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2011年07月 アーカイブ

2011年07月01日

スーさん、恩師を思う

6月30日(木)

先週の土曜日は、大学時代のゼミ合同同窓会出席のため西宮へ。
ゼミの恩師、畑道也先生が亡くなられて早3年。今回は、奥様もお見えになるということで、これは何をおいても駆けつけねばとの思いやまず、その日は部活動の練習マッチも計画されていたのだけれど、それは副顧問と保護者にお願いをして、出勤する家内の車に同乗して浜松駅へと向かい、8時38分発のひかり461号岡山行きに乗車したのであった。


さすがにひかりは速い。新大阪到着は10時ちょっと過ぎ。受付はお昼過ぎだったので、大阪駅まで出て少し買い物をすることにした。
最初に行ったのはロフト。ここには桶谷石鹸が置いてある。ロフトを出ると、すぐ向かいがMARUZEN&ジュンク堂書店。入口を入ると、すぐ目の前に内田先生の『最終講義』(技術評論社)が並べられていた。その隣には、『大阪人』別冊『天神祭の歩き方地図』( 大阪市都市工学情報センター)も。『天神祭…』の方は「密林」に頼んだばかりだったので、とりあえず『最終講義』だけをレジへ。
阪急梅田駅では、『原発事故はなぜくりかえすのか』(高木仁三郎/岩波新書)を買い忘れていたことに気づいて、紀伊國屋書店へ。店内のレイアウトがずいぶん変わっていたのでびっくりした。

そのまま阪急神戸線の乗り場へ。
西宮北口駅までは15分ほど。階段を登って今津線のホームへ。先日『阪急電車』を観たばかりだったので、つい停車していた阪急電車をカメラに収める。
確か映画では、門戸厄神駅のホームの外れのベンチで、具合の悪くなったおばちゃんと暴力彼氏と別れたお姉ちゃんとがあれこれお話をするシーンがあったと思ったのだが、それと思しき場所にベンチはなかった。あれは撮影用に特別に設えられたベンチだったのだろうか。

程なく甲東園駅に到着。
上ケ原までは徒歩で。学生の頃は坂道を登るのもそんなに気にはならなかったが、さすがにこの歳になると坂道はきつい。
ようやく上ケ原に出ると、互いに向かいあわせの県立西宮高校と甲陵中学校のテニスコートでは、ソフトテニス部の練習が行われていた。つい立ち止まってしばらく見ていた。

KGの正門では、これまた映画に出ていた正門をついカメラに収める。土曜日だからか、学生の姿はほとんど見ない。正門を入ると、正面に甲山を借景にした時計台。この日は抜けるような青空で、空の青、芝生の緑、校舎の白壁、屋根の赤瓦が絶妙な色のバランスを見せていた。ここでもついカメラに数葉を収める。
同窓会の受付開始までにはまだ1時間ほどあったので、そのままゆっくりと学内を歩きながら学生会館方面へ。
購買部では、せっかくなので何か校名入りのグッズでも購入して帰ろうかとも思ったのだが、荷物にもなるしと諦め、書籍を見ながら時間を過ごす。さすがに大学の書籍部は、専門書の類をたくさん扱っている。

そうこうしているうちにお昼も回って受付時間となったので、会場であるKG会館へ。
ちょうど1年前、ここで大学時代のクラブの先輩の結婚披露が行われたので、場所はだいたいわかっていた。学内にある裏口から入って受付へ。名前を告げて受付を済ませ、開会を待つ。どうやら、出席者は20名ほどであるらしかった。
しばらくして先生の奥様がお見えになった。ご挨拶をして会場内へ。席は自由だったので、そのまま奥様の隣の席に。
開会は午後1時。しばらくして、参会者一人ひとりからご挨拶をということになった。年齢の古い順ということで、自分は3番目に話すことになった。
それぞれの人が畑先生との思い出を語った。
特に、「あの時、畑先生はこうおっしゃいました」という、先生からの言葉を紹介される方が多かった。
どの人の心の中にも、畑先生との思い出はしっかりと刻まれていた。まるで、先生が眼前におられるような錯覚に陥った。
奥様からは、「みなさんがおっしゃったことは、言わば<月の表側>みたいなもので、家庭での姿は<月の裏側>でございました」と、実際にご家庭での先生の言動をご紹介してくださった。その際にも、まるで先生がその場にいらっしゃるような錯覚に陥った。いや、たぶん先生はあの部屋のどこかでその様子をご覧になっておられたのだろうと思う。
来てよかったと思った。

帰途、心の中にはヴォーリズの校舎と畑先生の姿がくっきりと蘇っていた。
その重なりとともに、自分は先生から教えていただいたことを、これからどのような形で「パス」していこうかと、そんなことばかりを考えていた。

2011年07月16日

スーさん、夏風邪が治らない

7月11日(月)

今月の初めから、中体連の市内大会が始まっている。

2日(土)は、市内37校を3〜4校ずつ計12ブロックに分けての団体戦予選リーグ。
本校は第3シードブロックに入っていた。その初戦、トップのペアが3ゲームリードしてから突然崩れ、そのままタイブレークで敗れてしまう。続く大将ペアは勝って3番勝負。3番はそのつもりで殿を任せられるペアを選んでいたのだが、初戦の緊張からか、どうもピリっとしない。それでも、相手のミスにも助けられて何とか勝利を収める。
すぐに選手たちを集めて緊急ミーティング。「夏の大会」というものがどういうものなのかということを諄々と話す。
それで気持ちを引き締めてくれたのか、続く第2試合は3ペアともすっきりと勝って、まずは予選リーグ1位通過を決めてくれた。

9日(土)は、その続きの決勝トーナメント。
予選リーグを経て、出場校は24校。このうち、上位6校が県大会へと駒を進めることができる。
本校は第3シード。そのため初戦はなく、2回戦からの登場だった。
トーナメントというのはシードが有利になるように構造化されているのだが、ことそれがあまり実力差のない中学生などの場合は、有利に働かない状況も出来する。つまり、シードと対戦する前に1試合やっているチームの方が、試合をしていないシードよりもよく身体が動くということもあるのだ。上位シードが敗れるというのは、そんなときに発生する(実際、今回も第4シードが初戦で姿を消した)。
本校もそうならない注意せねばと思っていた。対戦相手は、おそらくサウスポーの大将後衛選手を擁するT中であろうと予想して、それなりに準備はしていた。
はたして、そのとおりになった。審判をしながらT中の試合ぶりを見ていたのが、どんなオーダーになろうとも、本校選手が日頃の実力を発揮してくれれば、そんなに苦戦することはないのではないかという印象を持った。しかし、それはとんでもなく甘い予想だったことを、この後すぐに思い知らされることになった。

試合が始まった。
トップ、こちらの後衛選手のボールが全く入らない。ネット、アウトを繰り返してあっという間に3ゲームを落とす。何とかそこから盛り返してタイブレークに持ち込んだものの、そのタイブレークではまたしてもボールが入らなくなって敗退。
続く大将ペアは、幸先よくゲームをリードしたのだが、途中から相手のサウスポー後衛がテンポよく打ち出してこれまたタイブレークに。しかし、そのタイブレークは逆にこちらの流れであまり競り合わずに勝つことができた。
そうして3番勝負。3番のペアには、「勝ってヒーローになってこい」と送り出した。ここで負ければ県大会出場はない。しかし、いきなり2ゲームを落としてしまう。この悪い流れのままに負けてしまうのかとも思っていたのだが、そこから相手がミスし始めた。追いついて逆転し、そのまま勝ってくれた。
それにしても、初戦からしんどい試合であった。中学校最後の夏の大会というのは、こういうものなのだと改めて実感させられた。
ともかくも、これでベスト8。

準々決勝の相手はH中。ベテランの外部コーチが細かいところまで丁寧に指導してあるチームである。
初戦で負けたペアには、特に後衛選手にどんなゲームをすればいいのかということを、かなり具体的に指示しておいた。それで本人も吹っ切れたのか、この試合はゲームを終始リードして、いつもの打球力を取り戻していた。ここから2面同時進行になったのが幸いしたのかもしれない。自分たちだけの試合に集中できると感じながら試合をしたためか、隣の大将ペアも勝って、この対戦は3番まで回らずに勝つことができた。
これでベスト4。
県大会出場が決まった。

準決勝の相手はM中。3ペア揃っている好チームという印象だった。
この対戦も2面同時進行で試合が始まった。先ほどの試合でようやく勝てたペア、その試合のイメージを持ちつつゲームを進め、いいところでポイントも取るのだが、まだやはり要所でミスが出て結局敗退。隣の大将ペアは、特に苦戦することもなく勝って、これまた3番勝負となる。
その3番勝負、ほぼ互角の展開でゲームカウント2−2からの第5ゲームをこちらが取って3−2、このまま押し切れるかに思われたが、勝ちを意識したためか続く第6ゲームをストレートで落としてタイブレーク。それで息を吹き返したのは相手のペアだった。要所でミスが出てタイブレークを大きくリードされ、マッチポイントも為すすべなく取られてゲームセット。途中でゲームをリードしていただけに、惜しい敗戦だった。
結局、決勝ではそのM中がシンムラくんとこのK中にストレート勝ちして優勝を決める。

本校はまだ3位決定戦が残っていたが、こちらはほとんど選手に任せて試合をさせた。これも3番勝負にはなったが、あまりプレッシャーを感じることなくゲームができたせいか、そのまますんなりと勝って3位を確定してくれた。
それにしても、初戦からしんどい試合が続いた。前週から続いていた夏風邪がひどくなった気がした。

翌、10日(日)は個人戦の2回戦まで。
各校原則として最大5ペアずつ、計184ペアによるトーナメントである。このうち、県大会への出場権を得るのは上位25位までのペア。3回戦をクリアしないと、敗者復活戦を含めた県大会への出場権はない。
さて、本校の選手たちだが、4番登録のペアが初戦タイブレークの末に敗退。5番登録のペアは初戦を突破したものの2回戦で敗退して、残る3ペアが2回戦を突破した。
しかし、3回戦以降も厳しい相手との対戦が予定されている。できれば3組が3組とも県大会出場を決めてくれればよいのだが。
そうなるよう、また明日から気を入れなおして練習に取り組ませようと思う。

梅雨は明けた。
暑い日が続く。まずは夏風邪を治してからだ。

2011年07月20日

スーさん、夏風邪のつぎは蜂に刺される(でも優勝)

7月19日(火)

土曜日は、市内大会個人戦の3回戦から決勝まで。
本校からの参加は3ペア。
とりあえず、3回戦を突破しなければ県大会への出場可能圏内には入れない。本市から県大会へ出場できるペアは25ペア。ベスト32(3回戦突破)に残れば、次の4回戦で負けても敗者復活戦があるのだ。

最初に登場したのは#144のペア。相手は市内大会団体戦を制した学校の団体メンバーペア。実際、団体戦の時にはそのペアと対戦して、本校ペアが鎧袖一触のストレート負けを喫していた。
個人戦での再戦がわかっていたので、本校ペアには重点的に練習しておくべきことを確認しておいた。
試合が始まった。最初のゲームは落としたのだが、第2ゲームから徐々にポイントをリードし始めた。ゲームカウント2-2から続く第5ゲームを取ってそのまま行くかと思ったのだが、相手もそこから粘ってタイブレークに持ち込まれる。それでも、タイブレークは終始こちらのペースで進行した。そのままゲームセット。団体戦の借りを返す形になった。


#70と#116のペアは、無難に3回戦を突破した。だが、ちょうど#70のペアのベンチに入っていたとき、せっかく難敵の初戦を突破した#144が4回戦で負けたという報告が来た。初戦で力を使い果たしてしまったということなのだろうか。いずれにしても、順位戦の初戦で勝てば県大会への出場が決まる。「とにかく二人でがんばって1勝してこいよ」と敗者復活戦に送り出した(しかし、結局その1勝を果たせず、県大会出場はならなかった)。

#70と#116のペアは、特に苦戦することもなく4回戦も突破して、ベスト16入りを果たす。両ペアとも県大会への出場が決まった。
それで気が抜けたわけではなかろうと思うのだが、#70のペアは8本取りで第4シードに敗れてしまった。春にも対戦して負けている相手である。
この試合では、ちょっとしたトラブルがあった。
監督がハチに刺されたのである。
ちょうど#70が第1ゲームを取ってサイドチェンジしたので、その指示を与えたあと、すぐ隣のコートで試合を始めようとしていた#116のペアにひと言声をかけておこうと立ち上がった際、左手の平に棘が刺さったような痛みを感じたのである。ん?何だ何だ?とよく見ると血が滲んでいた。痛みもある。と、応援席にいた本校の生徒が「先生、ハチがいました」と言うではないか。
げ、ハチに刺されたのかとは思ったのだが、そのままベンチを離れるわけにはいかない。すぐに応援席の生徒に会場詰めの養護教諭を呼びに行ってもらうよう頼んだ。程なく、養護教諭がコートまで降りてきて、刺されたところから蜂の毒を揉み出すように処置してくれた。
そんなことが影響したのかどうかはわからないのだが、#70は第2ゲームから続けて2ゲームを落として逆転され、そのまま挽回することなく敗れてしまった。集中してコーチできなかったことは否めない。選手たちには悪いことをしたと思う。

すぐにコートから出て、養護教諭に言われたとおり刺されたところを水道水で洗い流してアイシングした。時々チクチクと痛みがくる。
そうこうしているうちに、#116の大将ペアの8本取りの試合が始まっていた。アイシングの氷等を用意して第4ゲームくらいからベンチ入りした。この試合も、特に競り合う場面はなく、順調にベスト8入りを果たしてくれた。
続く準々決勝の相手は、第3シードを倒して勢いに乗る相手だった。しかし、試合が始まると、落ち着いた試合運びの本校ペアに比べて、何かしら力みがあったのか相手が要所でミスを繰り返してくれた。この試合も苦戦することなく勝ってベスト4。

準決勝の相手は、春の選手権で敗れている第2シードのペアだった。この試合は接戦になった。互いに意識するところがあったためか、どちらもミスの目立つ試合となった。勝敗の行方はタイブレークに。そのタイブレークも一進一退。ポイント5−5からようやく本校ペアが2点を連取してゲームセットとなる。
結果は本校ペアが勝ったが、実際にはどちらのペアが勝ってもおかしくはない試合だった。ベンチでは、「まあ、どっちが勝ってもいいんじゃない?」と思って見ていた。そんなベンチのゆとりのようなものが、微妙に選手には伝わったのかもしれなかった。

さて、決勝である。
選手たちには、「今まで本校選手による夏季市内大会の優勝はない。お前たちが新しい歴史を作るんだぞ」と話して送り出した。
しかし、相手は準決勝で第1シード(6月の県選手権準優勝ペア)を倒した試合巧者のペア。後衛は、こちらの前衛選手の動きをよく見て配球し、思い切ってサイドにプレースメントしたボールを繰り出して得点を奪う。前衛選手も、思い切りのいい動きでこちらの後衛の打つボールを追いかけてポイントする。
何とか1ゲームは返したものの、ゲームカウントは1−3。完全に劣勢の状態であった。
流れが変わり始めたのは第5ゲーム。相手が勝ちを意識し始めたためか、単純なミスを繰り返して2−3。
チェンジサイドのときには、どうやってポイントを取られているのかを選手に伝えた。特に、こちらの前衛選手の動きをどうやって相手後衛の配球にアジャストさせていくか細かく指示した。そんなことが少しずつ奏功し始めたらしく、続く第6ゲームを取ってタイブレークに。
タイブレーク前は、だんだんと相手後衛にマッチし始めていた前衛選手に、再度その動きを確認させた。
しかし、ようやく追いついて勝ちを意識し始めたためか、今度はこちらの後衛選手にもミスが目立ち始めた。ポイントは5−5からDeuceを繰り返す。マッチポイントが双方を行ったり来たりする。
この時にも、準決勝と同様に「もう勝敗なんてどうでもいいや」と思っていた。中学生のゲームというのはそういうものなのではないか。
ベンチが気を揉むより、実際に試合をしている選手たちがどんな気持ちでプレーしているかということだ。そんな気持ちに寄り添ってやるのが、監督・コーチの仕事だ。
何度も繰り返したDeuceの果て、本校後衛選手が思い切って相手前衛のサイドにプレースメントショットを放った。勝負あったと確信した。最後は完全に相手後衛の配球を読み切った本校前衛がポイントをしてゲームセット。
ベンチに戻ってきた選手たちとがっちり握手する。挨拶に来た相手選手には、「県大会でもがんばろうな」と声を掛けた。184ペアの頂上決戦に相応しいナイスゲームだったと思う。

前週来の夏風邪が、今回の個人戦優勝でようやく抜けた気がした。選手たちに、そうして陰に陽にバックアップしてくれた保護者のみなさんにも感謝したい。
もちろん、ハチ刺されに適切な処置をしてくださった養護教諭のH先生にも、である。

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