7月13日(水)
次号9月1日売特集「どこの街にもいい店1軒」の情報収集のために、岸和田の自泉会館で行われている「和泉の国ワインクラブ」へ行く。
このワイン会は137回目を迎えている試飲会で、毎月1回、9月のだんじり祭月以外10年以上に亘って開催されている。
会場の自泉会館は昭和7年に建てられた渡辺節設計の建築物で、「東洋のマンチェスター」と呼ばれていた繊維産業の隆盛期の中で、岸和田紡績の社交場として利用されていたそうだ。
木造2階建てのスパニッシュ風の粋な建物である。
1階ホールは舞踏会とか室内弦楽演奏会が開かれていたような雰囲気がいっぱい。大きな暖炉もあり凝った鮮やかなタイルが貼られている。
3〜4年前の100回記念では、このホールを世界の名醸ワインと、神戸「ゴスペル」の大倉カイリくんのラテンDJの音と地元岸和田のアカペラ隊の声で、ごきげんを一杯にした。
美しい曲線を描いている石の階段を上がり、ワイン会が開かれる2階の会議室へ。
この部屋も美しい。窓側のコーナーの壁はアールがつけられていて角がない。窓枠その他のパーツの真鍮のくたびれ具合がまた渋くて美しい。
渡辺節設計による近代建築で有名どころは、大阪船場・備後町にある「綿業会館」であり、この会館も文字通り大阪の繊維産業が一世を風靡していた昭和6年に建てられたものだ。
以前、特集でこの綿業会館をいろいろと取材し撮影したが、同じ年に再建された大阪城天守閣の建物本体の3倍の建築費用がかけられたという。
イタリアルネサンスの影響を受けたジャコビアン様式の1階は見るものを圧倒する。
日本が関東軍の謀略で起こした柳条湖事件をきっかけに、清朝の最後の皇帝・溥儀を執政として満州国を建国し、その後リットン調査団の報告書の採択 (賛成42、反対1(日本)、棄権1(タイ))で日本は国際連盟を脱退、日中戦争の泥沼にはいるのだが、その際リットン卿が英国からやってきて、この出来たばかりの綿業会館で調査団と一緒に待機した、という話も書いた。
さて、この日の出席者は主催者の本町の酒屋・H出夫妻始め約10名。
5月10日のこのブログで書いた、ラ・ベカスのメートル/ソムリエをオープンから長年やってきた、O村さんも来ている。
ご夫婦でいらっしゃっているメンバーさんは、自宅菜園で穫ったばかりの特大キュウリの塩漬けと焼きトマトを大量持参されている。
テーマはイタリアワイン「ピエモンテを楽しむ」。
ドルチェットやバルベラといった品種のワインと有名な作り手のマンゾーニの3リットル瓶、それにバルバレスコ98が今日の試飲リストである。
それにしてもマンゾーニの3リットル瓶は形もコルクも味もすごくて、H出は何回か彼のワイナリーを訪ねていてその写真で詳しく説明してくれるが、みんな試飲というレベルでは決してなく、キュウリと焼きトマト、ビッグオリーブとチーズとパンで、がぶ飲み状態である。それははっきりいって「飲み会」である。
10時前に全員で後かたづけをし、近くの今風居酒屋に寄る。ワインの飲み過ぎでのどが渇いて「ビールでも飲もう」ということになったからだ。
そろそろ帰る電車がなくなるので、O村さんと南海岸和田駅へ急ぐ。
午前0時前、天下茶屋駅で彼と別れ、なんばから地下鉄御堂筋線の夜遊び帰り客電車に乗って梅田へ。
JR大阪駅からは、混む快速に乗らず、各駅電車に乗って元町まで座って帰った。
何だか知らないけれど、そんな気分になった。
住吉を過ぎた0時半頃、携帯が鳴った。
H出からだ。「今、まだ電車に乗ってる」といったが、酔っている彼は「オレがやっているワイン会は、コミュニティとかと違うよな。個人と個人のナンというか……分かるか、ひろき」みたいなことを一方的に話している。
ガラガラだけど電車の中だから、曖昧に「そや、そや」と相づちをうつだけで切る。
彼とは17日の日曜日の朝には、浪切神社の若頭責任者協議会主催のだんじり安全祈願祭でまた会う。
ここ1週間ほど、平日は気分が悪くなるような類の出来事が多くて、休日は「だんじり本」の校正に没頭していて、その、ナンにしても、あまりモノを書こうと言う気が起こらなかったが、岸和田のワイン会に行ってなんとなく書こうという気になったのでこれを書いている。
来週はドイツにいる姉が3人の子供を連れて、帰って来るそうだ。
一旦、妹つまりオレにとっての下の姉のいる千葉に行って、それからこちらに来て、岸和田に帰るらしい。
岸和田の商店街にある実家は、兄夫婦と子供2人と年老いた母親が住んでいるからせまい。
オレはひとり暮らしで、結構空きスペースがあるので、オレの家ベースに滞在して、今日のオレみたいに岸和田に行ったり来たりするようだ。
もう20年も異国にいる姉は、10年に1回くらいしか帰ってこないタイプの人間なので、多分この帰国が母との最後の対面になることだろう。
人生というのは、果たして長いのか短いのか。