« 同性愛について考える | メイン | 眠れない »

髪切り歴程

1月21日(金)
 本日は、カットモデル第三弾。というわけで、ミツヤスさんのさらなるご厚意により、年末にかけたパーマの髪を短くカットしてもらいに出かける。ほんとうに、いつもお心遣い、ありがとうございます。

 知るひとぞ知るわたしの後ろ髪は、極端に勢いよく跳ね上がっている。つまり地上から上向きに、逆立って生えているのである。それを如何に手ごろに扱いやすくするかというのが、きょうもまた問題になった。

 これまで、どの美容室のどの美容師さんでも、この同じ問題で頭を捻ってもらっている(はずだと思いたい)。

 ミツヤスさんもまた言われるように、この後ろ髪をばっさり切るとか、あっさり刈る、という行為に走れば、いま目の前に見える髪は落ち着く。しかし髪は伸びるものである。伸びるということはつまり、形が変わるということであり、切ったその日のそのままの形で形状記憶することはありえない。しかも髪の伸び方は均一ではなく、たとえば前髪の右側が十日で3ミリ伸びたとしても左側が3ミリ伸びるとは限らない。3ミリ伸びるかもしれないし、2ミリかもしれない。2.5ミリかもしれない。おそらくは、そういうことを想定した上で、ハサミを入れていただくのである。(と思う)。

ハサミを入れていただきながら、美容師という職業にとって、現在は既に過去であり、未来こそが現在の時間となるような仕方で時間もまた同時にまさしく刈っているのではないか、とそんなふうに思った。そのスパンがほかの物事に比べれば、1ヶ月とか2週間というふうに、わりと短い単位で起こることなので、そうは感じないのかもしれないけれど。

 さて、件の後ろ髪を最善のかたちに留めるべく、いろいろと悩んでくださっていたおかげで、これまでにないよい納まりをみた。いや、ほんとうに。アシスタントの方もいろいろとお気遣いいただき、ありがたかった。

こまめに刈り取られていく鏡のなかのパーマ髪をみているうち、束の間のミニョンさんこと「ヨン様」と呼ばれた自分を思い出した。(嘘ではない。ほんとうに呼ばれたのだ)。それが切られる途中には、「ヨン様」とライバルの役を演じた「サンヒョク」のようにみえた。(あくまで途中段階のこと)。最終的には、一部で集中的に話題となったよく知らないが、トゥーンティッキ(@ムーミン)と呼ばれたその髪に別れを告げる。

こうして、新生うっきーは、すっきりした髪になった。そうなるとこんどは、「君に言い訳したね」と回想している「いちご白書をもう一度」の青年が、長い髪をすっきり切り落としたときの気持ちってこんなのかなあといった疑似体験へと挑んでしまったのである。

1月20日(木)
 ロシアといえば、わたしにはピロシキほどの知識しかなく、テトリスほどの情報しか持たない。それでもテトリスはうまいほうだ。いつだったか、いわゆる「家庭用ゲーム機」なるもののソフトに異様なほどはまった。ゲームなんて目をつぶっていてもできた、とまでは言わないが(だってそれじゃあできないじゃん)、歌を歌い、ときには口笛を吹きながらやってたものだ。最近じゃあ、チェブラーシカがかわいい。でも、それよりもいいのは、やっぱりコサックダンスだろう。これも一時練習したことがある。もちろん袖を両腕に通して、えいさほいさと。

そういや実家にもまた       があった。こどもの頃から大好きだったそれを、あるとき、ええかっこしいの父は、遊びに着た父親の知人のこどもさんか誰かにひょっこりあげてしまった。あとから事実だけを聞かされたそのうちのこどもは、たいそう恨んだという。恨みは、いまでもはっきり覚えているということである。もちろん、それは誰の物だというものでもなかったので、恨むことも怒ることもないのかもしれないが、誰のものでもないからこそそんなことをしてはいけないのだと、こどもごころに思ったのである。それ以来、気が向くと代わりのものを探す習慣がついているが、なかなかもって、あのとき、うちにあったあの顔に似たのは見つからない。そう、あれは世界にひとつだったんだ。それぞれの顔にはそれぞれの味があるのだろう。けれど、あれほど素敵な顔はなかったなあと、幼い頃の記憶がまた蘇る。

そんなことをいろいろと思いながら、生まれて初めてロシア料理を食べた。

1月19日(水)
 時間があったので、思い切って掃除と洗濯なんかを一気にしていたら、すぐさま雲行きが怪しくなった。ほんと、困るなあ。こういう性格。

 

1月18日(火)
 きょうは門戸厄神のお祭りがある。厄神さんと駅から続く道は結構な人だかりで、屋台もたくさん出ている。

 偶然だが、震災の日のあとに厄神さんのお祭りがあるので、(というか厄神祭は毎年決まった時期になされていて、たまたまその前日に地震が起きたのである。順序が逆)いまでは毎年、立ち並ぶ屋台を目にするたび感慨深くなる、といった仕掛けになっている。

 カスタードクリームの入りのたいやきを食べていたら、「そりゃ邪道ですよ。たいやきはやっぱアンコですよ。しかし食べるの早いですね」と言われた。

別にいいじゃない、カスタードクリーム入りを食べたってさー。好きなんだからさー。捜してたんだからさー。ぶーぶー。あ、もしかして、欲しかったの?

しかし言ったその人は、きっと知らないのだろう。わたしが邪道だってこと。

1月17日(月)
 きょうは、地震が起きた日から十年目の朝になる。

午前中は、震災の日のことを祈念するセレモニーに出た。

 その後、昼食には、震災当時を思い出されるものを口にした。
それは、その名も「レスキュー隊」と呼ばれた、この大学に在職される教職員の方々が自然発生的に集まってできた活動隊に提供された食事を模したものであるそうだ。

初めてのそれを、本学のチャプレンと一緒にいただいた。
なんともまあ、神に見守られているような気分だった。不謹慎な言い方だが、このような流れのなかに自らがあるとき、改めて日々の営みに感謝できるものなのではなかろうか、と感じた。

 しかしこれでようやく十年である。

1月16日(日)
 滞っていた所用をいくつか済ませると、すこしすっきりする日。

1月15日(土)
 きょうは雨が降ったり止んだり寒かったり冷えたりの一日だった。受験生はたいへんだろうなあと思う。

About

2005年1月23日 10:37に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「同性愛について考える」です。

次の投稿は「眠れない」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。