« 2009年6月 | メイン | 2009年8月 »

2009年7月 アーカイブ

2009年7月 3日

あっという間に七月です

7月2日(木)

 あああああああっという間に七月です。風鈴の音が涼やかに聞こえます。みなさま、お元気でお過ごしでしょうか。

7月1日(水)

 稽古のあと、大学に戻る。
今日は二台のピアノによる演奏を聴きに行くからだ。ただ単純に「二台のピアノのための」演奏ではなく、「二台のピアノでオーケストラ」であった。今回、曲目に選ばれたのは、ベートーヴェンの「運命」。
 講義の一環として、実際に大学におられる二人の先生がそれぞれピアノの前に座り、ピアノで語る。
ひとりはプロのピアニストである。もうお一方は、プロではないが、大学までの専攻が音楽でもあったらしい先生である。その後者の先生、春ごろから必死に練習なさっているらしく、ちょくちょくと練習の進行状況を見聞きしている。本人のみならず、各地からそう聞けば、完成品を見に行かないわけはない。というのか、見てみたくなるのが世の常である。
というわけで、稽古後、連れ立って、てくてくと拝聴しに出かける。
感想。感動。
 すごく身体によい時間をすごさせていただいた。

耳に心地よい音と感触を受けた後、ホールを出て、空を見上げる。
朝から晴れ渡っていた空が、嘘のように真っ暗になっている。今朝の様子からしてみれば、海シーズン到来かと思われるくらいの鮮やかな青空だった。勢い、夏仕様の格好をしていた。それが夕方には悪魔のような雨が降っている。夏のような姿は、もちろんずぶぬれになることこの上ない。しかしながら、みなさんに助けていただいたおかげでずぶぬれにならずに済んだ。それもまたよき「運命」。

6月30日(火)

 夏越の祓え。

6月29日(月)

 はっぴいごーらっきひ。

6月28日(日)

 しかしどうも疲れている。晴れやかな日曜日が、深海魚な気分。

6月27日(土)

 土曜日の稽古のとは、お祝い会。かなりラフないでたちであった。

6月26日(金)

 マイケル・ジャクソンが亡くなったそうだ。
わあああっと驚く反面、すんなり納得してしまった(その死を受け入れてしまった)のもまた事実。20世紀のスターがまたひとり消えていく。1970~80年代といったほうがいいかもしれないが。ご冥福をお祈りします。


6月25日(木)

 祝・サザンオールスターズ結成32周年目突入!

6月24日(水)

 日に日に干からびるような感触あり。それでも昨日よりは日陰が射しているようだし、少しは陽もやわらいでいるふうにも感じられたので、久しぶりに芦屋川沿いを歩く。ここのところ川沿いは、どういうわけか、ずっと、どこかしこで工事ばかりしている。だから、あまり歩く気になれない。ただでさえ、車が南北に往来している川沿いなのに、その道路を挟むように、対岸で道路工事が行われているのだ。なんでも新しい道路を作っているのだそうだが。しかし、いくら涼しそうに感じても、歩くとやはり暑い。歩くだけで着替えが必要になる。おかげで夏が近づくと、だんだんと荷物が増えてくる。

6月23日(火)

 所用で出かけたついで、買い物にご一緒する。電気屋により、服屋に行く。うまくめぼしいものが得られたように思う。

6月22日(月)

 約束の場所へ。約束どおりの時間に。約束の時を過ごす。

6月21日(日)

 日曜日の特別稽古。
 木刀、杖、合気杖、居合いなど形の理合いと術理を確認する。湿気のせいか、相当の汗をかく。道衣の色が変わるほどに。


6月20日(土)
 
 土曜日の稽古は久しぶり。人が多い。梅雨のためか、湿気も多い。そしておそらく二酸化炭素も多い。

6月19日(金)

中身の濃すぎた先週は疲れも相当なものであった。今週は寸暇を惜しんで、それらをとろうとしていた。隙間を見つけては睡眠をとる。しかし、睡眠とは断続的にとらなければ、あまり効果的でないように感じられる。
たとえば、八時間眠ることができる場合、八時間いっぺんに眠るのと、一時間ずつ細切れに休むのとでは、実際の睡眠時間は同じである。しかし、後者のほうが、より身体への負担が大きいように思う。なぜだろうか。
ほかにも、久しぶりに連絡したり、連絡が来たり。身の周りの整理整頓も必要だ。


6月18日(木)

 木曜日の講義には、暑いながらも毎回熱心な受講者がいる。彼女たちによって、支えられている。
講義は、スムーズに行くこともあれば、そうでないときもある。それは講義が、ナマモノ的な部分が多く、毎回計画通りにいくとは限らないからだろう。その場その場で反応がある。こちらの反応と相手側の反応が交互に、あるいは、同時に起こる。まさに瞬間芸的なところがある。その意味で、シラバスというのは、おおよその進行具合を知るには当てになるし、必要なものかもしれない。しかし、一言一句その通りに実践するのは、かなり難しい。いや実際問題、それは、かなり困難というものであろう。講義という性質のナマモノには、うまく馴染まないものではないかと、いまさらながら思われる。

2009年7月11日

七夕のおねがい

7月10日(金)

 ふいに、わたしの周りの方、わたしに関わってくださる方々-それは親戚であるとか他人であるとかということ、人種も国籍も性別も年齢にももちろん関係なく-誰もが幸せであればいいなあと思える瞬間があった。なにがきっかけでそう感じたのかわからないが、ふとそう思ったのだ。聞きようによれば、わたしに関わってくださる方が幸せであればいいというのは、この上ない利己主義のように捉えられるかもしれない。しかし、そうではない。純粋に、ただ単純にそう思うのだ。なぜそう感じたのか、理由はわからないがそう感じたのは事実である。これを七夕に感じたのであれば、きっと短冊に記したことだろう。忘れないよう、代わりにここに記しておこうと思う。

7月9日(木)

 今日も一日暑かった!
多種多様多方面にいろいろ問題もあるのだが、ここには到底書けないことばかりだ!

7月8日(水)

急に思い立ち、先日公開されたばかりの『MW』を見に行く。理由は簡単、原作が手塚治虫だからだ。
何にせよそうであるが、見たい映画や読みたい本などは、前評判や評論の類は、極力見聞きしないようにしている。映画の場合はとくに「映画は映画」であって、「原作は原作」だと割り切って見ることにもしているつもりだ。わざわざこのような言葉を引っ張り出してくるのは、今回は映画にあまり期待していなかったということもある。
映画は、原作とかなり年代をあとにずらした設定がしてあるということのみ、うっかり知り得てしまった情報である。「期待はしていなかった」という意味では、期待どおりだったということになるだろうか。もしこの映画、原作の物語内容を知らないままで見たなら、つまり原作の内容をさっぴいて見たなら、いったいこれは何を言いたい映画なのか、おそらくわからないことだろう。

7月7日(火)

 七夕であるよ。短冊に願いを込めて何か書くにも、何も見当たらず。何かあるだろう!

7月6日(月)

 暑すぎて やる気にカラシ シロ耐えろ 今日は「寅さん」 お休みなり~

7月5日(日)

 朝から選挙に行って、ついでに預けていたクリーニングを引き取る。
 親戚が来るので、部屋を掃除する。あわただしく一日が過ぎ行く。

7月4日(土)

 暑すぎて 川を見るなり 座り込み 涼みながらも 話は続く

7月3日(金)

 金曜日には、なぜか疲れがどっと出ます。倒れるほどに。

2009年7月19日

和田勉を知らない子どもたち

7月18日(土)

 今日の稽古会場は岡田山ロッジだったので、有段者以上の稽古となった。場所が狭く、天井が低いからである。参加者は意外に少なく、少数精鋭であるのはいいことだった。しかし、ここは環境こそいいのだが、喚起が悪いようである。暑すぎて、稽古中盤から、脱出者続出であった。稽古のあとは、まぐろのように干上がっている姿が散見された。軽い脱水症状か、熱中症と思われる症状がみてとれる。

7月17日(金)

 何が嫌いって、注射ほど嫌いなものはない。歯医者もそれと同じくらい嫌いである。
 別に先端恐怖症でも何でもない。あの神経に触るというか、凍みるような痛みが辛いのである。最近世話になっている歯医者によれば、わたしの神経は、ことに歯については、ふつうよりも感覚が鋭くできているのだそうだ。そのくせ、我慢強いのか、歯の治療をするのに、最近まで一度も麻酔を打ったことがなかった。歯医者はそれを聞いて、たいそう驚いていたことがある。

 さて、事態は変化している。注射することになった。予防接種ではない。肘への注射である。実はひと月半ほど前から左肘を痛めていて、まだ治らっていない。全体的な痛みから、局所集中的な痛みに変わってきたが、曲げると非常に痛いのである。稽古しているとき、自らはその痛いほうの腕に気を配ることはできるが、組んでいる相手に向かって「こちらの肘は痛いのです」とお願いするのも、だんだん申し訳なくなってきた(それでも、できるだけお願いしているが。だって、そうでもしないと涙が出そうに痛いのである。しかし、いつもいつもそのようなことを言えると相手とばかりは限らない)。

 肘を痛められたとき、すぐさま三宅先生にも診てもらい、「十日で治します」とおっしゃってくださった。だが、思ったよりも事態がよくなかったのか、時間がかかっている。それに実際問題、稽古ではなく日常生活でもやや差し障りがあるので、注射して、そこからさらに治療を進めることになったのである。
 できれば、この場から逃げ出したい。注射はしたくない。でも肘は痛い。三宅先生が診てくださって、整形外科に連れてくださって、注射ということなので、我慢もしなければならない。来週がちょっと、いや、かなり心配である。

7月16日(木)

 内田先生が講義を覗きに来られる。実は今回、これが初めてのこと。この時間のあとに続く、「なんたらかんたら」という新しい講義で、今日の一回だけ担当されるため、早めに道場に来られたそうである。講義を見られているので、どことな~く緊張する。が、実際の講義状況を見ていただいて、いかに場所が狭いのかということを確認していただければ、ありがたいなあと思うのである。

 講義終了。
続いて内田先生による英語で合気道。通訳に(先輩の?)北川さん。
内田先生の「英語で合気道」は、初めて拝聴するような気がしたが、やはりそうであった。英語ではうかがったことがない。
 基本的な動きなどの再確認ができた。講義のあとには、急な演武会もあり、取り受け共にさせていただいた。肘も痛かったが、たいへん愉快な時間だった。

7月15日(水)

 暑い中、審査を行う。無事に昇級されてなによりでした。こんどは、もうすこし、涼しいころに審査をしようと決意。どうも夏の合気道は、良し悪しですね。

7月14日(火)

 フランス革命。ことしは、何百周年か記念だそうである。

7月13日(月)

 駅のホームには騒ぐ小学生たちの姿。
電車を待つ間、小学生たちの話題は、いくつかあったようだ。はっきりとしないのは、わたしがたまたま向かいのホームにいたためである。聞くでもなく聞こえてくるだけなので、逐一見聞きしているわけでもない。こちらも電車を待つ間、向かいのホームから、いろんなことばが聞こえてきたというくらいしかわからないのだ。

小学生たちの話題は、いつも間にか、ことばの末尾に「~べん」の付くものを言い合うことに変わっている。
小学生は、男女混ざって十名くらいだろうか。様子からして、帰宅途中のようだ。ホームで電車を待つ間、集まった生徒同士で必死に語尾に「べん」の付くことばを探している。
はじめのうちは、小学生のお約束か「男子べん」「女子べん」が出てきた。
続いて誰かが、「大阪べん」と言った。
それをきっかけに、各地から「関西べん!」「関東べん!」「神戸べん!」などが勢いよく飛び出す。なかには、「福島べん」や「名古屋べんだがね~」という渋い輩もいた。
しかし、そこいらあたりで彼らの語彙、つまりは方言「べん」ネタに尽きてきたのか、はじめに出た「男子べん」あたりから挙げて、ほかにないかと繰り返し確認している。

様子をぼんやりと見聞きしていたわたしは、ふと、まさか「和田べん」は知らないよなあと思う。そう思ったのとほぼ同時に、ホームにいた小学生集団の方から、大きな声が聞こえてきた。

「べーとーべん!」

なぜか一本取られた気がした。

7月12日(日)

 ひさしぶりのお休み。休みました。

7月11日(土)

 きょうもいちにち鬼のように暑く…カキ氷を食べようと思ったが、注文するころにはそれを忘れていた。

2009年7月27日

ウッキー夏の繰り言

7月25日(土)

 稽古のあと、ひろすえ氏に誘われて、天神祭を見に行く。
 お祭り自体は好きであるが、めっぽう人ごみに弱いので、これまで一度も天神祭というものを見たことがない。だから、どのようなルートで動き、花火が上がり、山車が大阪天満宮を往復するのかまったく知らない。さらにいえば、それが毎年7月25日に行われることもまったく知らなかった。
 
 心配された雨も上がり、会場近辺は、各地盛況の様子。
わたしは、稽古のあとなので、おなかが空きすぎて、たこやきが食べたくて仕方なくなる。ふだんの商店街には、これでもかというくらい、屋台が乱立し、ひとひとひと!でひしめいている。ところどころ、一方通行になっているので、移動もひと苦労。

ひろすえ氏の友人が天満宮の近くで事務所を開いているので、今回、そこにお邪魔することになっている(のを誘ってもらった)。移動するまでの間、念願のたこやきをはじめ、さまざまな宴会グッズをゲット。到着したビルの窓から山車を見物し、盆ダンサーズを眺める。こんなに楽をしながら見ていても、いいのだろうか。

さらには屋上から、花火を見る。
近隣のだれもかれもが、マンションやビルや屋上に登り花火を眺めている姿が見える。こうやって見ると、改めて大阪の街も多様な高さのビルがあるのだなあと思う。

天満宮までの道路は、相も変わらず結構な人だかりだ。けれども、こちらは悠々と涼しい部屋から、祭りの様子を眺めることができた。こういうのって、なんていいものだろう。おかげさまで、初めての天神祭をたいへん優雅に過ごすことができた。ありがたいことである。こんな楽しみ方もあるんだ。

7月24日(金)

 金曜日は暑かった!けれど収穫もあった!だからよかったよかったのだ!

7月23日(木)

 だんだんと夏休みが近づいてくる。
 とはいえ、ひとつひとつ丁寧に対していかなければならないことがある。
「今日から夏休みです。がんばって課題をこなしておいてください。ではまた次回」と言って、さっさと休みモードに入るわけにはいかない。
それにしても、梅雨はいつあけたのだろうか。

7月22日(水)

 日食を見る。皆既日食は46年ぶりのことらしい。
もっとも46年前は、現世においては存在のかけらすらなかったものだから、そのとき、どれほど日食フィーバーしたのかについて、まったく知らない。
それだけに、いや、それだからこそ、だろうか、今回の騒ぎはどうだろう。少々騒ぎすぎではないかと思う。先だって衆議院が解散したところなのも手伝って、日本のニュースは、朝からずっとそれしかないような騒ぎになっている。あるいは、日食だから、その影響を受けて解散したのかもしれないが。

 太陽を裸眼で見てはいけないというのは、小学生にだってわかる話だ。というよりも、理科の授業で最初にそのように教えられる。その教えを忠実に守り、わたしはこれまで、一度も太陽を裸眼で、じーっと見ることをしなかった。
 しかしながら今日、気になる空はちょうど曇り。ちらりと空を見上げると、曇っていたっていたおかげで、三日月のような太陽が見えてしまったのである。ちょうど11時ごろのことだ。日食メガネも持たないまま、じっとではないが、ちらちらと空を繰り返し見た。あああ、見てしまった、太陽を。

それは、部分であれ、皆既日食であれ、日食といわれるものをこの目でリアルタイムにはじめてみた瞬間であった。生まれて初めて見たとき、月と太陽に深く関連のある世界に住んでいることを改めて実感した。そして、広い宇宙のなかにいることを感じた。不思議な浮遊感に見舞われる。さて、次は26年後だそうである。

7月21日(火)

 今日はひどい雨でした。身体がしゃっきりしない。

7月20日(月・祝)

 祝日である。けれど、大学は休みではない。
この大学での前期の月曜日は、暦どおりに休んでしまうと、文部科学省より定められた講義回数15回に満たさなければならないという理由で、祝日返上で講義がなされる。この大学に限らず、どこの大学も何かしら似たような措置をとっている昨今である。まじめといえばまじめな話だ。世間は休みだというのに。
祝日改正法という法律をどこで決議したかはっきりとは知らないのだが、そこいらは文部科学省とは関わっていないのだろうかと思う。同じ国家なのだから、省庁なり府なりで、連結してうまく進めてもらいたいものである。
 というわけで、連休だ、三連休だ、海だ、休みだ、と言われても、いまいち、ぴんと来ない今日なのである。

About 2009年7月

2009年7月にブログ「ウッキーの浮き憂き日録」に投稿されたすべてのエントリーです。過去のものから新しいものへ順番に並んでいます。

前のアーカイブは2009年6月です。

次のアーカイブは2009年8月です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。