1月14日(金)
不思議な朝だった。不思議な昼だった。不思議な夜だった。それはまた結構素敵な日だった。
1月13日(木)
お昼に頂いたぜんざいがほんのりと暖かく、うまかった。
以前は、小豆なんて食べにくいものだなあと思っていたものだ。
「つぶはいやだぜ、こしあんしか食べない」とか「丁稚羊羹は好き」と言っていたものである。最近は、打って変わってぜんざいが好きになった。まだ正月のうちに、あんこを買っておこうかと初めて思う。
1月12日(水)
昨日からが新年みたいで、ひとり勝手に活気づいている。だから、きょうは、「気持ちは新年」みたいでうれしかった。
なんだか素敵ね。いかんいかん。こんなところで練習しては。
1月11日(火)
新年初回の大学院ゼミは、「アメリカの同性愛事情」というテーマでの演習。
演習についての内田先生の見解は、先生の日記に詳しい。
顔を出しているもののひとりとして感じたのは、やはり同性愛が息苦しいものにみえることがある。それは、ことばの縛りを受けているという意味において。
「誤解を恐れずに言えば」という表現を借りれば、(わたしはこの表現を公的に使うのは初めてなので、これから書くことは、ほんとうに「誤解を恐れずに言う」のであって、他意はない。)これまでもたびたび同性愛に興味を持ち、たびたび考えることがあった。
「興味」を持つとは「そうなりたい」のとは違う。同性愛というものが、単純に「どういうものであって、どういった仕組みで同性愛とみなされるのか?」ということを思う。しかししばしば、こと同性愛に限らず言えることだが、そういうふうな思考をすること自体、あるいは疑問の抱き方自体、かなり暴力的な発想から組み立てられたものであると言えそうである。そして結局は目に見えない痛みを、そういうふうに考えてみてしまったわたしの側もまた、どこか伴うことを知るときがある。
それでも同性愛というものがあり、それが必要とされる時代や背景があるには違いない。
もっとも初期の段階での個人的関心は、どこまでがそうで、どこからがちがうのか、その線引きは難しいということであった。たとえもし仮に、人間のうちのいくらかのひとが自らを「同性愛者だ」と感じても、公にする/しないといったことを、すべてのひとが公言するかといったら、そうでもないだろう。また、公にしたところで、全部が全部ざっくりそのままおなじ同性愛のジャンルに入るとも限らない。さらには、ここにジェンダーの問題も絡んでくる。ジャンルとかジェンダーについては、異性愛の場合であっても、同じことかもしれないけれど。
文献をみても先人に聞いても教えを請うても、同性愛と異性愛の区切り目となる明らかな線引きを教えてくれる答えは、どこにもなかったように感じる。途端にジェンダーやらセックスやらががんがん飛び出してきて、精緻に微細にそれらを語り分ける語法が散乱していくばかりにみえたからだ。
そしてそれらは、どこかで、「私は隣の人とは違う」ということを言わんとするがために性的な語法や場面を引き出してきて、微妙な差異を語り歩いているのかのようだった。それはとてもしんどそうだ。違うのは当然だ。どのように違うのかを言い募ることは、疲れる。
どのような性的志向であるかをわかっておくことも必要かもしれないけれど、何もそんなに、ひとと違う、違うって大声で言わなくてもいいのではないか、というふうに感じるようになった。なんでそんなに違うことを強調するのかとも思えてきたのである。
というのも、かくも細かく細かく分けていくと、当たり前だが、分けると分けるぶんだけ対象が小さくなる。よって一個人としては、自分以外に人との差は激しくなる。そうしてそれだけ「私は隣とひととは違う」ということがことばのうえでも強調される。「性的マイノリティ」という語の意味を汲み取るまでもなく、少ないからこそ困難で少ないからこそ目立つのだ。だからこそ細かくなればなるほど、「それぞれ」がきちんと小さくなる。しかし生まれたときから、ひとって、みんな違うんでないの?違うから仲良くしたり、喧嘩したり、関心があったりなかったり・・・と単純に違う水準に話をもっていきたくなるあたり、ノンキなんだろうか。
とはいえ同性愛であることを声で挙げて語れる人のほうが、圧倒的に少ない世の中である、というのはおそらく事実である。語れる人は、それなりに語ることを知っていて、語り方を持っていて、語る場を見つけた人たちなのだろう。そうでない人はただただ静かにどこかに生きている(はずである)。
いまこの世界で、「わたしはヘテロセクシュアルです」なんて自己紹介をする人は、あまり聞いたことがない。性的なマイノリティが集まるような集会や会合といった、予め集まる人物を選定しているような場でない限り、おそらくそういう発言は避けられるものである。「避けられるものである」というよりもむしろ「せずにすむ」、あるいは、異性愛が当然の世界であれば、「しなくてよい」というほうが、よりことの事実に正確だろうか。ということは、どちらの、どこの、なに愛であれ、そんなことを「せずにすむ」社会をつくることのほうが、よほど重要ではないのだろうか。それが語りあい、声を挙げることに加えて、キリのない細分化することでしかできないのなら、それはやっぱり疲れるので、何か別の方法がいいのだけれど。
性よりも何よりも人間同士が関わっていくことなのだから、結局人間がどういうふうに関係していくのがいいのかを考える必要がある。その場にいなけりゃわからないこともあるし、第三者でなければならないこともある。身体に聴かねばわからないこともあれば、ことばでなければ届かないこともある。問題は語り口や人の多さや数の多少で決めたことだけが、幅を利かせるものでもなかろうて、てなことだ。そして生まれ持った性なり性的志向なりだけで人間ができてるんじゃないんだあ!てなことだ。
などとまあ、いろいろぶつぶつ思ううちに疲れてきたので、うちに帰ってすぐさま忘れることにした。
『しあわせな孤独』といかいう、よく知りもしないで適当に借りてきた最近のフランス映画を観る。
冒頭、父親に誕生日のプレゼントをねだるこども(男の子)の会話が目に留まる。
こども「誕生日に馬が欲しいな」
父親 「馬はダメだよ 女の子向きだ 男ならゲーム機だ」
こども「僕 ゲイかな?」
父親 「違うよ 8歳じゃまだ分からない」
こども「ゲイなら?」
父親 「カミングアウトするのは12歳になってからだ いいな?」
こども「うん」
そのあと父親は、こどもがいつもかけているメガネがないことに気づき、椅子の上に置きっぱなしだと言うそれを取りに行くように促し、こどもはメガネを取りに行く。
こどもを寝かしつける父親を真ん中に、もう一方の隣にはメガネを取りに行った弟である男の子が座っている。今度は弟のほうに向かって、「おまえも馬が欲しいのか?」と笑いながら尋ねる父親。弟は要らないと答えるが、父親は「本当にそうか?」と聞き返し、「くすぐってやる」と言って、こどもをくすぐる。じゃれあうような感じで、笑い合う親子がいる。そうしてじゃれあいながら、父親は「手術で手を切ってやる」と冗談交じりに、こども手を斬る仕草をするのである。
たとえ、財政的に父親がこどもに馬を買うことが困難だったとしても(しかし最後まで観ればそうではないということは容易に想像されるが)、このようなやり取りが日常的に繰り返されているのだろうか。フランスの親子事情も同性愛事情についてはこれまた詳しくはないが、それが日常語として形成され、普段使いのことばの中に何の衒いもためらいもなく、ふらっと出てくるようなことになっているんだろうか。
うううむ。
せっかく考えるのを忘れようとした途端にこれだ。しかしよく見れば見るほど、何とも怖い例えではある。
1月10日(月)
祝日のはずの営業日。
1月9日(日)
三軸自在修正法の講習会に参加させていただく。(三宅先生ありがとうございます)。
正月はじめの連休半ばの朝は街の風もまたすこし冷たい。けれど、これから始まる話を楽しみに歩く日は、どんなに天候が悪かろうと、わくわくして格別なものがある。
ところでわたしは、幼い頃から、ひとよりピンと来るのが遅い。
ひとと比べてどうこうなるものでもするものでもないが、「早い記憶」をもってしてできたことなどほとんどない。のぼり棒も逆上がりも着替えも食事も走るのも。嘘だろうと思われるかもしれないが、おそらくそうだと思われる。合気道もまた然り。
かろうじて「早生まれ」の時期に属するけれど、これだって結局はあとまわしの部類のことだ。少々早口かもしれぬが、これもどうだろう。最近はよくわからない。理解も技量も達成も遅いのだから何ともいえない。わからない。わからない。
つまり何事も身体であれ、頭であれ、腑に落ちるのが遅いのである。それがナンなのかなあと思っても、思ったままどこかにぼんやり保留されたまま(それも怪しいもんだが、まあとりあえず)、勢いでパッと瞬時に返事をしたり考えたりできない。そういうことができる人はいいなあと思う。
しかし何をやっても遅いばかりで優秀でないことにはひとつだけ利点がある。それは「ああいうふうになりたいなあ」と感じ、思い、あこがれる人が、いつでもまわりに大勢いるということである。これだけは、誰にも負けないくらい豊富である。だから、生きていくうえでの楽しみには事欠かないのかもしれない。
三軸というのが、いまだわたしのなかでは、何であるのかはっきりとはよくわからない。
わかったからどうというわけでもないし、わかったからといって先に進めるとはかぎらない。それもまたわからない。かろうじて、わからぬこととどこか興味があることだけはたしかなので、とりあえず何かをわかりたい身体と頭があって聞いていた。
どなたかの質問に、「わたしは患者のことなんて、考えたことがありません」と言われた池上先生がおられる。それをお聞きしたとき、わたしは眠たくなりそうな身体の全身からピンと来た。「来てよかった!」と心の底から思えた。(あら、失礼なはなしだこと!)
「ああこれだ」と、ぐっときた。
さらに先生が続けられたことばに、ぐぐぐっときた。
たいへんおこがましい話しだが、わたしもそう思って、これまでずっと生きてきたのである。大それた話だが、ああいうひとにわたしはなりたい、とまた思ったのである。
1月8日(土)初稽古と鏡開き。
風邪ひいて身体が重いぞ初稽古
年末風邪をひきっぱなしなので、まだ身体が幾分いうことをきかない。風邪は身体によくないね。
正月にすこし食べ過ぎたのと、単純にまた身体がいうことをきかなくなったということもあって、身体がいうことをきかない。食べすぎはよくないね。
身体と、バランスよく折り合いをつけなければ。
♪カラダよ~ ことしもよろしくねええっ~。
稽古後は鏡開きで内田先生宅へ。
誰かが「あのときはこうだったね」とか、「そのときはどうだったね」という。だがわたしには、あまり記憶にないことばかり。でも、そうだったんだろう、と思って笑う。
また、誰かが、「きょうは寂しそうだね」と言ってくる。そう言われると、そんな気がしてきた。寂しいはずもないのに寂しくならなければならないみたいで、寂しくなんかないはずなのに言われてみると無性に寂しくなってしまう。そしたら、そんな姿をみつけた誰かが、さらに「きょうは寂しそうだね」と言ってくる。だからまた余計に寂しくなる。うう、寂しいぜい。
きょうなどは、納会のときと比べれば、異常な食糧難に見舞われ、そのうえ大量の日本酒やワインだけがそこいらをしていく闊歩していくものだから、自ずといつもよりも寂しくなったのかもしれないね。
新年の鏡開きは、ときどきついてないな。
1月7日(金)
授業で『ニュー・シネマ・パラダイス』を扱うというので、慌てて完全版を観た。
いまの自分といくらか重なるところがあって、すこし寂しくなりながらも、ぐっときた。でも、とてもいい映画だった。さすがに有名な監督だけあって、画面もちゃんとイタリアの社会がきれいにひろがっている。