« 2005年05月 | メイン | 2005年07月 »

2005年06月 アーカイブ

2005年06月01日

江さん、熱くメディアを語る

6月1日(水)

我が社の中島販売部長が、ニューヨークで行われているFIPP(国際雑誌連盟)の第31回世界大会に参加して、帰ってきた。

関西の出版社としておそらく史上初の参加者の彼が言うには、ほとんどアメリカを中心とした雑誌業界は、もう世界戦略とか(ヴォーグとかニューズウークイークとかのあれです)、M&A(Merger and Acquisitionて初めて知った単語だ)とか、CEOとかの世界で、「ちょっとこっちと問題軸が違うなあ」という実感を激しく得て帰国してきた。
スケジュールやパンフ(目録か)やらを見せてもらっても、ウエルカムレセプションはエリス島でとか、MOMA(NY近代美術館)を会場としてのパーティーとか、とてもセレブでエクゼクティブな感覚に溢れていて、何だか六本木ヒルズっぽい感じに充ち満ちている。
委員の写真紹介を見ても、証券会社とか石油とか化粧品会社のトップの人が着るような背広(カルロス・ゴーン的スーツ) に、身頃ストライプ襟だけ白襟つまりクレリック・シャツに、思い切りでかいウインザーノットの結び目のネクタイの人ばかりで、思わず「わっしゃ~」状態になってしまった。

開会の基調演説は、タイムワーナー社のメディア&コミュニケーショングループの会長で、それこそ「レバレッジモデル」とか「ジョブ・ディスクリプション」とかの単語連発の「ビジネスモデル」まるだしの世界で、MITメディア研究所教授の人とかも、世界制覇とか消費者とかのマーケティングな言葉使いがバンバン出まくりで、中島くんは「この仕事はビジネスとかじゃなく、人気とか愛嬌とかの商売なのになあ」と違和感を覚えるばかりだったという。
さらにコンデナストの経営者かなんかは「日本市場はビジネス的に難しい。これからは13億人の中国や10億のインドだ」と彼にコメントし、日本を代表して講演したN経BP社の役員さんが登壇するやいなや、半数の人が「カンケーないもんね」と会場から出ていったらしい。

ところで実際、大手のK川書店やK談社が「○×ウォーカー」とか「●×一週間」とかいった東京においての成功例を「ビジネスモデル」とかでひっさげてきて、「関西~」「東海--」「九州…」とかでやってくるのは、それもビジネスなんだから当然なんだけど、どれも一旦はイケルもののその後、部数を著しく落としているのは、もうそういう「情報誌の情報発信的」やり方が通用しない、というところに来ているというのが、中島販売部長と編集本部長のこのオレの、いわゆる「情報誌」を20年やってきての実感である。
そしてオレたちはオレたちで、ほとんど70パーセントが返本のムックをつくったり、二匹目のドジョウを狙って見事に外したりの失敗を繰り返したりして、至らぬところがあったにせよ、こちらでは彼らと互角以上にやってきた自負心がある

一つだけよかったのは、日本一の出版社のS学館のO賀社長が、パーティーの酒席で中島くんに「キミところの雑誌はどれも面白い。熱を感じる。だから残っている」といわれたことだそうで、これは常々編集会議でも、スタッフが企画を説明中に突然さえぎって「オモロイもんをほんとうにオモロイと思える書き手や編集者の気持ちが大切や。そこをわからんとあかん」と演説をかましてきた甲斐があったというものだ。
オレはこういう販売部長と、これまで一緒にやってこられたことを誇りに思うぞ。
京阪神エルマガジン社の多くの編集者諸君、「そんなのはそちらの話でしょ」とかヒネたこと言ってないで、素直に喜ぶべし、である。ええか、わかってるかー。

彼が帰国してすぐの昨日、オレの地元の岸和田の大手チェーン・K下書店の会長さんが亡くなられたので、彼と一緒に南海電車に乗ってその通夜に列席する。
K下書店は本店が岸和田駅前の宮本町にあって、地元では最大の書店で、確か1歳上の娘さんが同じ小学校だった(中学も高校もそうだったかも)。
子どもの頃から漫画やポパイや参考書をよく買ったり、立ち読みもさせてもらった書店さんであり、今では『エルマガジン』『ミーツ』始め『日帰り名人』など、うちの本をよく売っていただいている。
葬儀委員長は大阪最大手の取り次ぎ「大阪屋」の三好社長である。
受付に行くと「一般」「会社関係」と分けられていて、当然「会社関係」に行ったら「大阪屋」の雑誌仕入れのロマンスグレー頭の中田部長さんがいらっしゃって「江さん、どうも」と声をかけてくれた。
と同時に、横の「一般」受付に従兄が座っているのを発見した。そうか、従兄の店は同じ商店街だったのだ。
彼の店はスポーツ用品店で、地元の運動具店とシューズメーカーとで共同開発しただんじり祭用「エアソール地下足袋」でおなじみの店だ。
「ひろき、ご苦労さんやなあ」と声がかかり、さらにその受付には顔見知りの宮本町の若頭もいて、「会社関係」にて記帳したオレは何だか落ち着かなかった。
K談社の関西担当の役員さん始め、大手出版社の大阪支社長さんとかもいらっしゃてるし、献花もB藝春秋からY波書店…とさすがに老舗の本屋さんだけある。
ありゃ、うちの町会の役員さんもいる。
なんだか仕事関係と岸和田の地元のお通夜が交じったようで、非常に不謹慎ないい方だが奇妙な気分だった。

話を戻します。
というか本当は、中島販売部長やオレの雑誌についての考え方が、偶然今日のこの長屋の大家さんの内田先生のブログに書かれているということについて書きたかったのだ。

メディアは「情報を発信」するということではなく、発信源と受信者の「あいだ」にあって、情報を「媒介する」ものである。
「発信」と「媒介」は違う。

本当にその通りだと思う。
さらに、情報とはそれを媒介にして「誰か」と「誰か」や「誰か」と「何か」、さらには「何か」と「何か」を結びつけるものである。
ある何かを「オモロイ」と思い(価値を見いだし)、それを誰かのところへ運ぶこと。それが情報発信者、すなわち情報誌(編集者)の役割である。
なのだが、発する者と受け取る者が確定しないと、情報は情報として機能しない。
だからこそ外部性(「読まれること」)を意識しない誌面は情報ではない。
そしてそれをどう伝えるか、つまり情報はその内容よりも、伝え方によって受け取ってもらえるかどうか、通じ合えるかどうかが決まってくる場合が多い。
それには「この言い方だと『オモロイ』が十分に相手に伝わるのか」「言葉で何かを説明しても、実は伝えられないかもしれない」そういう不安を常にもつことが必要だ。

これらは、若きアントレプレナーとしてウエブ、雑誌、書籍を問わず、京都でがんばっている藤田くんも以前がんばってブログに書いていたことだが、沖縄に取材に行って現地の人に「暑いですね」といっても共感してもらえないし、バックパッカーの旅行学生がバングラディシュに行って路上生活者に「ぼくは貧乏なんです」といってもキョトンとされるだけだろう。

そして情報誌にとって、その情報は「オモロイ話の中」に載っかってないと、単なる消費にアクセスするためだけのものになる。
書かれたテキスト中に織り込まれる情報は、そのテキストの固有な物語の厚みの分だけふくよかなものになり、それがないテキストは死に、情報は情報たり得ない。
そのためには話の次数をもう一段上げること、オレらの場合は街レベルに上げられるかどうかなのだ。

オレらの仕事は出版で、商売は一番大切なことには違いないが、「情報とは何か」とか「人に何かを伝えることとはどういうことか」とか、そのあたりのことを考えることに面倒臭くなった時、たぶんオレも中島くんもこの仕事を辞めるんやろうな、と思う。

2005年06月09日

「こんにちは」なヤンキー賛

6月9日(木)

4月の1発目のこのブログでちょこっと書こうとした「ヤンキー」というものについて考えている。
というより晶文社の名編集者・安藤さんからのリクエストもあって、これはぜひとも書き切らねばならない。

いきなりだが「あなたはヤンキーですか?」と訊かれて、あからさまに「違いますよ(ぷんorげっ)」と怒る人は、関西とりわけ大阪ミナミや岸和田といった街では、周りとあまりコミュニカティブかつ愉快にやってこなかったのではないか。
これまで「ひょっとして自分は、この街にそぐわないのではないか」と、しょっちゅう思ったりしていて、東京に(NYでもパリでもどこでもいいけど)行きたいなあ、なんて考えたし、今もそう思ったりしているのではないか。

また、その「大阪ヤンキー的感覚」がわからない人は、新興住宅地のしか住んだことのない人か、あるいはそういう外見で「ツッパる」ことしか出来ない社会にいる、本当の田舎の人だと思うのである。
そして、よく「ヤンキー的なるもの」は閉じられた旧いムラ社会的で、開かれた新しいマチ社会的ではないという主張があるが、それも微妙に違う。

社会学者 の「ほんとうは“とても”いいやつ」ミヤタケさんも、前のブログにコメントしてきて

>ヤンキー的な、「知り合い=いいやつ」で構成されてる集団って、「社会」じゃなくて「共同体」、つまり「ムラ」じゃないですか?
>「なぁなぁ」の「信頼」感、もとい「安心」感で支えあってる人々って、つまりは「ムラびと」です。
・・・なんて、社会学っぽく言ってみましたが、
>要は、田舎くさーい感じです。
>そういや、ヤンキーって、田舎に多いですよね。

と書いてきているが、それは北関東とかに多かった、シャコタンの竹槍出っ歯クルマとか、長ランぺしゃカバンのスペック・ヤンキー世界軸しか見えていないのだと思う。
ただの不良少年は、ただの不良少年でしかなく、そんなのは大変つまらない。

橋本治さんの『いま私たちが考えるべきこと』(新潮社)を読んでいると、大変面白いことが書いてあった。
橋本さんが、かけだし作家だった頃、商店街の菓子屋を商っていた実家に住んでいた。
ある日、橋本さんの家に編集者が迎えにきて、そこから駅に行くまでに30人を超える人に「こんにちはー」を繰り返し、その編集者は「なんでそんなに知ってるんですか?」と驚かれた。
橋本さんの実家は、「気取ってる」と言われがちな東京の山の手で、べつに「人情厚い下町ではない」と書かれている。
そして何でそうしているのだと説明されているのだが、それは「地域社会が健全で健在だったから」としか言いようがなく、そういうところで育った自分はムラ社会的な人間かもしれないのだが、「誰彼かまわず」はムラ社会ではなくて、「マチ社会」だろう。
けれども「マチ社会だってムラ社会みたいなもんだから、マチ社会とムラ社会のちがいなんかよく分からない」と思っている。
ただ「こんにちは」の関係性がある社会は、あった方が楽で、それは「(よくは知らないが)よく会う、つまり知っているだけの人」が「敵意の持つ必要のない人」になるから、そのことによって住環境はおだやかになるから、悪いことじゃない。
それは「人と人との間にあるのりしろ」みたいなものだ、と書かれている。

わたしは、
>ヤンキーは、剃り込みを入れたり、ウンコ座りしたり、道に唾を吐いたり、ジャージを着て街を歩いたりしている人のことを指すのではないし、決して高校を中退したり10代で出来ちゃった結婚をする人ばかりではない。
>何が言いたいかというと、「ヤンキー/非ヤンキー」においてはヤンキーの方が、ずっと社会的であるということだ。
>ただその「社会」というものが、「知ってる人」ばかりで構成されていて、「知ってる人=いい人」。逆に自分たちの社会の構成員でない「知らない人=いい人とは限らない」が明確すぎるくらい明確なだけだ。
>これはちょっと困るけど、複雑である。
>どういうことかというと、病気になって「ヤンキーでない」看護婦さんに当たるととても「ビジネスライク」に看護をされて怖いし泣かされそうだし、「ヤンキーでない」鮨屋の板前さんならいいネタを出してくれなさそうだし、「ヤンキーでない」建築関係の土方や大工さんならコンクリートに混ぜものをされたり梁を1本手抜きされそうだからだ。
>だから若い衆始めだんじり関係者がヤンキーでなかったら、誰も大工方になって屋根には乗ろうとしないし、怖くて前梃子なんて持ってられない。若頭筆頭なんて、とてもとても…なのである。

とこのブログで書いたが、いま読み直していてもやはりしっくりきてしまう。

だんじり祭の場合で考えると、それは極端に顕著に「知ってる人=町内の同じだんじりを曳いてる人」と「それ以外の人=よその町の人」の分別がはっきりしている。
それはもう、これ以上はっきりしすぎるものがないほどはっきりしている。
青年団とかの下の者がオレら若頭(橋本さんによる「(よくは知らないが)よく会う、つまり知っているだけの人」)に、たまたま道で会って「こんにちは」がないと、たちどころに団長が呼び出される。
「ちょっと、うちの若いもん、このごろ行儀悪いんとちゃうんか。挨拶もせえへん、どないなってんや」である。
だからこそ、外の人間からするとその社会は「知りあい=いいやつ」ばかりで構成しようというベクトルが強い、排他的なムラ社会的に見える。

けれども実際はそう単純ではない。
こと祭ごとに関しては、小唄にも唄われる「年に一度の大祭」のいきなり「何だかわけの分からないだらけの世界」に放り込まれる。
どうして、命を懸けてまで、こんな4トン以上の重たい木のカタマリのだんじりを曳き回すのか。
何で曲がり角は、危険極まりないのに全速力で走って曲がらないといけないのか。
そもそもなにが原因で、よその町と大喧嘩するのか。
などなどといった、ほとんど元々考えることすらナンセンスな問いが立てられる前に、いきなり「お前らわかってんか! いかんかえ!」「はいっ」「よっしゃ」なのである。
つまり「わけの分からないこと」で叱られ、それをまるごと受け入れることからしか、この祭は始まらないのであり、参加できないのである。
そしてこのだんじり祭は、よく知られているように、常に死と隣り合わせだ。
一人の不注意やポカやミスが、そのまま自分だけではなく、前梃子や大工方を初めとする「上の人」のそれへと直結する。
だから普段から「○×ちゅうやつは、ほんまにエエ加減や」とか「おまえみたいな頼りないやつは、知らん」とかほとんどボロクソで、いざ祭の最中でも「こらあ、何やってんなぁ!」「しっかりせんかえ!」と容赦なく怒鳴りつけ、時にはパンチを見舞うことがあるのだが、それはだんじり祭というものは「命がけの祭」だからである。

長幼の絶対関係やその年の責任者の発言力が絶大で、けれども何があってもそれに下の者がついてくる。
なぜかというと、上の者は祭について「自分より、よく知っている」からである。それはほとんど幻想かもしれないが、祭とはそういうものである。
そして、いざ祭の曳行時の綱元や前梃子や屋根乗りの「上の人」は、なによりもかっこいい。毎年かっこいい。
さらに、そのかっこよさは、祭以外の日常でも居酒屋などでたまたま出合って「こんにちは」と挨拶すると、「お前ら何人や、そうか4人か。ねえちゃん、この子らにビール10本出したって」であるし、スポーツ大会や会合の弁当の際にも「おい、全員に回ってるか。下のもんから先に食うてええど」「いただきまーす」だからだ。
それは大げさに言うと「何をおいても、自分を犠牲にしてまで、最後はわたしをかばってくれる」という、徹底した身びいきの論理が貫徹されているからだ。
その身びいきの論理には必ず「お前のこと、憎うてこんなこと言うてんちゃう」が根底にあり、逆説的には祭の際の「下の者」への徹底的な信頼感、つまり「お前ら、若い衆! 頼んどくど」につながる。
でないと、上の者=高年層だけでは、だんじりは疾走しない。当たり前の話だ。

「心意気」とはつまりそういうもので、わたしとあなたは「知っている人」で、だからこそいつもあなたの言うことを「意気」に感じ、いつでもどんな場合でもそれに応える用意がある、ということだ。
ここに外見だけ、「イキってる=意気がってる」だけのスペック・ヤンキーとの決定的な違いがあり、ことだんじり祭においては「何イキってんな、気合い入れんかい」が優先されなければ、だんじりは曲がらない。
そこには「自分一人では、そんなものどうしようもない」、けれども「自分がいないとだんじりは動かない」という、とても難儀な両義性への接近が必ずある。
この街での社会性、つまり人と人との言葉や身体運用のやり取りを支えているのは、「自分自分、いうてナンボもんやねん」というある種の諦観と、言えそうでなかなか言えない「オレが、やっちゃる」のある種の使命感の両立で、それに引き裂かれた実経験が「昔は、オレもヤンキーやった」という「照れ」なのだ。

だんじり祭以外でも、岸和田というところにある中学は、伝統的に野球やサッカーが強くて、生野や東大阪はそれがラグビーで、それら一流選手の名産地であるが、やはりそのチームの構成員全員がヤンキーでないとそういうことはちょっと無理だと思う。
それが分からない人や違和感を覚える人は、IT関連やM&Aとか、戦略マネジメントシステム、eビジネスいった「六本木ヒルズへの道」の方が、むしろ近いのかもしれない。

祭もせず、街や外に出ていかず、一人で部屋に引きこもって「まったり」してしまっていては、いつまでも「こんにちは」はわからない。

2005年06月27日

世界基準外的

6月25日(日)

2週間もこの長屋を空けていたことについて、編集同業関係また岸和田方面から「更
新の催促」および「何やってるんや」という声があった。
うれしい限りです。
別に留置所にぶち込まれていたわけではないですので安心してください。

とにかく忙しくて、なかなか書けなかったのである。
と今しがた言うと、「書くのが商売みたいなもんやのに、それは理屈と合わんやろと
いう岸和田方面の方にも指摘されましたがお許しを。

17日(金)は「南海沿線リレーフォーラム はじまりは堺から」というフォーラム
のパネリストに呼ばれた。
これは、今年120周年を迎える南海電鉄と読売新聞大阪本社、堺市の主催で「古代
から現代まで、日本史の重要な舞台だったこのエリアの魅力を再確認するのが目的で
す。第1回の舞台は堺市。沿線に広がる歴史・文化的財産を掘り起こし見つめ直すフ
ォーラム」ということだった。

どうしてわたしごときが、と思うのであったが、南海沿線の岸和田の出で、ことある
たびに「だんじり、だんじり」とこの長屋ほかでわめいてるから、というのも少しあっ
たようだが、4年前「まるごと南海沿線」というムックの編集をし、北摂や阪神間に
比べて、あまりスポットが当たらなかった堺を徹底的に取り上げたからだったらしい
(もちろん岸和田だんじりもそれ以上に取り上げたが)。

堺市民会館の大ホール。
基調講演は上田正昭先生の「文明史から見た堺」というテーマで、その後のパネルディ
スカッションに出さしていただくわけであるが、メンバーは武者小路千家家元の千宗
守さん、 シンクロナイズドスイミングコーチ井村雅代さん、 映画監督で堺市出身の
阪本順治さんというそうそうたる顔ぶれ。
オレは縮み上がってしまいそうだったが、同世代の阪本さんとは一度電話で話したこ
ともあり、またいつも仲良くしている空間設計者の間宮吉彦くんから前夜にケータイ
があり「彼とは堺の殿馬場中学の同級生で、あした行かれへんけど、よろしくいうと
いてくれ」とのことだったので、ちょっとは気が楽になっていた。

正午に昼食をかねて打ち合わせということで、11時半に控え室に着くと、すでに上
田先生がいらっしゃっていて、読売新聞の副社長さんとか南海電鉄の役員さんとかと
お話をされている。
常々、先生の中国〜朝鮮半島〜日本というダイナミックな視野からの古代史の著作の
ファンであるオレは、タイミングを見計らって用意していた『日本文化の基層研究』
にサインを頂き、「2〜3年前でしたか、藤原書店の『環』の座談会は凄かったです
ね」というと先生は「あのときの姜尚中さんは冴えてましたね。ちょうど単行本になっ
たところなのでよろしく」と、言ってくれて、そのあともお茶を飲みながら親しげに
話相手になってくれた。

もう80歳になられる上田正昭先生の話は、古墳の話に河内王朝説、行基から信長時
代のこと、与謝野晶子の話まで幅広くて、さらにそれがユーモアにあふれた語り口で
ほんとうに面白い。

そのあといよいよオレたちのディスカッションが始まるのだが、全館禁煙のため、阪
本監督と一緒に外へこっそりとたばこを吸いに行く。
「なんか?校の時の部室みたいですな」と言いながら、同じ泉州でも堺弁と岸和田
弁はどう違うかなど、わいわいとしゃべる。やはり同じラテン大阪の人種である。

パネルディスカッションが始まると、やっぱ井村さんの話が弩級だ。
浜寺水練学校の昔話からまだ室内プールがない時代、シンクロが「身黒」と表現され
たはなし、選手に対して「あんたブスやから、ブスッとせんと、もっとかわいらしい
顔しなさい」とかの例の調子で、お客さんは大爆笑。

そうなるとオレは例によって「世界基準というのが今日のテーマのひとつなってます
けど、岸和田のだんじりは遣り回しひとつをとっても、4トンの木のかたまりを何で
走って曲がげなあかんのか、それは完全に世界基準外なんです、だから堺のだんじり
と違ごて世界基準なんです」とぶちかまして、岸和田の隣の隣の街の聴衆の方々を沸
かせた。

すると阪本さんは「普通、東京ではこんなパネルディスカッション見たことないです。
絶対笑いを取らなあかん会なんですか、これは」といって笑いを取った。さすがであ
る。

18日(土)も超忙しい。
昼前一旦、編集部に行き『神戸本』の初稿を見て、1時から月に一回のNHKラジオ第
一放送の生放送。
佐藤誠エクゼクティブアナウンサーと遙洋子さんにお相手してもらって、沖縄的なも
ののブームと大阪・尼崎・神戸の沖縄タウンについて話す。
また編集部に戻り、3時間ほど校正やリード文書きをして、その後岸和田へ。午後8
時から若頭の寄り合いがあるからだ。

もう祭まで3カ月を切った。
献灯台設置の話、鉢巻きのデザイン決定、安全祈願祭日程と今年の筆頭M人と去年の
筆頭M雄が、コンビでぐいぐい議題を進めてくれるので、オレは焼酎をウーロン割り
で飲んでるだけである。
すまん、M人M雄。
その後、オレM雄M人の平成15年16年17年度筆頭3人で「喜平」へ。
しばらくして中之濱町15年16年と2年筆頭をしたK一行が数名でやって来る。
オレは「もうすぐ、だんじりの本出るし、お前もいっぱい登場するからよろしくな」
とKに言うと、「そうやS、お前小学校の時、お城の堀端でむちゃくちゃ江ドツいて、
おれが止めちゃったんや。その話も出てくるらしいぞ」と同行のSに言うと、彼は
「もう忘れてくれな。仲ようしてや」と照れたような優しい顔してオレにそういった。

明くる日曜日は岸和田の「マドカホール」にて『地車祭鳴物 岸和田の笛』のパネル
ディスカッション。
だんじり囃子の伝承について、各町の特徴がなくなってきている、とかの話で盛り上
がる。
5時から打ち上げで酒が入り、さらに盛り上がる。
この日の主役「民の謡代表・篠笛奏者」森田玲さんの篠笛を借りて、居酒屋2階が貸
し切りだったので、昔取った杵柄で吹いてみる。
やっぱりいい笛だ。すごくいい音が出る。1階のお客さんはびっくりしていたかもし
れない。

そんなこんなの時に、ついにこの長屋住民初の単行本となる『岸和田だんじり祭 だ
んじり若頭日記』の初稿300ページが、どかんと晶文社の安藤さんから届く。

同時にカラー台の「岸和田だんじりマップ」、「各町一口紹介」に添付する二十一町
の法被の図柄を揃えたり構成していて、最後に前口上とあとがきを書いているところ
だ(といってこんなブログを書いている)。

だから先週は「ない日」だったのでお許しのほどをこの場をお借りして御免蒙る次第
である。

About 2005年06月

2005年06月にブログ「「日本一だんじりなエディター」江弘毅の甘く危険な日々」に投稿されたすべてのエントリーです。過去のものから新しいものへ順番に並んでいます。

前のアーカイブは2005年05月です。

次のアーカイブは2005年07月です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type 3.35