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2008年11月 アーカイブ

2008年11月 1日

あ、光安さんだ!

10月31日(金)

 ハロウィンが日本にも定着しつつあるこの頃。世間は、10月はじめあたりから、いきなりパンプキン色で一色に染まっている。これが終われると、おそらく近いうちに、今度は緑と赤の色で埋め尽くされるのだろう。そう思うと、ちょっと気分が滅入る。オレンジも、赤も、緑も好きな色なのだけれど、それらが商業合戦、クリスマス商戦のたくましさのなかに巻き込まれていくかと思うと、それだけで、ちょっとつまらない色に見えてしまって、物悲しくなるのである。

 髪の毛を切ると、さっぱりした。伸び放題だった髪にさよなら。すっきりした。次回の目安カードなるものを受け取る。これを基準にして「また次回お越しください」と言うわけらしい。なるほどね。いい考えだ。年末までには、もう一度行かなくっちゃ。

 阪急沿線をあちこち移動して用事を片付ける。うまくいったり、確認できたり、空気を吸ったり。いろいろと、前には進んでいるな。

 夜、いま、『探偵ナイトスクープ』に出ているのは、元聴講生のミツヤスさんなのかどうかという確認メールが、これまた実は元聴講生のオーサコくんから届く(現在140Bにて絶賛活躍中)。慌てて番組をつけて、見てみる。どうやらミツヤスさんのようである。生粋の尼崎人であるオーサコくんにとっては、この番組に出ることは、とても高く評価されるらしい。メールの文面から察するに、とてもはしゃいだ様子が伺えたのは、実にほほえましい限りだ。

10月30日(木)

 今日は何があるだろうか、とわくわくしながら、息を切らせながら、山を登る。
 いつの間にか秋の肌寒さが身に沁みる頃になった。少し薄めのコートを羽織ると暖かい。

昼休み、秋の気配と香りを感じながら、学内を歩く。
少しずつだが紅葉しているのがわかる。探検中、大学のなかで、初めて訪れる場所があった。まだまだ未知の世界であるのだよ~。

 夕方には稽古。これまた楽しい。
全体に一日中、身体が浮遊したままだった。それは、股関節の不思議を感じたからかもしれない。そんな感じで、いつもの山を下山。

10月29日(水)

 身体が心地よく、心も楽しく、みなが愉快だ。

10月28日(火)

 デジカメで大学で写真を撮るつもりが、家に忘れてくる。残念。

10月27日(月)

 留学生が稽古に来てくれるので、毎回英語のレッスンを受けているような気分になる。使わなければ頭が錆びる。これを機会として、努めて話そう。

10月26日(日)

 祭りのあとの充足感と、祭りのあとの静けさと、祭りのあとの疲労感。

10月25日(土)

演武会二日目。招待演武のみなさんも増え、賑やか。
お天気もよく、観覧席も満員。立ち見が出るほどの盛会である。
 驚くべきいろんな技、おもしろ「さぬき」事件が起こりつつも、本日は師範演武まで、無事に、そして雄大に、つつがなく終了する。
少しの間をおいて、撤収作業にとりかかる。
 撤収作業に出続けているのもまた連続のことだろう(じつは結構好きなのよね、搬入出)。
 ばたばたと片付けたのち、打ち上げ会場となる内田先生宅へ移動。

到着すると、すでに第一陣は到着している。宴はもう始まっているのだ。乾杯。

さて、ここで追記しておけば、わたしはこのとき、最初の駆けつけ乾杯シャンパーンにありつけなかった。だが、このことではなく、実は別のことに、むっとしてしまったのである。「むっとして」しまった様子は、例によって、わかりやすく顔に出てしまったのか、先に到着組のやさしい姐さん方に、まあまあとなだめられる。
もちろんそれは、顔に出た「むっとして」いる状態が、おそらく誰もが想像されたであろう、最初のシャンパーンにありつけなかったことに「むっとして」いると判断されただろう。最初のシャンパーンにありつけなかった場合があるとすれば、そのときに出す表情と、見た目はおおむね同じに写ったであろうから。だから、なだめられながら、次のシャンパーンを注いでいただくことになる。しかし、本心はそれではなかった。「むっとして」しまった原因は、それではなかったのである。ほかにあるのだ。
まあ、打ち上げ会場を暖かく盛り上げるみなさまによって、あっという間にそんなことは忘れてしまったけれど(ということにしておくけれど)。

10月24日(金)

 演武会に出る。お天気がいまいちぱっとしないが、何とか持ちこたえた曇り空。
 今回は、記念すべき十回目の出場である。なかなか連続出場も難し(と思う)。
 同時に、連続十回目の準備作業に加わった昨日もある。もしかしたら、そのほうが記念すべき事柄かもしれない。
 技をかけるのに、お二方、受けをとってもらう。
 トリの主将演武から、一個前のお席をいただき、時間と場所を充分に味わいながら、技を行う。
 先生は対談の仕事が入り、今日の師範演武がなかったのが残念だが、明日の楽しみとしよう。

2008年11月 8日

そうだ、紅葉を見にゆこう

11月7日(金)

 「留守宅の犬を預かる」ための搬送のお手伝いをする。そのため、朝から阪神間をぐるっとまわることになる。
阪急を乗り継ぎ、徒歩で「犬を引き取り宅」へと向かう。犬とじゃれあい、ふたたび徒歩でモノレールの駅へと向かう。訪問先のお宅からの迎え自動車でお宅へ移動。お昼休みとなり、そしてまた徒歩で京阪、地下鉄、阪急と移動。予想外にぐったり疲れるいちにち。

11月6日(木)

 何かと身体がおもしろがる時期だ。いろいろと動きか感覚を試したくなる。
そもそも身体の使い方について興味が沸くのが今なのか、今だから興味が沸くのか。あるいは、たまたまの巡り合わせか。とそんなことを思う。しかし、まあ、なんですな。なんであれ、身体は楽しくおもしろいということをこれまで以上に感じ、少しずつではあるが、実践しているところであるには違いない。

11月5日(水)

 どうしようもなく本が読みたくなって注文する。

11月4日(火)

 今日も滅多と聞けないおもしろい話しが聞けた。やっほー。

11月3日(月・祝)

 ことしは手塚治虫生誕80周年ということで、記念したイベントが全国各地で開かれている。とくに本日3日は誕生日ということで、全国各地でイベントがほぼ同時に開催されているみたいだ。いくら日本国内といえども、同時にいくつも出かけられないので、宝塚の会場で行われたシンポジウムに参加する。
 題して、「手塚治虫生誕80周年記念 地域活性化シンポジウム『手塚治虫を越えて未来を拓こう』」である。事前申込に書いた三人の名前で行くはずだったのだが、残念ながら一人は風邪で欠席。二人での参加となった。
 第一部は基調対談「手塚治虫の苦悩と努力」として、手塚プロダクションの代表取締役社長の松谷氏とマンガ家松本零士氏が対談するというものであった。期待していたような刺激的な話は少なく、偏った思い出話が一方的に語られるという具合で、お二人が手塚治虫に関して語り合う場が少なく残念であった。
第二部はシンポジウム「マンガの未来を語る」であった。マンガ家を志す学生にエールを…送るらしい。途中で帰ろうかと思ったが、どのような反応を松谷氏や松本氏がなされるのかと、半分は興味本位で最後まで座ったままでいる。非常に疲れる椅子だった。

シンポジウムは宝塚市はもちろん、地元のテレビ局や放送局も協賛しているのか、会場はメディア媒体撮影機器が溢れている。11月24日のFM宝塚で、今日のシンポジウムの内容が放送されるらしいが、わたしのところからでは聞こえないのが残念。

夜、めったと見ないサンテレビで韓国ドラマをしていたので(それもいきなり最終回)、なんとなく音が欲しいのもあり、発音レッスン代わりに流し目で見る。続けて、ニュースの時間になると、話題のひとつに、今日のシンポジウムの様子が放送されていていた。おおっと驚きながら見た。さらに驚いたのは、どこかで見たことのある姿があったことだ。歩いている自分が映っていたのである。ああ、いつの間に!テレビに出てしまったのだ。

11月2日(日)

 演武会にお邪魔する。ことしも司会、演武、特別演武の受けで登場させていただく。
 一年のうちに、いろんなものが成長していたり、いろんなことが変化していたりで、なかなか面白い時間であった。

11月1日(日)

 十一月になる。そうだ。紅葉を見に行こう。

2008年11月17日

紅葉の岡田山

11月16日(日)

 小学校時代からの友人の誕生日だったと思い出す朝。なぜ思い出したかというと、カレンダーを見たからでもあるが、夕べ見た番組に、顔がそっくりな芸人が出ているのをみたからだ。しかし本人には一度もそのことを告げたことはない。

 市長選挙があるので、夕方とことこ歩いて選挙会場へと向かう。現市長の氏名を最近フルネームで知った。次は誰がなるのだろう。なんでも今回は、史上最多の候補者数だったらしい。明るい未来でありますようにと投じる一票。

11月15日(土)

 今日は大学で稽古。
 紅葉シーズンに、ここでの稽古は何よりも心地がいい。これで道場が広ければ、さらにいいのだが、文句は言うまい。
 本日は入試のため、学内が少々静けさのなかにある。入場規制のなか、そーっと大学に入る。そーっと稽古する。
帰りには入試も終わり、紅葉を愛でながら、歩く。
今しか見られない景色があちこちに散見される。せっかくなので、デジカメで撮ってみる。多用する初めての秋。

11月14日(金)

 あまりに体調がよくないので、すべての予定を取りやめ、心新たに家事に邁進する。
 まずは布団を干し、部屋の掃除機をかけ、洗面所を磨き、トイレの掃除をする。その間に洗濯ものを回す。何度もごみ出しに行き、洗濯機は三回ほど回したので、その分を干す。そのうち、だんだんと部屋が整っていく。いらいないものは捨て、机の少しだけ配置換えをする。皿を洗い、台所の掃除をする少し手前で日が暮れる。そして、疲れ果てる。
 炬燵も出したので、鍋にする。材料を買いに行く。ついでに、あんこも買う。最近、近所におはぎ屋が開店したようだ。あんこ好きにはたまらない。とくに、こしあんが好きで、丁稚羊羹なんて大好物ね。ということで、おはぎもいくつか買う。


11月13日(木)

 微かな靄がかかったみたいに頭のなかがうすらぼんやりしている。何をしようにもやる気が出ない。薬を飲もうにも飲む気がしない。ただただ頭がしゃっきりせず、凡庸な痛さが頭の中をかきむしる。
 こんな頭痛は久しぶりだ。

11月12日(水)

 道場に立つと、いっぺんで自身の呼吸が浅いと気づく。鼻づまりを起こしているから、きっとそのせいだろう。深く息を吸い込んで静かに吐いてみる。夕方まで稽古を続けるうち、深深と夜は更けていく。寒い。

11月11日(火)

 昨夜、家に戻った頃から、またもや頭の内部で、それも遠くで、頭痛がしていた。気のせいだろう思い込み、早めに休んでみたのだが、翌朝目が覚めてもまだ頭が痛いのである。加えて、鼻水鼻づまりまで起こしている。ついには悪寒までしてきたものだから、ああ、風邪だなと観念する。
 今日は思い切って休む。明日に備えて休みにする。休むのも結構勇気がいるものだ。と思ったとたんにがさごそと読みかけの本や読みかけのページや気になる動きについつい目が行ってしまうものだから、風邪が治る暇もあるようでない。鼻声。

11月10日(月)

 板間に素足で4時間もぶっ続けでいるというのは、よくよく考えてみると、身体によくない。寒いようだ。
もう身体が慣れっこになっているので、あるいは身に沁みているので、さほど気にはしないのだけれど、気がつけば寒い。ときには、それがどうした、の状況のときもあるが。いや、幼い頃からそうだったのかもしれない。

冬になると決まって、「さむいさむい」を連発して言う子どもたちがいた(って同じクラスの子だが)。「さむい」と身体が感じることを、そのまま素直に言うのはいい。それが数回なら許そう。事実わたしも言ったかもしれない。だが、「さむい」を何度も何度も、ひどいときには、一日中そればかりを口に出して、繰り返してばかりいるのを聞かされていると、(いいかげんにしてくれ!)と思うほうの子どもでもあった。わたしは。

口に出して言っている方は、別に誰かにそのことばを聞かそうと思って言っているのではなかっただろう。けれど、聞こえてくるのだ。「さむいさむい」が教室中で。もし、一日中言い続けて暖かくなるのなら、どうぞ好きなだけ言うがよろしい。だが、事実はそうではないのだ。「さむい」どころか「うるさい」だけなのである。

そういうふうにして、ときどき、やや物事に斜めに構えるふしのある子どもであった。しかし、それを声に出すこともなく、静かに心のうちで抱えていた。表現力に今ひとつ欠けるところが難点である。感じないのではない、表現が下手なのだ。

 表現が下手なのは、いまでもそうだ。「さむい」の話はまだしも、ほかの場面でも言えることだ。時折そんな傾向が災いして、結果的には損をしている。おそらく周囲のひとびとにとっては、何も言わないわたしは、「ただ押し黙っているわたし」であり、「何も感じてないわたし」であり、「静かなわたし」でもあり、見た目には同じように見えるからだろう。感じていることとことばが、表に出たとたんに、ちぐはぐになる。思っていたのはこれではなく、感じていたのはそれでもない。感情と表現とずれ。そんなもんでもないな。ときにはまったく逆のことが口から出てくる。単なるもどかしさだ。ジレンマなんてかっこいいものではない。

感じていることを感じているふうに、そのままに表に出せないことが招いた結果は、だいたい決まっている。わたしというものについて、まるで望んでもいないような誤解を相手に与えているのは、そのためだ。
たとえば、何かひとつの出来事があって、あれこれと思案したり、考えたり、話題にしたり、意見したり、笑いあったりすることがある。「聞き手」に徹しているときは、それで静かに相槌を打ち、「話し手」のことばを逃さないように聞くのもいいのだろうが、「聞き手」ではないので、何か言いたいことがある。でも、間が悪かったり、ことばに詰まってしまったり、感じていることがうまく伝わらなかったりで、あとになって、「あのときはこんなふうに感じていたのだ、思っていたのだ」ということが相手に知れるとき、だいたいは、表現が下手であるばかりに、十中八九、相手は驚くことになる。「え、そんなふうに感じていたの?」と。そうして、さらに、(まさかそんなふうに、繊細に、細かいところまで感じることができていたなんて、思いもよらなかった。気の毒なことをしたね。仏頂面なので、そんなふうに感じていたなんて考えたこともなかった。誰にもそれがわからなかったよ)とでも言わんばかりの表情を浮かべる。しかし、このような過去の出来事を、先の未来で伝えられるほど、つながりのある相手ならいいが、そうでない場合、一生誤解されたままとなる。それは悲しいね。

「ただ押し黙っているわたし」も「静かなわたし」も、相手がどう思うか、宛先は誰かということを想定した場合、ぐっと感情を抑えてしまうところがある。言えないのではなく、ただ押し黙って、ぐっと感情を押し殺してしまうところがあるのだ。敢えて言ってみるなら、言えないのではなく、言いにくいのだ。述べにくい状況によって、声が出なくなるのである。

そういえば、そんなこと、すこし前にもあったなあと、ふいにその状況が思い出されて、自分が情けなくなってきた。
 思いっきり表現したいのだ。今宵はなぜか、そう思う。素直にわたしの思いを表に出したい。意見を述べたい。などと書いてみると、思春期の高校生のような、未成熟な中身であるなあ。
 言いたいのはこんなことじゃないのにね。

11月9日(日)

 雨は上がり、風邪の調子もだいぶよくなった(ように思う)。
 薬を飲んで稽古に出かける。ほんとうは、薬を飲んで行くのは、よくない状態なのかもしれないのだろうが、稽古を休むのは、わたしにとって、もっと身体によくないことなのである。だから、いずれかを選ぶのならば、迷わず薬を飲むほうを選ぶ。
 充実した時間帯でたっぷりの稽古内容。おもしろかった。
 こういうときは、頭が冴えていたら、もっとよかったのだろうけれど。身体が時間内を維持できたことに感謝しよう。

11月8日(土)

 ひさしぶりの土曜日。それも稽古のない土曜日である。
 休みなので、早朝から山登りに行く予定にしていた。だが、朝から生憎の雨。山上の雨は慣れぬ者には、ときに危険をもたらす。ということで中止の報が伝わる。(同時にすぐさま、それでも登りに行きたい兵どものためのコースも用意されるとの連絡も入る)。昨日から喉の調子がいまいちなわたしは、大事をとり、いちにち、うちで過ごすことにする。
 まずは、登るときに食べるためにと炊いたごはんとしゃけを中心に、ごくごく簡単な朝食を摂る。山上で配る予定にしていたチョコレートも食後に食べる。
時間と共にだんだんと喉が痛くなり、鼻水が激しく出てくる。目の前がくらくらする。完全な風邪の兆候だ。薬を飲んで寝る。またむっくり起きて、ご飯を食べ、鼻水をたらし、鼻水をかんで、薬を飲んで寝る。これを何度か続ける。
 思ったよりも身体のなかは疲れが溜まっているようで、きょうはいちにち、溶けるかと思うほど、ぐったり横になっていた。朝寝と昼寝と夕寝と夜寝ばかりしていた。そんなひさしぶりの土曜日。

2008年11月27日

脱・風邪ひきの日々

11月26日(水)

 合気道をしていると、ほんとうに風邪が治る。
 合気道をしていると、ほんとうに風邪をひく。
 合気道をしていると、ほんとうに風邪をひいていることを忘れる。
 それは合気道をしていると、ほんとうに身体が敏感になるからだろうか。

11月25日(火)

 月窓寺の朝稽古にお邪魔する。
昨日約束した駅で、ブル~ノを待ち合わせる。
てくてくと三人で道場へと向かう。
朝稽古にお邪魔することができた。そのことだけでも感激だ。充分にたっぷりとその場を味わうように、稽古させていただく。帰りの時間もあるので、早めに道場をあとにすると決める。
多田先生や諸先生方先輩方に挨拶してお暇する。
駅までブル~ノと一緒に向かい、また会いましょう、神戸にも来てねと挨拶して手を振る。
 
お天気も、気分もだんだんとよくなってきたので、近くの井の頭公園を散歩することになる。
黙々と歩いても苦にならないほど豊かな木々が生い茂っている。
「こんなところなら住んでみたい」とはヒロスエ氏の声。
静かで、それでいて悪くない。
空気もいいので走っている人も大勢いる。
かの有名な三鷹の森のスタジオジブリが近いことを知り、付近まで歩く。概観だけちらりと覗く。予約をしていないし、これほどまでに近いと想像していなかったので、表から少し見るだけで戻ってくる。
公園を歩きながら、井の頭公園駅へと向かう。
電車に揺られて、空港へ。そのまま、ひとっととびで西宮まで戻る。近くなったものだ。しかしながら、飛行機での東京-大阪間の移動時間と、バスで伊丹空港-西宮間の移動時間がほぼ同じというのが何とも不思議な印象を受ける。日本は狭いのか、広いのか。

11月24日(月・祝)

 自由が丘道場の気の錬磨・剣杖特別稽古に参加する。
 同行のヒロスエさんと共に、東京は目黒区の体育館へと向かう。
体育館まで歩いていると、前を「ややっ、あの後姿は!」と思える人物が見えてきた。声をかけると、やはり、それは、あのブル~ノであった。
ブル~ノさんは、近く来日されて以来、自由が丘道場で稽古されている。この日の稽古会で会いましょうねと約束していたのだが、こうまで早く、会場までの道すがら、会えるとは思ってもみなかった。感動の再会である。

 多田先生による稽古が始まる。
 今回は5時間と聞いていたので、どんな流れになるのか想像もつかなかった。長いのだろうかという心配をよそに、まったく疲れることなく、むしろ身体がよくなって戻ってきた。ずっとそのまま稽古していたい気分だった。呼吸をし続けていたい心地だった。

 合気道は、気の感応によるところが大きいということを、今回またさらに、身をもって実感した。稽古の内容は、それだけではないのだが、それだけでもよかったとも思う。あの場にいられたことで、ことばにはならない充実感と、あの場でしか感じられない、なにかとてつもなく大きさのようなものがあることを肌身で感じた。
 感じるばかりではなく、どういった動かし方がいいのかといったことや、呼吸法や稽古の仕方について、また一段と深く感じ、考える機会をいただいたと思う。このような機会に恵まれたことに本当に幸せに思った。

 稽古会では、窪田先生、坪井先生、今崎先生、菅原先生にお会いできたし、ご挨拶することができた。自由が丘道場や月窓寺の方々、気錬会の方々にお顔を覚えてくださっていたので、ご挨拶することができた。またいくらかのお話もできたのは、ほんとうにありがたいことだ。合気道によるつながりを一層うれしく感じ、すばらしいご縁をいただいているのだなあと、心からそう思った。
 来年も、この稽古会には、ぜひ参加したい。

11月23日(日)

 特別稽古と審査の日。出かける三連休の二日目。
 稽古は、すっきりとおもしろかった。
審査はどの方も落ち着いた様子で、たっぷりと演武されていた。

11月22日(土)

 三連休の初日も相変わらず稽古から始まる。
 今週はじめの身を切るような寒さを思えば、昨日今日あたりは落ち着いた寒さに戻っている。そうか、今週はじめが異常だったのかと改めて思う。

11月21日(金)

 阪急西宮ガーデンズなるものが来週から、阪急西宮北口駅前にオープンする。阪急西宮スタジアムの跡地の再開発である。
西日本最大級を掲げ文句に、開発された場所には阪急百貨店はもちろん、専門店、飲食店、映画館、イズミヤなどが入るようだ。
 いま、プレオープンをしているらしく、どんなものだろうかと少しだけ出かける。まださほどにひともおらず、するすると見て歩くことができた。せっかくなので、記念に阪急百貨店のポイントカードに入会する。ついでにジョーシンでは開店記念の醤油までいただく。いただいたものは、みんなで分けたほうがいいので、夜、人に会うついでに、差し上げる。

11月20日(木)

 いつものように身体を動かす朝。心地がいい。膝を抜いたり、うまく力を取り除いたりしながら、バランスを保つ。身体の内部を観察する。

11月19日(水)

 突発的なくしゃみに襲われる。何をしていても頭がボーっとする。鼻のかみすぎで、鼻の下が真っ赤になる。喉も頭も痛くない。薬を飲んでもちっとも効かない。

11月18日(火)

 むむむ。なにやらいやな予感がするぞ。悪寒じゃないよね。

11月17日(月)

 先週うっかり風邪をひいたので、今週は胴と腰の周りにタオルをぐるぐる巻きにして挑む。「腹巻」とか「さらし」の要領である。「す巻き」の要領でもあるかもしれない。ありものを使っての代用である。しかし実際、これだけのことで暖かさがだいぶ違った。身体が筒形に見えたなら、今日はそのせいもあるでしょうか。
もっとも先週が今週よりも寒かったというのもあるだろうが、予防法としてできることはなんでもしておきたい。歌の発表会なんてのもあるわけだし、本番前から身体づくりはしておかねば。

About 2008年11月

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