6月9日(金)
人と話すのがだんだん楽しくなる。金曜日の憂鬱よ、さらば。
6月8日(木)気分はもう「体育の先生」
亡くなった祖父の遺言は、「いつ先生になるんや?体育の先生になるんか」だった。病床の祖父は僅かに取り戻した記憶の中で、呟くようにそう言った。ベッドの傍らにいた父は、せせら笑うかのようにして、言われたわたしのほうを見た。「そんなもの、なれるはずもない」と言わんばかりの目でわたしを見た。それから実際にそう言った。意味もなく、訳もなく悔しかった。あの日のことは、場所も時間も空の色も、今も変わらず、忘れずに覚えている。なぜ悔しかったのかはわからない。無性に腹も立った。相手がそういう人間だと理解しているつもりでも腹の立つことがある。
6月7日(水)
ようやく背中が治りかけてきました。ばんざーい!
6月6日(火)
6Bの鉛筆少年は、相変わらずだ。最近ではHBの鉛筆幼年に成り下がり、行動もそれに準じて幼くなってきている。「ひ」と「し」が時々入れ替わる。「ひっぱりだこ」は「しっぱりだこ」、ときどき「ひらがな」を「しらがな」と読む。もちろん一人称は、「おいら」である。
6月5日(月)
もらった豚肉の生姜焼き弁当をうれしそうに食べる。
6月4日(日)
月窓寺道場30周年記念演武会に行く。
数々の多田塾門下の先輩方の演武を拝見した。これほどたくさんの同門道場をいっぺんに見たのは、初めてである。すばらしいなんてもんじゃない。そんな言葉じゃ足りないくらい。多田塾の「四天王」であられる坪井先生、亀井先生、窪田先生、山田先生の演武も拝見できた。いやあ、かっこいいー。
また、同じ多田塾のさまざまな演武を間近で見ることができた。
祝賀会では、ひさしぶりの方々と言葉を交わすこともでき、とてもうれしかった。
多田塾でよかったと、本当に思った。 心の底からそう思った。
6月3日(土)
暑いがまだ「氷」は、出ていない。
天国は、まだ遠い世界かもしれないし、すぐ近くにあるのかもしれないと思うこの頃だ。
6月2日(金)
ひさしぶりにゆっくりした週末だったので、シャツでも買おうかと思ったが、ゆっくりすることにして、早くうちに戻る。しかし、うちに戻るとすぐまた新しいシャツが欲しくなった。
6月1日(木)
六月になった途端、急に暑くなった。
大阪・神戸あたりは、日中は30度を越える真夏日となったらしい。たらたらと汗が出る。
日が眩しいので、学内の少しの移動でもサングラスをかける。
目から焼けると聞いたことがある。
直射日光を吸い込むより案外よいものであるかもしれないと思って以来、サングラスはこっそり愛用している。
さらに、皮膚がだらだら焼けるのも何なので、長袖を着ている。あとは帽子でも被ればよかろうか。
日傘も日よけにいいが、何をするにも片手がふさがってしまう。これといった気にいったデザインが見つからない。キャラに合わないので、どうしようかとすこしばかり考えている。
5月31日(水)
「Mさん、お元気ですか?今頃どうしてますか?」
「え?オレのこと?」と今思った人、ええ、あなたのことです。
「え?ワタシのこと?」と今思った人、ええ、君のことです。
5月30日(火)
気がつけば、五月ももうすぐ終わり。慌しいというよりも忙しなく、感慨深くなるような時間もなかった。ただただ毎日を忙しく過ごすばかり。そのうえ、雨が多いもんだから移動もたいへんなもんさ。スーツを着ているときなど、その雨に打たれないように気をつけて歩くが、荷物が多かったりだ。ちょっとしたバランスを崩したりで、スーツは、一気にびたびたになってしまう。これは哀しい。できるだけ濡らしたくないのだが、そんなことはお構いなく激しい雨が降る。
今日は、みなさまにご報告およびご挨拶。
一昨年、邪道における「邪王」を任命され、免許皆伝となりました。その後1年間、特に目立った成績や芳しい成果がなく、三月には四級に降格。それでも飽くなき精進により、同年三月の数時間後、九段を允可されました。そして本日、めでたく「邪王」を允可され、再び返り咲きました(将棋の名人戦みたいですね)。ともあれ、こうして、また、たくましく「作為なき悪意」の道を遠慮なく進んでいくことになります。今後ともご贔屓によろしくお願いいたします。