6月1日(水)
我が社の中島販売部長が、ニューヨークで行われているFIPP(国際雑誌連盟)の第31回世界大会に参加して、帰ってきた。
関西の出版社としておそらく史上初の参加者の彼が言うには、ほとんどアメリカを中心とした雑誌業界は、もう世界戦略とか(ヴォーグとかニューズウークイークとかのあれです)、M&A(Merger and Acquisitionて初めて知った単語だ)とか、CEOとかの世界で、「ちょっとこっちと問題軸が違うなあ」という実感を激しく得て帰国してきた。
スケジュールやパンフ(目録か)やらを見せてもらっても、ウエルカムレセプションはエリス島でとか、MOMA(NY近代美術館)を会場としてのパーティーとか、とてもセレブでエクゼクティブな感覚に溢れていて、何だか六本木ヒルズっぽい感じに充ち満ちている。
委員の写真紹介を見ても、証券会社とか石油とか化粧品会社のトップの人が着るような背広(カルロス・ゴーン的スーツ) に、身頃ストライプ襟だけ白襟つまりクレリック・シャツに、思い切りでかいウインザーノットの結び目のネクタイの人ばかりで、思わず「わっしゃ~」状態になってしまった。
開会の基調演説は、タイムワーナー社のメディア&コミュニケーショングループの会長で、それこそ「レバレッジモデル」とか「ジョブ・ディスクリプション」とかの単語連発の「ビジネスモデル」まるだしの世界で、MITメディア研究所教授の人とかも、世界制覇とか消費者とかのマーケティングな言葉使いがバンバン出まくりで、中島くんは「この仕事はビジネスとかじゃなく、人気とか愛嬌とかの商売なのになあ」と違和感を覚えるばかりだったという。
さらにコンデナストの経営者かなんかは「日本市場はビジネス的に難しい。これからは13億人の中国や10億のインドだ」と彼にコメントし、日本を代表して講演したN経BP社の役員さんが登壇するやいなや、半数の人が「カンケーないもんね」と会場から出ていったらしい。
ところで実際、大手のK川書店やK談社が「○×ウォーカー」とか「●×一週間」とかいった東京においての成功例を「ビジネスモデル」とかでひっさげてきて、「関西~」「東海--」「九州…」とかでやってくるのは、それもビジネスなんだから当然なんだけど、どれも一旦はイケルもののその後、部数を著しく落としているのは、もうそういう「情報誌の情報発信的」やり方が通用しない、というところに来ているというのが、中島販売部長と編集本部長のこのオレの、いわゆる「情報誌」を20年やってきての実感である。
そしてオレたちはオレたちで、ほとんど70パーセントが返本のムックをつくったり、二匹目のドジョウを狙って見事に外したりの失敗を繰り返したりして、至らぬところがあったにせよ、こちらでは彼らと互角以上にやってきた自負心がある
一つだけよかったのは、日本一の出版社のS学館のO賀社長が、パーティーの酒席で中島くんに「キミところの雑誌はどれも面白い。熱を感じる。だから残っている」といわれたことだそうで、これは常々編集会議でも、スタッフが企画を説明中に突然さえぎって「オモロイもんをほんとうにオモロイと思える書き手や編集者の気持ちが大切や。そこをわからんとあかん」と演説をかましてきた甲斐があったというものだ。
オレはこういう販売部長と、これまで一緒にやってこられたことを誇りに思うぞ。
京阪神エルマガジン社の多くの編集者諸君、「そんなのはそちらの話でしょ」とかヒネたこと言ってないで、素直に喜ぶべし、である。ええか、わかってるかー。
彼が帰国してすぐの昨日、オレの地元の岸和田の大手チェーン・K下書店の会長さんが亡くなられたので、彼と一緒に南海電車に乗ってその通夜に列席する。
K下書店は本店が岸和田駅前の宮本町にあって、地元では最大の書店で、確か1歳上の娘さんが同じ小学校だった(中学も高校もそうだったかも)。
子どもの頃から漫画やポパイや参考書をよく買ったり、立ち読みもさせてもらった書店さんであり、今では『エルマガジン』『ミーツ』始め『日帰り名人』など、うちの本をよく売っていただいている。
葬儀委員長は大阪最大手の取り次ぎ「大阪屋」の三好社長である。
受付に行くと「一般」「会社関係」と分けられていて、当然「会社関係」に行ったら「大阪屋」の雑誌仕入れのロマンスグレー頭の中田部長さんがいらっしゃって「江さん、どうも」と声をかけてくれた。
と同時に、横の「一般」受付に従兄が座っているのを発見した。そうか、従兄の店は同じ商店街だったのだ。
彼の店はスポーツ用品店で、地元の運動具店とシューズメーカーとで共同開発しただんじり祭用「エアソール地下足袋」でおなじみの店だ。
「ひろき、ご苦労さんやなあ」と声がかかり、さらにその受付には顔見知りの宮本町の若頭もいて、「会社関係」にて記帳したオレは何だか落ち着かなかった。
K談社の関西担当の役員さん始め、大手出版社の大阪支社長さんとかもいらっしゃてるし、献花もB藝春秋からY波書店…とさすがに老舗の本屋さんだけある。
ありゃ、うちの町会の役員さんもいる。
なんだか仕事関係と岸和田の地元のお通夜が交じったようで、非常に不謹慎ないい方だが奇妙な気分だった。
話を戻します。
というか本当は、中島販売部長やオレの雑誌についての考え方が、偶然今日のこの長屋の大家さんの内田先生のブログに書かれているということについて書きたかったのだ。
メディアは「情報を発信」するということではなく、発信源と受信者の「あいだ」にあって、情報を「媒介する」ものである。
「発信」と「媒介」は違う。
本当にその通りだと思う。
さらに、情報とはそれを媒介にして「誰か」と「誰か」や「誰か」と「何か」、さらには「何か」と「何か」を結びつけるものである。
ある何かを「オモロイ」と思い(価値を見いだし)、それを誰かのところへ運ぶこと。それが情報発信者、すなわち情報誌(編集者)の役割である。
なのだが、発する者と受け取る者が確定しないと、情報は情報として機能しない。
だからこそ外部性(「読まれること」)を意識しない誌面は情報ではない。
そしてそれをどう伝えるか、つまり情報はその内容よりも、伝え方によって受け取ってもらえるかどうか、通じ合えるかどうかが決まってくる場合が多い。
それには「この言い方だと『オモロイ』が十分に相手に伝わるのか」「言葉で何かを説明しても、実は伝えられないかもしれない」そういう不安を常にもつことが必要だ。
これらは、若きアントレプレナーとしてウエブ、雑誌、書籍を問わず、京都でがんばっている藤田くんも以前がんばってブログに書いていたことだが、沖縄に取材に行って現地の人に「暑いですね」といっても共感してもらえないし、バックパッカーの旅行学生がバングラディシュに行って路上生活者に「ぼくは貧乏なんです」といってもキョトンとされるだけだろう。
そして情報誌にとって、その情報は「オモロイ話の中」に載っかってないと、単なる消費にアクセスするためだけのものになる。
書かれたテキスト中に織り込まれる情報は、そのテキストの固有な物語の厚みの分だけふくよかなものになり、それがないテキストは死に、情報は情報たり得ない。
そのためには話の次数をもう一段上げること、オレらの場合は街レベルに上げられるかどうかなのだ。
オレらの仕事は出版で、商売は一番大切なことには違いないが、「情報とは何か」とか「人に何かを伝えることとはどういうことか」とか、そのあたりのことを考えることに面倒臭くなった時、たぶんオレも中島くんもこの仕事を辞めるんやろうな、と思う。