違いない事実だが、彼の奇妙な行動
の出発点というのは、誰もが頭に思い浮かべるような極く普通の考えである。

「家に動物園があったらいいのに」「家がディズニーランドだったらいいのに」「こ
の鼻がもっとカッコよければいいのに」「肌が白ければもっとうつくしくなれるのに」

だれでも考えることだけはありそうだ。

何てことをあれこれ思いめぐらせながらビールを飲んでいると、白いお皿一杯の水餃
子が運ばれてきた。

ごく普通に小皿に酢醤油と辣油をとり、それに餃子をつけて口に入れる。もちもちし
た弾力のある皮が印象的。皮を噛みきると中からじゅわっと肉汁があふれ出てくる。
舌を火傷しそうになって慌ててビールを流し込む。

ああ、僕はお家に動物園もディズニーランドも無いけれど十分しあわせ。はなぺちゃ
だってお気に入り。泣きべそなんてさよならである。

ビールをもう一杯お替りして、残りの餃子を食べる。皮が肉厚のせいか、随分とお腹
にたまる餃子だ。

ビール2杯と水餃子2人前で1600円くらい。

今度は水餃子は1人前だけにして、蒸し餃子を頼んでみようと思う。

2004年5月 9日

サーフ&スノウ・ボーイの憂鬱

5月6日(木)

最近、ときどきプールに泳ぎに行っている。

家から車で10分位のところに市民プールがあって、もっぱらそこで泳いでいる。一
回800円と少々高いのだが、設備がきれいであまり混んでいないのがよい。

初めてそのプールに行ったときは、クロールで50メートル泳いだだけで息が切れて
しまった。どうやら息継ぎが下手らしい。

クロールの息継ぎを見て恋終わる

これは内館牧子さんが週刊文春に連載しているエッセイで取り上げていた句であるが、
僕の息継ぎもひとつの恋を終らせるには十分な程見苦しく、滑稽なものであると思わ
れる。

壁を勢いよく蹴ってプールの中ほどに進むまでは快調である。しかし、そのうちだん
だん苦しくなってきて、息継ぎの度に上半身ががばっと起き上がり、口がひょっとこ
のように突き出ているのが分かる。

何かの拍子で水を飲んでしまったりするともういけない。腕は伸び切る前に力なく水
面にぱしゃぱしゃと打ち付けられ、不規則なバタ足はまるで足をつって溺れているか
のようだ。

すぐ横のコースでは「ジュニアオリンピック」と書いてある帽子を被った女の子が金
魚のようにすいすい泳いでいる。さっきまで僕の少し前をクロールで泳いでいたのに、
今はもう遥か遠くでバタフライである。

クロールの息継ぎを見て恋終わる

今はもう遥か遠くでバタフライ

恋終わりプールの味はカルキ臭


そんな調子で、慣れない水泳はなかなか大変なものなのであるが、それでもなおプー
ルに体を浮かべて泳ぐというのは結構気持ちが良い。休みの度に懲りずに通っている
うちに、息継ぎにもだいぶ慣れてきた。

小学生の頃は平泳ぎが得意で、平泳ぎの練習ばかりしていた。クロールを練習したと
いう記憶があまりない。何でそんな僕がいきなりクロールの練習を始めたかというと、
実はサーフィンをしてみたいと思ったからである。

今年の3月に久しぶりにスキーをしたら、なんだかとっても面白かった。それはまる
で、自然消滅してしまった恋人と街でばったり再会し、気まづさを持ちつつも別れが
たくて、喫茶店でコーヒーを飲みながらぽつりぽつりと話をしていたら甘く懐かしい
記憶がよみがえってきて、「ああ、私はやっぱりこの人が好き」ってな具合の経験だっ
たのである(これじゃよくわかりませんね)。

そんなある日、ミーツの江編集長から「サーフィンというのは時間で変化する波の上
でやるものだから、まるで雪崩の上でスキーをするようなものなのである」という話
を聞いて、何だかとってもサーフィンがしてみたくなったのである。

サーフィンにはパドリングというものが付き物らしく、どうやらそれは平泳ぎではで
きないものらしいので(たぶんスーダラ節のようになってしまう)、ちゃんとクロー
ルで泳げることが大切なのだ。

回りくどい説明になってしまったが、以上のような理由で僕はクロールの練習を始め
たのである。

夏はサーフィン、冬はスキー。

普通のサーファーは冬にはスノーボードをするが、僕の場合はスキーなのがポイント
である。だからどうしたと言われると困るのだが。

ちゃんとサーフィンができるようになったら報告致します。

2004年5月10日

ドクター、医学をする

5月8日(土)

合気道のお稽古の後、研究会に参加。

インスリン依存性糖尿病に対する心停止ドナーからの膵島細胞移植の話を聞く。

ばらばらにした膵島細胞(膵臓でインスリンを産生する細胞)を肝臓の門脈に注入す
るという非常に低侵襲な治療。お腹を開かなくて良いんです。

ニュースでも大分取り上げられていたようだが、恥ずかしながら知らなかった。

世界中ではすでに200例以上の患者さんに行われているそうである。

長期間にわたる有効性についてはこれから検討が必要であるということですが、大き
な可能性を持った治療法なのだと思います。

5月7日(金)

今回の治療は相当しんどかったです。でも、だいぶましになりました。今度は随分き
つい薬が入っていたんじゃないですか?

前回の治療で使った薬の他にもうひとつ薬が追加になっていますからね。それで前よ
り少し大変だったのかもしれないです。先週は抗癌剤の影響で白血球も少なかったで
すし、熱も出ていてかなりしんどそうなご様子でしたが、大分お元気になったみたい
ですね。顔色もいいですよ

いま丁度お風呂に入ってきたところなんです。やっぱりお風呂はいいですわ。先週ま
では体を拭くだけでお風呂にも入られなかったから

西川さん、入院して3か月くらい経ちますが、そろそろお家に帰りたいと思うことは
ありますか?

うーん、家もいいんですが、もう病院での生活に慣れちゃいましたねえ。それに、家
に帰ってももう仕事はできないと思うんですよ。私はパンの小売りをやっていまして
ね、製造業者のところにパンを取りに行って、それをスーパーの柵に並べるんです。
朝5時くらいにメーカーにパンを取りに行って、売り場をやっているスーパーに運ぶ
んです。ヤマザキとか神戸屋とかあるでしょう、そういうところにパンを取りに行く
んですよ。今は家内と娘が代わりにやってくれています。家内はそのスーパーで、た
こ焼きやお好み焼きの出店をやっているんです

売り場のあるスーパーは何店舗かあるんですか?

いえ、ひとつだけです。でも、運ぶ量が結構あって大変なんですよ。まあ、一度売り
場にパンを並べてしまえば、販売はスーパーのレジでやってくれますから、後は時々
売り場を覗いて、少ないものを補充すればいいんですがね。スーパーの前は市場でパ
ン屋をやっていたんです。数年前に市場全体を潰して、組合でスーパーをやることに
なりまして、今はそのスーパーで小売りをやっているんです。でも、わたし元々は違
う仕事をしていたんですよ。先生、私が何をやっていたかわかります?

いや、ちょっと分からないです

履物屋です。元々はその市場で履物の店をしていたんですよ。履物屋は楽で良かった
です。パンみたいに賞味期限があるわけじゃないから仕入れが楽なんですね。品物は
春から夏とか、秋から冬の間に売れば良いんですから。それに、売れ残ったとしても
安売りをしたりで在庫を処分できるんですよ。でも、市場の近くにダイエーや他にも
たくさんスーパーができましてね、そういうところで同じものを安く売ってるんです
よ。それで、もうこのまま履物ではあかんなあ、と思いまして、ちょうどその頃、市
場のパン屋さんが店を辞めることになりましたんで、それでパン屋をやることにした
んです。でも、結局、近所のスーパーに市場のお客さん全体を取られちゃいましてね、
それで、市場をやめてみんなでスーパーをすることになったんですわ

出張に行っている病院で、週に一度だけ会う西川さんは、マントル細胞リンパ腫とい
う、悪性リンパ腫の患者さん。

多くの場合は、標準的な抗癌剤の治療を一回行っただけで、腫瘍のサイズは随分と小
さくなる。点滴の治療をすると、もう翌日には腫瘍がすこし小さくなっているのも珍
しいことではない。しかし、西川さんのお腹の中の大きな腫瘍は、治療をしてもほと
んど小さくならなかった。

そのため西川さんは、別の種類の抗癌剤の組み合わせによる治療を受けている。


西川さんは履物屋がうまく行かなくなってきた頃どういうことを考えていたんだろう
か。パン屋に仕事を変えることにした時はどういう気持ちだったのだろう。

語り口がのんびりとした老人で、失礼ながら「機を見るに敏」というふうにはあまり
見えない。たこ焼きの出店とパンの両方をきりもりしている奥さんにせっつかれて、
商売替えを決めたのだろうか。

パンの仕入れは難しいと西川さんは言っていた。お店に並べるパンは三日前に注文し
なければならない。三日後にどのパンが売り切れてどのパンが残っているのか予想し
て注文するのだそうだ。

パン売り場で品物を物色しているお客さんたちを、遠くの方から心配そうに眺めてい
る西川さんの姿が目に浮かんでくる。これまた失礼ながら、あまり仕入れの予想もう
まくなさそうである。

病気を完全に治すのはかなり難しいと思われる。少し元気を取り戻せば、パン売り場
の様子を眺めに行くくらいはできるかもしれない。

来週は、菓子パンと、食パンなどの食卓用パンの売り上げ比率および季節による売れ
筋の変化などについて話を聞いてみたい。

2004年5月18日

西川パン屋一代記(承前)

5月14日(金)

今週の西川さん。

西川さん、食パンと菓子パンというのはどちらが売れるものなんですか。季節によっ
て売れ方が変ったりするんですかね。

それは、どっちとも言えませんねえ。ただ、食パンは冬の方が売れます。暖かくなっ
てくると菓子パンが売れ出しますね。恐らく暖かくなってくると、食パンの、もそも
そした感じが好まれないんだと思います。

菓子パンの中では季節による売れ筋の違いはありますか。

どうですかねえ、まあチョコレートが入っているパンなんかは、暑い時期はあまり売
れませんね。中がどろどろになってしまって、見た目が悪いから、あまり食べたいと
思わないですよ。

それは分かるような気がします。

パンは本当に仕入れが難しいんです。20年30年やった人でも、仕事に失敗する人
もあるらしいんです。前も言いましたが、毎日、3日後に仕入れるパンを予約してい
くので、どのパンがどれだけ残るのか、見当を付けるのが大変なんですわ。最初は、
「どうせ並べて売るだけやろ」くらいに考えていたんですが、そんなことなかったで
す。ほんまに大変でしたわ。売れ残ると、半額くらいで売らないと在庫を処分できな
いです。半額だと完全に損ですからね。

西川さんは、仕入れは得意にしてらしたんですか。

いやあ、苦労しました。わたしは「あんたは、サラリーマンやな」と言われましたよ。
はい。

パン会社の人に言われたんですか。

いや、前に店をやっていた市場の中で言われました。見た目もサラリーマンみたいだっ
て。実際、わたしサラリーマンをしてたんです。通信関係の会社です。自衛隊とか、
企業を相手にインターホンを売っていました。船の中にインターホンがあるんです。
最初は大阪にいたんですが、そのうち横浜に転勤になりましてね。あそこには基地が
ありますでしょう。

当時は、出入りの業者さんには要求がきつくて大変だったんじゃないですか。

大変でした。接待で酒を飲みに行くんですが、自衛隊の人達はほんまによう飲むんで
す。わたしは全くやらないので、ずっとついて一緒に飲み屋を回るのが嫌でね。辛かっ
たです。大阪に戻ってきたかったんですが、なかなか戻してもらえなかったんです。
そこで、何か自分で商売をしようと思いましてね、まず女房の実家に相談したんです
よ。そこで履物屋をやっていましたので、どうせやるなら、勝手が分かっているもの
をやったほうがよいということで、会社を辞めて、近くの市場で履物屋をやることに
したんです。

おいくつくらいの時ですか。

32歳くらいの時でした。履物は本当に楽で良かったんですがね、15年くらいやり
ました。でも、結局うまく行かなくなって、ちょうど市場のパン屋が店を辞めるとい
うので、パン屋をすることにしたんです。市場で果物屋とパン屋が辞めることになり
ましてね、「もう、履物はあかん」と思っていたので、どっちをするかかなり迷った
のですが、パン屋をすることにしたんです。果物屋をしてたらもっと大変だったと思
います。パン屋にしておいて良かったと思います。

今までのお仕事の中で、どれが一番お好きですか。

やはり、履物屋が良かったですね。

西川さんは今週、抗癌剤の治療後のCT検査を受けたが、お腹の中の大きい腫瘍はほと
んど小さくなっていなかった。

2004年5月25日

「もっと」とささやく実験室

5月24日(月)

のどの風邪を引いてしまったようで、のど飴をなめまくっている。

朝からいそいそとRIの実験の準備をして、RI実験棟へ行くと、空調設備の工事のため、
今日と明日は臨時閉館ということ。がびびーん。


なぜ浮ぶ春の終わりにハムラビ法典

目には目を埴輪には埴輪を。

月が赤い。

5月23日(日)

土曜日は全日本合気道演武大会に、日曜日は3大学合同稽古に参加させていただいた。

お世話になりました皆様方、本当にどうもありがとうございました。


日曜日は午前中いっぱいのお稽古の後、研究室に行く用事があったので、お食事に行
かれるという皆さんと別れて早めに帰る。

午後からさらにお仕事があるという、内田先生と渋谷駅でお別れしてから、溝口さん
とともに東京駅へ向かう。

昼食は新幹線の中で、「とんかつ弁当とビール」という硬い決意をするも、東京駅に
ついてみると、とんかつ弁当が売っていない。無念であったが、崎陽軒の「シウマイ
弁当」に方針変更。新幹線の発車とともに、溝口さんと、ぷしゅっと乾杯。演武会や
お稽古のお話に始まり、大学の話題、小泉首相の訪朝と尽きない話を続けているうち
に、いつの間にか眠っていた。

新大阪で溝口さんとお別れして、ひとり家路に着く。家に戻る前に近所のお菓子屋さ
んまで足を伸ばして、ソフトクリームを買った。ミルク感が濃厚なソフトクリームが、
疲れた体に染み渡る。

家の近所にある、この「ラ・ネージュ ユキオカ」というお菓子屋さんで、合気道の
お稽古の後にソフトクリームを食べるのが最近の習慣になっている。今日は、お稽古
とソフトクリームの間に、シウマイ弁当とビールを挟むという、ちょっと変則的な展
開になってしまったが、やはりお稽古の後のソフトクリームは格別の美味しさだった。

その後は、家でシャワーを浴びてから研究室へ。

論文の最終校正のFAXを送ってから、月曜日の実験の準備をする。

僕は誰もいない研究室で、一人で実験をするのが好きだ。

誰もいない実験室は、動き回りやすいし、集中できる。独り言をつぶやいても何の問
題もないし、気分が乗ってくると、いつの間にか歌を歌いながら実験をしていたりす
る。

2年ほど前、土曜日の夜に細胞培養の実験室にあるクリーンベンチで『氷雨』を熱唱
しながら実験をしていたら、いきなり僕の指導教官の先生が部屋に入ってきて大恥を
かいたことがある。

クリーンベンチというのは、ベンチ内に雑菌が入り込まないように、ベンチの中から
外に向かってファンが回っているので、周りの音に気付きにくいのである。

もっと酔うほどに飲んであの人を忘れたいから・・。

ぼくは、いかにして「もっと」のところをささやくように歌えるか、練習していたの
だ。

5月21日(金)

一週間ぶりに病院へ行くと、西川さんの退院が決まっていた。

このまま入院して、抗癌剤による強力な治療を継続するのはデメリットの方が大きい
という主治医の判断。今後は外来通院で弱い治療を行うか、場合によっては無治療で
経過を観察することになる。そして、いずれは病勢の増悪によって再入院しなければ
ならない日が来る。

最後の治療が終ってから2週間以上経ちましたが、体がしんどいのは如何ですか。

少しはましになっているような気もするんです。

退院後の生活に不安はありますか。

それは不安だらけですよ。家に帰ったら、ほとんど一人で過ごさなければなりません
から。

奥さんはお仕事ですものね。

平日は朝7時30分くらいに家を出て、夜は9時過ぎに家に戻ります。スーパーの営
業時間がありますから。退院後は、わたし一人で食事や身の回りのことを全部しなけ
ればならないことを考えると心配ですが、いつまでもそんなことは言っておられませ
ん。

お食事の準備が大変ですね。

そうなんです。病院では何も考えなくても、きちんと3度の食事を出してもらえます
からね。おかずの味付けがわたしにはどうも合いませんでしたが(ここだけ小声)。

はは、そうですか。じゃあ、退院後は好きなものを食べられるから、少しは楽しみな
所もありますね。退院後は院長先生の外来に通うことになります。

はい、そう聞いています。先生、今までお世話になりまして、どうもありがとうござ
いました。

退院後の生活に慣れてきたら、お仕事にも行けるようになるといいですね。

もう、以前のようには体に力が入りませんので、パンを運ぶのはもう無理だと思いま
す。

あせらずに、まずは退院後の生活に慣れることから始めましょうね。どうぞお大事に
なさって下さい。

About 2004年5月

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