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2005年07月 アーカイブ

2005年07月01日

「だんじり本」刊行間近

7月1日(金)

ブログには、

『だんじり本』の「前口上」にかかる。
これは話が話だけにたいへん書きやすい。
さらさら。
二時間ほどで書き上げてただちに送稿。

と師匠であり家主である(6月29日の)内田先生の真似をして書いてみたいものであるが、二時間ではなく二日間、のたうち回ってやっと送稿。
後は、「平成16年度の若頭顧問」の校正約50ページ分および、三枚ほどのあとがきを書けば終了ということである。
だんじりでゆうたら、本宮の宮入も宮下りも終わって昼飯後、午後曳行の最後のカンカン場にさしかかったところみたいな感じだ。
もう1周小門貝源を曲がりたいけど、まっすぐ昭和大通りを上がって町内に帰る。
そんな感じだ。
四六判300ページ分の原稿だが、ほとんど朱書きがない。
オレは編集者(といっても情報誌系雑誌)だが、自分で言うのもナンだがこれほどすらすらと読めて、だんじりの歴史から細部まで書ききっている話はかつてない。
これも自分で言うのもナンだがとても面白い。

「第一章 激走!岸和田だんじり祭」の約30ページだけは、平成一六年の若頭顧問時の祭礼を後に思い出して書き下ろしたものだが、二章三章はほぼ長屋ブログのママイキの原稿である。
しかし、縦打ち明朝体13級44字詰めに流し込むと、ブログとはまったく変わった字面と誌面になった。
自分で自分の文章を読んでいるのだが、まるで文体が変わったみたいに感じられる。
うーん、やっぱりふしぎである。

なんて書いている最中に、同じ年に若頭筆頭をした南町のWから電話があってびっくり。
17日に浪切神社で行われる岸和田祭安全祈願祭の連絡である。
この神事は若頭責任者協議会の主催で、その年の町会長、年番始め各町の祭礼関係団体の長が出席する。
市長や警察署長も招かれている。
またこの式典では、平成16年と15年の若頭筆頭、つまりさかのぼって2年のカシラOBが来賓扱いされている。
ということで、次年度若頭筆頭年と筆頭年の主催側と、去年と今年の来賓と、4年間この神事に参与してきたが、今年で最後である。
Wからの電話は、その祈願祭の後、21町の15年度の若頭筆頭で昼食会やりたいということ。
正確にはD町のM治さんが祭直後に亡くなっているから20人ということになる。
17日に各町の祭半纏の正装姿の懐かしい顔ぶれに会えること、そしてまた酒を酌み交わせられることがとても楽しみである。

その前に9日(土)が五軒屋町若頭の定例の寄り合い、明くる10日(日)はだんじりの掃除である。
今年の1発目の試験曳きは9月4日だから正味、祭まで2カ月である。

2005年07月15日

人生は長いか短いか

7月13日(水)

次号9月1日売特集「どこの街にもいい店1軒」の情報収集のために、岸和田の自泉会館で行われている「和泉の国ワインクラブ」へ行く。
このワイン会は137回目を迎えている試飲会で、毎月1回、9月のだんじり祭月以外10年以上に亘って開催されている。

会場の自泉会館は昭和7年に建てられた渡辺節設計の建築物で、「東洋のマンチェスター」と呼ばれていた繊維産業の隆盛期の中で、岸和田紡績の社交場として利用されていたそうだ。
木造2階建てのスパニッシュ風の粋な建物である。
1階ホールは舞踏会とか室内弦楽演奏会が開かれていたような雰囲気がいっぱい。大きな暖炉もあり凝った鮮やかなタイルが貼られている。
3〜4年前の100回記念では、このホールを世界の名醸ワインと、神戸「ゴスペル」の大倉カイリくんのラテンDJの音と地元岸和田のアカペラ隊の声で、ごきげんを一杯にした。

美しい曲線を描いている石の階段を上がり、ワイン会が開かれる2階の会議室へ。
この部屋も美しい。窓側のコーナーの壁はアールがつけられていて角がない。窓枠その他のパーツの真鍮のくたびれ具合がまた渋くて美しい。

渡辺節設計による近代建築で有名どころは、大阪船場・備後町にある「綿業会館」であり、この会館も文字通り大阪の繊維産業が一世を風靡していた昭和6年に建てられたものだ。
以前、特集でこの綿業会館をいろいろと取材し撮影したが、同じ年に再建された大阪城天守閣の建物本体の3倍の建築費用がかけられたという。
イタリアルネサンスの影響を受けたジャコビアン様式の1階は見るものを圧倒する。
日本が関東軍の謀略で起こした柳条湖事件をきっかけに、清朝の最後の皇帝・溥儀を執政として満州国を建国し、その後リットン調査団の報告書の採択 (賛成42、反対1(日本)、棄権1(タイ))で日本は国際連盟を脱退、日中戦争の泥沼にはいるのだが、その際リットン卿が英国からやってきて、この出来たばかりの綿業会館で調査団と一緒に待機した、という話も書いた。

さて、この日の出席者は主催者の本町の酒屋・H出夫妻始め約10名。
5月10日のこのブログで書いた、ラ・ベカスのメートル/ソムリエをオープンから長年やってきた、O村さんも来ている。
ご夫婦でいらっしゃっているメンバーさんは、自宅菜園で穫ったばかりの特大キュウリの塩漬けと焼きトマトを大量持参されている。

テーマはイタリアワイン「ピエモンテを楽しむ」。
ドルチェットやバルベラといった品種のワインと有名な作り手のマンゾーニの3リットル瓶、それにバルバレスコ98が今日の試飲リストである。
それにしてもマンゾーニの3リットル瓶は形もコルクも味もすごくて、H出は何回か彼のワイナリーを訪ねていてその写真で詳しく説明してくれるが、みんな試飲というレベルでは決してなく、キュウリと焼きトマト、ビッグオリーブとチーズとパンで、がぶ飲み状態である。それははっきりいって「飲み会」である。

10時前に全員で後かたづけをし、近くの今風居酒屋に寄る。ワインの飲み過ぎでのどが渇いて「ビールでも飲もう」ということになったからだ。
そろそろ帰る電車がなくなるので、O村さんと南海岸和田駅へ急ぐ。

午前0時前、天下茶屋駅で彼と別れ、なんばから地下鉄御堂筋線の夜遊び帰り客電車に乗って梅田へ。
JR大阪駅からは、混む快速に乗らず、各駅電車に乗って元町まで座って帰った。
何だか知らないけれど、そんな気分になった。
住吉を過ぎた0時半頃、携帯が鳴った。
H出からだ。「今、まだ電車に乗ってる」といったが、酔っている彼は「オレがやっているワイン会は、コミュニティとかと違うよな。個人と個人のナンというか……分かるか、ひろき」みたいなことを一方的に話している。
ガラガラだけど電車の中だから、曖昧に「そや、そや」と相づちをうつだけで切る。

彼とは17日の日曜日の朝には、浪切神社の若頭責任者協議会主催のだんじり安全祈願祭でまた会う。

ここ1週間ほど、平日は気分が悪くなるような類の出来事が多くて、休日は「だんじり本」の校正に没頭していて、その、ナンにしても、あまりモノを書こうと言う気が起こらなかったが、岸和田のワイン会に行ってなんとなく書こうという気になったのでこれを書いている。

来週はドイツにいる姉が3人の子供を連れて、帰って来るそうだ。
一旦、妹つまりオレにとっての下の姉のいる千葉に行って、それからこちらに来て、岸和田に帰るらしい。
岸和田の商店街にある実家は、兄夫婦と子供2人と年老いた母親が住んでいるからせまい。
オレはひとり暮らしで、結構空きスペースがあるので、オレの家ベースに滞在して、今日のオレみたいに岸和田に行ったり来たりするようだ。
もう20年も異国にいる姉は、10年に1回くらいしか帰ってこないタイプの人間なので、多分この帰国が母との最後の対面になることだろう。

人生というのは、果たして長いのか短いのか。

2005年07月18日

熱闘!博多っ子対岸和田ごんたくれガイ

7月15日(金)

内田先生のPCが大クラッシュしたらしい。
それもこのわたくしのブログ原稿を読んでいる最中に起こったということだが、わたしは電波系でもないし呪いのメールでもないですので、お間違いのないように。

編集部の近所にある御霊神社の夏祭りは今日、本宮を迎えている。
昨日は宵宮で、編集部前の四つ橋筋の歩道や道修町近辺を獅子舞や子供だんじりの行列があった。
わが編集部の祭好きたちは、仕事の手を止めて窓からそれを眺める。
オフィス街の間を法被に地下足袋の祭衣装の子どもたちや、役職を名記したタスキを掛けた世話人さんと、篠笛の優雅な祭囃子の行列が通り過ぎる。

今朝(昨夜?)は、午前四時五九分に始まる博多山笠のクライマックス、櫛田入りの生中継を見ようとしたが、やっぱり寝てしまった。
博多は以前(去年の12月)にもこの長屋ブログで
「オレは岸和田や大阪や神戸でしか生きていけないけど、次に好きな街が博多だ。男はみんな鮎川誠で、快活で洒落てる。女は高橋真梨子系のべっぴんで、酒呑み深情け(ごめんね…)。好きだったの それなのに あなたを傷つけた ごめんねの言葉 涙で言えないけど 少しここにいて。」
などと書いたが、やっぱり祭の街そのもので、博多山笠は長年岸和田だんじりをやっているわたしが認める、数少ない「祭らしい祭」である。
「だんじり本」(8月1日発売決定)のなかでもその神髄について少しばかり、門外漢ではあるが同じ祭を愛好する同志として書かせて頂いている。
うちの編集部には今は無き「シティ情報ふくおか」に長年いたミゾグチがいて、彼女には祭話の事あるたびに山笠の写真を見せられたり説明されたりしているので、だいたい分かったつもりでいるが、岸和田だんじりとその歴史やスタイルは違えど、なかなか年中頭の中が祭のことばかりの所謂「祭のぼせ」が多いのがうれしい。

ミゾグチが編集部に来たので、今朝の追い山のタイム結果について訊こうとすると、すぐさま現地のサノさんにケータイを入れてくれた。
ミゾグチと同じ「シティ情報ふくおか」で机を並べていたサノさんは、恵比須流の舁き手である。
恵比須流は狭い地域の町なので、人数が少ないが歴史と伝統のある流であることも知っている。
人が少ない分、舁き手が次々と交替する5キロの追い山タイムは不利であるが、ここ1発の櫛田入りのタイムではいつも好成績を残している「少数精鋭」流であるということをどこかで聞いたことがあり、それやったら岸和田でいうたらウチとか北町とかみたいやなあ、と親近感を持っている。

ミゾグチは電話先の サノさんと「やけん」とか「〜しとーと」「ちゃんね」と博多弁の電話でのやりとりをしながら、最後にゲラ笑いをして「こーさんに、それ、ゆうとくけん」と言って切った。
櫛田入りタイムは西流が1番で、追い山は千代流で29分04秒というダントツのすごいタイムだったらしい。
それより「さっきの、ゆうとくけん、はナンやったんや」とサノさんのオレへの伝達事項をせかす。
それは「(だんじりのように)ゴロ付けて走りようのとは、わけが違うけんね」ということで、オレを「にやり」とさせ、ああ祭の真っ最中なんだなあ、と鳥肌が立つ。
恵比須流は来年は櫛田入り一番と当番町が重なっている、ということも聞いた。

祭のぼせは、同じ祭のぼせを分かる、というものだ。
オレにとっては、仕事の合間の一服の清涼剤である。

2005年07月19日

岸和田だんじり祭・だんじり若頭日記/晶文社

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最難所の交差点、右回り「貝源」を遣り回す並松町。綱元の綱の寄せ方、前梃子の入れ方、後梃子の取り方、大工方の合図、鳴物のリズム…。法被が違うようにそれぞれの町が、それぞれの伝統の腕で一回一回難所を遣り回していく。

2005年07月20日

世界の中心で「岸和田」と叫ぶ

7月17日(日)

午前9時過ぎ。
法被・バッチ・鉢巻の正装にて自転車に乗り、浪切神社へ急ぐ。
若頭責任者協議会が主催・運営する岸和田祭礼安全祈願祭に、平成15年度の若頭責任者が招待されているからだ。

会場に着くと懐かしい顔が、各町の法被姿にて集まり始めている。
受付にて本年度若頭責任者協議会の会長、中之濱町のO田くんから丁重に「ご苦労さんです」と声をかけられる。
「おお、ご苦労さんやなあ。天気、心配やったんやけど、雨降らんでよかったなあ」と返す。
5〜6年前の同じ年に若頭連絡協議会に一緒出ていた中町のT満くんは、副責任者と書いた襷をかけていて、来年の平成18年度に中町の若頭筆頭(責任者)をすることが分かる。
「江さん久しぶり」「来年、筆頭やな」「そうですねん、頼んどきます」という会話。
ウチの今年の筆頭のM人は、若責協の副会長なので、司会者のマイク周り、祭壇、客席と慌ただしく会場を動き回っている。

客席のパイプ椅子の後ろに1つずつ来賓名が書いてあって、がやがやと集まっているところは平成16年度の若頭責任者席だ。
15年16年と2年に亘って責任者をした中之濱町のKの周りには、相変わらず人が集まっていてすでに缶ビールを飲んでいて「おーい、酒飲み。早よこっち来てビール飲めよ」とオレを呼ぶ。
Kの横に座り、宮本町の16年度責任者のk本くんから缶ビールを受け取って飲む。

春木南の1級上のN村さんは、若連の法被を着ているので「Kちゃん、若連に出るんけ。ご苦労さんやなあ」と挨拶したら、「平成じゅうさん、じゅうし、じゅうご、じゅうろく、じゅうしち、来年と6年も安全祈願祭に出るんや」と言って笑っている。
この人も責任者を2年やっている。その前の副の年と2年、それからOBになった2年、加えて若連の任期間2年で、今年はOBと若連が重なっているから6年なわけだ。

われわれ責任者OBは、天神・中央・浜の三郷順に玉串奉奠を終える。若頭以下現役の団体は、平成16年度パレード籤順+19年度から岸和田祭に参加予定の南上町まで、町ごとに玉串を奉奠する。

祭礼町会連合会会長のT谷さんの長めの挨拶は、南上町のことも含めなかなか考えさせられる内容でぐっとくる。
T谷さんはわたしが若責の年に、祭礼年番長をされていた方で、その時の印象深い挨拶の言葉は、この長屋ブログの2年前の同じ安全祈願祭の際に書いている。15年度はこの祈願祭は4月に行われている。

閉会後、一旦家に帰って服に着替えて別所町の末松屋へ行く。
平成15年度の責任者ばかりでの昼食を兼ねた酒席である。
全員が揃うまでビールを飲みながら、わいわいがやがやと話す。
開会挨拶は会長をしていた筋海町のNである。彼の木訥だが力強い挨拶の話し口調と声が懐かしい。
「本日の安全祈願祭で、15年度若責協の一切の公的行事は終了しました」というところで、一瞬声が詰まる。
「感極まり、申し訳ない」と続けるが、すでに世話人に上がっているメンバーもいて、2年前におのおの筆頭として祭をやってきたことがつい昨日のようでもありはるか昔のことのようにも思える。

刺身や天ぷらをつまみ、ビールから焼酎へと進み、声がデカくなり、宴たけなわである。
総務担当にあたっていた大北町のHが「みんな、五軒屋の江くんの本がとうとう8月1日に出るので、応援したってくれ」とアナウンスしてくれる。
「F町とB町は、スケベー町やとか、ちゃんと書いちゃあるか」とか「M町のあの時のことは、載せてるやろのお」とか盛り上がり、彼らは「オレらが10万部売るようにするから、その金で有馬で宴会してその後、神戸のエエとこ連れってくれるやろなあ」「8月から行商や」とか盛り上がり、ついにケータイで「その東京の編集者に直接、言うちゃる」とお休み中の晶文社の安藤さんに電話し、「M町のWといいますが、ぜったいこいつの本売りますから」とか「岸和田周辺にはだんじりが200台くらいあるから、低く見積もってもその参加者300人×200で6万部は軽いでっせ」とかケータイが回り、「世界の中心で岸和田だんじりを叫ぶ」の精神は、ここでも証明される。

1時半から若連協の宴会が始まるので、それを掛け持ちしている春木南のN村さんは「今から若連の飲み会行くけど、紙に題名書いといてくれ」といって、若連協の宴会でもPRしてくれるとのことで、オレは感激する。

宴会を終え、家に帰って風呂に入り、仕事があるので編集部に出ていると、会長の筋海町のNから今どこそこにいるから「飲みに来いや」とケータイが入るが、「すまん、2連休で仕事詰まってるんや」と残念だが断る。
8時半ごろには今年の筆頭のM人から「どこにおるんな、いまM雄と家にいてるし早よ飲みに来いよ」とこれまたコールがある。

からだが2つあれば、などと思う。

2005年07月27日

「だんじり本」刊行間近!

7月26日(火)

8月1日(月)の発売に先がけて、ついにというかとうとう「だんじり本」の見本誌が、晶文社の安藤さんから送られてきた。
こうして改めてみてみると、なんだか自分の書いたものじゃないような気がする。

さっそく普段からオレの「だんじり話」を堪能(辟易もあるが)している編集部のみんなや、編集部に来られた方、とくに堺や泉州地方の要するに「だんじりがある」ところの人に見せると、「わあ、表紙からして、すごいですね」と驚いてくれる。

当然である。
装幀の六覺千手さんは、地元岸和田の「だんじりの絵、ポスター、チラシ」を専門にしているデザイナーで、イラストも写真も手掛けている、日本でおそらく唯一の「だんじり専門意匠家」である。
http://www.k-rokkaku.com/index.htm
だから、表紙の「五軒屋町の図」はじめ岸和田だんじり曳行マップ、1章ごとの扉挿絵の計3枚のだんじり図、そして写真だけでも、十分に1冊分の価値ありである。
ちなみに六覺さんの実家は酒屋(森田酒店)であり、そのだんじりオリジナルラベルの酒(一升/3千円)は要注目であるし、「ラベルを肴に飲める酒 男らしく吐くまで飲める酒ラベルを目指します。」は名コピーである。

またタイミングよく29日(金)〜31日(日)には、岸和田本町の紀州街道沿いの町家ギャラリー・光輪庵で「第2回 六覺千手展」が開かれ、そこでもこの表紙の原画や挿絵ほかが見られるから、泉州地方の方はぜひ覗いてみてほしい。
この「だんじり本」つまり『岸和田だんじり祭 だんじり若頭日記』は8月1日(月)発売だが、安藤さんがとくに手回しをしてくれていて、その会場でも発売されるとのこと。
感謝である。

解説はもちろん、この長屋の家主・内田樹先生で、この名文だけでも1冊分の価値ありである。

『西の旅』の編集会議が終わって、以上のことを書こうとしていたら、晶文社・安藤さんお願いした献本先の方々から電話がある。

一つはメディア関係。
M新聞社の編集局長のI藤さんからは「こんなの、書いてたの。おどろいたなあ。8月に入ったら、晩飯でも食いながら、お話し聞きましょう」との東京弁の電話。

岸和田関係からは、同じ平成15年度の若頭責任者の面々から「届いた、ありがとう」の電話。
「今晩、しっかり読まさしてもらうわ」とか「子供も喜んでるわ」とか、本当に丁寧に電話を頂く。
なかには「映画化せえへんか?したら出演しちゃるど」なんてのもあって、痛快である。

みなさまがた、どうぞよろしくお願いします!

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