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2006年8月 アーカイブ

2006年8月 3日

お稽古と温泉

8月1日(火)

 夕刻、神戸は長田神社の特設舞台にて薪能に拝観する。梅雨があけたばかりの八月は、案外と涼しい。去年ほどには蚊が飛び交う様子もない。
 7時も過ぎ、火入れが終わる頃には、静かに日も落ち、月もはんなり見えてくる。
 大蔵流狂言「清水」(太郎冠者:善竹隆司・主:善竹隆平)、観世流能楽「巻絹」を拝見。巻絹のシテ(巫女)が下川宜長先生だったのであるよ。
 薪能は何かいい。
表で「火を焚く」というのが、人間古来の感覚を思い出させるのだろうか。取り戻させるのだろうか。人間であることを感じる。なぜかはわからんが、ごそごそと携帯電話なんぞを取り出すほど姿ほど不粋なものはないと思わせる。そんな感じが漂う空間なのである。


7月31日(月)

 一夜明けて月末。今月末に限っては、せとっちの誕生日。朝からの仕事で、思いっきり現実に引き戻される。いや実際には、「現実に引き戻される感覚を取り戻す」と言ったほうが近い。日差しも近い。まぶたも近い。


7月30日(日)

 一夜明けて温泉。そうでなくっちゃ温泉。たまにはのんびり温泉。涼しい高原の温泉。そこは、また来たいという期待でいっぱい胸いっぱいになるちょっとした楽園。


7月29日(土)

 師範不在につき、代稽古。
今日で今週連続六日目の合気道稽古。求めていた理想像ではあるが、こう暑いと、へたっとするときがある。

 稽古を終えるや否や電車に飛び乗り、ソッコーでうちに戻る。
 予めまとめていた荷物を取る。忘れ物がないかだけを念入りに確かめる。思ったより重い。
予約してあったタクシーが来る時間だ。一路西宮そして新大阪へ。さらには新幹線のホームへ。自由席の列を作る。今日から温泉なのだ。

 朝を食べただけで、さっきまでの稽古のあとはまだ何も口にしていないことを思い出した。温泉地までも結構遠い。とりあえずおなかが減ってきた。新幹線の駅に来ると、なぜだかおなかが減るのである。あの土産物の景色に弱いのか。土産物の混じって現れる弁当屋が食欲を誘発するのか。とにかく駅弁を買う。電車に乗るなり中身は、がっつりと腹の中にしむことになる。またしても昼夜兼用のご飯になってしまった。「あなごめし」よりも旨い「うなぎめし」だったのが敗因か。あるいは、せめてもの救いか。

 食べると眠たくなってきたので、車中爆睡。
単純。
 先に現地に赴いている友人に、「今から行くよ」の連絡よりも先に、眠気の方に追い立てられてしまった。
コトコトと揺れる電車が心地よい。途中から仕事の夢を見る。


7月28日(金)

 あの子は辞書だ。(隠喩法)


7月27日(木)

 蒸篭の中の饅頭のような気持ちで、蒸し風呂にいるような気持ちで、稽古する。(直喩法)


7月26日(水)

 なにやってんだい、君は。(倒置法)


7月25日(火)

 よく働くパソコン。賢いテレビ。太陽が微笑む。(擬人法)


7月24日(月)

 なんとなくデジタル。(体言止め~引用)


7月23日(日)

 

2006年8月10日

びんびんそわそわ

8月9日(水)

 良い文章に触れるとそれだけで身体がびんびん来る。この「びんびん」ってのが肝心で、結構時間差を帯びてやってくる。じわ~とやってくる。だから数日前に食べた鰻の味を思い出すよりも、即効性は低い。


8月8日(火)

 台風7、8、9号が、いきなり三兄弟のようにアジア方面に近づいてきた。日本国内もすでにその影響下にあって、いわゆる暴風域が近づくところは、日々降雨量が増え続けている。こちら関西は、台風の接近とはいえ、うっすら曇る程度だ。雨もまだ降っていない。それでも風がいつもより強い。そして、その風は、いつもよりどこか生暖かい。二、三日前に感じたのと同じ生暖かさだ。生暖かく、ある程度の強さ。そんな風だ。風の影響か、今日は、幸か不幸かクーラー要らずの道場である。

台風が近づくという事実は、どうも単純には喜べない。こんなことを言うのは、「台風が近づく」だけで、わくわくするタイプの人間がいるからである。別に、隣の人が「被害を受けてしまうかもしれない立場を想像せよ!」と言ったり、強制したりするつもりはない。けれど、「台風を喜ぶ」というその立場。日々、穀物などの生産物を作成しているなかで、雨が必要だというのならともかく、そうでない都市生活を送る者にとって、台風が近づくことは、そう単純に喜べるものなのだろうか。豪雨や暴風雨が及ぼす被害は、人間には計り知れない。自ら住むのと同じ場所で起こっていることを、ひとごと的に片付けてしまう癖は、どうも近代人の悲しい性となってしまったような気がする。あるいは結局、わたしは博愛主義者なだけだろうか。


8月7日(月)

なんとなくそわそわしている月曜日。「そわそわ」の原因解明に時間を費やすことも、一瞬は考えた。だが、訳もわからないし、正解も危うい。何より時間の無駄なので、「そわそわ」の原因解明はやめる。そして、ご飯を食べる。


8月6日(日)

 仕事をするには環境が大事である。
 今日は思いっきり布団干し、アイロンかけ、洗濯、掃除機、埃とりをした。結構汚い部屋だなあと思う。ついでに要らない服も捨てた。さっぱりした。また捨てよう。
 その後、うまく仕事に取り掛かる。


8月5日(土)

 稽古しすぎなくらい、稽古する。
夕方、風を感じる。いえ、これは抽象的なものではなく、実際の風のことである。生暖かい。近いのかもしれない、台風が。
 夜は、「淀川花火」を鑑賞する。おもしろい。すばらしい。激しい。たまや~。


8月4日(金)

 しばらく時間をとってじっと考えるうち、急な眠気に襲われて。


8月3日(木)

 最近携帯を変えたと聞いた。
ちょっと色なんか付けて、メールで贈る「お誕生日おめでとう」。
打ったしばらくあとに、電話がかかる。
同時に送っていた別のメールへの返事だった。
電話をとった第一声には、挨拶より先に「お誕生日おめでとう」と言ってみる。
「言ってみる」。「言う」を考えるより先に、口から出ていた。
電話の向こうでは、それとなく話を濁す様子。
うやむにゃ。ごにゃむにゃ。
そして、そそくさと電話して来たことの方の本題に入る。
言って初めて気づいたが、その動作にわたしに似たものを感じた。それから、人生で初めて言ったことばのような気がしたのだよね。たぶん。きっと。一度も言ったことはなかったよね、父さん。


 夕刻、浜松スーさん一群が鰻と共にお見えになられた。ヨッシーが調理してくださった。オノちゃんは、そのとき、笑いながらも苦戦されていた。
現場じゃなくて本場の味は、やっぱりいい。ごちそうさまです。また食べたいです。スーさん。


8月2日(水)

 教えたり教わったりする日。

2006年8月15日

うな年生まれの女です

8月14日(月)

 お盆である。やっぱり稽古である。連続稽古七日目。杖はおもしろい。何がおもしろいんだろう。って、それがわからないからおもしろい?


8月13日(日)

 居合の稽古。
 睡眠不足か、とても疲れているのか。
稽古後はぐったりして、宇治ミルク氷を食べるのが精一杯。


8月12日(土)

 夜は、吉例ゴルゴンゾーラの会。
 今回は西宮市某所の会員宅をお借りしての開催。もちろんチーズ登場。
 誕生日が近い人もいたので、急遽誕生会も兼ねる。
 会話中、うなぎの話になった。わたしは以前にここで、うなぎについて話題にしていたことが確認される。当人はまるで覚えていない。
しかし、わたしのことが、無頼のうなぎ好きであったと誰もが覚えていたので、確かなことなのだろう。勢い「うな年」扱いを受ける。決して悪い気はしないのだが。
「ねえ、何年(なにどし)生まれですか?」
「うな年です」。


8月11日(金)

やはり快晴。
いつもの時間よりも少し早起きして、六時くらいに朝の浜名湖散歩も考えなくもなかったが、目を覚ましたのは、既にお天道様は燦燦としている頃だった。夕べの飲み会の飲食加減が胃に触ることはない。哀しいことに、いつもの癖で、朝になると目がさめてしまう。
誰もが「もう少し寝ていればよかったのに」と言ってくださった。だが、お邪魔している身では、そう長くも寝ていられない。ということに自分ではしておいた。

昼過ぎ、豊田佐吉記念館に連れていただく。
いまさら言うこともないが、豊田佐吉は、自動織機を発明し、のちのトヨタ自動車誕生のきっかけを作った人物である。
その豊田佐吉の生まれが、静岡県湖西市だそうである。町興しの一環なのか、記念館には、20世紀の終わり頃に復元された生家や自動織機が保存されている。それらに近づくと、不思議と戦争の臭いを感じるのである。
なぜだろうと思いながら少し歩く。少し歩くとその原因がわかった。
記念館の山間で掃除しているおばあさんがいた。
その方に聞いた話では、既に愛知県に居を構えていた佐吉や息子の喜一郎一家は、戦時中、難を逃れてこの場所に疎開していたとのことである。戦争中の話もいくらか伺うことができた。豊田家は、現在の記念館のある山を降りてすぐ隣にあったそうだ。まさしくここは、豊田家の臭い、そして戦争の様子が色濃く残る場所だったのである。それで、不思議と戦争の臭いを感じたのである。
蝉の声を聞き、復元された生家を見ているうち、おばあさんの話が静かに響く。
それを聞きに来たわけではないのに、緩やかな山の上から田畑を眺めるうち、ふと物悲しい気分になった。聞こえるはずもない空襲の音が聞こえてきそうだった。おばあさんの幼い頃の話が耳に残る。夏の水が冷たかったこと、山を越えて学校に通ったこと。そして、戦争が来たこと。日本の夏は、何時も戦争を思い出させる。歴史は過去の出来事ではなく、現在に通じる時間の積み重ねなのだ。


 気を取り直して、そのまま浜松市へ。
 今度はどこかから潮の香りがしてくる。
それもそのはず。聞けば浜名湖は、淡水ではなく海水だそうである。ざっぶーんん。ざざざあざざーん。ざざざざあざーんといえば、サザンオールスターズ。サザンオールスターズ夏のご用達「渚園」がそこにはあったのである。えも言われぬ感激!およびミーハー度が上がる。その思いをひた隠しながら浜名湖一周。
周遊の途中、数年前に浜松で花の博覧会が開催会場跡地に立ち寄る。いまは「浜名湖ガーデンパレス」と名付けられ、誇らしげに花や緑を咲かせている。散策しながら見つけた看板から、たしかここは、数週間後には、ここにサザンとその一群が来るはずの会場だということをまたひとりで思い出す。いったいどこに来るのだろうと思いを馳せる。(いえ、野外コンサートだったので涙を飲みましたが)。
 展望台に登り、広大な浜名湖を臨む。なかなか景色がよろしい。

 その後さらに市内の犀ヶ崖資料館へ。
 三方が原古戦場の犀ヶ崖は、今ではきれいに保存され、10数メートルしかない。だが、合戦当時(1572年ですかね?)は、90メートルはあったそうだ。武田信玄の軍に敗退し、苦味をつぶした徳川家康の有名な肖像画の由来やら、武田信玄の合戦ルート話などを聞くうち、現代の静岡県と山梨県が案外交流しやすい場所にあったことを再認識する。また、浜松市は、いまも徳川家康の名で売っているらしいことに気づく。それがいいのか悪いのかは別にして、戦国武将はどこでも土地の知名度を上げる役割を果たしているらしいことは違いない。

さらに進んで、蜆塚古墳を探索。貝塚も見る。
古墳時代まで遡ってきた。
戦国も近代も現代も垣間見た。だんだんと社会見学観光ツアーになってきた。あれこれと歴史的な様相のある地域であるのだなあと思う。そういやたしか、ここいらに、スーさんの学校があるのではなかったか。

そうして、ようやく鰻をごちそうになる。
場所は浜松市蜆塚の「かんたろう」。美味なり。これを食べると、やはり「もう仕事は終わった」気分になってしまう。(これから稽古だったことを忘れて帰ろうとしてしまった数年前を思い出す)。

夜は稽古。たっぷりと汗をかく。


8月10日(木)

 快晴。早起き遅起きかわからない朝7時起床。寸暇を惜しんで洗濯物を干し、家を出る。
今日から浜松巡業。特段、相撲をとるわけではない。観光でもないし、旅行に行くわけでもない。よく言えば、ある種の研究と調査に行く。目的があると、はんなりと夏の涼風に吹かれてひとここち、といった気持ちには、なぜかなりにくい。

格安プランで一路浜松へ。
浜名湖道場の寺田先生が最寄りの鷲津駅までお迎えに来てくださっている。
 すぐさま車に乗せていただき、ご自宅に到着。
挨拶もそこそこに、誘導されるまま、ご実家、ご自宅、道場と案内される。
造りや凝った所や部屋、自慢の一品、庭の植木、開放的な窓からの浜名湖などを見せられるうち、気分はもう渡部篤である(建坪200ですえ~)。
開放的な窓からは光が差し込み、たっぷりと使われた木の温もり、自宅道場が暖かく人を迎える。にもかかわらず、ホテル並みの美しさと景観が維持されている。建築物そのものはわりに近代チックにできているのだが、どこか日本の風情を忘れることなく造られている。そこに博物館級の調度品が気遣いなくごろごろしているのが、何とも言えずすごい。ご自宅ツアーを終えて、小休止。
ちょっと時間があったので、わりに珍しい合気道関連映像を見せていただく。「ええ!あのひとが!」「嗚呼、この方は!」

夕方、子どものクラスと一般のクラスの稽古に参加させていただく。
写真では見せていただいたことのある道場だが、吹き抜けもあって、天井も高い。実に柔らかな畳である。

稽古後は、お弟子さんのひとりと一緒に飲み会。もりもりパクパク食べて飲んで話すうち、夜もすっかり更けて、心地よく柔らかいベッドに横になる。

2006年8月25日

今も昔も処暑のこどもは

8月24日(木)

 最近ふと気づいたのだが、急にこどもの姿が見えなくなった。五月蝿いくらいにはしゃぎまわっていたこどもの姿がぱたりと消えた。同時に、セミの声も聞こえなくなった。ツクツクホーシを聞いたのは、七月の最初だったから。
こどもの姿が見えなくなったのは、おそらくいっせいに部屋に篭もり始めたからだろう。篭もる原因は昔もいまも変わらない。冬眠ではなく夏眠でもなく、おそらく大半は、机に向かって、一心不乱に鉛筆片手に、絵の具の筆を持ち、右側に貯金箱を置いては、左側に読書感想文の本、正面には夏の日記と課題でいっぱい。後ろ側には画用紙。そんなふうに過ごしているんだろうな。きっと。
しかし、どうして最後の一週間(あるいは数日)でできるものなら、なぜ夏休みの最初の一週間で終えて、あとは遊んでいるくらいに優雅に過ごさないんだろうか。「一週間でもできる」ということを学習するのが夏休みなのか?


8月23日(水)

ああ、今日も疲れた。長屋への出し物を出す前に、内田先生はフランスへ行ってしまわれた。布団を干す前に、夕日が落ちてしまった。「しまった!」と気づいたのは、今朝も燦燦と過ぎた頃だった。
しかし、ま、いっか。三週間くらいなら。それくらいの期間なら更新せぬこともよくありましょう、などと思っていたら、夜半IT秘書氏から連絡が舞い込む。タイミングが良いのか悪いのか。近いうちに送ろう。ひとつくらいは縁起物。


8月22日(火)

 だんだん賑やかになってきた道場である。


8月21日(月)

 気が付いたら、いちにちずっとしゃべっている。


8月20日(日)

 一日中ぼんやりと過ごす。といっても、実はそれができない性分で。


8月19日(土)

 一昨日の背中のバリバリがさらに強くなる。悪化して肩まで痛い。


8月18日(金)

 もうよれよれ。ねむーい。母疲れ。


8月17日(木)

 三宮で母と会う。なぜか急に「うなぎでも食べる?」と電話がかかってきたのだ。わたしの念力でも通じたのだろうか。当然のように、とても食べたかった。だが、目ぼしい店がお休みだった。だから、仕方なく諦めた。行き当たりばったりで入ったお店で食べるのもよかったが、おいしそうなところもなく、今回は断念したのである。代わりに蕎麦をすする。ずるずるしながら、最近のわたしの進展と発見と傾向について、いろんな角度から話した。どうやら母も合気道を習いたいらしいことがわかる。
 そのまま街を歩き、シャツを買う(正しくは「買ってもらう」)。
夕方は予約していたイタリアンのお店で、たらふく食べた。母のお気に入りの店らしいことがわかる。


8月16日(水)

 終日篭もる。肩肘首腰バリバリ。


8月15日(火)

 お盆最終日。ということは終戦の日である。
 懸念の参拝は行われた。参拝の良し悪しにどうこういういう義理もないが、混ぜっ返しの理論には、もう無理があるのかもしれない。その無理を修正するより先に、ひとまずは、表舞台から退散するのだろう。そして、またもや折を見て反旗を翻すのか?未だに。

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