年末年始所感
1月6日(木)
千枚漬けを食べ、数の子を食べ、みかんを食べ、チョコレートをほうばるなどしつつも、正月三が日の気配をそこかしこに漂わせながらも、餅はやめてせめてご飯にして、現実に戻そうと必死になるいちにち。
1月5日(水)
届いた年賀状の返事をひたすら書く。年が明けてから年賀状を書くのは申し訳ない気もするが、思わぬ人から届いたり、年が明けたから思い出したりするのだから、こればかりは仕方ない。などと思いながら、とにかくがしがしと書く。
夜は新春特番の『夏目家の食卓』をだらだらと明治を想像しながら、すこし見る。
夏目鏡子には宮沢りえ、夏目漱石には本木雅弘といった、あのCMでもおなじみの顔合わせ。演出が久世光彦のせいか、どことなく全体がコメディタッチで、漂うの雰囲気はどことなく「寺内貫太郎一家」。しかしあんな神経衰弱で神経症で胃が弱くて癇癪持ちでそれでいて大食漢の人と暮らすというのは、いったいぜんたいどういう神経の持ち主ならばやっていけるのだろう。神経衰弱になる側ならば、そんな気苦労などどこにもなかろうが。
1月4日(火)
昼過ぎに渋谷で、ゆりさま@自由が丘道場と待ち合わせして、明治神宮を参拝。
神宮では、それぞれ気になるお守りを手に入れ、お賽銭を入れ、拍手を打つ。初詣に行きそびれたわたしは、これが新年最初に参る神社となったので、おみくじをひく。(どこか別の神社ですでにおみくじをひき、めでたく「大吉」をあてたらしいゆりちゃんは、にっこり後ろで待ってくれている「いいひと」である)。
ところが、ここのおみくじは吉凶を占うものではなく、「○△しましょう」といった助言的なものであった。期待していたのとは大分違っていたので、思わず拍子抜けしながら、神社に括りつけてくる。おそらく、またどこかでひいてしまうだろう。
神宮を出て歩いていると、表参道から青山通りに突き当たるまで通りにあった、「古い長屋のようなアンティークなものばかりを売っているような芸術家を目指す人たちが住んでいるような通りに面した建物」は消えてなくなり、近々違うものになるようだと知った。全面改築中の鉄板が建てられていてなかの様子は伺えなかったが、これまでの建ち並んでいた建物の姿はどこにもみえなかった。よく知りはしない通りでも、古きよきモノが消えていくようで寂しく感じる。
青山通りまで来たので、せっかくなので、かの有名な「われらが」青学の前まで行ってみる。さらにかの有名な銀杏並木が見えてくる。
1月3日(月)
昨晩に見た夢が初夢と言うのなら、夕べは非常にどぎまぎする夢をみた。よく眠れなかったのも確かで何度も時計をみた記憶がある。
年末にひいた風邪をこじらせるほどのことはないものの、治る気配もないまま、東京に向かう。多田先生宅へお年賀にうかがう。気錬会のみなさまにもお会いする。
1月2日(日)
正月二日目は、年始の挨拶がてら来た父方の実家で迎えた。諸般の事情で十数年ぶり(だと思うがそれ以上かもしれない)に泊まらされたのである。
風邪をひいている身には、田舎の寒さはこたえる。寒さは、表の水道の蛇口が凍っているくらいで、息は当然のように白く、廊下は寒い。もう二度と泊まりたくないとは、新年の決意。
1月1日(祝)元旦
新年あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。
12月31日(金)大晦日
「えらい雪ですねえ」
誰かに話しかけている実家の母の声で目が覚めた。地面が凍るくらいの雪が降る。あまりに寒いので、夜に着物を着て出かける予定のお参りに行くことを迷った。
テレビの紅白は、ことしも相変わらずおもしろくない。そろそろこれを見るのもやめようと思う。ことしは民放2チャンネルで格闘技があったが、試合そのものはあっという間で、知らない間に流される前の試合は、これまでどれも観てしていないし、わからないので、ついていけず、結局殴り合いにしかみえない。レコード大賞も、これと言ってパッとしない。ことし売れた歌というのが思い出せない。見ていても、司会者の人たちのバランスの悪い背丈の差が気の毒になるだけだ。画的によくない。こんな単純なことが、どうしてわからないのだろう。「暮れのスケジュールが空くひと」ということがネックになるのか。とにかく明らかな人選ミスだ。これなら大晦日恒例の『ドラえもん』の特別番組のほうがまだマシだ。けれど、たいしてこれもおもしろくない。原作者がいなくなって以来、番組は勝手におもしろくなくなっていく『ドラえもん』である。それにしても細木数子は、いつまでテレビに出るつもりなのだろう。本人は本人の占いをしないのだろうか。六占星術そのものはおもしろそうでも、ここぞとばかりに前のめりになって出てきたがる芸能人が画面に溢れていると多少どころか随分哀れにみえてくる。
年越しそばをずるずるとすするうち、年が明けた。寒さはやむことなく、風邪はひいたままなので、結局お参りはやめた。
12月30日(木)
『ハウルの動く城』を観てから年越しをしたかったので、昨日実家に帰省する前にこっそり映画館へ足を運んだ。
感想を箇条書き。ネタバレするといけないので読み飛ばしてください。
・ おもしろかった。おもしろかったが、物語がどことなく閉じていた。男女間の話し最終的にまとめているのがよくない。
・ 原因は、キャラクターの対象年齢がこれまでよりも明らかに高く設定されているからのようにみえる。(と勝手に解釈)。
・ 雰囲気はよかったが、さまざまなほかの話を思い出させる。
・ 思い出したのは、『銀河鉄道の夜』、『オズの魔法使い』、『マトリックス』、『天空の城ラピュタ』、『魔女の宅急便』、『もののけ姫』である。
・ 最後のほうのは、同じ作者のだから混ざることはあったとしても。
・ 宮崎アニメのテーマには、「掃除」があるのだろうか。何かで深く関わっているのだろうか。「掃除」する人が多い。それを職としているのだ。
・ そして引っ越しも。空を飛ぶ以上に。
掃除。たしかに掃除や片づけをしてから出ないと物事が始まらないのはよくわかる。部屋がすっきりしないと先には進めないのである。新しいことに取り掛かるときなどは、とくにそうで(わたしもその口だ)、部屋が散らかしっぱなしだと何もできない。ときには自暴自棄になる。ぎゃーっと悲鳴でもあげたくなる。そこいら中を散漫している埃とか塵とかいうだけの問題でもない。そんなことは場合による。それよりも、本やらモノが、ごちゃっとして落ち着かないバランスの悪さというのがある。きっとある。誰にでもあるだろう。一定の水準を越えると感じるような線があるのだろう。
年の瀬だけに余計にそう感じる。