7月17日(日)
午前9時過ぎ。
法被・バッチ・鉢巻の正装にて自転車に乗り、浪切神社へ急ぐ。
若頭責任者協議会が主催・運営する岸和田祭礼安全祈願祭に、平成15年度の若頭責任者が招待されているからだ。
会場に着くと懐かしい顔が、各町の法被姿にて集まり始めている。
受付にて本年度若頭責任者協議会の会長、中之濱町のO田くんから丁重に「ご苦労さんです」と声をかけられる。
「おお、ご苦労さんやなあ。天気、心配やったんやけど、雨降らんでよかったなあ」と返す。
5〜6年前の同じ年に若頭連絡協議会に一緒出ていた中町のT満くんは、副責任者と書いた襷をかけていて、来年の平成18年度に中町の若頭筆頭(責任者)をすることが分かる。
「江さん久しぶり」「来年、筆頭やな」「そうですねん、頼んどきます」という会話。
ウチの今年の筆頭のM人は、若責協の副会長なので、司会者のマイク周り、祭壇、客席と慌ただしく会場を動き回っている。
客席のパイプ椅子の後ろに1つずつ来賓名が書いてあって、がやがやと集まっているところは平成16年度の若頭責任者席だ。
15年16年と2年に亘って責任者をした中之濱町のKの周りには、相変わらず人が集まっていてすでに缶ビールを飲んでいて「おーい、酒飲み。早よこっち来てビール飲めよ」とオレを呼ぶ。
Kの横に座り、宮本町の16年度責任者のk本くんから缶ビールを受け取って飲む。
春木南の1級上のN村さんは、若連の法被を着ているので「Kちゃん、若連に出るんけ。ご苦労さんやなあ」と挨拶したら、「平成じゅうさん、じゅうし、じゅうご、じゅうろく、じゅうしち、来年と6年も安全祈願祭に出るんや」と言って笑っている。
この人も責任者を2年やっている。その前の副の年と2年、それからOBになった2年、加えて若連の任期間2年で、今年はOBと若連が重なっているから6年なわけだ。
われわれ責任者OBは、天神・中央・浜の三郷順に玉串奉奠を終える。若頭以下現役の団体は、平成16年度パレード籤順+19年度から岸和田祭に参加予定の南上町まで、町ごとに玉串を奉奠する。
祭礼町会連合会会長のT谷さんの長めの挨拶は、南上町のことも含めなかなか考えさせられる内容でぐっとくる。
T谷さんはわたしが若責の年に、祭礼年番長をされていた方で、その時の印象深い挨拶の言葉は、この長屋ブログの2年前の同じ安全祈願祭の際に書いている。15年度はこの祈願祭は4月に行われている。
閉会後、一旦家に帰って服に着替えて別所町の末松屋へ行く。
平成15年度の責任者ばかりでの昼食を兼ねた酒席である。
全員が揃うまでビールを飲みながら、わいわいがやがやと話す。
開会挨拶は会長をしていた筋海町のNである。彼の木訥だが力強い挨拶の話し口調と声が懐かしい。
「本日の安全祈願祭で、15年度若責協の一切の公的行事は終了しました」というところで、一瞬声が詰まる。
「感極まり、申し訳ない」と続けるが、すでに世話人に上がっているメンバーもいて、2年前におのおの筆頭として祭をやってきたことがつい昨日のようでもありはるか昔のことのようにも思える。
刺身や天ぷらをつまみ、ビールから焼酎へと進み、声がデカくなり、宴たけなわである。
総務担当にあたっていた大北町のHが「みんな、五軒屋の江くんの本がとうとう8月1日に出るので、応援したってくれ」とアナウンスしてくれる。
「F町とB町は、スケベー町やとか、ちゃんと書いちゃあるか」とか「M町のあの時のことは、載せてるやろのお」とか盛り上がり、彼らは「オレらが10万部売るようにするから、その金で有馬で宴会してその後、神戸のエエとこ連れってくれるやろなあ」「8月から行商や」とか盛り上がり、ついにケータイで「その東京の編集者に直接、言うちゃる」とお休み中の晶文社の安藤さんに電話し、「M町のWといいますが、ぜったいこいつの本売りますから」とか「岸和田周辺にはだんじりが200台くらいあるから、低く見積もってもその参加者300人×200で6万部は軽いでっせ」とかケータイが回り、「世界の中心で岸和田だんじりを叫ぶ」の精神は、ここでも証明される。
1時半から若連協の宴会が始まるので、それを掛け持ちしている春木南のN村さんは「今から若連の飲み会行くけど、紙に題名書いといてくれ」といって、若連協の宴会でもPRしてくれるとのことで、オレは感激する。
宴会を終え、家に帰って風呂に入り、仕事があるので編集部に出ていると、会長の筋海町のNから今どこそこにいるから「飲みに来いや」とケータイが入るが、「すまん、2連休で仕事詰まってるんや」と残念だが断る。
8時半ごろには今年の筆頭のM人から「どこにおるんな、いまM雄と家にいてるし早よ飲みに来いよ」とこれまたコールがある。
からだが2つあれば、などと思う。