電車が知らない駅に停まり、そこで降りた。中に残した父と詩人のことが頭に浮かんだが、それを遮るように背中でドアが閉まった。電車はすぐに発車した。ふたりとの別れは淋しい気持ちもしたが、感傷的にはならなかった。電車の姿を追うこともなかった。空は全体が薄い雲に覆われていて、太陽のあるところの雲だけが淡い金色に光っていた。快晴とはいえないが、陽の光はしっかりと地上に降りている。周りの景色も気にせず、うつむいて道路を見つめながら、そして何か考え事をしながら歩いていた。しばらくすると、周りが住宅街に変った。東西に伸びている大きな道路の脇を、東に向かっていた。その道は、家と大学との往復のために、毎日のように通る国道だった。毎朝、自動車に乗って慌しく通り過ぎる道を、この時はゆっくりと歩いていた。通り過ぎる自動車はものすごいスピードを出していて、歩道まで大きな音と振動が伝わってくる。空気が埃っぽい。ガードレールは、排気ガスの粉塵がこびりついて真っ黒になっている。早くどこかの角を曲がって、違う道に入りたかった。
数百メートルほどで、小学校のある交差点を北側に折れた。学校の建物は灰色で、窓がたくさんついている。すべての窓ガラスは暗く、人の気配が外には全く伝わってこなかった。学校は外との関係を求めていないように見えた。この建物が、学校と社会の間を分断していた。大学は、様々な人が行きかう一つの社会だが、学校は違う。学校は社会というよりも世界だった。学校には一つの建物と先生と子供しかいない。学校には学校にしかない机と椅子がある。気持ち悪いトーテムポールが建っていたりする。
学校の脇を壁伝いに歩いていくと、黒い鉄でできた門があった。門の中には校庭が見えた。コンクリートと門の間が15センチくらい空いていたので、中に入ってみることにした。敷地の中から見ても、学校内に人が居る様子はなかった。僕は、グラウンドの真ん中を通って、朝礼台に向かって歩き始めた。歩き始めると、土ぼこりですぐに靴が汚れた。校舎を見ると、子供用の玄関はガラス戸が開けっ放しになっていて、茶色い下駄箱がいくつも並んでいた。
校庭の真ん中を歩いていくと、敷地の奥まったところに男が二人立っていた。若い男と、少し年を取った男だった。二人は間隔をあけて、それぞれの場所でゆっくり円を描くように歩いていた。何をしているのか分からなかったが、各々が勝手に考え事をしているようにも見えた。黙って見ていると、最初はばらばらだった各自の歩行が、ゆっくりと同調し始めた。二人は同時に立ち止まり、少し離れた位置から同じ場所を見つめた。そして、足元の土を手に取り、視線の先に向かってそれを撒いた。二人はフリオとその息子だった。ここは、僕が初めてフリオに会った場所だった。僕は夢の中で、フリオに初めて会った場所にいた。大筋は初めて彼に会ったときのとおりだったが、細かいところが少し違っていた。夢の中でそういう風に考えた。
土俵に向かって塩(土)を撒くと、フリオは手に残った土を払い、右手で骨盤の右側を強く二回叩いた。「ぱん、ぱん」と大きな音がした。背の高いエンリケは、静かに手の土を落とし、ゆっくりと仕切り線まで歩んだ。二人は土俵中央で向かい合い、蹲踞した。視線が合った。お互いに立つ気十分に見えた。予想通り、エンリケが浮いている右手の拳を地に着けた瞬間に、二人は立った。立会いは五分五分だった。胸が合い、土俵中央で四つになった。フリオが、隙をついてもろ差しになり、釣ろうとしたが体が大きいエンリケは動かない。左前みつを取り直して寄りきろうとしたところで、エンリケが強引に上手投げを打った。フリオはバランスを崩して倒れそうになったが、その瞬間に腰を左にずらしながら肘を引き、右手で投げを打ち返した。エンリケは土けむりを上げてごろごろと転がった。一瞬のうちにすべてが始まり、そして終わった。きまり手は下手出し投げだった。