スーさん、恩師を思う

6月30日(木)

先週の土曜日は、大学時代のゼミ合同同窓会出席のため西宮へ。
ゼミの恩師、畑道也先生が亡くなられて早3年。今回は、奥様もお見えになるということで、これは何をおいても駆けつけねばとの思いやまず、その日は部活動の練習マッチも計画されていたのだけれど、それは副顧問と保護者にお願いをして、出勤する家内の車に同乗して浜松駅へと向かい、8時38分発のひかり461号岡山行きに乗車したのであった。


さすがにひかりは速い。新大阪到着は10時ちょっと過ぎ。受付はお昼過ぎだったので、大阪駅まで出て少し買い物をすることにした。
最初に行ったのはロフト。ここには桶谷石鹸が置いてある。ロフトを出ると、すぐ向かいがMARUZEN&ジュンク堂書店。入口を入ると、すぐ目の前に内田先生の『最終講義』(技術評論社)が並べられていた。その隣には、『大阪人』別冊『天神祭の歩き方地図』( 大阪市都市工学情報センター)も。『天神祭…』の方は「密林」に頼んだばかりだったので、とりあえず『最終講義』だけをレジへ。
阪急梅田駅では、『原発事故はなぜくりかえすのか』(高木仁三郎/岩波新書)を買い忘れていたことに気づいて、紀伊國屋書店へ。店内のレイアウトがずいぶん変わっていたのでびっくりした。

そのまま阪急神戸線の乗り場へ。
西宮北口駅までは15分ほど。階段を登って今津線のホームへ。先日『阪急電車』を観たばかりだったので、つい停車していた阪急電車をカメラに収める。
確か映画では、門戸厄神駅のホームの外れのベンチで、具合の悪くなったおばちゃんと暴力彼氏と別れたお姉ちゃんとがあれこれお話をするシーンがあったと思ったのだが、それと思しき場所にベンチはなかった。あれは撮影用に特別に設えられたベンチだったのだろうか。

程なく甲東園駅に到着。
上ケ原までは徒歩で。学生の頃は坂道を登るのもそんなに気にはならなかったが、さすがにこの歳になると坂道はきつい。
ようやく上ケ原に出ると、互いに向かいあわせの県立西宮高校と甲陵中学校のテニスコートでは、ソフトテニス部の練習が行われていた。つい立ち止まってしばらく見ていた。

KGの正門では、これまた映画に出ていた正門をついカメラに収める。土曜日だからか、学生の姿はほとんど見ない。正門を入ると、正面に甲山を借景にした時計台。この日は抜けるような青空で、空の青、芝生の緑、校舎の白壁、屋根の赤瓦が絶妙な色のバランスを見せていた。ここでもついカメラに数葉を収める。
同窓会の受付開始までにはまだ1時間ほどあったので、そのままゆっくりと学内を歩きながら学生会館方面へ。
購買部では、せっかくなので何か校名入りのグッズでも購入して帰ろうかとも思ったのだが、荷物にもなるしと諦め、書籍を見ながら時間を過ごす。さすがに大学の書籍部は、専門書の類をたくさん扱っている。

そうこうしているうちにお昼も回って受付時間となったので、会場であるKG会館へ。
ちょうど1年前、ここで大学時代のクラブの先輩の結婚披露が行われたので、場所はだいたいわかっていた。学内にある裏口から入って受付へ。名前を告げて受付を済ませ、開会を待つ。どうやら、出席者は20名ほどであるらしかった。
しばらくして先生の奥様がお見えになった。ご挨拶をして会場内へ。席は自由だったので、そのまま奥様の隣の席に。
開会は午後1時。しばらくして、参会者一人ひとりからご挨拶をということになった。年齢の古い順ということで、自分は3番目に話すことになった。
それぞれの人が畑先生との思い出を語った。
特に、「あの時、畑先生はこうおっしゃいました」という、先生からの言葉を紹介される方が多かった。
どの人の心の中にも、畑先生との思い出はしっかりと刻まれていた。まるで、先生が眼前におられるような錯覚に陥った。
奥様からは、「みなさんがおっしゃったことは、言わば<月の表側>みたいなもので、家庭での姿は<月の裏側>でございました」と、実際にご家庭での先生の言動をご紹介してくださった。その際にも、まるで先生がその場にいらっしゃるような錯覚に陥った。いや、たぶん先生はあの部屋のどこかでその様子をご覧になっておられたのだろうと思う。
来てよかったと思った。

帰途、心の中にはヴォーリズの校舎と畑先生の姿がくっきりと蘇っていた。
その重なりとともに、自分は先生から教えていただいたことを、これからどのような形で「パス」していこうかと、そんなことばかりを考えていた。