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2006年9月 アーカイブ

2006年9月15日

さよなら夏休み

8月31日(木)

 何時も、夏休み最後の日は、悲しいものだ。「明日からまた学校だ」と思うだけで苦しくなる、あの辛く悲しい夏の日の最後を思い出すからだろうか。いつまで経っても、薄れないものである。ああいう思いは。
「明日からまた学校だ」
たとえ、その翌日の明日からまた休みであっても、切なく悲しい秋の風が頬に触れるそれだけで、心がきゅっと寂しくなる。


8月30日(水)

 産経新聞社の方が書かれた合気道の記事になったものをお送りくださった。密かに某所に届いていたので、受け取る。実際、記事のメインはわたしではなく内田先生なのだけれど、それでもうれしい。
この場を借りてお礼申し上げます。ありがとうございます。


8月29日(火)

 八月最後の火曜日になった。ああ、火曜日がががー。


8月28日(月)

 八月も最後の週になった。切ない。ああ、夏休みがー。


8月27日(日)

 昼過ぎ、疲れ果てて寝てしまった。気づいたときは、太陽は西の空に近づき、空はもう出番を失くしたみたいに静かになっていた。


8月26日(土)

 ことしも黄色いシャツの人たちがテレビに出ている。ここ数年は、ジャニーズ事務所関連の方々が司会をしているようだ。ちらっと見た今年。今年、出ている人たちは、もう新人類というか、完全に別世代な気がしてきた。


8月25日(金)

 八月最後の金曜日になった。ああ、金曜日がー。

2006年9月20日

九月になれば彼女は

9月9日(土)

今日も代稽古させていただく。
稽古しながらいろんなことを考える機会があるのは、実にありがたい。身体で感じた事柄を、どういうふうに消化させ、自分のなかに吸収させるか。これがとても重要で、大切なことだ。言葉にしなければ公共性は得られない(得にくい)。しかし、あるものごとを言葉にした瞬間からまた、自らが体験したことと遠くなる気がするときが少なからずある。言いたかった「それ」とは少し違う「それ」を言いたくて、だからまたそっと言葉を紡ぎだす。そんな三時間。


9月8日(金)

 日に日に迫る来週からの旅。
まだ、身体のどこかが緊張している。そんな自分がいる。


9月7日(木)木曜日の雨と友人。

 もくもく働いたその後、街に出て友人と会う。

江さんの『「街的」ということ』を読んだあと初めて出る街だけに、いつもと同じ街の景色が、いつもと違った角度で見えた。街ってこんな顔してたっけ。こんな通りあったっけ。こんなふうに嗜むものだったっけ。
街の歩き方なんて全然知らないわたしでも、断片的に見えたこと。それは「街はそこにある」ことだ。「そこ」がどこだと言われても「どこ」ってはっきり言えないのだけど。
しっとり雨音聞きながら、ぼんやり思う夜にはね。ちょいと野暮な質問よりも、あなたの傍で一杯のバーボン。


9月6日(水)

「阪急西宮北口から今津線に乗り換え、南へ二駅。終点の今津駅で降車。連絡通路を歩いて阪神電車の今津駅へ。阪神今津駅から西宮を経由で阪神芦屋駅到着」。

これは稽古に行くときに最近よく使うルートだが、今日は阪急芦屋川で下車して川沿いを歩いた。お天気もいまひとつだと思ったちょうどそのとき、偶然にもバスが通りかかったので、迎えられるかのようにしてそれに乗る。「阪神芦屋駅前」でバスを降車。
降車する際、数日前に買ったラガールカードをカードキーに通す。出てきたカードは、「定期券入れ」に入れる。これまでカードは、財布のカード入れに忍ばせていた。けれど、使う度に財布を取り出すのが面倒になってきたので、電車カード類と財布を分けて使うことにしたのが、これまた最近の話。

 停留所から阪神芦屋駅の西側にある体育館へ。
鍵をもらって柔道場を開ける。
 気づくと定期券入れがない。鞄のなかをくまなく探るがどこにもない。探しまくってもやっぱりない。ない!ない!ない!ないものはない!体育館の受付に落し物を尋ねてみたが、何も届いていない。
仕方なく、しかし慌てて、再び、今歩いてきた道を戻る。体育館を出て、通路の横を通り、駅の入口の前を通り過ぎ、バス停までの道のりを、目を皿のようにして歩く。探す。
もし落としたのだとしたら、バスを降りてここに辿り着くまでの間になる。いくぶん逸る心。再び体育館に戻りながら探すが、やっぱりどこにもない。すこし不安になる。
しかし不安になるより先に、紛失届を定期券発行先に出し、利用停止願いの電話。芦屋警察署に連絡し、紛失届を出した。そして、もうひとつは、大事な稽古。
着替えてすぐに稽古開始。不安に駆られてなどいる場合ではない。(さすがに稽古をしている間は、さすがに定期券入れのことは忘れていた)。

稽古後、帰りの駅のホームで警察署から、「見つかりました」との連絡が入る。ご親切な方に拾われた定期券は無事に届けられていた。すごく助かった。感謝の言葉のひとつも述べたかったが、「拾っただけだから言わないでください」というのが拾得者の条件とのこと。しつこく尋ねるわけにもいかず、とりあえずは警察に礼を言って、定期券を受け取り、その場を去る。
どなたかわかりませんが、ほんとうにありがとうございました。助かりました。

今日の教訓:定期券入れは使用しない。


9月5日(火)

 『青春漫画~僕らの恋愛シナリオ~』を観賞(出演:クォン・サンウ、キム・ハヌル)。

この二人は、『同い年の家庭教師』以来の共演。


9月4日(月)

 お能の稽古に行く。
来月の大会で取り組むものを、きちっと詰めていかねばならない段階だ。
「本番もそういう感じで、やりなさいよ」と、『紅葉狩』コレモチは褒められた。結構うれしかった。コレモチ同様、「あまり騒がずして」褒め言葉を頂戴したが。
仕舞は、まだいくらでも直すところはある。いや、あり余るほど。うーん。
 オーニシさんが装束をつける日にあたっていたらしく、そのお手伝いをした。能の装束をつけるその過程を見るのが、たいそう好きである。煌びやかな扇や大口、長絹、紐、鬘など、間近では余り見る機会がないものばかりだからだ。


9月3日(日)
 ドラえもんの誕生日だったので、どら焼きを買ってあげたかった。
 
 このところのヒット作。たいそう単純だが、ジャガイモとタマネギの味噌汁。味噌汁は、タマネギを入れると甘くなる。ジャガイモを入れるとちょっとまろやかになる。
どちらも予め細かく切ってから、だしをとった鍋に入れる。味噌を入れる前30分ほどコトコトと弱火で煮込む。弱火とはいえ、煮込んでいるうちは、目を離すと危ない。だから煮るときは、椅子に座って文庫本を開く。弱火なので、中身に集中しすぎても吹き零れることがないので安心だ。それに同じ本を読んでいても、子守より遥かに楽である。
煮込むことで、具財に火が通っていないじゃないかと叱られることもないし、硬い感じのするジャガイモをカリッと噛んで、その感触に悲しい気分になるとこもない。ジャガイモの生っぽい感じというのは、この世で何番目かにいやなことだ。短時間でも煮込むことで、さらさらといただくことができる。血液さらさら。
様子が気になって、途中何度か、鍋のなかを覗く。そうすると、必ずと言っていいほど、ベーコンを入れたくなる欲望にかられる。その思いに忠実に、急遽洋風スープに切り替える変わることも一案だ。実際悪くもない。だが、そこはひとつ、ごくりと唾を飲み込んで、我慢してミソスープ。イッツ・ジャパニーズ・スープ。味噌はもちろん、赤か合わせで。ほんの少しわかめも入れよう。うん、それでいこう。


9月2日(土)

すこしばかりの体力とすこしばかりの食欲で、ほかは何とかなるのかと。

 レンタル料半額で借りてきたアニメの「名探偵コナン」シリーズをざくざくと観る。本放送で前編だけ見て後編が気になっていた続きがわかったり、コナンの推理形式から何かが見えそうな気がしてきた。これはいけるぞ。きっと。


9月1日(金)

 九月。いきなり憂鬱そうな表情を見せるひとが多い。わたしもきっとそのひとりだろう。嗚呼。
九月。旅行の予定を遠い目で追う。嗚呼。
九月。隙を見て、「青春漫画」を見たい。試みるまでは少しの時間が必要だが、出発までには必ず見なければ。必ず。嗚呼。

2006年9月23日

切ない顔をみせたくないのさ

9月21日(木)

 古本屋に本を売った。そのお金で、ミスドに行き、ドーナッツを食べ、コーヒーを飲んだ。玉木宏の看板を見た。結構懐かしい味がした。


9月20日(水)

 道場は実験場なので、仮説を立てて実証してみた。結構検証ができたので、自分のなかでは収穫があった。それは。


9月19日(火)

 くいっく。散らかった部屋の掃除をしよう。
くいっく。自転車を失くしたことを思い出した。
くいっく。ちょっとした買い物も不便である。これじゃクイックどころかスローであるよ。
 自転車は、先日、帰国するとなくなっていた。
とりあえずすぐに合宿があったので、探す間もないまま出かけてしまった。
戻ってきてもやっぱりないまま。
旅先から無事に戻って来られたことに感謝して、これも人生の何らかの税金かと思うことにした。
でも実際、ないとたいへん不便なものであるよ。
ああ、自転車ほしーなあ。


9月16日(土)~9月18日(月)合気道秋合宿

 合宿初日の朝。まだ頭だけがどこかぼんやりしている。まるで頭の中も天気の悪い日の空みたいだ。しかし、考えてみればそれもそうだ。14日の夕方、韓国から帰国して中一日で合宿。しかもその中一日ですら、朝から晩まで、仕事やら予定があって、あちこち移動していたのである。ゆっくり休養する時間もない。せめてもの救いは、今回の韓国への旅が日程的には緩やかなものであり、肉体的には非常に楽だったことだ。だから、旅の疲れがあると言ってもたかが知れている。強いて疲れを言うなら、それは本来的な肉体に関するものではなく精神的なものに近い。そのほうが遥かに実質に近い。


合宿初日の15日朝は芦屋に集合となった。
時間に遅れないよう急ぐわけだが、空は生憎のお天気ときている。あまり慌てて転ばないように気をつける。天気が悪いだけならまだしも、今回はさらに台風接近ときている。集合場所にはなんとか傘を取り出す前に到着したが、このまま傘を使わずに合宿を乗り切れるだろうかと思う。フランスより帰国された久しぶりの内田先生にお会いする。あれこれとお話しさせていただくうち、合宿地神鍋到着。秋合宿の始まりである。

今回、稽古が始まってすぐさま気づいた大きな収穫がある。それは「畳が柔らかい」ということだ。ここしばらくは宿も変わっておらず、もちろん畳が変わった様子もない。だのに非常に柔らかく感じるのである。これはいったいどういうことだろう。「もしかしたら、ちょっとくらいは、わたしの身体が合気道を始めた頃(※)よりはましになったこともあるかもしれないな」などと一瞬は都合のいいことを思った。だが、どうもそんなささいなことではないらしい。とすれば?答えはカンタンである。それは内田先生のお力だ。先生がその場におられるだけで、畳さえもが柔らかくなるのである。その柔らかくなる感触が意識として、すっと身体に沁みこんだ。運良く稽古の最初の瞬間からですぐに感じたので、その後三日間はとても楽だった。さらには時間が経つほどに、畳はわたしの身体によく馴染んでいった。心地よく感じた。師を持つことの意味をまたひとつ大きく強く実感するのであった(合宿後、筋肉痛がどこにもないことからも重ねて実感)。【(※)打ち身、擦り傷は当たり前。頭は打つ、肩は打つ、膝は打つ。肘膝は痛いわ、おまけに顔に膝蹴りは喰らうわで、稽古の間、泣いてばかりいた。全身筋肉痛も当然のこと】。
 
次に気づいたこと。自身の快楽について。
今回は審査も何もなく、たいそう暇があった。だから、初日の夜は翌日の審査に向けて取り組む方々と、リハーサルに取り組んだ。「審査に出る感じ」を言葉巧みに再現する。そのいうときのわたしは、結構自分で自分を楽しんでいる。

 その次に気づいたこと。合宿三日目の昼ごはんが変わった。牛丼が出た。(おお、なんとタイムリー!)ここしばらく、合宿三日目の昼には奇妙な「味ご飯」(うまいのかまずいのか、辛いのか甘いのか、ほんとに何とも形容し難い味なのである)が出ていたので、それよりも数倍うまかった。

帰りのSA朝来では黒豆ソフトを舐め、駐車場でお互いに挨拶した。ここから神戸方面、姫路方面、宝塚方面と別れ、それぞれの帰路へと向かう。そのため、ここは、いわば車組にとっての合宿最後の出会いや別れの場所になっている。この次の合宿では、誰かがいなくなり、新しい誰かがやってくることもある(別に明日またすぐに会う人もいるんだけど)。そして合宿の終わりを告げるのである(別に次回も合宿はあるんだけど)。
これまでも何度もこの駐車場で写真を撮り、握手し、手を振った。いろんな時間を思い出した。思い出すうち、どこか切なくなった。切なくて哀しくなった。切なくて哀しい気持ちをさらに肥大化させるのは、やんわりと吹く秋風だ。こんなときの秋風は、非常に罪だ。なぜなら、切ない気持ちを倍増させるから。切ない気持ちを誰にも見せたくなくて、全員で挨拶したのち、すぐさまぽいっと車のほうへと向き直る。そして、ぶっきらぼうにその場を立ち去り、そそくさと車に乗るのが、いつものわたしだ。


9月15日(金)
 
 旅から戻った翌日は、旅に出かける前日だった。わーい。


9月11日(月)~9月14日(木)

 スタディツアーにて訪韓。あらゆるところから、非常に学ぶところが多く、刺激的な時間の連続だった(詳細は後日。ただいま更新中)。


9月10日(日)

 明日からの旅に備えて、朝から晩まで(11時から17時半まで)事前学習会。会場は西宮北口の大学交流センター。
まずはざっと慰安婦問題の歴史を概観し、最近の日本政府の動向、慰安婦問題についての記録と証言、関連するビデオ鑑賞、重ねてアウシュビッツの賠償事例、これまでのナヌム訪問の記録と記憶、水曜集会デモの様子のビデオ鑑賞、参加者の自己紹介、日本の侵略戦争についてなど、多方面に渡る内容をみていく。

2006年9月29日

ウッキー大学の先生になる

9月28日(木)

 先輩がいる前で技をして、先輩がいる前で受けをして、先輩がいる前で説明する。こういった稽古はカンタンなようで、なかなか難しい。わたし自身、あまり人目を気にせず物事を行ってしまうところがあるが、稽古ばかりはそうではない。技の解釈や仕様、取り組み方もあり方も違うし、やはり先輩は先輩なので何かと配慮すべき点も多い。それに最初に出会ったとき、いろいろなことを教えてくださった。その記憶は忘れていない。助けても頂いた。とても感謝している。だから、実験的なことを行うのは、こういった状況においては、なかなかできない相談なのである。


9月27日(水)

 「げげっ、やべー、うごけねえ」。
 近頃、自らの身体について、感想を漏らしたYくん(仮名)。日々わからないことを実感されているらしい。その「わからないこと」を発見する悦びに目覚めてもいるようだ。目覚めている段階で、おそらく自分の身体が、いま、どこにあるのかも、わかってくるものなんでしょう。

よくよく考えてみれば、身体(とくには肉体的な部分)とは、誰にとっても一番身近なもののはずなのに、一番遠くに感じることがあるものだ。近くて遠い親戚みたいだと思う。どこかで知り合いなのにどこかで知り合いじゃないみたいで、でもやっぱり知り合いみたいな間柄だ。だからといって、すぐ近くのさっぱりわからない他人と、近いからというだけの理由で仲良くする必要もないとも思う。親戚が近くにいることに気づけたら、何事もわかりやすいのにね。とにかく、わからない身体って、本当に不思議でおもしろいものなのだ。


9月26日(火)

 これまでの方ほうが無理なら、これまでと違う方法で試してみるのも、ひとつの方法じゃない?


9月25日(月)後期始まる。

 本日より後期授業開始。

 夏明けの日はいつも呆けた頭をもたげながら、どこかすかっとしない身体を引きずるようにして出かけていた。あの日々が懐かしい。
 
そんな後期初発の日の五限。講義をひとつ、受け持たせてもらうことになった。講義名は「杖道」。
こちらの心配をよそに、「おおお!なんだこりゃ」「なにしてるの~?」「ふーん。なんだろなあ」というひとが多かったのが、登録予定者は最低最高人数を軽く超えていた。道具が足らないくらいに繁盛している。おかげで講義は無事に90分が済んだ(と思う)。
今度こそ代講ではなく自身のデビューだ。 そして願わくば、やっぱりあのデビューを果たしたい。
いちにち知らず知らずのうちに緊張していたのだろう。講義が終わると、ふと、身体が楽になったから。楽になった身体で、「ようよう」と天に挨拶した。


9月24日(日)

 祖父の七回忌法要。
 ほんとの命日は明日なのだが、誰もが集まりやすい日を選んで、この日になった(らしい)。
 法要では親戚に会う(昨日も会ったひともいるが)。
 しばらくぶりに長時間一緒に過ごした親戚や家族といて、気づいたことがある。わたしの性格はよく「悪い」と言われる。(いえ、別にそう思うひとがいるだけの話であって、わたしの性格が良いと褒めてくださる人もいるくらい、世の中は広いのだ)。
「悪い」と判断される方の意見について、自身の実感を述べる。
ときどきくどかったり、結構しつこかったり、イヤミまではいかずとも、渋く攻めることがある。これは事実だ。ある種の「邪道」というのに認定されたくらい毒気が強い部分がある。
しかし、よく見ると、親戚連中はそんなひとばっかりだった。家系だったのですよ、これ。しかも母方の。その感覚が強く継承されているのは、祖父であり、母であり、わたしだったのである。わたしの予想では、祖父の父あるいは母、つまり、わたしからすれば曽祖父あるいは曾祖母のどちららかも(あるいはどちらも)、きっと、この手の性格だったに違いない。


9月23日(土)

 稽古を終えるとソッコーで大阪へ。近鉄特急に飛び乗り、三重へと向かう。明日、祖父の法事があるのだ。
前日の今夜は、親戚一同が介する食事会が催されることになった。それに間に合うよう、急ぐ。遅れると叱られる(だろう)し、バツが悪い。なにしろ我侭を言って、日にちを変更させたり、今日の集まりの時間を変えてもらったり、現地集合とまで言い張ったりしたのは、他の誰でもないこの私だからだ。だから、有言実行といこうじゃないか。それにあの、爺さんに似たんだよ。我侭は。


9月22日(金)

 自転車のない生活が、これほど不便なものだとは思いませんでした。
求む!自転車。どなたか譲ってください。ほんとに。いえ、真剣な話です。

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