« 2005年12月 | メイン | 2006年2月 »

2006年1月 アーカイブ

2006年1月 6日

『それから』どうしたの?

1月4日

仕事始めの日。大阪港の診療所は、がらがらだった。夜は新年会の司会をする。

1月3日

二日酔い気味で午前中は安静にする。てんぷらそば(緑色のやつ)を食べて、3時過ぎに研究室へ行く。また誰も居なかった。午前中に人が来た形跡がある。夜はロイヤルホストでハンバーグを食べた。年末に行った温泉の心地よさが忘れられず、大きなお風呂に入りたくなるが叶わず。

1月2日

お雑煮を食べて、朝から大掃除の続きをする。随分がんばったので、5時過ぎから三宮の『灘』にご飯を食べに行った。楽しくてだいぶ飲みすぎる。

1月1日

お雑煮と、おせちを食べてから研究室へ。ラジオを聴きながら研究室で作業を行う。ラジオからは、謡曲の「高砂」や、長唄の「鶴亀」などが流れてくる。街にも研究室にも人影がほとんど無い。最初から誰も居ないところは寂しいが、普段人がたくさん居るところが静かだと気持ちが良いというのだからわがままなものだなあと我ながら思う。

12月12日
研究室に着くと午後3時になっていた。5時にはミーティングが始まるので、短い時間でも進められる作業をした。ミーティングは一時間ほどで終わり、研究室にもどって翌日実験に使う細胞の準備をした。作業を終えると9時になっていたので、帰りの支度を始めた。病院から駅までのバスは9時台ですべて無くなってしまうから、これをやり過ごすと駅までタクシーを使う羽目になる。
外に出てバス停まで歩くと、停留所には誰もいなかった。空は、厚い雲が月や星の光を完全に遮っており、濃い灰色の闇になっていた。西には伊丹空港があるので、ときどき飛行機の赤い点滅が見えた。バスが来るまでに15分くらい時間があったので、朝通じなかった電話をかけ直した。電話は、今度は通じた。話をしている間に、バス停に人が集まり始めた。ぽつり、ぽつりという感じで3人が集まった。僕以外にバスに乗るのは、40代の医者、あるいは研究者風の男性が一人と、20代の大学院生らしき女性が二人だった。女性の方は、病院の看護師や、研究室の技術補佐職員(テクニシャン)のようにも見えたが、日勤の看護師やテクニシャンは、遅くても夜7時には帰るから、やはり大学院生だろうと思った。そのうちの一人が、「今からバスに乗るから、一時間くらいで帰る」と、短い電話をかけていた。
女の子が電話を切るとすぐにバスが来た。バスの横腹にある入り口の、奥側やや前方に一人掛けの席が空いていたので、そこに腰掛けた。バスはキャンパス内の坂道を上って病院前の停留所に停まり、今度は10人くらいが乗った。座席は半分以上が埋まっていたが、話をする人は誰もいなかった。かばんの中から『それから』を出して、適当にページを開いて読み始めた。本は思ったよりもちゃんと読むことができた。

昼過散歩の出掛けに、門野の室を覗いたら又引繰り返って、ぐうぐう寝ていた。代助は門野の無邪気な鼻の穴を見て羨ましくなった。実を云うと、自分は昨夕寝つかれないで大変難義したのである。例に依って、枕の傍へ置いた袂時計が、大変大きな音を出す。それが気になったので、手を延ばして、時計を枕の下へ押し込んだ。けれども音は依然として頭の中へ響いてくる。その音をききながら、つい、うとうとする間に、凡ての外の意識は、全く暗こうの裡に降下した。が、ただ独り夜を縫うミシンの針だけが刻み足に頭の中を断えず通っていた事を自覚していた。ところがその音が何時かりんりんという虫の音に変って、奇麗な玄関の傍の植込みの奥で鳴いている様になった。-代助は昨夕の夢を此処まで辿って来て、睡眠と覚醒との間を繋ぐ一種の糸を発見した様な心持がした。

読んでいるうちに少しずつ気持ちが落ち着いてきた気がした。気持ちがやや落ち着いてから、それまで気持ちが落ち着いていなかったことに気がついた。本を読んでも眠くならなかった。落ち着いた気持ちと落ち着かない気持ちの間を繋ぐ糸を発見したような気持ちが少しした。
読んでいるうちに、バスはJRの駅に着いた。乗客の3分の2くらいはここで降りる。残りの人はこの先の阪急電車の駅で降りるはずである。バスが停まるか停まらないかのうちに、運転席の脇にある降り口に清算の行列ができた。行列に並びながら、カード入れからプリペイドカードを出して用意をしていたが、自分が清算する段になったところで、手に持っていたカードがJRのカードであることに気がつき慌てた。バスを降りて、今日の午後に渡ったばかりの歩道橋を渡り、駅に入った。そして電車に乗った。電車は、新大阪で少し人が乗り、大阪駅でたくさん人が乗った。多くは勤め人で、ときどき学生か美容師ふうの若者(なぜか学生以外の若者はみな美容師に見える)が混じっている。朝の電車は混んでいるが静かで、帰りの電車は話をしている人が多い。通勤・通学は大抵一人だが、帰りは同じ方面へ帰る人と一緒になるからだ。電車は尼崎に停まった。割とまとまった人が降りて、まとまった人が乗った。電車が尼崎を出たときに初めて、この日の午後に一度この駅を通過した事を思い出した。
電車を芦屋で降りて家に帰った。家に着くと手を洗ってうがいをした。ビールを飲みながら飯を食べた。食後に水割りを飲んだ。そして、シャワーを浴びて寝た。

その夜、夢を見た。僕は電車に乗ってどこかへ向かっていた。電車は新幹線ではないが、長距離を移動する電車だった。窓の外には、遠くの方に、低い山が連なって見えた。隣には父が座っていた。向かいには詩人がいた。指定席だったが、詩人の席と僕たちの席はボックスのように向かい合っていた。詩人とは、旅の連れではなかった。じろじろと見過ぎないように詩人のほうを見たり、窓の外を眺めたりしながら過ごしていた。僕たちのボックスは、車両の一番端だった。僕は進行方向に向かうように座っていて、詩人の背中は壁になっていた。だれも言葉を発する人はいなかった。僕たちはただ黙って座席に座っていた。
少しして、何となく隣の父を見た。父は手にパイプを持っていた。パイプから白い煙がふらふらと立ち昇っている。父は小さな満足を口元にあらわしながら、優しく包むようにパイプを握っていた。僕は次に向かいの詩人を見た。詩人もパイプを吸っていた。詩人はいつの間にか二人掛けの席に横向きに寝そべり、左腕で頭を支えながら、右手にパイプを持っていた。詩人は静かな表情をしていた。嬉しそうにも悲しそうにも見えなかった。ただ当然のようにパイプを吸っていた。

「パイプっておいしいの」と僕は父に聞いた。
左横に座っていた父は、いつの間にか向かい側の座席の上に両脚を乗せて、リラックスしていた。普段あまりそういうことをする人ではないので少し驚いた。

「僕が小さい頃、一時期パイプ吸ってたじゃない。あのころ好きだって言っていた銘柄、なんだったっけ」

「うーん、アンフォーラかな」

父は少し考えてから答えた。もっと早く答えが帰ってくると思っていたら、予想よりも反応が遅かった。僕はそのパイプ煙草の銘柄を本当は知っていた。知っていて父に尋ねた。パイプは持っていないが、僕はせめて話だけでも二人の仲間に入りたかったのだ。

2006年1月14日

フリオの金星、エンリケに土

 電車が知らない駅に停まり、そこで降りた。中に残した父と詩人のことが頭に浮かんだが、それを遮るように背中でドアが閉まった。電車はすぐに発車した。ふたりとの別れは淋しい気持ちもしたが、感傷的にはならなかった。電車の姿を追うこともなかった。空は全体が薄い雲に覆われていて、太陽のあるところの雲だけが淡い金色に光っていた。快晴とはいえないが、陽の光はしっかりと地上に降りている。周りの景色も気にせず、うつむいて道路を見つめながら、そして何か考え事をしながら歩いていた。しばらくすると、周りが住宅街に変った。東西に伸びている大きな道路の脇を、東に向かっていた。その道は、家と大学との往復のために、毎日のように通る国道だった。毎朝、自動車に乗って慌しく通り過ぎる道を、この時はゆっくりと歩いていた。通り過ぎる自動車はものすごいスピードを出していて、歩道まで大きな音と振動が伝わってくる。空気が埃っぽい。ガードレールは、排気ガスの粉塵がこびりついて真っ黒になっている。早くどこかの角を曲がって、違う道に入りたかった。
数百メートルほどで、小学校のある交差点を北側に折れた。学校の建物は灰色で、窓がたくさんついている。すべての窓ガラスは暗く、人の気配が外には全く伝わってこなかった。学校は外との関係を求めていないように見えた。この建物が、学校と社会の間を分断していた。大学は、様々な人が行きかう一つの社会だが、学校は違う。学校は社会というよりも世界だった。学校には一つの建物と先生と子供しかいない。学校には学校にしかない机と椅子がある。気持ち悪いトーテムポールが建っていたりする。
 学校の脇を壁伝いに歩いていくと、黒い鉄でできた門があった。門の中には校庭が見えた。コンクリートと門の間が15センチくらい空いていたので、中に入ってみることにした。敷地の中から見ても、学校内に人が居る様子はなかった。僕は、グラウンドの真ん中を通って、朝礼台に向かって歩き始めた。歩き始めると、土ぼこりですぐに靴が汚れた。校舎を見ると、子供用の玄関はガラス戸が開けっ放しになっていて、茶色い下駄箱がいくつも並んでいた。
校庭の真ん中を歩いていくと、敷地の奥まったところに男が二人立っていた。若い男と、少し年を取った男だった。二人は間隔をあけて、それぞれの場所でゆっくり円を描くように歩いていた。何をしているのか分からなかったが、各々が勝手に考え事をしているようにも見えた。黙って見ていると、最初はばらばらだった各自の歩行が、ゆっくりと同調し始めた。二人は同時に立ち止まり、少し離れた位置から同じ場所を見つめた。そして、足元の土を手に取り、視線の先に向かってそれを撒いた。二人はフリオとその息子だった。ここは、僕が初めてフリオに会った場所だった。僕は夢の中で、フリオに初めて会った場所にいた。大筋は初めて彼に会ったときのとおりだったが、細かいところが少し違っていた。夢の中でそういう風に考えた。
土俵に向かって塩(土)を撒くと、フリオは手に残った土を払い、右手で骨盤の右側を強く二回叩いた。「ぱん、ぱん」と大きな音がした。背の高いエンリケは、静かに手の土を落とし、ゆっくりと仕切り線まで歩んだ。二人は土俵中央で向かい合い、蹲踞した。視線が合った。お互いに立つ気十分に見えた。予想通り、エンリケが浮いている右手の拳を地に着けた瞬間に、二人は立った。立会いは五分五分だった。胸が合い、土俵中央で四つになった。フリオが、隙をついてもろ差しになり、釣ろうとしたが体が大きいエンリケは動かない。左前みつを取り直して寄りきろうとしたところで、エンリケが強引に上手投げを打った。フリオはバランスを崩して倒れそうになったが、その瞬間に腰を左にずらしながら肘を引き、右手で投げを打ち返した。エンリケは土けむりを上げてごろごろと転がった。一瞬のうちにすべてが始まり、そして終わった。きまり手は下手出し投げだった。

2006年1月16日

キュリー夫人とエジソンとみのもんたのワンダーランド

「相撲は、過去でもない未来でもない現在を先取りするんだ」フリオが言った。視線こそ合わせなかったが、フリオは僕に対して話しかけていた。

「なるほど。でも、意味がよくわからない」僕が答えた。

口から「なるほど」と出た瞬間は、感覚として何かがわかったような気がしたが、少し考えると、わからなくなってしまった。現在は現在で、「先取り」されるものは先のことだから未来だ。でも、先取りに成功した今は現在だ。現在にいながらにして未来にいることなどできない。

「点とか線で考えちゃだめだ。もっと、ぼわっとしたものが入り混じっている」

「それは『先ヅモ』みたいなものですか」

「ある意味では正解だが、また別の意味では不正解だね。情報にアクセスするスピードの問題では明らかにない。作用効果は自分自身よりも、むしろ周囲に現れるんだ」

返事をしなかった。なんと答えたらよいか分からなかった。考えても仕方がないことのような気もした。

「悪いけどね、君は夢からしばらく醒めないよ」ズボンの裾についた土を払いながら、フリオが続けた。

「うそだね。夢はしばらく見てると必ず醒めるよ。夢の中で『あ、これ夢だな。そろそろ起きよう』って思うんだ。夢の中の出来事は強烈過ぎて、ずっといると疲れちゃうんだ」

「君が疲れようが疲れまいが、夢はしばらく続くよ。たとえ一時的に目が覚めても、君はこの夢としっかり繋がれているんだ。言い換えるなら、この夢が現実で、目が覚めた状態が夢みたいなものだ。これからは、目が覚めて、トイレに行って飯を食って仕事をして酒を飲んで…、そういうことはすべて君の夢だ。毎日そういう夢を見て、そして夢から醒めて君は此処に戻ってくることになる」

いつの間にか陽が傾いて、校庭は急速に暗くなり始めていた。少し離れたところにある鉄棒の柱で、エンリケがテッポウをしている。

「難しく考える必要はないよ。君は『夢は必ず醒める』っていうけど、逆に眠らずに居続けることだってできないだろう」

「徹夜は僕の最も苦手なことの一つだ」

「そうだろう。実はね、これは今始まったことじゃないんだ。もう随分前から、君が現実だと思っていたことは夢で、夢が君の現実だったんだ」

「うそだよそんなの。夢ではご飯食べたり、酒をのんだり、お金を稼いだりしないもの。確かな事実が積み重なってできたのが現実だろう。キュリー夫人がラジウムを発見したりとか、エジソンが電球作ったりとかして、その事実が積み重なって流れているのが今でしょ。再現性のある事象が積み重ねられているから現実だ。夢は違うじゃないか。」

「それは、その世界のルールで辻褄が合うように説明できる事だけを説明し、利用できる事を利用しているにすぎない。それにね、夢だからといって、それが必要のない世界というわけではないよ。誰もそっち側、君が今まで現実だと思っていた世界が、取るに足らない意味がない場所だとは言っていないよ。当たり前だ。キュリー夫人やエジソンみたいなことを大なり小なりしてくれる人は必要不可欠だ。そして、キュリー夫人やエジソンやみのもんたにとってはそっちの世界が現実だ。そしてここが夢だ。しかし、今の君は違う。君の現実は今ここにあるものだ。それは人によってそれぞれ違うんだ」

「じゃあさ」

「なんだよ」

「死ぬことはどうなんだ」

「夢の中で死んだらいいじゃないか」フリオはすぐに答えた。

「学校の中に入ってきたのが悪かったのかな」

「君が学校の中にはいってきたからこの話ができたんだよ」

一つの単純な疑問が浮かんだが、それはフリオに聞いても意味がないことだと思った。陽は完全に落ちてしまった。エンリケが地面に腰を下ろし、鉄棒の柱にもたれかかってタオルで汗を拭いているのが遠くから見えた。

2006年1月18日

夢の余韻

一瞬真っ暗になり、そして目が覚めた。夢の余韻が残っていて、頭の中の半分はまだ校庭にいるみたいだった。本棚の時計を見ると午前10時だった。8時に大学で用事があったのだが、完全に寝過ごしてしまった。目覚まし時計はセットしていなかったが、いつも6時30分には自然に目が覚めるので、そんなものをかけなくても間に合うと思っていた。
この朝は、昨晩8時に遺伝子導入をした細胞の培養液を交換しなければならなかった。遺伝子導入12時間後の培養液交換である。しかし、今から朝の支度をしてどんなに急いで出かけても、大学に着くのは11時を過ぎる。予定の時間から3時間以上オーバーである。培地交換の遅れた細胞は随分なダメージを受けているだろう。もう一度細胞の準備からやり直さなければならないかもしれない。もしそこからやり直すとすると、計画の進行が二日遅れたことになる。3時間の朝寝坊で二日のロスである。しかし、いつまでも悔やんでいても仕方がない。すべては夢の中の出来事だ。夢の中の実験が二日や三日遅れようが、大きな問題ではない。
布団に入ったままで、天井を見ながら考え事をした。フリオは「お前の夢が現実で、現実こそが夢だ」と言った。相撲の鮮やかな勝ちっぷりを見せられた後の言葉に不思議な説得力を感じてしまったが、考えてみると夢の登場人物が夢のことについてどうこう言うのはおかしい。「ボタンエビの『ボタン』とは洋服のボタンのことである」とボタンエビ自身が言うようなものである。いや、この例も変だから言い直すと、自分の論文に自分で点数をつけるようなものである。信用が置けない。信用を保証するものがない。
もともと夢の中の出来事を本当かどうかなんて考えること自体が馬鹿げている。でも、もし万が一フリオの言葉をそのまま信ずるならば、その夢は現実だということになる。フリオは「君の夢は現実なのだ」と言った。しかし、フリオと会ったのが現実だったとしても、彼が言うこと信じていいかどうかというのはまた別の問題ではないのか。現実でこそ人はやたらと嘘をつくではないか。
寝室の天井には木の板が張ってある。奇麗な木目がついた幅50センチほどの長い板が横並びになっている。よく見ると、それぞれの板の木目は完全に同じ模様になっていて、それが人工的に貼り付けられたものであることがわかる。よく見ると薄気味悪い気持ちもするが、気にならないといえば気にならない。昔の人がこれを見たら、どんな風におもうのだろうか。そういえば、店に並び始めた頃は何となく買うことがためらわれたペットボトルのお茶にも、今では完全に慣れきってしまった。カーテンの隙間から日の光がもれている。景色は見えないが外は晴れているようだ。布団の中は温かい。寝起きはいいほうなので朝の布団に未練を感じることはあまりないが、この朝の布団は特別心地よかった。寝坊をしたからかもしれない。僕はフリオのいうことを信じてみようと思った。理屈をつけて彼が言うことを信じないのは、つまらない気がした。
とりあえず僕は夢の中に今いる。そういうことにした。そういうことにすると、次の問題が浮かんできた。それは「朝寝坊も所詮は夢の中の出来事よ」と気取っているこの世界が夢であるということが、僕という人間に限定されているということだ。キュリー夫人やエジソンみのもんた。ニートくんやミートくんにとってもこの世界こそが現実である。僕にとっては夢に過ぎない出来事も、周囲の人達にとっては数量的利害関係、手に取れる喜怒哀楽が絡むリアルファイトである。のんびり構え過ぎて痛い目を見るのは僕自身だ。いくら夢の中とはいえ、あまり嫌な思いはしたくないではないか。

「工夫が必要かもしれないなー」

口から自然に言葉が出た。久しぶりに自分の声を聞いたような気がして少し驚いた。漸く布団から起き上がり、シャワーを浴びた。昨晩浴びたばかりだったが、頭が寝癖だらけだったので浴びることにしたのである。

About 2006年1月

2006年1月にブログ「ドクター佐藤のそこが問題では内科医?」に投稿されたすべてのエントリーです。過去のものから新しいものへ順番に並んでいます。

前のアーカイブは2005年12月です。

次のアーカイブは2006年2月です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。