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切ない顔をみせたくないのさ

9月21日(木)

 古本屋に本を売った。そのお金で、ミスドに行き、ドーナッツを食べ、コーヒーを飲んだ。玉木宏の看板を見た。結構懐かしい味がした。


9月20日(水)

 道場は実験場なので、仮説を立てて実証してみた。結構検証ができたので、自分のなかでは収穫があった。それは。


9月19日(火)

 くいっく。散らかった部屋の掃除をしよう。
くいっく。自転車を失くしたことを思い出した。
くいっく。ちょっとした買い物も不便である。これじゃクイックどころかスローであるよ。
 自転車は、先日、帰国するとなくなっていた。
とりあえずすぐに合宿があったので、探す間もないまま出かけてしまった。
戻ってきてもやっぱりないまま。
旅先から無事に戻って来られたことに感謝して、これも人生の何らかの税金かと思うことにした。
でも実際、ないとたいへん不便なものであるよ。
ああ、自転車ほしーなあ。


9月16日(土)~9月18日(月)合気道秋合宿

 合宿初日の朝。まだ頭だけがどこかぼんやりしている。まるで頭の中も天気の悪い日の空みたいだ。しかし、考えてみればそれもそうだ。14日の夕方、韓国から帰国して中一日で合宿。しかもその中一日ですら、朝から晩まで、仕事やら予定があって、あちこち移動していたのである。ゆっくり休養する時間もない。せめてもの救いは、今回の韓国への旅が日程的には緩やかなものであり、肉体的には非常に楽だったことだ。だから、旅の疲れがあると言ってもたかが知れている。強いて疲れを言うなら、それは本来的な肉体に関するものではなく精神的なものに近い。そのほうが遥かに実質に近い。


合宿初日の15日朝は芦屋に集合となった。
時間に遅れないよう急ぐわけだが、空は生憎のお天気ときている。あまり慌てて転ばないように気をつける。天気が悪いだけならまだしも、今回はさらに台風接近ときている。集合場所にはなんとか傘を取り出す前に到着したが、このまま傘を使わずに合宿を乗り切れるだろうかと思う。フランスより帰国された久しぶりの内田先生にお会いする。あれこれとお話しさせていただくうち、合宿地神鍋到着。秋合宿の始まりである。

今回、稽古が始まってすぐさま気づいた大きな収穫がある。それは「畳が柔らかい」ということだ。ここしばらくは宿も変わっておらず、もちろん畳が変わった様子もない。だのに非常に柔らかく感じるのである。これはいったいどういうことだろう。「もしかしたら、ちょっとくらいは、わたしの身体が合気道を始めた頃(※)よりはましになったこともあるかもしれないな」などと一瞬は都合のいいことを思った。だが、どうもそんなささいなことではないらしい。とすれば?答えはカンタンである。それは内田先生のお力だ。先生がその場におられるだけで、畳さえもが柔らかくなるのである。その柔らかくなる感触が意識として、すっと身体に沁みこんだ。運良く稽古の最初の瞬間からですぐに感じたので、その後三日間はとても楽だった。さらには時間が経つほどに、畳はわたしの身体によく馴染んでいった。心地よく感じた。師を持つことの意味をまたひとつ大きく強く実感するのであった(合宿後、筋肉痛がどこにもないことからも重ねて実感)。【(※)打ち身、擦り傷は当たり前。頭は打つ、肩は打つ、膝は打つ。肘膝は痛いわ、おまけに顔に膝蹴りは喰らうわで、稽古の間、泣いてばかりいた。全身筋肉痛も当然のこと】。
 
次に気づいたこと。自身の快楽について。
今回は審査も何もなく、たいそう暇があった。だから、初日の夜は翌日の審査に向けて取り組む方々と、リハーサルに取り組んだ。「審査に出る感じ」を言葉巧みに再現する。そのいうときのわたしは、結構自分で自分を楽しんでいる。

 その次に気づいたこと。合宿三日目の昼ごはんが変わった。牛丼が出た。(おお、なんとタイムリー!)ここしばらく、合宿三日目の昼には奇妙な「味ご飯」(うまいのかまずいのか、辛いのか甘いのか、ほんとに何とも形容し難い味なのである)が出ていたので、それよりも数倍うまかった。

帰りのSA朝来では黒豆ソフトを舐め、駐車場でお互いに挨拶した。ここから神戸方面、姫路方面、宝塚方面と別れ、それぞれの帰路へと向かう。そのため、ここは、いわば車組にとっての合宿最後の出会いや別れの場所になっている。この次の合宿では、誰かがいなくなり、新しい誰かがやってくることもある(別に明日またすぐに会う人もいるんだけど)。そして合宿の終わりを告げるのである(別に次回も合宿はあるんだけど)。
これまでも何度もこの駐車場で写真を撮り、握手し、手を振った。いろんな時間を思い出した。思い出すうち、どこか切なくなった。切なくて哀しくなった。切なくて哀しい気持ちをさらに肥大化させるのは、やんわりと吹く秋風だ。こんなときの秋風は、非常に罪だ。なぜなら、切ない気持ちを倍増させるから。切ない気持ちを誰にも見せたくなくて、全員で挨拶したのち、すぐさまぽいっと車のほうへと向き直る。そして、ぶっきらぼうにその場を立ち去り、そそくさと車に乗るのが、いつものわたしだ。


9月15日(金)
 
 旅から戻った翌日は、旅に出かける前日だった。わーい。


9月11日(月)~9月14日(木)

 スタディツアーにて訪韓。あらゆるところから、非常に学ぶところが多く、刺激的な時間の連続だった(詳細は後日。ただいま更新中)。


9月10日(日)

 明日からの旅に備えて、朝から晩まで(11時から17時半まで)事前学習会。会場は西宮北口の大学交流センター。
まずはざっと慰安婦問題の歴史を概観し、最近の日本政府の動向、慰安婦問題についての記録と証言、関連するビデオ鑑賞、重ねてアウシュビッツの賠償事例、これまでのナヌム訪問の記録と記憶、水曜集会デモの様子のビデオ鑑賞、参加者の自己紹介、日本の侵略戦争についてなど、多方面に渡る内容をみていく。

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2006年9月23日 18:31に投稿されたエントリーのページです。

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