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2006年6月 アーカイブ

2006年6月10日

夏来る

6月9日(金)

 人と話すのがだんだん楽しくなる。金曜日の憂鬱よ、さらば。


6月8日(木)気分はもう「体育の先生」

 亡くなった祖父の遺言は、「いつ先生になるんや?体育の先生になるんか」だった。病床の祖父は僅かに取り戻した記憶の中で、呟くようにそう言った。ベッドの傍らにいた父は、せせら笑うかのようにして、言われたわたしのほうを見た。「そんなもの、なれるはずもない」と言わんばかりの目でわたしを見た。それから実際にそう言った。意味もなく、訳もなく悔しかった。あの日のことは、場所も時間も空の色も、今も変わらず、忘れずに覚えている。なぜ悔しかったのかはわからない。無性に腹も立った。相手がそういう人間だと理解しているつもりでも腹の立つことがある。


6月7日(水)

 ようやく背中が治りかけてきました。ばんざーい!


6月6日(火)

 6Bの鉛筆少年は、相変わらずだ。最近ではHBの鉛筆幼年に成り下がり、行動もそれに準じて幼くなってきている。「ひ」と「し」が時々入れ替わる。「ひっぱりだこ」は「しっぱりだこ」、ときどき「ひらがな」を「しらがな」と読む。もちろん一人称は、「おいら」である。


6月5日(月)

 もらった豚肉の生姜焼き弁当をうれしそうに食べる。


6月4日(日)

 月窓寺道場30周年記念演武会に行く。
数々の多田塾門下の先輩方の演武を拝見した。これほどたくさんの同門道場をいっぺんに見たのは、初めてである。すばらしいなんてもんじゃない。そんな言葉じゃ足りないくらい。多田塾の「四天王」であられる坪井先生、亀井先生、窪田先生、山田先生の演武も拝見できた。いやあ、かっこいいー。
 また、同じ多田塾のさまざまな演武を間近で見ることができた。
祝賀会では、ひさしぶりの方々と言葉を交わすこともでき、とてもうれしかった。
多田塾でよかったと、本当に思った。 心の底からそう思った。


6月3日(土)

 暑いがまだ「氷」は、出ていない。
 天国は、まだ遠い世界かもしれないし、すぐ近くにあるのかもしれないと思うこの頃だ。


6月2日(金)

 ひさしぶりにゆっくりした週末だったので、シャツでも買おうかと思ったが、ゆっくりすることにして、早くうちに戻る。しかし、うちに戻るとすぐまた新しいシャツが欲しくなった。


6月1日(木)

 六月になった途端、急に暑くなった。
 大阪・神戸あたりは、日中は30度を越える真夏日となったらしい。たらたらと汗が出る。
日が眩しいので、学内の少しの移動でもサングラスをかける。
目から焼けると聞いたことがある。
直射日光を吸い込むより案外よいものであるかもしれないと思って以来、サングラスはこっそり愛用している。
さらに、皮膚がだらだら焼けるのも何なので、長袖を着ている。あとは帽子でも被ればよかろうか。
日傘も日よけにいいが、何をするにも片手がふさがってしまう。これといった気にいったデザインが見つからない。キャラに合わないので、どうしようかとすこしばかり考えている。

5月31日(水)

 「Mさん、お元気ですか?今頃どうしてますか?」
 「え?オレのこと?」と今思った人、ええ、あなたのことです。
 「え?ワタシのこと?」と今思った人、ええ、君のことです。


5月30日(火)

 気がつけば、五月ももうすぐ終わり。慌しいというよりも忙しなく、感慨深くなるような時間もなかった。ただただ毎日を忙しく過ごすばかり。そのうえ、雨が多いもんだから移動もたいへんなもんさ。スーツを着ているときなど、その雨に打たれないように気をつけて歩くが、荷物が多かったりだ。ちょっとしたバランスを崩したりで、スーツは、一気にびたびたになってしまう。これは哀しい。できるだけ濡らしたくないのだが、そんなことはお構いなく激しい雨が降る。


 今日は、みなさまにご報告およびご挨拶。
 一昨年、邪道における「邪王」を任命され、免許皆伝となりました。その後1年間、特に目立った成績や芳しい成果がなく、三月には四級に降格。それでも飽くなき精進により、同年三月の数時間後、九段を允可されました。そして本日、めでたく「邪王」を允可され、再び返り咲きました(将棋の名人戦みたいですね)。ともあれ、こうして、また、たくましく「作為なき悪意」の道を遠慮なく進んでいくことになります。今後ともご贔屓によろしくお願いいたします。

2006年6月15日

氷の季節はまだですか

6月14日(水)

 最近忙しいです。ええ、まだ仕事が上がってません。すみません!(平身低頭)。近畿地方北方面の方!
 あ、遅くなりましたが、お誕生日おめでとうございまーす。


6月13日(火)

 「先生、何歳?」としつこく聴かれる。
とっさに、「95歳」と言ったら、それは違うとすぐにばれた。なぜわかるのだ。
「だって、髪の毛が黒いじゃない」
「真っ白なのをいつも黒に染めてるの。結構たいへんよ」。
髪の毛の色意外なら、95歳でもいいのだろうか。
今度聞かれたら、思い切って「63歳」にまで若返ってみよう。


6月12日(月)

師がいることの強さ。師がいるからこその知の重み。何より師がいることのありがたさ。


賢くなりたい。頭がよくなりたい。ああ、生きるってなんだろうなあと思うのだけど、肝心なとき、君はいつも僕の隣にいない。


 夜中に書いた日記なんて、きっと思い上がって書いたラブレターのようなものだ。朝になって読めば、気落ちするほど強烈な羞恥心を醸し出す。のみならず、異様な熱気を帯びている。熱い。触るとやけどしそうだ。でも、もしかしたら、「気落ちする」を通り越して、面を上げて歩けないほど恥ずかしいものかもしれない。「熱い」と過ぎて、結構冷え冷えになっているかもしれない。それでも、ねえ。恋をするのは、ちっとも悪いことじゃない。だって、そうじゃない。ねえ?


6月11日(日)

 山下達郎が話すのを聴くと、落語を聞いているかのように感じるのだが。


6月10日(土)

 昼から合気道の稽古に行く。
 稽古で夏の汗をかいたので、シャワーを浴びた。いつもの工程にひとつ増えると、それだけでもう夏が近づいているんだなと思う。なかには、「シャンプーが欲しい」「ドライヤーがあれば」「石鹸もいる」という声がする。しまいには、「ロッカーに置いておけないのか」なんてものまである。(でも、実際にそんなことをしたら、きっとカビが生えると思う)。隣接する更衣室に石鹸を放り込んだら、妙な『神田川』だ。

 稽古後は、いつものように近所の店に移動した。
まだ氷は出ていない。もうしばらく時間が経たなければ出てこないのだろうか。梅雨が明けないと氷はないのだろうか。

仕事があったので、残念ながら途中で失礼し、すぐさま仕事に移動する。
7時過ぎまで真面目な顔をして過ごす。解放後すぐまた移動。吉例、不定期開催「ゴルゴンゾーラの会」の開催地に赴く。その頃にはまた別の顔をしている。

本日の会場は、言わずと知れた「トラットリア グロリア」(阪急武庫之荘北出口改札徒歩2分)。あの源ちゃんの夏に連れていただいたところである。
とてもおいしいのだが、いかんせん機会がなくて、申し訳ないことに、あれ以来、初めてである。(でも、ほんとうにおいしいので、ぜひおでかけください)。
記憶に従い、現地に向かう。迷わずに到着(当たり前か)。
今日もうまそうなゴルゴンゾーラのニョッキが慎ましやかに、テーブルに乗る。静かなワイングラスは透明度を増す。おいしいし、お値段もリーズナブル。
 かのY画伯に遭遇しないことは最初から確信していたけど(芦屋にて例会参加途中)、それでもなぜか遭えそうな気がして、すこしくるくる首を回してしまった。首をくるくる回して探していたら、テーブルの前に座ったひとは、「どうしたの?」と優しい声でわたしに尋ねた。ほんのりとライトの明かりに照らされたわたしの顔は、すでに高揚している。口にしたワインのほろ酔い気分のせいもある。でも、きっともっと別の理由で、顔の色が何色かに変わっていたことだろう。

2006年6月19日

センセイの結婚

6月18日(日)

 まさか先生の結婚パーティに出るとは思いもよりませんでした。友人や知人ならともかく、先生のとは。驚きでした。ま、とにもかくにも、おめでとうございます。

 当日のパーティ出席者全員の顔を見知っている(ということはつまり名前もちゃんと知っている)のは、どうやらわたしだけのようでした。それだけに、どの「顔」をすればいいのか一瞬迷いました。あれこれ「顔」が多すぎると、一同に会したとき、混乱をきたすものです。結果的には、一番問題のない愉快な「顔」で過ごしたことと思われます。懐かしい面々、久々の面々にもお会いし、お話しでき、楽しいひとときでした。秘密結社5団体は、あるところでは、実に有効に機能しているらしいようであることも実感しました。こうなったら、目指すは、「ザ・フルエントリー」です。


 夜はワールドカップの日本対クロアチア戦観戦。初めてワールドカップをテレビで観ました。前回ワールドカップ開催時は、一度もまともに見ないまま、試合そのものが終わってしまったので、非国民扱いを受けました。「あんなに日本ががんばっているのに、どうして観ないのだ」と。急に「日本人だから応援しろ」と言われても、そういう思いになれなかったのが正直なところです。それに、どの国の試合であれ、観なかったのですから、日本に限って応援していなかったわけでもありません。別にサッカーが嫌いではありません。どちらかというと好きなくらいです。ひとりでギャーギャー騒いで、画面に向かって叫んでみるほど、熱狂的になれなかったことが原因のひとつにあげられましょう。だからというわけではありませんが、今回、ひとり試合観戦はやめて、観ました。ああいうものは、「誰かと観てなんぼ」のような気がします。高揚感があって、おもしろいものです。真の「サッカー通」に言わせれば、ひとりだろうが複数だろうが、かまいはせず、なんでしょうが。
試合終了後、熱狂した場の勢いだけで、まくし立てるインタビュアーに応える中田英寿選手がいました。あんなに走り回ったあとでも息も切らず、かくも分析的かつクリアに無駄なく喋るのを見て、随分と知的な人だと思いました。同世代として、応援したいひとであります。


6月17日(土)

 今日も暑いです。合気道の稽古をして、その後大雨の中移動して、仕事をして、いろいろ笑って、うちに帰りました。


6月16日(金)

 仕事、仕事、仕事です。

 現在において完了しているということ。それは、過去の出来事が積み重なって、今があるということに実は等しい。「現在」がいきなりぽこんと現れたのではなく、「過去」という時間があって、今につながっているということである。すごくまっすぐに。時系列的に言えば。

2006年6月23日

生とむと生なつ

6月22日(木)

 木曜日の雨って多くないですか?先週も確か、雨、だったような気がします。それもかなり激しい雨が。


6月21日(水)生なっちゃんに1000点。

ふとした拍子に越後屋さんから依頼を受けた。内容は、「本日会場にて越後屋を探すべし」。「なお、このメールは5秒後に消滅する」ことなく依頼データは無事に手元に残っている。
今回はさほど重要任務も含まれていなかったので、難なく会場に辿り着き、越後屋さん発見。『MI:Ⅲ』のためには、探し当てなければ全てが始まらない。インポッシブルではいけない。何事もポッシブルでなければ先へは進めないのである。

試写開始前、トウキョーから初めての新幹線でやって来た主演のトム・クルーズと監督のJ.J.エイブラムス、プロデューサーのポーラ・ワーグナー、共演のケリー・ラッセルの舞台挨拶がある。そして、あの「なっちゃん」も登場。
ときおり極度のミーハーになるため、トム登場に喜んでしまった。だが、それと同じくらい「なっちゃん」に喜んでしまった。もちろん初めての生トム(生ハムではない)は、10メートルくらい前で見ると、「やはりスターだ、かっこいい!」の感想を抱く。生なっちゃん(ジュースではない)も初めて見た。テレビや雑誌で見るより大分小柄な印象を受ける。陽気な方である。

 映画は、たいへんスピード感溢れるものだった。
かなりおもしろい。観て損はない。おもしろ~い!これはオススメです。

 帰り際、とあるクルーズ似の方から、とあるトムのサインを頂いた。なかなか手に入らない世界でひとつの激レアもの。せっかくなので、ここで自慢したくて仕方ないのだが、ここにはうまく画像が写らない。ご興味のあるミーハーな方には、直接お見せしたいものである。


6月20日(火)

 最近気になるのがベビーカーを押しながら携帯電話を使用しているひとの姿だ。駅構内などでときどき見かける。別にベビーカーが突飛に見えるわけでも、携帯電話を使うことに文句があるわけでもない。その両方が同時に使用されている風景が、なぜだか非常に奇妙なものに映ってしまうことがある、ということが言いたいのである。

ベビーカーを押しているひとは、十中八九女性である。おそらくベビーカーに乗っている子の母親だろう。この姿から、現在の母親世代もまた、簡単に携帯電話を持つ時代になって久しいことを意味すると言える。それはそれで結構である。老人用電話もいくらか出ているご時世だ。それより若い世代が携帯電話を利用するのは、ごく当然のことだろう。

 しかしこれがなぜ奇妙な風景に映るのか。何ともいえない感情がわたしには毎度のように湧き起こるのである。携帯電話を使うといっても電話をしているのは、ほとんど見たことがなく、必死になってメールを打っているかサイトを見ている姿が多い。片手でベビーカーをごろごろと押しながら、もう一方の空いた手で電話のボタンを押している。目は当然画面に向かっており、ベビーカーの主役であるわが子の方には見向きもせず、たまに「わー」とか「がー」とか、口だけは言いながら、手と目はそのままの場所なのがほとんどだ。

 何とも嘆かわしい姿ではないか。いったいどっちが大事なのだろう?と思う。どっちが大事などという比較の問題でもないが、そんなふうに見えてしまう。(そもそも「どっちが大事」などという疑問を抱かせてしまう辺りが問題かもしれないが)。

 「私だって、日々子育てでしんどいのよ。自分の時間も持てないくらいに忙しいのよ。ベビーカーを押すときくらい自由にしたっていいじゃない」。

なるほど、おそらく、そういう向きの声もあるだろう。忙しいのはほんとうのことだ。子育てに暇はない。ゆとりも少ないだろう。自由にできるときくらい自由にしたいのも当然だ。それは物理的にも精神的にも。それはそれでわかる。だが、やはり「?」が付くのである。

何もベビーカーを押すのは女でなければならないとは思わない。子育ても同様だ。女もできる子育てなるもの男もしてみんとてするなり。やってみれば誰でもできる。子育てをする性別の問題ではない。事実ベビーカーを押している父親らしき人物も、携帯電話とセットで見かけたことがある。
問題は、性別どちらであれ、ベビーカーを押しているひとが、携帯電話に現を抜かしている現状を目の当たりにする度に、どうも釣り合いのとれないギクシャクしたものを感じるということだ。ある種異様な組み合わせに見えてくることもある。果たして、誰もがそんなに忙しいのだろうか。

未だ納得のいく理論は構築できておらず、ただその風景が奇妙だという自身の「感覚」でしかない。だが、こういうのを見ると、いったい何が中心で動いているのかわからなくなってくる。ベビーカーを押す時間を惜しんでまで、あるいは押す以上にメールやWEBサイトに目をやることが大事なのだろうか。それほど切羽詰った状況なのだろうか。そういう親御さんに育てられた子ども行く末がすこし気になってしまう。

 もしかしたらわたしの感覚の方が、世代が古いのかもしれない。現代において、既に何かしながら、子育てしながら携帯電話を使うことは、当たり前になっているのかもしれない。でも、当たり前だったらそれでいいのだろうか。わたしは子どもを持つ身ではないが、どうも変なのである。何かがおかしく感じるのである。この強烈な違和感を持つ限り、今日もまた、それを奇妙な風景を横目でそっと見過ごしながら、隣をそそっと歩いてしまうのだろう。


6月19日(月)

 二日酔いにもなれない翌朝を迎え、朝から残っていた仕事を片付けた。じっくり見直し、近畿地方北方面に送信。これでようやく「あと少し」という状態になった。そういう実感を捉えることができそうな段階に入ってきた。がんばろう。もう少しだ。うん。がんばれ。

このところ暇があれば山下達郎を聴いている。ちょっとした疲れを癒してくれるようでいい。声が邪魔にならないので聴きやすいのだろう。どうもキンキンした響きのある声は、いくらいいものだとされていても、五月蝿くて聴けないのである。耳というより頭が痛くなるのだ。

いつだったか(って随分昔になりますが)、世界の主な音源がレコードからCDに変わった。わたしはCDを聴いて初めて吐き気がした。そのときの感触はいまでも覚えている。なんだか無機質で、一気に気持ち悪くなったのだ。歌っている歌手が悪いとか、へんてこりんな音楽だったということではない。どちらかといえば、好きなものを好きな時間に、好きなふうに聞こうとしていたと思う。CDという媒体そのものに酔ってしまったのだ。「げろろおおおお~~~」と吐いたわけではないが(だいたい吐くなんて人生で数えるほどしかない)、妙な胸のむかつきがあった。それからしばらくは、CDを聴いたときに起こる胸のむかつきがあるのはわかっていながらも、聞きたい気持ちに負けて買うなどを除き、ラジオ専門、レコードプレーヤーの人間だった。だから初めて聴いたビートルズも、初めて聴いたユーミンも全部レコードだった。

 それでも慣れとはたいしたもので、あるいは、人間はタフなものなので、気が付いたらCDも聴けるようになっていた。初めて感じたあの胸のむかつきを忘れたわけではないが、以前よりは大分普通の感覚で聞けるようになった。今でも時々思う。あの胸のむかつきは、なんだったのだろうかと。ついでに言えば、MDにはそのような気持ちの悪い感触を抱いたことはない。それでも、MDよりは、どちらかといえば、カセットテープの方が聴きやすかったりする。結構20世紀アナログ人間だなあ。

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