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2008年12月 アーカイブ

2008年12月10日

風邪なおんない

12月8日(月)

 講義を終えて、ソッコーで大阪へ。
今日は養老先生と内田先生の対談を拝聴するのだ。
 この日が来るのをとても楽しみにしてきた。
いつもと会場を変えて、今日の対談は大阪会館にて開催される。ざっと300名ほどが拝聴されたとか。友人のトガワさんのおかげで、最前列ど真ん中で拝聴させてもらえた(いつもありがとうございます)。
共著『逆立ち日本論』からしか伺えなかった先生方の話は、実際にナマで聴いてみると、これまた俄然おもしろかった。なにがどうっていうことは、直ちにことばでは言いにくいのだが、その場にいることの大切さを改めて実感した次第である。また、いまは、なんだかわからないのだが、合気道にも通じるような論点がちりばめられていたようにも思う。
改めて間近でお聞きして感じたのは、養老先生の声って素敵だなあということだ。どうやって発声しているのかと思うくらいに声がいい。ことしは運良く、ナマ声で養老先生の対談や講演を三回もお聞きすることができた。すごいことだ。
いつかサインをもらいたいな。そうしたら、すごい本になるのだ。たぶん。

 そして内田先生からは、打ち上げのお席にもお誘いいただいた。ありがたいことである。ありがとうございます。これからも精進しますと決めた夜。

12月7日(日)

 明けて日曜日。昨日は日帰りツアーだったにもかかわらず、すでにわが部屋が懐かしい。
 午後からの稽古に間に合うように支度して、稽古場へゴー。

 道場に入るなり、ほこりにやられたのか、鼻がぐずぐずしてきた。くしゃみが出て、鼻水が顔をたれる(きたないなあ)。
 稽古が終わるころには治るだろうと思ったが、そういうこともなくただただ頭がぼんやりしてくるだけ。身体は大丈夫なのだが、鼻近辺がゆるゆるする。
暖かいラーメンをすすって、暖かい風呂にでも入ろう。

12月6日(土)

 今崎正敏先生の主宰される桜台合気道クラブ創立十五周年記念演武会に出かける。
 今日は内田先生ご都合が合わなかったので、その代参である。
 朝早く、新大阪駅で、同行のヒロスエ&サキちゃんと待ち合わせて、いざ横浜へゴー。
 昼前に現地横浜市内に到着し、早速受付を済ませる。気の早い同門の方々は、すでに受付し、更衣などを済ませて静かに座っておられる。こちらは遠方からなので、時間に余裕を持たせて到着したのが奏功したのか、まだ参加者の少ない場所でゆったりと着替えることができた。先に関東入りしていたノハンナとも合流。

 着替えると使い捨てのスリッパが用意されており、更衣室にはマットが敷かれていた。演武会場は、まるで舞台かなにかのようなつくりであった。
正面向かって右側に来賓の方々の席、向かって左側に司会と桜台合気道クラブの今崎先生の席が設置されている。その双方に挟まれる形で畳が敷かれている。つまり、部屋の中央ど真ん中で演武させていただくといったつくりだ。われわれもまたそこで演武をした。
会場は、団体各自の席が決められており、椅子が置かれていた。誰もがそこに座って、首や身体をよじりながら、各団体の演武を拝見している。われわれもまた同じように身体の向きを変えて舞台を見る。

 少年部は、すごくたくさんの稽古を、おそらくこの日のために積み重ねてきた感じがしてとても新鮮でよかったし、桜台合気道クラブの一般の方も、たいそう心地よく迎えてくださった。受付の方も、案内の方も、そのほか細かいところの気配りいただき、心地よくすごさせてもらえたことはとてもうれしかった。ありがたいことだなあと感謝する。

 座席が招待演武者の一番後ろだったので、隙間から身をよじりながら、多田先生の総合演武を拝見した。10分ほどの時間だったので短くもあったが、それゆえに端的におっしゃっていたことが、「わかる」方向で感じられた気がする。

 演武会終了後は、崎陽軒に場所を変えて祝賀会へ。
 崎陽軒は今年で創業100年らしい。100年も前から、日本人はシュウマイを食べていたのか、と今更ながら驚く。
 主宰者の挨拶、ご列席の方々の挨拶を伺い、乾杯。
ぱくぱく、もぐもぐと食事をいただく。おいしい。来る前は、全面シュウマイに埋め尽くされるのかと思っていたら、そんなことはなく、おいしいイタリアンや豚肉、杏仁豆腐、果物など、これでもか!というくらいに豊富な食材が並べられていた。立食形式で、お開き後にも食べ物がまだ残っているというのは、たいへん珍しい光景である。

 次から次へと運ばれてくる食事を皿に盛り付けながら、そろそろ出番かと静かに落ち着かせて祝辞を代読する。大過なくすごすことができてなによりだった。

 お開き後、今崎先生や桜台合気道クラブの方々にお礼を申し上げ、関西へと向かう。

 どうもありがとうございました。たいへん楽しかったですし、たいへんおもしろかったです。おいしかったです。また次の機会を楽しみにしております。次回は20周年でしょうか。そのときは、師範の内田先生とお供で参りたいと思います。

12月5日(金)

 夜は、近所の芸術文化センターへメサイアを聴きにいく。
 大学の音楽学部の定期演奏会だそうで、この演奏会で4年に一度はメサイアを歌うらしい。斉藤言子先生の声が聞き惚れるほど、すばらしかった。
 演奏が終わるころには、表は頬をさすような冷たい風になっていた。

12月4日(木)

 静かに過ごす。稽古する。

12月3日(水)

 深く呼吸をして、しっかりと生きていきたい。それが生きるということなのだろう。

12月2日(火)

 実際には昨日から大学のクリスマスシーズンに向けた電飾がきれいである。アドベントになると飾られるのだ。

12月1日(月)

 12月になった。ついにことしも最後の月間を迎えたわけだ。
2008年の次は2009年なので、2000年の一ケタ台も来年が最後ということになる。2000年というのは、それはもう前世紀のことになるのだね。2000年になったころは、「2008年のわたし」なんて想像すらしなかった。ましてや「2009年」なんて。ああ、早いのか、遅いのか。あっという間に感じるほどの充実した月日を送っているように感じられる。

 12月になった途端恒例の断水。午前中に2時間ほど水が止まる。
予めポットや鍋や洗面器に水を用意するように促されていたので、そうしていたようだが、運良く使うことなく時が過ぎた。
 


11月30日(日)

 夜半、原因不明の胃痛に襲われる。鈍痛。

11月29日(土)

 大根鍋を囲む。
大根を大量に要するので、大根の甘い冬がいい。夏の大根は辛い。まあ、夏には、あまり鍋はしないものなので、時期を指定することもないのかもしれないが。
 すりおろした大根を土鍋に入れる。油などは必要がない。豚をしゃぶしゃぶとして赤味が消えた頃合を見計い、鍋から取り上げる。このとき、さりげなくおろした大根と共に豚肉を取るのがポイント。今回はポン酢ではなく、旭ポン酢でいただく。器にもった豚肉には葱も忘れずに。うまい!
 適度におなかもふくれてきたら、白菜、白ねぎ、春菊、えのき、マイタケなどの野菜も投入する。豆腐や糸こんにゃくも入れる(今回は「マロニー」を使用)。ざくざくとお魚類も投入。
 締めはうどん。こりゃあいけます。お試しあれ。

11月28日(金)

 先日オープンした西宮ガーデンズの一角にあるイズミヤに行ってみる。どんな感じで、ものが売られているのだろうかと視察してくる。
 想像通り、生活雑貨の大半は、オープンセールで売っている。
セルフサービスのレジがあった。おもしろそうなので、どんなのか試してみたくなったが、多くの人が列をつくって順番を待っていたので、普通に店員さんがいるレジに向かう。そのほうがやっぱり確実に早い。洗剤類を買う。

 夜、静かな部屋で集中して譜面をめくっていると、やや「千秋くん」のような気分になる。気分だけだが。

11月27日(木)

 肩取りはおもしろい。

2008年12月22日

いつもとおんなじ年末風景

12月20日(土)

 甲南合気会の稽古納めの日である。
 稽古納めののち、納会が執り行われた。

12月19日(金)

 学院クリスマス礼拝に参列。
賛美歌を歌う。きれいな音色のハンドベルを聴く。オーケストラの弦楽器の音が懐かしく響く。いつもと同じ場所が、この日だけはとくに輝いて見える、そんな夜。

12月18日(木)

 大学の合気道部の稽古納めの日である。
 稽古納めののち、静かに夜は更けた。

12月17日(水)

 三宅接骨院に行くといつもよく出会うおじいさんがいる。まったくの赤の他人なのだが、毎週顔を合わせていると、なんとなく知り合いのように思えてくるのか、どちらからともなく、会釈くらいはするようになる。道を譲ったりもする。でも、たがいに、名前も何も知らない。

12月16日(火)

 お能の稽古も本年稽古納め。
 いろいろと学び、わかり、実感し、細かいところをつめるばかりの一年であった。これからもがんばろうと思う。

12月15日(月)

 相変わらず、氷の上を歩いているかのような錯覚を起こさせる板の間で稽古。身体にあまりよくないように思われる。

12月14日(日)

 本年最後の多田塾研修会に向かう。
 ことし最後の研修会なので、ぜひとも行ってみたかったのである。
現地で内田先生にお会いし、とても安心した。昨日、関西で一緒に稽古後東京の自宅に戻ったカナピョン、数日前から現地入りして東京ツアーをしていたセトッチ、前日急遽研修会に行く気になったノハンナもいる。そして、本部道場初来訪のヒロスエさんも参加。

 ひさしぶりの参加で緊張するところもあったが、いつもの方々や、ひさしぶりの方々、いろいろな多田塾関係の方々にお会いでき、楽しかった。なんとも充実した稽古だった。やっぱり道場に知っている方が多くいるのはうれしい。
 研修会後は内田先生とご一緒させていただき、東京駅へ。
 合気道にいただいたご縁とその流れに深く感謝するいちにちであった。ありがとうございます。

12月13日(土)

 忙しく迎えた気がする土曜日。

12月12日(金)

 慌しく過ぎた気がする金曜日。

12月11日(木)

 もくもくすすめ。もくもくすすむ。

12月10日(水)

 それもまたいつもと変わらぬ水曜日であった。ただ一瞥しただけでは、「いつもと変わらぬ水曜日」であったと記しておこう。どちらかといえば、「いつもと変わらぬふりをした水曜日」だったかもしれない。なんとなく野菜を欲し、新鮮な野菜を求めて彷徨う。発作的に野菜を求める姿は、奇異に映ったかもしれない。ドレッシングを作る姿もまた。

12月9日(火)

 それはいつもと変わらぬ火曜日であった。一瞥しただけでは、「いつもと変わらぬ火曜日」が「いつもと変わった火曜日」であることに気づくまでに、いくらかの時間を要するくらいに、「いつもと変わらぬ火曜日」であった。
いつもと変わらぬ火曜日。
おそらく誰の心にも、目にもそう見えただろう。しかし、わずかばかりのズレから生じたきっかけが、いつの間にかボトルの底に残る澱のように沈殿し、静かに横たわっていた。そして、さらには、それは、水に溶けなかった食塩のようでもあった。ビンの底に薄く重く、重なり合って、残っている。

2008年12月28日

気忙しい年の瀬

12月27日(土)

 この時点で、年賀状を一枚も書いていない状況を半ば俯瞰的に眺めつつ、手元の作業を専念する。それは何かと言われたら、それはご想像いただけるとおり掃除である。
 正月の準備もしなければならないと同時に、忘年会も残る年の瀬は何かと気忙しい。

お風呂掃除だけは何とか前もってしていたので、今回の掃除からは除外するとして、さて何から手をつけようかと考えた。先日お掃除部隊に参加したせいもあって、「掃除したい」という気分だけは高揚している。しかしながら、わたしの場合は、部隊編成するにも劇団ひとりならぬ隊員ひとりなので、隊長と隊員と指揮官と親方とサブと傍観者とうっかりはちべいまで、すべてオールマイティにこなさなければならないので、ちょっとさびしい。そして一人何役もこなすのは忙しく慌しい。

 洗濯をし、布団を干し、こたつをあげ、部屋の電気の傘の埃を落とした。掃除機をかけ、シーツを変え、棚の物を移動していらないものは捨てた。そして、思い切って模様替えをした。それでもまだいくらか残っている。続きは明日だ。
昨日から一気に切れた。牛乳と卵と味噌と油などいろいろなものがいっきに途切れた。なんだか年末な気分だ。


12月26日(金)

 ようやく冬休みっぽい日が来る。ああ、まだまだ何もできていないのだという焦りをよそに、ガーデンズへ、贈り物を探しに行く。昨日と違って人も少なくっていい。

12月25日(木)

 クリスマスなのに雨が降る。
 それも予定していなかったので、カバンのなかには、傘がない。
 濡れて歩くには、ひどく降ってきたので、通り道にあった100均ショップで傘を買う。
 財布から100円を出すと、すまなさそうな顔をして、店員が「すみません、105円なんです…」と言った。慌てて五円を出した。

 クリスマスなのに稽古をする。
 突然稽古が足りないと思い、会員のみなさんに呼びかけてみたら、案外参加者がいて驚いた。通常とは時間が違うので、誰も来なかったらひとりで、あるいは、数人になるかと思ったけれど、そんな心配はよそに淡々と稽古できた。

 クリスマスなので、靴屋に行く。
 靴の底が余りにひどいありさまなので、新しい靴を買うと心に決める。
 気に入って履いているのは冬の靴なので、冬しか登場しない。かれこれもう数年履いているだろうか。ことしは、その靴底がだいぶ磨り減ってしまったようだ。これでは姿勢もいがむよというわけで緊急事態発生。靴を買ってもらう。

クリスマスなので、すき焼きを食べる。
 おいしい肉をいただいたので、すぐさま、すき焼きにした。わたしは、すき焼きは関東風に作るのが好きだ。というよりもむしろその作り方しか知らないのだ。あー、おいしかった。ごちそうさま。

12月24日(水)

 芦屋合気会の稽古納めと納会。
 ことしも一年無事に過ごすことができました。何よりです。来年も精進したいと思います。目標を持って。
 納会は大阪府内にて開催される。敏腕幹事さんのおかげで、参加率上々だった。ありがとございます。今年もお世話になりました。

12月23日(火・祝)

 お掃除部隊に参戦す。
ことしもタニグチ隊長率いるお掃除部隊が結成されるので、朝から内田先生宅に出かける。
参加者はタニグチ隊長、キヨエ&マサコ、ヒロスエさ、ムカイさん、トーザワさん、タカトリさん、そして、わたしの8名である。昨年よりも人数が増えたのと同じ場所での掃除が二度目というのも手伝って、全体に掃除の感覚がよくなり、捗っているかのように感じる。しかし、場所によっては非効率であるという印象が拭えなくもなかったので、来年以降の課題としよう。
なぜか楽しみにしていたので、そのまま楽しい日となってよかった。お昼のブレークタイムをとり、昼食や夕食を掃除しているみんなで輪になって囲んでいると、ふとその風景が、引越しか法事に集まった親戚のような錯覚を覚える。


12月22日(月)

 年内講義終了。寒かった。足が冷えて、今日も痛かった。年末の挨拶をして、試験日を知らせて、「では、よいお年」をと言ってみる。

12月21日(日)

 冬至。果てしなく疲れていたのか、夕べは気づかぬうちにとても深い眠りについていた。昨日は、稽古に来た人だけで、これまでの稽古参加人口最高値50人を超すといった事態が発生し、流れも人数もほとんどそのまま途絶えることなく、納会へと続いたものだから、幾分疲れたのだろう。何をするでもなく、ただ人の多い場所は身体が疲れることがある。満員電車みたいなものだ。

満員電車に揺られるのは疲れる。それは、電車に乗っている時間が長いからではなく、微弱ながらも継続的な人口の多さが、時に人の何かを疲弊させるからだろう。ときには、何かを損ない、途絶えさせるのだろう。ある人は、その疲労的な何かを身体で理解しながらも、頭で理論的に処理する。またある人は、その疲労的な何かをまったく理解していないふりをする。そしてまたある人は、疲労的な何かを身体では充分に感じていても、精神的にはまだまだ大丈夫と押さえ込んだり、気づかぬうちに、それこそ「気づかぬ」ふりをしたりしているのだろう。あるいは、そういった現状でしか生きられないことに制約をかける。それとも、生まれながらにそういった、人の多い環境で育ってきたために、いまさらそうでないことのほうが不自然になっているのかもしれない。おそらく、わたしは、今考えられ得る、これらのいずれでもないのだろう。では何か。何なのであろうか。深い眠りの原因は、一元的なものではないとも思われる。簡単に言えば、人酔いだ。

年々、何事も感じやすい身体に変化していることを感じることが多い。それは見えるものから見えないものまで。わたし自身の判断なので、ふつうによくあることかもしれないが、合気道をしているおかげか、もしかしたら潜在的な何かが、あるときふとしたきっかけで何かが呼び起こされたのか知らないが(外的要因による刺激によって表に出てきたのか)、常々、身体意識に変化が起きている。以前よりも物事全般が感じやすくなっている。身体内部の変遷とでもいうのか。もちろん外部からの刺激があって内的な影響が起こるのだろうから、その善悪は関係なく、外的な要因によって身体が何らかに変化しないのはおかしい。このときの「変化しない」とは「反応がない」とほぼ同義語である。内的な変化も変遷も刺激も、何かをインプットすることによってアウトプットされるものだろう。

とまあ、ごたごたと並べてみたが、要するに、わたし自身の身体の疲れが、文字通り見えぬところで、蓄積されていたようにも思う。だから、今日は遅くまで布団をかぶっていたのだろう(それも二度寝)。しかしまだ今年は終わっていない。あと、まだ少し講義があるし、道場の稽古もある。納会といくつかの忘年会とそのほか、掃除や年末行事も控えている。休んでいる間もないし、落ち込んでいる暇もない(まったく落ち込んでもいないが)。

 人情と義理と感謝によって自らが支えられていることを感じる年の瀬である。

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