8月9日(水)
良い文章に触れるとそれだけで身体がびんびん来る。この「びんびん」ってのが肝心で、結構時間差を帯びてやってくる。じわ~とやってくる。だから数日前に食べた鰻の味を思い出すよりも、即効性は低い。
8月8日(火)
台風7、8、9号が、いきなり三兄弟のようにアジア方面に近づいてきた。日本国内もすでにその影響下にあって、いわゆる暴風域が近づくところは、日々降雨量が増え続けている。こちら関西は、台風の接近とはいえ、うっすら曇る程度だ。雨もまだ降っていない。それでも風がいつもより強い。そして、その風は、いつもよりどこか生暖かい。二、三日前に感じたのと同じ生暖かさだ。生暖かく、ある程度の強さ。そんな風だ。風の影響か、今日は、幸か不幸かクーラー要らずの道場である。
台風が近づくという事実は、どうも単純には喜べない。こんなことを言うのは、「台風が近づく」だけで、わくわくするタイプの人間がいるからである。別に、隣の人が「被害を受けてしまうかもしれない立場を想像せよ!」と言ったり、強制したりするつもりはない。けれど、「台風を喜ぶ」というその立場。日々、穀物などの生産物を作成しているなかで、雨が必要だというのならともかく、そうでない都市生活を送る者にとって、台風が近づくことは、そう単純に喜べるものなのだろうか。豪雨や暴風雨が及ぼす被害は、人間には計り知れない。自ら住むのと同じ場所で起こっていることを、ひとごと的に片付けてしまう癖は、どうも近代人の悲しい性となってしまったような気がする。あるいは結局、わたしは博愛主義者なだけだろうか。
8月7日(月)
なんとなくそわそわしている月曜日。「そわそわ」の原因解明に時間を費やすことも、一瞬は考えた。だが、訳もわからないし、正解も危うい。何より時間の無駄なので、「そわそわ」の原因解明はやめる。そして、ご飯を食べる。
8月6日(日)
仕事をするには環境が大事である。
今日は思いっきり布団干し、アイロンかけ、洗濯、掃除機、埃とりをした。結構汚い部屋だなあと思う。ついでに要らない服も捨てた。さっぱりした。また捨てよう。
その後、うまく仕事に取り掛かる。
8月5日(土)
稽古しすぎなくらい、稽古する。
夕方、風を感じる。いえ、これは抽象的なものではなく、実際の風のことである。生暖かい。近いのかもしれない、台風が。
夜は、「淀川花火」を鑑賞する。おもしろい。すばらしい。激しい。たまや~。
8月4日(金)
しばらく時間をとってじっと考えるうち、急な眠気に襲われて。
8月3日(木)
最近携帯を変えたと聞いた。
ちょっと色なんか付けて、メールで贈る「お誕生日おめでとう」。
打ったしばらくあとに、電話がかかる。
同時に送っていた別のメールへの返事だった。
電話をとった第一声には、挨拶より先に「お誕生日おめでとう」と言ってみる。
「言ってみる」。「言う」を考えるより先に、口から出ていた。
電話の向こうでは、それとなく話を濁す様子。
うやむにゃ。ごにゃむにゃ。
そして、そそくさと電話して来たことの方の本題に入る。
言って初めて気づいたが、その動作にわたしに似たものを感じた。それから、人生で初めて言ったことばのような気がしたのだよね。たぶん。きっと。一度も言ったことはなかったよね、父さん。
夕刻、浜松スーさん一群が鰻と共にお見えになられた。ヨッシーが調理してくださった。オノちゃんは、そのとき、笑いながらも苦戦されていた。
現場じゃなくて本場の味は、やっぱりいい。ごちそうさまです。また食べたいです。スーさん。
8月2日(水)
教えたり教わったりする日。