1月28日(金)
現在の京都府南区にある東寺は、空海(弘法大師)が真言密教の根本道場と定め、教王護国寺と称したところである。その正式名称は金光明四天王教王護国寺秘密伝法院という。
その東寺では、毎月の空海の命日に「弘法さん」の名で親しまれる縁日がある。きょうはその日ではないけれど。
東寺には、木造建築としては日本で最も古い五重塔がある。(現在は期間限定で一般公開中)
五重塔のなかには、ど真ん中に「心柱」と呼ばれる柱がある。心柱は、そのまま一本のものが55メートルの上空まであるのではなく、三本に柱を継ぎ足したものである。この空高く太く伸びた心柱を大日如来と見立て、周囲の須弥壇上に阿_剛仏薩
仏様は背中を合わせるようにして座っている。
仏様の両はじにはまた別の柱が四本建てられ、塔そのものを支える。四天柱と呼ばれるそれには、金剛界曼荼羅諸尊が描かれているのだが、明治の頃の廃仏毀釈により剥落され、現在はそれが示す元の姿を留めていない。
周囲の壁には、真言密教を日本に伝えた真言八祖像が描かれている。
五重塔に足を一歩踏み入れると、このような世界が広がっている。
目頭が熱くなる。理由のほどはよくわからない。けれど、理由を思うより先に手を合わせている。
金堂にある薬師三尊と十二神将の大きさには圧倒された。とても大きい。写真や図版などで見るのとは桁違いの迫力がある。
ふとした瞬間、金堂には、仏様とわたしだけになっていた。
ゆるゆると拝んでいたのもあって、ほかの見学者が見終わって移動されただけのことかもしれない。壮大な仏を前に、ただひとりそれを前にしているというのは、とても心地よいことである。そして仏様もまたこちらを見ているような気がしてうれしいものである。
するとまた、目頭が熱くなる。幸せなときであるはずなのに、今度は頬を伝うものがあった。
流れる液体を拭うハンカチは持っていた。だが、拭い方をよく知らなかった。なぜそうなってしまうのか、理由がよくわからなかった。そしてまた手を合わせた。
講堂には立体曼荼羅があった。二十一_仏豊仏顔
「仏の顔も三度まで」。このときの「仏の顔」というのは、きっと穏やかな仏の顔のことをいうのだろう。
大師堂など庭を散策し、天気のよい空を見上げて寺を出る。
蓮華王院とは、三十三間堂のことである。天台宗の寺である。
本堂には、すらりとした長身の千手観音立像は金色に輝き、整然と並んでいる。
場へと足を踏み入れた途端、口が空いてしまう。「ぽかん」とした表情はあまり見せられたものじゃない。
あまりの数の仏像の多さに圧倒される。あまりの数の仏像のまっすぐさに驚かされる。見ると聞くとは大違いである。
本堂の真ん中には千手観音坐像があり、その左右に10段5列で500体ずつの立像が並んでいる。(正式名称「十一面千手千眼観世音菩薩像」)
よって、本堂のなかには、1001体の観音像があることになる。だが、きょうは3体が博物館に出張中らしく、実際には997体がある。
それでも、さすがに表情の違いは、はっきりとうかがえる。
いったいどれが仏の顔なのだろう。とまたしても同じ思いをはせてしまう。
「すべての顔が違う」というのがまた千手観音立像においていわれることである。また「千人のなかには必ず知人の顔がある」と聞く。そうであるなら余計に、「仏の顔」は、どこにあるのだろうか。
これは、「仏の顔」は誰にでも共通して一般化できるものではないのだということ、同時に「仏の顔」は誰の周囲にでもあるということなのだろうか。
考えてもわからない。考えるべきことではないのかもしれない。
なにぶん頭が悪いのだ。だから頭がよくなるように、北野天満宮へと方向転換してみるのは、どうだろう。
1月27日(木)
たしかにわかることは、目覚める朝があり、寝静まる夜があるということだ。そして、いつの日か、目覚める朝が来なくなるということだ。
究極を言えば、その日を迎えるためにいる。しかし、その日の朝を迎えた実感は誰にもわからない。誰ひとりとして知ることができない。