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2006年8月 アーカイブ

2006年8月14日

ハワイはいいわ

8月14日

一週間の夏休みに、ハワイのマウイ島へ行ってきた。あまり意識していなかったが、結婚してから初めての遠出なので、一応新婚旅行ということになる。イーダ先生は初めてのハワイ。僕は、これが都合3度目のハワイである。マウイ島は2度目で、実はそのときも新婚旅行だった。パスポートを見て確かめると、8年前のことになる。

5月の連休前ぐらいに、二人で夕ご飯を食べていて、夏休みにどこかへ旅行しようということになった。

「南国の海に行きたい」

と、イーダ先生が行った。

「じゃ、ハワイにしよう。マウイね」

即座に僕が返答し、これで決まりになった。数日後には航空券とコンドミニアムの予約を済ませた。

夏休みの旅先にマウイを選んだことには、村上龍の小説『オーパス・ワン』の影響が大きい。これは、『ワイン 一杯だけの真実』(幻冬舎文庫)に収められている短編である。

大学院4年生の春、生協の書籍コーナーで何となくこの文庫本を買い、午後からの出張へ向かうバスの中で読み始めた。読み始めたとたん、僕の目の前にはハワイの強い日射しと、濃い青色の海が広がった。そのイメージがあまりにも鮮やかで、体が震えそうになったのを憶えている。


「荷物をピックアップして、外に出ると君は溜息をつくだろう。その小さな飛行場は高台にある。海が見えるんだ。鮮やかな紺色の海は、太陽を反射して水平線の彼方まで穏やかに輝いている。濃いブルーのトレイに乗った光の粒がそっと揺すられているような、網膜の裏側が現実になったような、海だ。」(『オーパス・ワン』より)。


その年の夏休みに、友人2人とマウイ行きの計画を建てたのだが、言い出しっぺの僕だけが都合で行けなくなってしまった。それから2年が過ぎ、この度晴れてマウイ行きの願いが叶うことになったのである。嬉しくないはずがない。その2年間はあっという間だったが、色々なことがあったような気もする。その間に僕は大学院を卒業し、短い間だったが大学病院で病棟勤務をし、離婚して、もう一度結婚した。そのあいだずっと、合気道のお稽古に通っていた。

8月5日の夜7時の便で関空を発ち、その日の朝にホノルルに着いた。混雑のピークからは少しだけ時期がずれていたようで、入国とマウイへの飛行機の乗り継ぎは思いのほかスムーズだった。『オーパス・ワン』の中で、主人公の女性はカパルア空港行きの飛行機に乗っていたが、我々が乗ったのはカフルイ空港行きの便だった。カパルアと、カフルイ、ワイレアにワイルク。マウイの地名は何度読んでも憶えることができず、旅行の間中、僕の頭は混乱していた。何かに似ていると思ったら、それは登場人物の多い物語のようだった。

映画もドラマも小説も、昔から登場人物の多い話が苦手だった。誰が誰だか解らなくなってしまうのである。小説を読みながら、人物がアイデンティファイできなくなってしまい、何度も本の最初や、表紙の折り返しについている「登場人物紹介」を参照することになる。最初のうちはこまめに名前を確認しながら読み進めるのだが、そのうちにどうでもよくなってしまい、きまって、よく判らないまま強引に読み進めることになる。冬ソナを観たときだって、中盤を過ぎる頃からはさすがに理解したものの、見始めてからしばらくの間はほんとうに大変だった。サンヒョクとチュンサンとミニョンとチェリンとスリョン…頭が爆発しそうだった。僕が最初から理解できたのは「次長」くらいのものである。

話がそれてしまったが、そのように、地名人名を憶える能力に大きな問題を有する僕も、何とか無事にマウイのカフルイ空港へ到着することができた。到着時刻は、現地時間で昼の12時を少し回ったところだった。

(以下つづくよていです)

2006年8月24日

あの日みた八戸の夕焼け

8月16日 

カフルイ空港のハーツでビュイックのセダンを借り、コンドミニアムへ向かった。窓の外には、サトウキビ畑と原野を足して2で割ったような、中途半端で広大な景色が続いている。ずっと先の方に大きな山が見える。

褐色の肌を持つ大きな山は、中途半端な野原の土地がそのまま盛りあがったような形をしている。建物が少ないせいもあるかも知れないが、どこまでが平地でどこからが山なのか境目がわかりにくい。

内陸部を通り抜けて、いよいよ海沿いの道に入る。右側にキヘイビーチを眺めながら車を走らせると、20分ほどで、コンドミニアム「マウイ・カマオレ」に到着した。場所はキヘイの南端で、もう少し走るとワイレア地区になる。コンドミニアムの目の前にはカマオレビーチパークがある。

海に向かって傾斜しているコンドミニアムの敷地内を車で登っていくと、プールに隣接してオフィスがあった。プールでは数人が泳いでいたが、オフィスには全く人影がない。どうやらランチタイムの休憩らしい。仕方がないので出直すことにした。

サウスキヘイロードに面したレストランで昼食を取り(イーダ先生はサラダ。僕はマヒマヒのソテーとビール。)、この日の簡単な予定を立てる。

小一時間ほどしてから再びコンドミニアムに向かい、チェックインを済ませる。部屋に入れるのは15時ということなので、それまでプールで休むことにした。イーダ先生は日陰のテーブルに陣取ると、すぐさま読みかけの『半島を出よ』に向かった。どうやら今回の旅は村上龍と縁が深いらしい。

「どこまでいったの」

「先遣隊が福岡に上陸したところ」

僕は水着に着替えて早速泳ぐことにした。裸足で歩くと、プールサイドのタイルが焼けるように熱い。泳いだりベンチで寝ころんだりしているうちに15時を過ぎたので、鍵を受け取って部屋に入った。十分な広さの1リビング1ベッドルームで、リビングから小さな庭にでると、遠くに海が見えた。静かである。

荷物を出してからシャワーを浴び、少し休憩した後で早速夕食の買い物に行くことにした。

車に乗ってサウスキヘイロードを空港方面に戻る。日はすでに傾きかけていて、道は、一日海で遊んで宿に帰る人や、逆に、夕方近くになってから海に向かう人達で賑わっていた。海へ向かう人は、多くがボディーボードを抱えている。ジョガーも多い。ジョガーの70%が男性で、その70%が上半身裸である。そしてさらにその90%に、入れ墨が入っている。ヘッドセット装着率は全体の95%を超えている。

車で10分弱のところに食品スーパーを見つけたので、そこで買い物をした。結局、6泊のマウイ滞在中の食事は、ほとんどこのスーパーで買った食材をコンドミニアムで調理して食べた。えらそうに書いたが、ほとんどはイーダ先生が作った。僕の担当は、野菜切りと食後の洗い物である。

日本のワンルームマンションの湯船くらいあるショッピングカートを押して店内に入り、買うものをじゃんじゃん放り込んでいく。トマト、ジャガイモ、セロリ、ピーマン、ニンニクなどの野菜、桃を2個、オレンジ3個、米1キロ、パスタを二袋、スライスハム一袋、ミネラルウオーター1ガロン、牛乳半ガロン、ビール1ダース、赤ワイン1本、ビーフジャーキー一袋、ポテトチップス一袋などである。コンドミニアムのキッチンにはすでにおいてあったが、塩、胡椒、オリーブオイルなどの調味料も少し買った。スーパーには日本人向けの商品も豊富で、出汁の素やカレーのルーまで置いていた。

大量の買い物袋を車に詰め込んで部屋に戻り、食材を冷蔵庫に詰め込む。空っぽだった大きな冷蔵庫が、色とりどりの食べ物で埋まっていく。

一段落して外を見ると、日没が迫っている。時刻は午後7時くらいだった。庭に出て椅子に座り、ビールを飲みながら夕日を眺める。静かである。庭を歩き回っていた鳥たちも一日の仕事を終えたようで、姿を消してしまった。何も話さず、何も考えず、ただ、日没を見ながらゆっくりとビールを飲んだ。

「病棟の窓から外を見ると、大きな川が流れている。夕焼けが綺麗なんだ」

北くんが言った言葉を思い出した。

医者になって3年目の春、僕は北くんと入れ替わりで、八戸の病院に勤めることになった。電話で患者の申し送りを終えた最後に、彼はそう教えてくれた。

川沿いの地平線から空いっぱいに広がる夕焼けは、実際とても美しかった。何かを訴えかけるような夕日でもあったし、ただ勝手に空一面を赤色に染めているだけのようでもあった。

自然が自分に対して何かを訴えていると感じるのは、わがままな考えである。しかし、もし何も訴えていないのだとしたら、あの八戸の夕日はあまりにも大袈裟だった。

そんなことを思い出しているうちに、夏休みの最初の夕日はあっさりと落ちてしまった。いつの間にか気温が下がっている。

部屋に入って、ピーマンとタマネギ、ハムの入ったパスタを作り、ワインを飲みながら二人で食べた。

旅の疲れと時差ボケのせいか、ワインの酔いが早く回り、11時前にはベッドに入った。

2006年8月25日

江さんの『「街的」ということ』を読んで考えた

8月24日
たとえ著者とは何の関わりも持っていないとしても(本を読む場合はたいていの場合そうなわけだが)、インサイダー的想像力を働かせることが解釈を深めるのじゃないかと思うわけである。

それは話に巻き込まれるということや感情移入と呼ばれるものとは少し違っていて、会話をするように読むというのに近いと思う。書き手が私に対して話しかけていると想像し、その内容を自らのテリトリーに巻き込んで考えを巡らしていく。話が進むのと一緒に、思考の歯車が回転していく。そのような読み方の事である。
 
「解釈は本質的にこの懇請を含んでいる」(『レヴィナスと愛の現象学』p.65)。

江さんに初めて会った頃、いまはなき『ジャック・メイヨール』のカウンターで、よくこの「懇請」についての話をした。江さんは、内田先生の本に登場する、このエマニュエル・レヴィナスの言葉を強く意識していた。

「注解とは非人称的な知的まなざしのもとで、「永遠の相の下で」、粛々と進められるのではない。それはほとんど「我田引水」的と言ってもよいほどに具体的で、固有で、生々しい解釈者の現実に即して進められるのである。注解者はその「都市、街路、他の人々」との具体的なかかわりを通じて一人の生活者として形成される。その具体性ゆえに、この注解者は他の誰をもってしても代え難いような仕方でユニークなのである。そして、そのユニークさ、その「代替不可能性」が彼の注解への参加資格を構成するのである(『レヴィナスと愛の現象学』同ページ)。

本を読むこと、街に生き、街を感じることの参加資格を構成するのは、自らの中に蓄積された「現実」なのだろう。そんなのことを、江さんの『「街的」ということ』を読んで考えたりした。


リアルなもの。すなわち、紛いものじゃないもの。
唯一の正解ということではなくて、街における店のあり方や、個人のふるまいとして、間違いじゃないものがあるとしたら、それは、「リアルなもの」、ということになるのだと思う。

ではそのリアリティーはどこからやってくるのだろうか。
おそらく、リアリティーとは、時の厚みからやってくるのじゃないだろうか。
それは、言い換えるならば、個人的な歴史や物語ということになるのかもしれない。この本を読んでいて不思議と温かな気持ちになるのは、おそらく江さんが持っている「時の厚み」に対する愛情と敬意の現れのためであるような気がする。

お好み焼きと酒場に関する記述が抜群に冴えわたっていて、胸にせまるものがあった。これは、バッキー井上氏という最高の共犯者が大きく関与していると思われる。江さんとバッキーさんの街に対する懇請が補完し合っていて、立体的な印象を受ける。

少しよそ行きの言葉で始まって、スパイシーな関西弁でぴしりと締められるリズムのよい文章が読んでいて心地よかったです。みなさんもぜひ。

「街的」ということ

「街的」ということ/江弘毅/講談社現代新書

2006年8月31日

「ワイレアのサンタクロース」現る

8月28日

二日目の朝。目が覚めてすぐ庭に出る。庭は外に向かって緩やかな坂になっていて、ブーゲンビリアの垣根がパブリックスペースとの境界になっている。空は晴れており、遠くに見える大きな山は、てっぺんが雲に覆われていた。

芝生の上でサンダルを脱ぎ、海に向かって呼吸を整える。朝の空気で肺を満たし、全身に行き渡らせ、ゆっくりとはき出す。何の予定もないハワイの朝である。時間を気にせずに呼吸を繰り返す。

1時間ほど庭で過ごした後、しつこく寝続けているイーダ先生をおこして朝食を摂る。メニューは、牛乳とバナナ、前の夜に食べ残したセロリとトマト、あとはコーヒー。

食事の後は、1時間ほど本を読み、それからプールへ行く。旅の疲れがまだ残っていたようで、この日は、本を読んだり、昼寝をしたりして、のんびり過ごした。

昼食は、トマトソースのパスタにビール。夜は、白いパエリア(サフランを買い忘れた)と、カリフォルニアの白ワインだった。

無線LANが引かれていて、インターネットが無料で使えることがこの日判明した。


三日目。
午前中は前日と同じように過ごした。午後からはワイレアへ行き、散歩がわりにゴルフをする。帰りに寄ったショッピングモールで、ハンバーガーとオニオンリングを食べた。

肉厚の玉葱にボリュームのある衣をつけて揚げたオニオンリングはロコビールとの相性ばっちりである。チーズバーガーも旨かった。

スーパーで夕食の買い物をしてからコンドミニアムに戻り、いつものように夕暮れを庭で過ごす。

晩ご飯は、アボガドの刺身、コンビーフとジャガイモの炒め物、赤ワイン。

夕食後、イーダ先生が『半島を出よ』を読了。

最後のほうは、「ふがーっ」っと鼻息荒くページをめくる興奮ぶりが脇にいる僕にも伝わってきた。読み終えて心なしか息切れをしているようだ。

水割りを飲みながらお互いに感想を述べあう。

僕は、「これは「軍人将棋」の様な話である」という感想を述べる。

その時は酔っぱらっていて、何を言いたいのか自分でもよくわからなかったが、「良かれ悪しかれ、人には働きどころというものがある」ということが言いたかったのである。


四日目。
朝。寝ぼけまなこで、一人プールに向かう。誰もいないプールでひとしきり泳いだ。

午後から少し遠くのショッピングモールへ行き、コーヒー豆やCDを買う。ついでに、スーパーマーケットSafewayに寄って夕食の買い物をする。30ドルのボディーボードも購入。名前を「カマオレ1号」とすることにした。

五日目。
思ったよりも楽しかったので、午後からもう一度ゴルフをする。場所は前々日と同様に、ワイレアのブルーコースである。

二人でボールを無くしまくり、途中棄権の危機に見舞われる。前々日のラウンドでは、殆どボールを無くすことはなかったのだが、二度目のこの日は、前半の終了時点で、予備のボールが二人で一個だけという状況に陥ってしまった。

仕方がないので、とりあえずドライバーを打つのを止めて、のんびりラウンドを続けていると、どこからか赤いポロシャツを着たお爺さんがやって来た。

爺さんは、僕たちの電動カートに近づいてくると、いきなり

「ボール足りてるか?」

と聞いた。

「いや、たくさん無くしちゃって、二人で三個しかないんです」

と答えた。

爺さんは何も言わずに、僕たちのカートの籠に5,6個のゴルフボールを放り込んだ。彼のショートパンツのポケットからは、後から後からゴルフボールが出てきた。ボールに付いているマークがまちまちだったから、コースで拾ったロストボールなのだろう。

「ありがとうございます」

僕たち二人はそれぞれに礼を言った。

「水はあるか?」

爺さんは、僕たちの無くなりかけたミネラルウオーターのペットボトルを見ながらそう言った。

そして、僕たちが答えるのを待たずに、自分が持っていた小さなクーラーボックスを開けて、よく冷えた500mlのペットボトルの水を一本くれた。

「ありがとう」

僕たちはそれぞれにもう一度礼を言った。

「気にしないで。いいラウンドを」

爺さんはそれだけを言うと、そのまま去っていった。

後からクラブハウスで聞いた話では、この人はこの界隈でも有名な、「ワイレアのサンタクロース」と呼ばれている人物で、初心者が多いこのゴルフコースに毎日現れ、誰に頼まれるわけでもないのに、慈悲深い行動を繰り返しているそうである。

元々はアメリカ本土に住んでいたのだが、仕事を引退してからこのコースの近くにコンドミニアムを購入し、老婦人と二人でのんびり暮らしているらしい。

「時々、この辺ではほとんど見かけないような立派なスーツをきた男が爺さんの家を尋ねてくることがある。実は、相当なお金持ちという噂もあるが、本当のところはよく解らないんだ。爺さんのことは、誰にも本当のことはわからない」

水色のポロシャツを着たゴルフクラブのスタッフが、僕たちが使い終えたゴルフクラブを拭きながら、そう教えてくれた。


ゴルフの後は一度コンドミニアムに戻り、その後で、近くのカマオレビーチパーク3へ行った。言うまでもなく、「カマオレ一号」の乗り心地を試すためである。

キヘイのリゾートエリアには、いくつかのビーチエリアがある。その中にある「カマオレビーチパーク」は3つに分かれていて、北から南に向かって番号がついている。

ビーチパーク1と2は、キヘイの特に賑やかな場所にあり、人も多く、サーフィンやボディーボードのレッスン&レンタルショップがあったりする。

我々がよく出かけたビーチパーク3は一番南側にあり、この辺になると店はほとんど無くなって、コンドミニアムが建ち並ぶ静かな場所になっている。ビーチに出ている人は、小さな子供を含めた家族連れが多い。


夕方になり、風が強まってきた。乗りやすい波が出始めているのが素人の僕でもわかる。

「少し休んでから遊ぶ」というイーダ先生は、ビーチチェアーに腰かけて新しい本を読んでいる。

僕は早速ボディーボードにのってみることにした。

沖から吹く向かい風の中、僕は「カマオレ1号」を左脇に抱えて、海に向かってゆっくりと歩いていった。


赤いポロシャツのお爺さんの話は途中から嘘です。すんません。

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