« 本日の気づき | メイン | 初夏からゴキゲン »

黄色ですか?

7月14日(金)

 「黄色ですか」の夜。朝カルにて、内田先生と名越先生の対談を拝聴した。月がはっきり見える。明日は仕事しようと思う。


7月13日(木)

 美しいひとは美しい。本当に美しいひとは、心が美しい。韓流ドラマみたいなことを言うようだが。


7月12日(水)

 お能の稽古で、『羽衣』の天女の装束をつけさせていただく。
 よく御伽噺なんかになっている羽衣伝説の天女の衣の数は少ないようだが、謡曲『羽衣』は衣が多い。しかも天女の羽衣だけに、結構な高級感が漂う代物なのであるよ。
衣を身にまとい、面もつける。鬘もつける。テンカンもつける。扇も持つ。いっきに視界が狭くなる。総重量は何キロだろうか。ついでに言えば、天女になるだけで早くとも三十分はかかる。
さて、「天女」になりたての頃は、すこし重いなと思った。だが、つけてしばらく経つうち、いくらか舞のおさらいもできるようになってきた。重さが動きの邪魔をしない感触があった。重さが身体に馴染む。汗は滲まないようにしなければ美しくない。さらに、そのまま歩く。すーっと天にも昇る気持ちになる。気分はもう天女。そして、わたしは天女になる。


7月11日(火)

午前中、すこしの時間を見つけて手塚治虫記念館に行く。今日が、半年に一度の企画展の最終日だったことを思い出したからだ。時間を見つけて飛び込む。あの界隈を足しげく通っていた頃の自分を懐かしむ。今も変わらぬ輝きを帯びた場所だということに気づく。

記念館は宝塚大劇場の近くにある。道を挟んで併設しているといってもいいくらいだ。道を挟んで併設しているに等しいということ。それは、向かう方向が同じだともいえる。時間帯によっては、劇場に向かうわけではないのに、劇場に向かう観客の流れに巻き込まれてしまうはめになる。だから、観客の流れに巻き込まれないよう、今日の開演時間にもまた近づかないよう頃合を見計らって電車に乗る。しかし、「入り待ち」や「出待ち」の人たちが群れていることを忘れていた。諸説あるが、公式ホームページでは、「入り待ち」とは、「楽屋入りするスターを一目見る為に開演前に楽屋口で待つこと」、「出待ち」とは、「終演後、スターが楽屋から出てくるのを待つこと」とある。(『これがわかれば、宝塚はもっと楽しい。宝塚用語辞典参照』http://kageki.hankyu.co.jp/first/ziten.html)。

楽屋入口で「入り待ち」や「出待ち」をしているファンは、おそらく今現在舞台に立っている花組とは違う組を応援している。当然のことながら、稽古場では、今舞台に立っている組以外の稽古が行われている。しかし、どの組が、どの手順で、いつ頃、劇場内のどこかで行われる稽古に出向くのか、そこまでは知らない。わかるのは、いわゆる関係者の出入口が決まっていることだけだ。この出入りの瞬間をめがけて今日もまた、明日のスターをひと目生で見ようと、カメラやデジカメ片手に、おそらく朝早くから場所を陣取る人々がいる。いわゆる舞台メイク姿では歌劇団のひとたちの普段の行き帰りの姿を見ようと、普通に歩いている姿を追う。それもまたファンにとっては貴重な時間なのだろう。

余談になるが、この待つ人々は、「群れ」とはいうものの、かなり秩序正しく並んでいる。宝塚ファンのみなさまは結構序列に厳しいのか、いつもきちんと並んでいる。だから、その人山をかきわけて先を行くとか、群れに巻き込まれて前にも進めない…というようなことは実際ない。それでも困ったことがある。困ったこととは、ただ歩いているだけなのに嫌な顔をされることである。待つ人々は何を待っているのかといえば、明日のスターが歩いてくるのを待っている。明日のスターのために、その姿を見るために待っている。その人々のために、「単なる歩道」が「人だかりが作った通路」になる。この道を開けろと言わんばかりである。できれば、わたしも道を譲りたい。別に邪魔しているつもりもないし、そんなことをしてまで敵を作りたいわけでもない。ただ、記念館に行きたいだけである。しかしそこに向かうには、ほんとうに、この群れる場所しか歩ける道がないのである。大劇場楽屋入口と旧ファミリーランド跡地(いまは緑地公園のようになっている)と記念館の前に走る奇妙なカーブを巡らせた道路には、横断歩道もなく、ひっきりなしに車が通っている。道を突っ切るわけにもいかない。道路交通法的に歩けるところを歩かせていただきたい。歩道はひとつだ。ぜひとも寛容な心で許していただきたいのである。

さて、道をかき分け、記念館に辿り着く。「手塚治虫デビュー60周年展」と題された企画展では、後世のマンガ家たちが手塚治虫にメッセージを書き残していた。リアルタイムで手塚自身を、肌で感じた作家たちである。いまではもう数人になってしまったトキワ荘の面々が多い。でも、藤子不二夫Aのメッセージはあっても、藤子・F・不二夫のものはない。石森章太郎も寺田ヒロオ(は随分前にいないが)もいない。赤塚不二夫は健在だがメッセージはもう描けないのだろうか。

企画展では、壁一面に手塚治虫のこれまでの作品原稿の一部を時系列順に掲示してあった。なかにはこれまでに見たこともないものもある。
原稿類と共に手塚が活躍した時代、社会情勢や出来事を年表形式で照らし合わせている。気になる原稿を見ながら、その見事なまでの線の動きに身震いしてしまった。手塚治虫が描いたスピードを想像する。
壁掛けの原稿でなく、机上にある原稿を見る。この原稿の前にかつてその人がいたことを想像する。描いていたことを想像する。何かがすっと入り込んだ感じがする。どれも古くない。言ってしまえばそれまでだが、手塚治虫は死んでいない。心の中で強く思った。思ったと同時になぜか涙腺が緩む。緩んだらあとはすることは決まっている。「え、どーするの?どーするの?おれ。(つづく)」などと、思うより先に身体が反応してしまったのだ。(つづく)。

About

2006年7月16日 13:02に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「本日の気づき」です。

次の投稿は「初夏からゴキゲン」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。