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2006年7月 アーカイブ

2006年7月 5日

氷はまだか

7月4日(火)

 今日も暑い。そろそろ雨が降りそうな感じがする。こんなふうに感じるとき、自身は動物的に生きているのかと思う。サバンナに放り込まれてあるいはアマゾンの奥地で、生存競争に打ち勝つほどの自信はないが、お天気くらいはわかるようになりたいものだ。今日は火曜日。久しぶりの講義に出る。


7月3日(月)

 最大のショックは、中田英寿が現役引退を表明したこと。


7月2日(日)

 梅雨の日の晴れ間である。


7月1日(土)

 土曜の稽古はこれまた暑かった。暑苦しいくらいだ。人数が多いとか湿気があるからということばかりが理由ではない。数年前まで、道場備え付けの「冷房」と思い込んだ空調は、実はずっと「暖房」だった。「暑いねえ、クーラーうまく効かないねえ」とはよく言ったものだ。いまでも、それくらいの暑さには耐えられるだろうよ。でも、なぜこんなに暑いんだ?


6月30日(金)

 叱ろうか叱るまいか、それが問題だ。そんなことを思う6月最後の金曜日。


6月29日(木)

 今日もまたとても暑い。じめっとしている。どこへ行っても。


6月28日(水)

 夕刻の大阪へ。目指すは亀すし中店。画伯&越後屋ドロップご一行の集合予定時間よりも少し早く現地に着いたので、空いた時間に近くのお初天神へ。時間潰しに神社もないが、せっかくなので参拝。同行者と共におみくじを引く。数年ぶりの「大吉」に遭遇。大吉の場合は、神社境内近くにある木々などに括らず持ち帰るだのそうだが、遭遇率が異常に低いので、そういういった習慣を知らず、実践できたためしがない。ゆるゆると店内へ。満員電車状態のカウンターで、異常にうまいマグロを頂いた。そう、何を隠そうわたしの好物は、まぐろ、いちご、うなぎなのである。


6月27日(火)

 とにかくよく食べる集まりなので、誰からともなく「いなごーず」と名付けられた。これもいわゆるひとつの秘密結社か集まりだろう。いまや日本全国津々浦々に居を構えるメンバーが組織構成員。先日某所にて会合が開催され、メンバーの75%が集結した。上々の参加率である。頼んだ品物の入った皿は瞬時に中身が消えてゆく。それでいて誰もがしゃべっている。相変わらずご機嫌上々の「いなごーず」健在である。


6月26日(月)

 真面目に仕事ばかりをして過ごす一日。なーんて、当たり前田のクラッカー(なんて誰も知りませんよね。こんな古い話。80年代以降生まれの人で、知ってる人っているのかしら?70年代生まれでも怪しい…)


6月25日(日)

 下川正謡会歌仙会。
 会は「午前十時半始メ」だが、当日は九時過ぎには現地に詰めるよう言われていたため、九時過ぎに現地到着。九時半過ぎには着物に着替え、ぱたぱたと会の準備等を手伝っていると、内田先生が来られた。開口一番「何でこんなに早いの?」
どこの世界も下っ端は早いと相場が決まっている。下っ端ながらも、もう少し物事のタイミングがうまくつかめるようになりたいなあといつも思う。

本日の出番は、素謡『紅葉狩』のワキ(平維茂(これもち))、仕舞『羽衣』、地謡『藤戸』『山姥』であった。

 普段の稽古はさまざまだが、会のときはいつも男役である。それもワキ。声が低いし、野太いので仕方がないが、なかなか難しいものであるのになあなどと話していると、その話をお聞きになっていた下川先生が、不憫に思ってくださったのか、わたしの声についてそっと褒めてくださった。


6月24日(土)

 暑い。まだ氷は出ない。来週こそ!


6月23日(金)

 片付かない用件はなぜか。

2006年7月11日

本日の気づき

7月9日(日)

 久しぶりに居合の稽古に行く。気づいたことのいくつか。
・ 肩甲骨をうまく使う。
・ 胸を割る
・ 肩と張らない
・ 肩を固定しない
・ 刀は身体全身で斬る
・ 刀を置かない、置きに行かない
・ 上半身をうまく使う。斬る側と逆の半身を引くなどの工夫。
・ 下半身をうまく使う。斬る側と逆の足を引くなどの工夫。お留守にならない
・ 足と腕と胴体は繋がっているとわかること
・ 心地よい斬りを発見すること
・ 身体はムズカシイ!
・ さて、どうやったいいのだろう。それが問題だ。


7月8日(土)

 昼からの合気道の稽古では、ほぼ3時間すべて、先生の受けを取らせていただいた。以前主将をしていたときは、このようなことは度々あった。このところは少ない。このところは、稽古時間にすれば、だいたい半分くらい受けさせていただいている。あとの半分は背の高い、身体能力が優れた気錬会OB先輩と交代になる。わたしは肉付きこそよくとも腕っ節も強くないし、力もない。背も高くないし、手足が極端に長くもない。合気道暦も長くない。とりたてて運動能力が優れているわけでもない。身体的に優れたところは見受けられない。にもかかわらず、それを扱ってくださる先生がおられる。たいそうすごいことだなあといつも感動してしまう。感動しているうち、ぼーっと時間が過ぎてゆく。ぼーっと過ぎ行く時間のなかで、腕が長くなりたいなあ、合気道がうまくなりたいなあと思いつつ。

稽古時に産経新聞の方が取材に見えていた。内田先生は大人気で大忙しである。取材も兼ねたその方へのお話で、内田先生は、「合気道のとき、誰かを前に呼ぶけれど、それは呼ばれた方の受けの稽古である」ということをおっしゃっていた。すごく幸運なことだ。というのも、今日のわたしは、とてもたくさんの稽古をさせていただいたのだから。誰よりもたくさん稽古させていただいていることになる。その事実は頭ではわかっている。けれど、実際のところ実感が現れるのは、しばらく経ってからだ。じんわりと幸福感がやってくる。このちょっとした時間差になぜか申し訳ない気がして、また一生懸命稽古しようと思う。受けはやっぱり楽しい。三度の飯より受けが好きだ。三度の飯より好きなことは、ほかにもたくさんあるけれど、受けるのはやっぱり楽しい。

取材の方もご一緒に、稽古後は内田先生のお宅に移動し、新入生・新入会員歓迎宴会となった。例によって一品持ち寄りである。今回のコンセプトは「あたらしいもの」。「あたらしいもの」を「新もの」と理解して、新ジャガ、新タマ、新そらまめなどを使ったポテトサラダ、近江牛とタマネギ、肉じゃが、ソラマメのかき揚げが並んだ。「新製品」と理解して、今年新発売の焼酎、さっき出たばかりのシャキシャキサラダが出る。「新技」の料理、「新」しい味の麺類、「新機軸」なもの、「新鮮!」なのものある。「あたらしいもの」を「にゅー(NEW)」と理解して、多くの乳製品をつかったもの、ニュージーランド産のボトルなど、お約束の品々も登場。とはいえ、これらの食材、常時30名ほどの宴会人数分が出るわけではない。つくった側の技量と采配で出される分だけなので、あっという間に消え行くものもかなりある。ときには話そっちのけで勢い皿に群がり、取り合い奪い合いの図になる。「ない!」と言って叫んだときには時既に遅し。「ほんとうにない!」のである。あるのは、すでに獲得した者たちの胃袋のなかだけなのだ。

 宴会では、いろいろな新しい方、これまでの方ともお話できる貴重な機会だった。合気道の話をすると長くなるので、これまでわりに避けてきたところがあったが、そろそろとコップの水が溢れるように、言葉が流れていきそうなこのごろである。内田先生、ありがとうございます。

 ところで、新しい方と話しているうち(誰だったかもう忘れましたが)、「長男だから」という言葉を何度となく耳にしました。時と場合によっては、そういう解釈の仕方もあるんだなあと思ったわけです。どこで使われていたのかも忘れましたが、出生順位を理由にすることすなわち環境を要因にして、自己生成の因果関係を捉えようとされていたのでしょうか。あるいは、素行の発端について説明するとき、環境や生成してきた家族構成のなかでの役割分担を提示することで、何らかの説明を省く/単純化する/それとなく察してよ的な態度をとることにつながるのでしょうか。こういった類の言葉を使ったことがないだけに、新鮮に聞こえました(注:わたしは長男ではない)。結構、一般的な言葉なんですかねえ。これって。


7月7日(金)

 6Bの鉛筆少年は、筆箱の中身を自慢した。鉛筆をたくさんならべて見せてきた。そのくせ筆箱に消しゴムを入れてくるのを忘れて、困った顔をした。親切なひとなら、にっこり笑って、「忘れてはいけないよ」といって貸してあげるのだろうが、世の中いい人はいても、それが親切なひととは限らない。ついこの前買ってもらった新しいカバンを、うれしそうに何度も開けては、何度も閉じて、見せてくる。ポケットが多いことを自慢する。
そして話しかける。「ねえ、先生」と話しかけてくる。「なに?」と答える。
「ねえ、先生」。また話しかけてくる。
「ねえ、先生」。いったい今日は何度この言葉を言うのだろう。
「ねえ、先生。消しゴム忘れた」「仕方ないね。貸してあげよう」。


7月6日(木)

 今日も暑いですね。同じことばかり書いてすみません。でも、暑いんですって。


7月5日(水)

 雨が降ったり止んだりする。
急遽仕事に呼び出される。
せっかくなので、笑い飛ばして帰ってくる。
結構笑いをとるのも難しい。
笑いは計算でやってはいけないし、考えてやってもいけない。
一番いいのは笑ってもらうつもりじゃなくて笑いになったり、愉快になったりするのがいい。
だが、そういったよい笑いは、いつどんなタイミングで来るのかわからない。
 タイミングを計ってもいけないし、ぼんやりしていてもいけない。
 なんでもないときでも、笑いがあれば、さらにそれがいいことになる。

2006年7月16日

黄色ですか?

7月14日(金)

 「黄色ですか」の夜。朝カルにて、内田先生と名越先生の対談を拝聴した。月がはっきり見える。明日は仕事しようと思う。


7月13日(木)

 美しいひとは美しい。本当に美しいひとは、心が美しい。韓流ドラマみたいなことを言うようだが。


7月12日(水)

 お能の稽古で、『羽衣』の天女の装束をつけさせていただく。
 よく御伽噺なんかになっている羽衣伝説の天女の衣の数は少ないようだが、謡曲『羽衣』は衣が多い。しかも天女の羽衣だけに、結構な高級感が漂う代物なのであるよ。
衣を身にまとい、面もつける。鬘もつける。テンカンもつける。扇も持つ。いっきに視界が狭くなる。総重量は何キロだろうか。ついでに言えば、天女になるだけで早くとも三十分はかかる。
さて、「天女」になりたての頃は、すこし重いなと思った。だが、つけてしばらく経つうち、いくらか舞のおさらいもできるようになってきた。重さが動きの邪魔をしない感触があった。重さが身体に馴染む。汗は滲まないようにしなければ美しくない。さらに、そのまま歩く。すーっと天にも昇る気持ちになる。気分はもう天女。そして、わたしは天女になる。


7月11日(火)

午前中、すこしの時間を見つけて手塚治虫記念館に行く。今日が、半年に一度の企画展の最終日だったことを思い出したからだ。時間を見つけて飛び込む。あの界隈を足しげく通っていた頃の自分を懐かしむ。今も変わらぬ輝きを帯びた場所だということに気づく。

記念館は宝塚大劇場の近くにある。道を挟んで併設しているといってもいいくらいだ。道を挟んで併設しているに等しいということ。それは、向かう方向が同じだともいえる。時間帯によっては、劇場に向かうわけではないのに、劇場に向かう観客の流れに巻き込まれてしまうはめになる。だから、観客の流れに巻き込まれないよう、今日の開演時間にもまた近づかないよう頃合を見計らって電車に乗る。しかし、「入り待ち」や「出待ち」の人たちが群れていることを忘れていた。諸説あるが、公式ホームページでは、「入り待ち」とは、「楽屋入りするスターを一目見る為に開演前に楽屋口で待つこと」、「出待ち」とは、「終演後、スターが楽屋から出てくるのを待つこと」とある。(『これがわかれば、宝塚はもっと楽しい。宝塚用語辞典参照』http://kageki.hankyu.co.jp/first/ziten.html)。

楽屋入口で「入り待ち」や「出待ち」をしているファンは、おそらく今現在舞台に立っている花組とは違う組を応援している。当然のことながら、稽古場では、今舞台に立っている組以外の稽古が行われている。しかし、どの組が、どの手順で、いつ頃、劇場内のどこかで行われる稽古に出向くのか、そこまでは知らない。わかるのは、いわゆる関係者の出入口が決まっていることだけだ。この出入りの瞬間をめがけて今日もまた、明日のスターをひと目生で見ようと、カメラやデジカメ片手に、おそらく朝早くから場所を陣取る人々がいる。いわゆる舞台メイク姿では歌劇団のひとたちの普段の行き帰りの姿を見ようと、普通に歩いている姿を追う。それもまたファンにとっては貴重な時間なのだろう。

余談になるが、この待つ人々は、「群れ」とはいうものの、かなり秩序正しく並んでいる。宝塚ファンのみなさまは結構序列に厳しいのか、いつもきちんと並んでいる。だから、その人山をかきわけて先を行くとか、群れに巻き込まれて前にも進めない…というようなことは実際ない。それでも困ったことがある。困ったこととは、ただ歩いているだけなのに嫌な顔をされることである。待つ人々は何を待っているのかといえば、明日のスターが歩いてくるのを待っている。明日のスターのために、その姿を見るために待っている。その人々のために、「単なる歩道」が「人だかりが作った通路」になる。この道を開けろと言わんばかりである。できれば、わたしも道を譲りたい。別に邪魔しているつもりもないし、そんなことをしてまで敵を作りたいわけでもない。ただ、記念館に行きたいだけである。しかしそこに向かうには、ほんとうに、この群れる場所しか歩ける道がないのである。大劇場楽屋入口と旧ファミリーランド跡地(いまは緑地公園のようになっている)と記念館の前に走る奇妙なカーブを巡らせた道路には、横断歩道もなく、ひっきりなしに車が通っている。道を突っ切るわけにもいかない。道路交通法的に歩けるところを歩かせていただきたい。歩道はひとつだ。ぜひとも寛容な心で許していただきたいのである。

さて、道をかき分け、記念館に辿り着く。「手塚治虫デビュー60周年展」と題された企画展では、後世のマンガ家たちが手塚治虫にメッセージを書き残していた。リアルタイムで手塚自身を、肌で感じた作家たちである。いまではもう数人になってしまったトキワ荘の面々が多い。でも、藤子不二夫Aのメッセージはあっても、藤子・F・不二夫のものはない。石森章太郎も寺田ヒロオ(は随分前にいないが)もいない。赤塚不二夫は健在だがメッセージはもう描けないのだろうか。

企画展では、壁一面に手塚治虫のこれまでの作品原稿の一部を時系列順に掲示してあった。なかにはこれまでに見たこともないものもある。
原稿類と共に手塚が活躍した時代、社会情勢や出来事を年表形式で照らし合わせている。気になる原稿を見ながら、その見事なまでの線の動きに身震いしてしまった。手塚治虫が描いたスピードを想像する。
壁掛けの原稿でなく、机上にある原稿を見る。この原稿の前にかつてその人がいたことを想像する。描いていたことを想像する。何かがすっと入り込んだ感じがする。どれも古くない。言ってしまえばそれまでだが、手塚治虫は死んでいない。心の中で強く思った。思ったと同時になぜか涙腺が緩む。緩んだらあとはすることは決まっている。「え、どーするの?どーするの?おれ。(つづく)」などと、思うより先に身体が反応してしまったのだ。(つづく)。

2006年7月23日

初夏からゴキゲン

7月22日(土)

 初めて神戸女学院大学のオープンキャンパスに行く。梅雨の晴れ間か、あるいはもうそろそろ梅雨が終わりに近づいたのか、今日はまた暑い。汗もかく。なぜかいつもより大学がきれいに見える。

 オープンキャンパスとはいえ、既に大学に入学し卒業もしたこの身。いまさら大学の中身を研究しにいくわけではない。今日は内田先生の講演会がある。稽古がお休みのこともあり、てくてくと山を登る。(面倒だがもちろん事前に予約した)。
久しぶりの土曜の午後の空気だ。

 日差しを浴びながら、山のてっぺんまで行く。いつもと同じ道同じ坂。それらの途中には、おそろいのTシャツを着た学生スタッフがわさわさしている。誰もが、にこやかに声をかけてくる。そういう微笑みには、反射的に微笑み返してしまう。おかげで登るまでには、結構にこやかな顔に仕上がっている。すれ違う廊下でもまた、にこやかに微笑んでくれる学生スタッフ。きっとわたしもまた、キャンパスを見に来た何者かに見えたのだろう。さらににこやかになる。

 内田先生講演後はサイン会。サインを求める人の群れが伸びる。曲がりくねった大蛇のようにぐるぐる伸びる。顔見知りもちらほら。サインに並ばずとも、知り合いがあちこちに。

あの三砂ちづる先生!も来られていた。悲願のサインをもらってしまった。心の中で静かにファンであったのだよ。ああ、わたしって、つくづくひととの出会いに恵まれているなあと思うこのごろである。


7月21日(金)

 ちょっと褒められると楽しかったりする。
 結構いい気なもんだ。
褒められるとわたしはぐいぐいがんばってしまう。
褒められるとわたしはがんがん調子がよくなる。
幼い頃から工作やブロックや絵画や習字やデザインや字や何かで褒められたことがあった。
絵と字を書くのが好きだった。
それだけで有頂天になり、それだけで、ずっと工業デザイナーになりたかった。
でも、それ以外は、特に褒められた覚えはない。

変わらないのは、褒められるのはいくつになっても、何であってもいいものだということだ。
でも、褒められると褒められる以上に、実は照れてしまう。
真正面から褒められると、足が蛸みたいにくねくねしてきて、ちゃんと向き合えない。
それが結構残念で、その感触やら思いを言葉にするのと、結構誤解を招く。
ぶっきらぼうにつっけんどんになってしまう。

そんなとき、言葉は話した瞬間に文字面以上の力を持つと思う。
言葉の力は、無限の解釈可能性と無限の誤解の可能性を含んでいる。
 だから、言葉はおもしろい。


7月20日(木)

 大学院文学研究科比較文化学専攻博士論文中間発表会に行く。
大学院の内田先生コメントが、ずしんと響き、身に沁みた。決してひとごとではない。がんばろう。


7月19日(水)

 思いっきり掃除をしたいなあと思うのですが、雨ばかりでちょっとその気になれません。


7月18日(火)

 そして思いっきり眠る。


7月17日(月)

 夕べの雨で洗濯物が単なる水に濡れものになっている。大量の汗みたいだ。仕方なく洗濯再び。
 そして実家に帰る。


7月16日(日)

 お初の京都。お初と言ってもこの時期のお初です。人ごみに滅法弱いので祇園祭の宵山なんて恐ろしい日には、京の街に出歩くことは到底ありません。ですが、今日は所用が重なり、思い切って京都にゴーとなった次第であります。

 まずは京都観世会館にて、『橋弁慶』の間狂言を拝見。聴講生Mさんが舞台に出ているので、ちょっと行ってみたわけです。ええ、相変わらずよかったです。(って初めて拝見しましたが)また行くことにします。京都在住聴講生Tさんもお会いでき、艶やかな着物姿を拝見しました。
雨の吹き荒ぶ京の夕方になってきたので、ご親切にも京都在住聴講生Tさんご主人号で最寄駅までお送りいただきました(どうもありがとうございます)。車中、舞台人Mさん話題で盛り上がったことは言うまでもありません。

この雨の吹き荒ぶ京へは、実はもうひとつの芸術品へと出会うべく来ておりました。芸術活動をしている門人の方が展覧会を開くというので、遠路来てみたわけです。最終日まで時間がなく、ようやく見つけた時間でした。意気揚々、胸を張り、三条まで来てから、もらった手元のはがきを確認すると、なんとまあ最終日は開催時間が短いではないですか。展覧会などは多くの場合、そういうものでした。早くに店じまいするものでした。よって、三条大橋の袂まで来ておいて、開催時間に間に合わずタイムアウトとなりました。惜しかったです。これまた次回に持ち越しです。

 気分を変えて、久々の京の町でゆるやかに眺めることにしました。鴨川はいつもより水かさが増しています。橋を渡る人々の群れには、あちこち浴衣姿が目立ちます。コーヒーを飲んで一服。こういうとき、京の時間は、非常に緩やかに流れているように感じます。それなりに開けた街なのですが、不思議な落ち着き加減が一瞬ですが、あるものです。読書には最適な時間の流れです。

 そして、お約束があったもう一件、新潮社で有名なAさんにお会いし、ご一緒させていただきました。素敵過ぎる友人の方々と愉快な笑顔に包まれます。友人のみなさまもまた話がおもしろすぎて、ずっと笑ってばかりでした。
流れで、京の町の宵山を練り歩きます。お初の京都です。宵山です。屋台をひやかしながら、鉾を眺めながら、わいのわいのと言いながら歩きました。すごく楽しかったです。
なんだか素敵なひとにまだまだ巡り合えていないと思いました。そう思うと、生きているのも結構おもしろいなあと感じました。それに、結局なんであれ、知らないことを知るのは、すごく愉快です。ええ、人ごみには滅法弱いのですが、お祭り好きだということを最近はすっかり忘れておりました。初めての祇園祭の宵山。結構癖になりそうです。


7月15日(土)

 猛暑です。何て!暑いんでしょう。氷がようやく出たので、食べました。合気道の稽古のあとだと目に沁みる、心に沁みる、身に沁みる。「みぞれ+練乳」というのを試してみると、意外にシンプルでおいしかったです。

 氷のあと、すこし吹き荒ぶ雨と風を遠めに雨宿り。場所は、国道2号線に聳え立つ芦屋市の低価格(であろう)スーツ屋の駐車場。しばらくすると大きな虹が出ました。幾重にも重なる虹を見たのは本当に久しぶりのことでした。しかもかなりの大きさで、虹の根っこから根っこまで、ゆうに5キロほどありそうでした。虹にはまた虹が二重に見えました。いっぺんにあれほどはっきりしたのを観たのは初めてで、とてもいい気分になりました。たとえそれが一瞬のできごとであっても、いい気分でした。「いいことあるだろうなあ」と思い、ひとりJR芦屋へと向かったわけです。

 「雀荘うちだ家」に到着し、ルールもわからぬまま、促されるままに卓の前に座り、握ったこともない牌にも触らせて頂きました。あれよあれよという間に、楽しく過ごさせて頂きました。

About 2006年7月

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