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うな年生まれの女です

8月14日(月)

 お盆である。やっぱり稽古である。連続稽古七日目。杖はおもしろい。何がおもしろいんだろう。って、それがわからないからおもしろい?


8月13日(日)

 居合の稽古。
 睡眠不足か、とても疲れているのか。
稽古後はぐったりして、宇治ミルク氷を食べるのが精一杯。


8月12日(土)

 夜は、吉例ゴルゴンゾーラの会。
 今回は西宮市某所の会員宅をお借りしての開催。もちろんチーズ登場。
 誕生日が近い人もいたので、急遽誕生会も兼ねる。
 会話中、うなぎの話になった。わたしは以前にここで、うなぎについて話題にしていたことが確認される。当人はまるで覚えていない。
しかし、わたしのことが、無頼のうなぎ好きであったと誰もが覚えていたので、確かなことなのだろう。勢い「うな年」扱いを受ける。決して悪い気はしないのだが。
「ねえ、何年(なにどし)生まれですか?」
「うな年です」。


8月11日(金)

やはり快晴。
いつもの時間よりも少し早起きして、六時くらいに朝の浜名湖散歩も考えなくもなかったが、目を覚ましたのは、既にお天道様は燦燦としている頃だった。夕べの飲み会の飲食加減が胃に触ることはない。哀しいことに、いつもの癖で、朝になると目がさめてしまう。
誰もが「もう少し寝ていればよかったのに」と言ってくださった。だが、お邪魔している身では、そう長くも寝ていられない。ということに自分ではしておいた。

昼過ぎ、豊田佐吉記念館に連れていただく。
いまさら言うこともないが、豊田佐吉は、自動織機を発明し、のちのトヨタ自動車誕生のきっかけを作った人物である。
その豊田佐吉の生まれが、静岡県湖西市だそうである。町興しの一環なのか、記念館には、20世紀の終わり頃に復元された生家や自動織機が保存されている。それらに近づくと、不思議と戦争の臭いを感じるのである。
なぜだろうと思いながら少し歩く。少し歩くとその原因がわかった。
記念館の山間で掃除しているおばあさんがいた。
その方に聞いた話では、既に愛知県に居を構えていた佐吉や息子の喜一郎一家は、戦時中、難を逃れてこの場所に疎開していたとのことである。戦争中の話もいくらか伺うことができた。豊田家は、現在の記念館のある山を降りてすぐ隣にあったそうだ。まさしくここは、豊田家の臭い、そして戦争の様子が色濃く残る場所だったのである。それで、不思議と戦争の臭いを感じたのである。
蝉の声を聞き、復元された生家を見ているうち、おばあさんの話が静かに響く。
それを聞きに来たわけではないのに、緩やかな山の上から田畑を眺めるうち、ふと物悲しい気分になった。聞こえるはずもない空襲の音が聞こえてきそうだった。おばあさんの幼い頃の話が耳に残る。夏の水が冷たかったこと、山を越えて学校に通ったこと。そして、戦争が来たこと。日本の夏は、何時も戦争を思い出させる。歴史は過去の出来事ではなく、現在に通じる時間の積み重ねなのだ。


 気を取り直して、そのまま浜松市へ。
 今度はどこかから潮の香りがしてくる。
それもそのはず。聞けば浜名湖は、淡水ではなく海水だそうである。ざっぶーんん。ざざざあざざーん。ざざざざあざーんといえば、サザンオールスターズ。サザンオールスターズ夏のご用達「渚園」がそこにはあったのである。えも言われぬ感激!およびミーハー度が上がる。その思いをひた隠しながら浜名湖一周。
周遊の途中、数年前に浜松で花の博覧会が開催会場跡地に立ち寄る。いまは「浜名湖ガーデンパレス」と名付けられ、誇らしげに花や緑を咲かせている。散策しながら見つけた看板から、たしかここは、数週間後には、ここにサザンとその一群が来るはずの会場だということをまたひとりで思い出す。いったいどこに来るのだろうと思いを馳せる。(いえ、野外コンサートだったので涙を飲みましたが)。
 展望台に登り、広大な浜名湖を臨む。なかなか景色がよろしい。

 その後さらに市内の犀ヶ崖資料館へ。
 三方が原古戦場の犀ヶ崖は、今ではきれいに保存され、10数メートルしかない。だが、合戦当時(1572年ですかね?)は、90メートルはあったそうだ。武田信玄の軍に敗退し、苦味をつぶした徳川家康の有名な肖像画の由来やら、武田信玄の合戦ルート話などを聞くうち、現代の静岡県と山梨県が案外交流しやすい場所にあったことを再認識する。また、浜松市は、いまも徳川家康の名で売っているらしいことに気づく。それがいいのか悪いのかは別にして、戦国武将はどこでも土地の知名度を上げる役割を果たしているらしいことは違いない。

さらに進んで、蜆塚古墳を探索。貝塚も見る。
古墳時代まで遡ってきた。
戦国も近代も現代も垣間見た。だんだんと社会見学観光ツアーになってきた。あれこれと歴史的な様相のある地域であるのだなあと思う。そういやたしか、ここいらに、スーさんの学校があるのではなかったか。

そうして、ようやく鰻をごちそうになる。
場所は浜松市蜆塚の「かんたろう」。美味なり。これを食べると、やはり「もう仕事は終わった」気分になってしまう。(これから稽古だったことを忘れて帰ろうとしてしまった数年前を思い出す)。

夜は稽古。たっぷりと汗をかく。


8月10日(木)

 快晴。早起き遅起きかわからない朝7時起床。寸暇を惜しんで洗濯物を干し、家を出る。
今日から浜松巡業。特段、相撲をとるわけではない。観光でもないし、旅行に行くわけでもない。よく言えば、ある種の研究と調査に行く。目的があると、はんなりと夏の涼風に吹かれてひとここち、といった気持ちには、なぜかなりにくい。

格安プランで一路浜松へ。
浜名湖道場の寺田先生が最寄りの鷲津駅までお迎えに来てくださっている。
 すぐさま車に乗せていただき、ご自宅に到着。
挨拶もそこそこに、誘導されるまま、ご実家、ご自宅、道場と案内される。
造りや凝った所や部屋、自慢の一品、庭の植木、開放的な窓からの浜名湖などを見せられるうち、気分はもう渡部篤である(建坪200ですえ~)。
開放的な窓からは光が差し込み、たっぷりと使われた木の温もり、自宅道場が暖かく人を迎える。にもかかわらず、ホテル並みの美しさと景観が維持されている。建築物そのものはわりに近代チックにできているのだが、どこか日本の風情を忘れることなく造られている。そこに博物館級の調度品が気遣いなくごろごろしているのが、何とも言えずすごい。ご自宅ツアーを終えて、小休止。
ちょっと時間があったので、わりに珍しい合気道関連映像を見せていただく。「ええ!あのひとが!」「嗚呼、この方は!」

夕方、子どものクラスと一般のクラスの稽古に参加させていただく。
写真では見せていただいたことのある道場だが、吹き抜けもあって、天井も高い。実に柔らかな畳である。

稽古後は、お弟子さんのひとりと一緒に飲み会。もりもりパクパク食べて飲んで話すうち、夜もすっかり更けて、心地よく柔らかいベッドに横になる。

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2006年8月15日 12:40に投稿されたエントリーのページです。

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