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2005年08月 アーカイブ

2005年08月02日

IT秘書走る

7月29日(金)

夏休みを利用して、うちの家に居候しているドイツからの姉一家の子供(19歳)の一人が、このiマックを終了しようとして、さわっているうちに、「?」と「OS」の点滅が出てしまった。

早速、もう深夜ではあるが「のぞみ」の藤田くんに、その状況を伝える。
「あっ、?マークですか、それはやばいですね。HDがやられている可能性あります。多分、ボクかイワモトさんが、そっちへ行かんと、直れへんのとちゃいますか」
ということで途方に暮れるもドクター佐藤の機転で、内田先生のPC秘書のイワモトさんにメールがされ、とても親切なイワモトさんから早速、ケータイがある。
めっちゃ有難い人である。これこれこういうことで、という説明のあと、「それでは土曜日夜に伺います」ととてもうれしい返事があった。

編集部のマックG4もよくそんなトラブルありまくりで、データーが飛んでいったり、書きかけの原稿がパーになって(ある文字の変換の際にシンプルテキストが、よくかたまる)、そんな時泣きそうになったり、ディスプレイを叩き割りたくなったり、「ええい、もう明日じゃ。帰らしてもらうわ」と、40代半ばのエエおっさんに関わらず、思いっきりすねて帰ったりするのだが、我が社にもタケナミくんというPCトラブルの天才が在籍していて、いれば即座に「ハイハイ」といともたやすく直してくれるし、何とかHDがやられるとかの大クラッシュはなくやってきた。

けれどもなぜか、今回のトラブルに関してまったく腹が立たないというか、たどたどしい日本語とオレよりはるかに巧い英語であやまる子供に、かえって「すまない」気持ちになった。

本当は深夜に帰宅してすぐに、終わったばかりの平成17年度宮三町(宮本町、上町、五軒屋町)若頭、組(後梃子)の懇親会/祝儀交換会のことを書こうとしていたが、ちょっと萎えてしまった。
というより、もはやキーボード以外でしか文章を書けない(書く気がない)自分に気づきはっとするのであった。

今年はわが五軒屋町が当番町であり、また筆頭のM人が若頭責任者協議会の執行部の副会長にあたってる関係で、準備その他大いに気合いが入っていたが、いざ書こうと思い出してみると、一昨年は宮本町、去年は上町さんが当番町だった違いはあれ、「岸和田だんじり本」の146P「七月二十六日(土)宮三町の花交換会」185P「七月二十三日(金)宮三町の花交換会と…」その通りであった。

明くる土曜の30日も岸和田に帰るが、地元ではすでに駅前のK下書店さんと表紙装幀などでお世話になった「第2回 六覺千手展」会場の本町光輪庵で、フライングにて「だんじり本」が発売されていて、えらいことになっていた。
どうしてPCを復活させたのか(イワモトさんのおかげです)と、その「だんじり本」発売話は腰を落ち着けて書きたいので、乞うご期待。
みなさん、ほんますんません。

2005年08月04日

今夜も岸和田で拿捕

7月30日(土)

月1回のNHK第1放送のナマ「土曜関西ほっとタイム」で、ミスター大阪弁アナ・佐藤誠エグゼクティブアナウンサーと遙洋子さんが「だんじり本」について紹介してくれた。
NHKのあと編集部に寄って「パソコンが?とOSの点滅やねん、うーん困った」と副編のS岡くんに相談すると「それはOSを認識していないから、とにかく一度、そのOSバージョンのCD−Rで立ち上げてみてください」とのこと。
だけどCD−Rなんてウチにあったかな。

それはともかく今日は「第二回 六覺千手展」が開かれているので、岸和田に行かねばならない。
昨日の夜遅くイワモトさんに「あす夜8時くらいに連絡してください、それからそちらにうかがいます」ということなので、急いで岸和田に向かう。
地下鉄四つ橋線に乗りなんばで下りて、そういえば朝から何も食べていないことを思いだして、角の立ち食いうどんで天ぷらうどんとおにぎりを食っていると、藤井町の世話人のT本さんからケータイが入る。
出張で東京から帰ってきて南海岸和田駅で下りたら、駅前の木下書店の一番前に「ひろきの本、山積みや。売り上げに貢献したったからな」。
T本さんは、前梃子責任者も若頭筆頭もして、確か来年は藤井町曳行責任者をされる予定である。

その岸和田駅前の木下書店の様子を見たかったが、時間がないので次の蛸地蔵駅で下りて「だんじり本」の図解ページの絵とデザインしてくれた籔内博氏に見本誌を届け、本町紀州街道沿いの光輪庵に行く。
六覺さんの個展が、紀州街道の町家のゆるい空気の中で行われていて、そこで「だんじり本」がシブく売られているのだが、もうすでに10冊以上売れたとのこと。
六覺さんはすでにいろいろなだんじり好きの方に著者サインを頼まれているということで、「こんなん初めてや」と思いながら、それでも1名ずつ別紙に下書き練習をして、丁寧に書く。
町家ギャラリー光輪庵の代表の吉野さんにも頼まれる。
オレは「字を間違えたらあかん」と必要以上に上がってしまって、汗びっしょりだ。
そうしていると、岸和田市青年団協議会会長の塚本くんがひょっこりやってきて、「あ、江さん。ラッキー。ボクもお願いします」。
さらに2冊分サインを書く。

うれしいけど、ちょっと逃げ出したいなあ、と思っていたグッドタイミングに、南町の平成15年度若頭筆頭のWが来てくれた。
「だんじり本」をその年、祭礼年番長をされていたT谷さんに届けてもらうように約束していたからだ。
年番長はその年の祭礼一切を取り仕切る、いわばだんじり界のドンである。さらにT谷さんは、南町々会長で今年は祭礼町会連合会会長をされている(7月17日ブログ参照)。
ちょっと前に「本屋で買うから、ええよ」と言っていただいていたが、そうもいかない。
まず平成15年度若頭責任者協議会会長の筋海町のNにそれを伝えると、「一緒について行ってやる」との事だったが、南町のWから電話を入れてもらうと、T谷さんはこの日多忙なので「Wくんに渡しといてくれ」とのことだ。

封筒に入れた「だんじり本」をWにことづけ、とりあえず一緒に六覺さんの作品を見る。
「ちょっといこか、時間あるやろ」とW。まだ4時過ぎである。
地魚料理「ヒロ」に行く。 この店はミーツでも取材をしている。
まあ8時に帰ればイイや、と思ってカウンターに座る。
この店のウリは、地元のとれとれ活魚である。
それもハモならハモ、シマアジならシマアジと同種の活魚が泳ぐ1メートル以上もある大きな水槽がいくつか並び、さらにデカイ店内の半分以上も占める厨房の床に、タテヨコ3メートルくらいのプールが掘られてあり、魚がすいすい泳いでいる

町内なので顔なじみのWが「なんか、造ってよ」と親父さんにいうと、アジ2匹がすぐさま締められ、いかった造りになって出てきた。
うまい。ビールが進む。こうなると、腰が据わってくる。
Wが筋海町のNに「今、ひろきとおるんや。すぐ来れるか」とケータイをして呼び出す。
「おー、まいど」とすぐさま彼は自転車に乗ってやってきて、座敷に席を変える。

話は「だんじり本」のことになる。
「肝心な祭のところ、抜けちゃある」
「それは、祭やってるから書かれへん」
「そやけど、誰が何ゆうたとか、よう覚えてるな」
「帰ってすぐに書くから忘れへんし、寄り合いとか会議やったら、お前ら執行部の要項とかにメモするんや」
とか、いろいろやっていると、今度は春木南の筆頭N村さんから、会長のNにケータイ。
「だんじり本が届いた」とのことで、「今、ちょうど江とWといてる。その話してるからすぐおいでな」となって、すでに焼酎の水割りになってる頃に到着。
そうなると、もうイワモトさんに「すいません、きょうは岸和田で掴まってしまっていて」と電話するしかない。

気がつけば、Wと小学校から同級生の籔内画伯と弟が来ている。
弟のAくんは、現在南上町の若頭副責任者。
数年前にだんじり所有町になった南上町は、ここ3〜4年、いわゆる「町内曳き」をやっている町だが、平成19年度に三百年の歴史上初めて、岸和田だんじり祭に参加予定である。
そのAくんは、記念すべき初年度の南上町の若頭筆頭予定者であり、今年からすでに若頭責任者協議会に参加している。
この南上町がカンカン場を遣り回ししたり、岸城神社の宮入でコナカラ坂を上がるシーンは、ちょっとお気の毒だが想像するに難しい。
けれどもその実現に向けて、一歩一歩確実にその存在を示す大役を果たしているが、それは想像するまでもなく、なかなか大変であろう。

もはやオレは何を言ってるのかも分からない泥酔状態でお開きになり、岸和田駅までNの自転車の後ろに乗せてってもらうが、すでに電車はなくなっていた。

2005年08月07日

マック蘇生

7月31日(日)

とにかく家のiマックが潰れたままなので、ドイツから来てオレのウチに泊まっている姉のこどもたちはがっかりしている。
OSを認識していないということなので、とにかくCD-Rで立ち上げることにする。
副編の青山に聞くと、iブックの説明書とCD-Rがあるとのことなので「まあブックとマックの違いやし、OSも9やし、おんなじやろ」とそれを借りる。
あったあった、説明書のトラブルシューティングの「?が点滅した場合」というところには、cキーを押してCD-Rを入れると。
このiマックは「のぞみ」の藤田くんがオークションでうまく落としてくれたものだから、説明書なんか揃っていない。けれどもCD-Rは着いていて、引き出しの下にエアパッキンに包まれたままあった。

早速その通りにしてみる。
やや。
いともたやすく立ち上がるではないか。おまけにデスクトップ上のアイコンは、まったく以前と同じだ。
普通に使っていたのと変わらない。
やった、何だ、そんなことだったのか、と思う(そんなこととは、どんなことかはわからないが)。
そしてもちろん、そこからどうして良いのかわからない(説明書には書いていない)。
早速、イワモトさんにケータイ電話すると、すぐに出てくれて、「えーと、その状態ですか。分かりました。何と何と何と何と(すべて忘れたが、確か5つのキーだったことを覚えている)を押しながら、再起動してください」。
キーボードは両手を使って押さえないと押さえきれないので、一旦それをパソコン再起動のボタンのところまで持っていって再起動する。
「じゃーん」という音と共に、再起動しCD-Rが排出した。
「よかったですね、まったく問題ないと思います」とイワモトさん。
イワモトさん、ありがとう。
そして、子どもたち大喜び。
とにかく、8月2日からの長屋ブログは、このiマックが治ったからこうして書けている。

2005年08月08日

私の好きな病院

8月1日(月)

月に1回の血圧の薬ほかを取りに関電病院に行く。
ここ1週間ぐらい、酒と刺激とエアコンと岸和田だんじり生活を過剰に摂りすぎて
いて、夏風邪をひいている。
だいぶんましにはなっているが、今日もまだ少し熱があるのでついでに診てもらう。

S藤先生は同世代の循環器系の医師であるが、オレの仕事やだんじり人生のよき理解
者である。
「ほんまに、ちょっとは身体のこと考えんと知らんで。もうエエ年なんやから」と言っ
て、ちょっと診るからとアキれるように、それでもにっこりと「シャツまくって」と
聴診器を当てると、肺から変な音が聞こえる、バイ菌が入って肺炎おこしてるかもし
れん、と言ってオレをビビらせ、「今日は時間あるの?」と訊く。「大丈夫です」と
いうと、すぐにレントゲンを撮るように回してくれる。
「現像終わって、フィルム持ってきて。後からまた診るから」。
放射線科に案内され、30分ぐらい待って、「ハイ、息を止めて」で正面および横か
ら2カット。

そのまま放射線科の前で1時間ほど現像を待っていると、知らない番号でケータイが
入る。午前11時過ぎである。
「もしもし」と出ると、平成15年度年番長のだんじり界のドン・T谷さんである。
南町々会長で今年は祭礼町会連合会々長をされていることは、先日のブログでも書い
た。
「五軒屋の江くんか。うちのWクンから本、もろたけど、あんたええ本書いたな。こ
れはベストセラーやなあ。よう書いちゃある。歴史もよう調べてる。うんうん。みな
に読むように宣伝しとく」
オレは、直立不動で「えらい気い遣わしましてすいません。ある大学の先生のインター
ネットで、15年の若頭筆頭さしてもろてたときのことの日記で、ぼちぼち書いたも
んですわ。はい、すんません」と少年のように答えて恐縮した。
岸和田の諸先輩方の「大人」は、こういう際のある種の筋目に対しては直裁的で、お
互いピシッと会話がはまる時にはほんとうに「生きていて良かった」と実感する。
この世の中、とくにサラリーマン世界には「誰のためにも生きていない」ような鼻ク
ソみたいなエエ年をこいた大人が多すぎて、オレはこれまで何回もほとほと泣きそう
になってきたが、実人生つまり「遣り回し人生」(だんじり本を参照してくだされ)
というものを目一杯やってきた人は違う。
何が違うかは一言では言えないけれど「理」と「情」の両義性、そしてそれをまっす
ぐ伝えようという「真面目」である。

B2くらいの肺の写真を持って診察室に戻って、また1時間待つ。
「こうさん」「はあい」と第5診察室に入るとS藤先生は、「肺は大丈夫やけど、気
管支が曇ってる。ほんまに知らんで。抗生物質と気管拡張する薬、点滴するから。そ
れとタバコはすぐに止めること。薬、効かへんから」と厳しく言われる。
オレは禁煙には自信がある。
だいたいタバコみたいなものをよう止めんやつは、何をさしてもダメである。
オレは小学校6年生くらいからタバコというものを覚えて、もう100回以上は禁煙
している。
長い期間で1週間。1日2日の禁煙なんかは、屁みたいなものだ。

点滴室に行くと知り合いの看護婦さん(といっても3〜4回会っただけだが)が「江
さん、きょうは点滴ですか。あのブログ読みましたよ、今日は好きな○×さん、いて
ませんけど」と言ってオレを驚喜させ、「これ、抗生物質です。慎重に入れるように
と先生にいわれてます。1時間ほどかかります」と天使の微笑みを送ってくれる。
○×さんというのは多分、この長屋ブログの内田先生の名タイトルの「北新地メジャー
ドラフト情報 1月27日(木)」の時の人と思うのだけれど、今こうして書いてい
て、しまった名前をちゃんと聞いとけばよかった、と後悔している。
やっぱりべっぴんさんの看護婦さんが多い、と今日も感心するこの関電病院は北新地
から近いからこうなのか。
年金生活者か何かになって暇になったら、毎日通いたいものである。

2005年08月10日

南町気質な人々

8月3日(水)

南町の平成15年度若頭筆頭のWと本年度筆頭のS條くん、そしてウチの本年度筆頭のM人という顔ぶれで一席。
南町という町は、岸和田だんじりを知る人なら分かりすぎる分かっているが、町の大きさ始め度胸千両系稼業男およびそれをしのぐシロウトの祭気質ほか、いろんな意味でちょっと別格の存在感を有している。
だからその町の祭そのものを統御し、若い者を引率する若頭筆頭は、並大抵のことではない。
胆力や膂力はじめ絶大な人望が必要である。

WとM人とオレは同級生で、S條くんは2つ下の学年である。うちの五軒屋町は平成15年度、16年度、17年度の筆頭が珍しく3年続けて同い年がやることになって、おまけに今年は若頭責任者協議会の副会長つまり中央地区のいわば代表である。
その関係で今年のM人は、五軒屋町単町のみならずの重責を引き受けているが、何かと南町のS條くんは年上でもあるM人を立ててくれると聞いている。
五軒屋町若頭顧問としても、これはうれしい関係だ。
付け加えるとオレが筆頭をやった15年度は逆にWが若責協の副会長で、今年のM人とS條くんとのそのまま逆の関係性であった。
「だんじり本」を読んでいただいてもわかるはずだが、Wはなにかとよく登場している。

また南町だんじりは平成7年に新調、五軒屋町は10年であり、大工/植山良雄、彫物師/岸田恭司と同じで、言わせてもらえばどちらの棟梁も「脂ののりきった時の仕事」であり、平成だんじりの名作といえる。
大きさとその容姿はどちらもよく似ていてどっしり端麗。藤井町や春木南ほどのサイズはなく、あの難所である紀州街道のS字を走って回すのにちょうどフルサイズといった具合だ。
「だんじり本」の口絵カラーページの「岸和田だんじり図解」には、南町の正面屋根〜枡組と五軒屋町の側面全体を大きく取り上げさせてもらっているが、よく見ていただいて面白いのは、大屋根を支える構造が、南町が屋根の四隅に向けて放射線状に垂木が張り出している(扇垂木)所謂「入母屋」で、五軒屋町は側面だけに一列に垂木が屋根を支える構造の「切妻」である。
Wやオレはそれを、南町と五軒屋町は「雄/雌」の関係に例える。
「兄弟だんじり」も同様で、祭礼に使われる地車等にはどこの地域でもそういう製作時期や形状の経緯上による謂われが出現し、語られる。

新調当初、南町では入母屋と切妻どちらにするか議論が沸騰したが、大工棟梁の意志もあって入母屋に決定したとWは言う。
逆に五軒屋町の場合ははじめから切妻で、いう話に落ちついた。
これは岸城神社の本殿が切妻で、宮三町つまり宮本町、上町、五軒屋町のすべてのだんじりがそれに習って、昔から切妻を採用しているという話であるが、定かかどうか。
WとM人、S條くんとそういっただんじり本体のコアな話にはじまり、他町との関係性、特に我が五軒屋町の潮かけの際の浜の各町を通過する際の特別コースと、それを滞りなくお願いするための花交換や挨拶など、岸和田だんじり祭礼の各町特有の本質的な話に熱くなる。

こうなると酒と簡単なアテで十分だ。唄も芸もカラオケも要らない。もちろんホステスもママも不要だ。
M人は文字通り燗酒徳利に切り替えてバカスカ飲んでいるし、Wは焼酎がボトルで出ない店なので焼酎をそのままグラスで何杯も頼み、別で氷を持ってきてもらって飲み続ける。

そして今年は五軒屋町は通常の曳行コースをさらに南進し、紀州街道の南町の町深くまで曳行することを若頭の立場を代表しM人は決定している。
昔は我が町もよく南町まで曳いていって「みなんまち(南町)のおじい、おばあを喜ばせちゃった」そうだが、子どもの頃からのオレの記憶にはまったくない。
M人は「みなんまちの年寄りは、まだ新調した五軒屋のだんじり見てもろてない人いてるはずやよって、エエ機会や」と言い、Wによると南町は町会としてそれを歓迎してくれるとのことだ。

とうとうお店が「ラストオーダー」さらに「すいません、閉店です」となるまで飲み続け話続けになってしまう。
こんな際の会合は、勘定は「割る」ことが当然であるが、WもS條くんも「ここは南町やから、あかん」と頑としてこちらに払わそうとしない。
そういえば先週土曜もWと飲んでいてそんな感じだった。
帰り際にWが「M人。祭、終わってから、またおなじメンバーで飲もかい。のお」と言う。
南町という町の祭礼を少しわかり、南町気質というのはなるほどこういうふうだと思う。

2005年08月17日

どかんと朝刊

8月16日(火)

読売新聞の記者さんが7日の日曜日に岸和田まで取材に来られた際の記事が、ドカンと朝刊に載った。
ご担当は生活情報部のスター記者で知られるY口さんで、ちょうど会館の掃除が終わって一息ついた昼前だった。
「だんじり本」に実際に頻繁に登場する、去年の筆頭M雄はじめ大工方責任者のK上、前梃子係の面々ほかがあることないことわいわいと、まるで集団漫才みたいで、岸和田名物・大和の「かしみん」(洋食焼きの一種)も予約して買いに行き、ビールもガンガン進んだ。
Y口さんは岸和田だんじり野郎の熱と笑いにあてられ、かしみんの旨さに驚き、二枚ぺろりと食べて帰られた。

記事には、祭本番まで1カ月で、寄り合いが頻繁に増え、点検に余念がない、ということを書いていただいていたが、「だんじり本」を紹介しているところのメモ欄が笑えた。
「本業は、京阪神の街を紹介する雑誌『ミーツ・リージョナル』編集長。」というところである。
「本業は、」って、ほんまの仕事はだんじり祭が「主」であるように読めて、なんだか余興か道楽で雑誌の編集をやっているみたいに読めてしまう。
確かに、一昨年の祭は若頭筆頭をやっていたから、今ごろはすでに毎日のようにいろんな町や団体との寄り合いの繰り返しで、仕事どころではなかった。
といっても祭で生計を立て、メシを食っていくことは出来ない。
祭はあくまでも非日常である。けれどもその非日常の当日に向けて、日常の積み重ねが祭を左右する。
物事を決定したり変更したりする時の話し合いを十分に尽くすこと、一見何でもないと思われることでも、とにかく段取りを省略しないことが実は重要で、だからこそそれを愉快にやっていけるかどうかの知恵が岸和田だんじり野郎のコミュニケーション作法にある。
そういう意味で「だんじり本」でも何回も書いたけれど、だんじり関係者は「本質をズバリとおもろく言う」「おもろいことを人に巧く言う」語り口が最高な「おもろい人間」が多い。
岸和田だんじり祭においては、言語運用にたけているということは「話がおもろいかどうか」がまず最初にあるのだと思う。

言いかえると結局、祭本番に持っていく途中つまりプロセスが面白くないとだめで、そういう意味で「お金でお金を買うようなショートカットビジネス(これが金融の本質でしょ)@平川克美」とは逆の構造が根底にある。
むしろだんじり祭というものを知りつくしてくると、祭までの寄り合いや段取りの方がわいわいと和気藹々で、祭当日はきりっと気合いが入り常に何かに怒っているような感じになる。
でないと事故や揉め事の原因となるからというのもあるが、つねに「これではまだあかん。足らん。もっと、目一杯、きっちりと祭をやる」という理想の高さが心の奥底から湧いてくる。
自分とこの実力ならもっと上手に速く走り、きっちり遣り回しを決めれるはずだ、というそういうある種のプライドこそ岸和田だんじり祭の「誇り」と呼べるものだろう。

並松町の若頭から「高校生の子供がひろきくんの本、買おてきた。今、それ見てびっくりしている。いつの間にこんなん書いてたんよ」と電話がある。
「五軒屋の人、書いた本やでって、こっちが教えてもろた。息子は読書感想文書く、言うてるで」 とうれしいコメントだ。
高校生にはちょっと難しいかも知れないけど、どうか親子で読んであれこれ批評してほしい。

今週末から土・日はツツミ巻きやコマ替えといっただんじり本体の準備、献灯台設置、犬鳴山参拝、啓発大会…といろんな行事が詰まっていて、寄り合いも頻繁に行われる。
そして一発目の曳行である9月4日の試験曳きに突入する。
「盆が過ぎると、いうてる間に祭や」とはよく言ったものである。

2005年08月28日

だんじりis coming!

8月25日(木)

20日(土)午後6時から献灯台設置、21日(日)午前中のツツミ巻き、午後から
犬鳴山への安全祈願参拝、25日(木)沼町との花(祝儀)交換親睦会と、祭礼に向
けての行事をこなしていく。

今こうして「だんじり本」を読み直してもわかるが、例年通りのように同じ段取り、
同じ行事を、同じ日程、同じ時刻といったように物差しで測ったように見事にこなし
ていく。

それは、今年の祭に向けて、今年の祭のために、しなくてはならないことを「こなす」
、ということではなく結局、長年にわたって諸先輩方がやってきたことを「なぞる」
ということになるのだが、今年の祭が「事故なく、揉め事なく、楽しい祭」となるよ
うにという、だれにも共通の「いい祭」に向けての行程だ。

企業が「いいものをつくる」、オレの場合は「良い雑誌を編集する」の最終的なプロ
ダクトつまり生産物は、それをどうやってつくり上げていくかのプロセスにかかって
くるのだが、その出来てきたものの良し悪しは、その生産物をひとつひとつチェック
してももう「後の祭り」で、すべてその行程やプロセスをきちっきちっとやっていけ
るかの管理にかかっている。
物事というのはプロセスそのもので、積んできたノウハウとか一人一人の技術とかを十二分に引き出すことは、その「プロセス自体が持つ機能そのものをしっかり掴むことだよ」。

そういうことをだんじり祭は、いともたやすく教えてくれる。

25日の沼町との花交換会は、今年はうちの町会館で行われた。
懐かしい顔が最年長の席に座っていて、どちらも平成に入ってからの新調だんじりなので、沼と五軒屋のだんじりを比べると、破風の葺地の木が「カネ柾」になってる、
うちは板目やけど木取りがええとか、松良の形がうちはどうでそっちはああでとか、
このごろの鳴物はそもそも「とん・こ・とん」のリズムがわかっていない、大太鼓は
「追う太鼓」と違ごて「後から押してくれる太鼓」をよう叩かんとかなんとか、まさ
にだんじりエキスパートのみこそが語り得る話で盛り上がる。

そんな中、うちの梃子持ちのK戸がババ酔いしてしまい、一瞬がちゃがちゃっとなる。
なんとか「とどこおりなく」沼町との花交換がお開きになり、「今年もたのんどきま
す」と外まで見送るが、その後、酒癖の悪いK戸がぐでんぐでんに暴れて揉めそうに
なり、掴みかかろうとする奴を止め、またそれと揉み合い、それを見たオレも掴みか
かり、同じ年の相談役に止められる。
いつもこんな調子では決してないが、まるで青年団の頃の内輪揉めである。
今年の筆頭のM人は「お前ら、誰の前でそんなめんどいことしてるんじゃ。オレは情
けないわ」と目をむいて怒る。
同じ前梃子の連中が、オレら幹部に正座をして謝る。
結局、前梃子の師匠であり去年の筆頭のM雄が、ボケのK戸を別室に連れて行き叱責する。
こういう場合のM雄はほんとうに頼もしい。
座がシーンとなり「お通夜とちゃうど」と、もう一度、町内若頭だけで飲み直す。
現幹部と若手、そしてその中間の長幼ピラミッド型の関係性について、声の大きい奴、説得力のある奴が、上下関係なく大声と本音でぶつかる。
時計を見るともう午前になってるが、飲む、話す、飲む、怒鳴る、飲む。
祭が間違いなく、そこまで近づいている。

About 2005年08月

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