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2009年6月 アーカイブ

2009年6月13日

つゆのひぬまに

6月11日(木)

 一日の仕事を終えると、目がとろんとしてくる。読みかけの本も手にとれぬまま、まどろんでしまう。

6月10日(水)

 入梅したらしい。大雨が降る。傘がないと困るだろう程の雨。いちにちの仕事を終えると、目がとろんとしてくる。
 ところで、昨日の続きである。「鬱陶しい時季である。じめじめした頃である。こんなときこそ、誰かと話すことが心の支えになることが多い。ちょっとしたおしゃべりなんかで急に楽になることがある。このような実感があるとき、人間はやはり対話するものだなあとつくづく思う」と書いたが、かといって、話せばそれで両者がわかりあえるというものでもない。話せば話すほど訳がわからなくなることもある。と言いながら、話せば話すほど、互いに理解できない、折り合いのつかない箇所があるという相互の理解に及ぶこともある。うまくいけばそうなる。理屈の上では。
けれども、そうでないときのほうが多いかもしれない。とことんまで話すということができないという見解の相違が発見される。そんなとき、おそらく、それは感覚の違いがあるだけだろう。

6月9日(火)

 鬱陶しい時季である。じめじめした頃である。こんなときこそ、誰かと話すことが心の支えになることが多い。ちょっとしたおしゃべりなんかで急に楽になることがある。このような実感があるとき、人間はやはり対話するものだなあとつくづく思う。

6月8日(月)

 たまには非日常も必要であるのだ。

6月7日(日)

 あっという間に一週間。先週は長い日の連続だった。思い出すのにも時間がかかるくらいにあっという間。


6月6日(土)

 土曜日は暑い。汗がだらだら。もう夏が近いのだろうか。

6月5日(金)

 金曜日が時々憂鬱。どうもまだ身体が熱い。

6月4日(木)

 もくもくと木曜日。あちこちでもくもく働く。

6月3日(水)

 工夫を凝らしてみると、それはそれで前に進むこともあると実感。稽古法を変えてみたら、不思議なくらいうまくいった感触があった。な~るほど。その感触だけを大事に、その環境だけを大事しておこう。
夕方は、道場にこられている方の作品展を拝見しにいく。植物的な感触があっておもしろかった。

6月2日(火)

 まだ微熱が続く。身体の底から休めていない感じがある。

6月1日(月)

 土曜日に痛めた肘が気になっていた。今日、予約を取って、三宅接骨院で診てもらう。
 昨日の大会も、実は腕がうまく運ばなかったら(動かなかったら)どうしようと心配に思うこともあった。移動のとき、荷物を持つ手がいつもよりもきしんだのもたしかなことだったからだ。本番は、なんとか「動く」程度には、持ち直した。おそらく誰も気づいていなかったことだろう。
 実際に治療を受けると、やはり靭帯が少しのばされているとのことだった。のびた瞬間、ほんとうに何が起こったかわからないくらいに痛かった。急激な痛さと感じたとき、すぐさまその場を逃げればよかった。逃げずにしたのは、なぜだろうか。冷却はすぐさま行った。そのあと、稽古後も湿布で冷やし続けるのがよいと伺い、そうしていた。
 健康第一。何事も身体が資本である。危険な場所からは遠ざかるべし。最近会得した教訓である。

5月31日(日)

 下川正謡会の日。長~い一日である。
 ことしから会場が大阪に変わったので、これまであった神戸よりも客層が変わったように感じられる。お越しいただいたみなさま、ありがとうございました。この場を借りてお礼申し上げます。
 今回は、素謡『熊野』のツレ、仕舞『高砂』に出た。いずれも出番は午前中に終えてしまったので、いつものように朝から晩まで、気持ちを長く強いられることはなかった。だが、これまでの感触からすれば、ややゆったりし過ぎた感じもある。適度な間があるといいなあ。
 来年も大会は催される。それまでまた稽古しよう。死にもの狂いで。

5月30日(土)

 暑すぎる体育館だ。もう夏が来たみたいである。熱でふんわりしかかっているせいか、ひとがたくさんに見える。

5月29日(金)

 たった少しの熱が上がるだけでも、それだけで心身のバランスが変化するものなのか、時を追うごとに、実に細かい調整を身体が行っているのが感じられる。熱いなら熱いなりに変化しているかのようだ。
新型インフルエンザの影響もやや遠くへ追いやられた感のある街並み。マスクをして歩くと、やや時代遅れ的な視線が直接肌に向けられる感じがする。マスクの流行ばかりが、世間を圧倒している感触がして、それがまた気持ちが悪い。マスクをしてどこが悪いのだ。

2009年6月18日

いいもの見ました


6月17日(水)

 身体に興味がある。身体運用に興味がある。昨今は、それを半ば仕事として、生業として生きている。どういうところに行き着くのか、まだまだ先は見えないが、明るい未来であることには違いない。
 今日は、大学で舞踊専攻ひとびとのパフォーマンスを見せていただく機会があった。
これまでも、きちんとした舞台や公演として、そのパフォーマンスを観ることはあったが、クラスのなかで、ある動きを体系化し、組み合わせたものとして、一定時間それをじっと見るのは、今回が初めてであった。身体の使い方にとても興味深いものが多くあった。じーんと響く感触もあった。いいものを見せてもらったなあという思いが今でも強く残る。日々の身体の使い方において、ヒントとなることが散見された気がした。できることなら、いっそ学びたい。

6月16日(火)

 今日は本当に暑い。梅雨はどこにいっているのだろうか。
細切れのように読み続けている『1Q84』を、そろそろ読み終える方向で考えてみようかと思う。

6月15日(月)

 よろよろと起き上がり、よろよろと日々を過ごす。よろよろと稽古する。よろよろと杖がゆれる、よろよろと太刀が踊る。よろよろと歩く。

6月14日(日)

 ばったんきゅー。
さすがに昨日は楽しかったのだが、緊張もしていたようで、横になるままに。

6月13日(土)

 気になるお天気も何とか晴れ間を保ち続けている。
今日は師匠である内田先生の挙式、結婚披露宴の日なのだ。
驚くことに、その挙式披露宴にわたしもご招待いただいたのである。弟子として、粗相のないよう、きちんと背筋を伸ばし、美容院でセットし、いつもより少しヒールの高い靴を履き、ふだんとはおよそ縁遠い装いをして出かける。

昼前、下川先生の奥様と西宮北口で待ち合わせて近隣へ移動。界隈をご案内しながら、お話しつつ、昼食をご一緒させていただく。
その後タクシーで岡田山に移動。山の中腹に位置するソールチャペルで午後二時から式があるのだ。あちこちから、そのチャペルを、あるいはその姿をひと目見ようと、たくさんの人が式に駆けつけている。結構なひとだかりができている。
式は礼拝のかたちに則り、祈りを捧げ、賛美歌を歌い、静かに手を合わせる。いつもよく見ている場所なのだが改めて見るとたしかに厳かな雰囲気である。

式の後は、参列者全員で大学の図書館前で記念撮影。
とくに何も準備しなくても、そこかしこに階段があるので、こういうとき、とても便利なのだ。また緑麗しいこの季節の大学を一望できるグッドスポットでもある。
その後は、あちこちで記念撮影大会が始まる。


披露宴会場はホテルオークラ神戸。平安の間。
始まるまでの間は、ホテルのあちこちで休ませてもらい、愉快な時間を過ごす。
披露宴開始されるまでは、控え室で、参列者とわいわい会話や対話を交わす。
午後七時を少し過ぎたころ、前方左扉口から新郎新婦は「結婚行進曲」に合わせてご入場。
はじめに司会の我らが「谷口兄」さんのご挨拶があり、媒酌人のご挨拶と新郎新婦のご紹介に続き、乾杯の発声で、懇談会食が始まる。
新婦の高橋さんが小鼓方ということもあって、能楽師がたくさん参列されている。わたしもどこかの舞台でお見受けした先生方もおられれば、実際にお世話になった方もおられる。そのうち、ひとりの先生から謡曲『高砂』の「四海波」のご発声。謡えるひとは起立する。能楽関係者はもちろん立つ。正面向かって右側新婦の関係者がほとんどだ。わたしも一緒に詞章を合わせた(師匠のために詞章を暗証していた)。
そのあとは、ソプラノ歌手でもあられる斉藤言子&森永一衣先生による「歌の翼」のデュエット。たいそう見ものであった。録画しておけばよかった。
食事のあいだに新郎新婦の各テーブルへ気さくにご挨拶、記念撮影されている。まつわる方々からのスピーチなどが続く。これがどれも興味深く、面白く拝聴した。披露宴につきものの摩訶不思議な余興はどこにもなく、終始和やかな雰囲気でときは進められた。
ふつうなら列席者は新郎新婦とばかり写真を撮るのだろうが、そんなこととは関係なく、参列者は各地で歓声を上げ、ざっくばらんに名刺交換、写真撮影大会を勝手に始めていたのである。とても賑やかで、心地のよい式であったのはこのような様子からもうかがい知れる。
ほんとうに、いい式だったなあと思う。
ご結婚おめでとうございます。どうぞお幸せに。

6月12日(金)

明日は大事なお祝いの日なので、大事をとって休養。

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