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今も昔も処暑のこどもは

8月24日(木)

 最近ふと気づいたのだが、急にこどもの姿が見えなくなった。五月蝿いくらいにはしゃぎまわっていたこどもの姿がぱたりと消えた。同時に、セミの声も聞こえなくなった。ツクツクホーシを聞いたのは、七月の最初だったから。
こどもの姿が見えなくなったのは、おそらくいっせいに部屋に篭もり始めたからだろう。篭もる原因は昔もいまも変わらない。冬眠ではなく夏眠でもなく、おそらく大半は、机に向かって、一心不乱に鉛筆片手に、絵の具の筆を持ち、右側に貯金箱を置いては、左側に読書感想文の本、正面には夏の日記と課題でいっぱい。後ろ側には画用紙。そんなふうに過ごしているんだろうな。きっと。
しかし、どうして最後の一週間(あるいは数日)でできるものなら、なぜ夏休みの最初の一週間で終えて、あとは遊んでいるくらいに優雅に過ごさないんだろうか。「一週間でもできる」ということを学習するのが夏休みなのか?


8月23日(水)

ああ、今日も疲れた。長屋への出し物を出す前に、内田先生はフランスへ行ってしまわれた。布団を干す前に、夕日が落ちてしまった。「しまった!」と気づいたのは、今朝も燦燦と過ぎた頃だった。
しかし、ま、いっか。三週間くらいなら。それくらいの期間なら更新せぬこともよくありましょう、などと思っていたら、夜半IT秘書氏から連絡が舞い込む。タイミングが良いのか悪いのか。近いうちに送ろう。ひとつくらいは縁起物。


8月22日(火)

 だんだん賑やかになってきた道場である。


8月21日(月)

 気が付いたら、いちにちずっとしゃべっている。


8月20日(日)

 一日中ぼんやりと過ごす。といっても、実はそれができない性分で。


8月19日(土)

 一昨日の背中のバリバリがさらに強くなる。悪化して肩まで痛い。


8月18日(金)

 もうよれよれ。ねむーい。母疲れ。


8月17日(木)

 三宮で母と会う。なぜか急に「うなぎでも食べる?」と電話がかかってきたのだ。わたしの念力でも通じたのだろうか。当然のように、とても食べたかった。だが、目ぼしい店がお休みだった。だから、仕方なく諦めた。行き当たりばったりで入ったお店で食べるのもよかったが、おいしそうなところもなく、今回は断念したのである。代わりに蕎麦をすする。ずるずるしながら、最近のわたしの進展と発見と傾向について、いろんな角度から話した。どうやら母も合気道を習いたいらしいことがわかる。
 そのまま街を歩き、シャツを買う(正しくは「買ってもらう」)。
夕方は予約していたイタリアンのお店で、たらふく食べた。母のお気に入りの店らしいことがわかる。


8月16日(水)

 終日篭もる。肩肘首腰バリバリ。


8月15日(火)

 お盆最終日。ということは終戦の日である。
 懸念の参拝は行われた。参拝の良し悪しにどうこういういう義理もないが、混ぜっ返しの理論には、もう無理があるのかもしれない。その無理を修正するより先に、ひとまずは、表舞台から退散するのだろう。そして、またもや折を見て反旗を翻すのか?未だに。

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2006年8月25日 00:53に投稿されたエントリーのページです。

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