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キュリー夫人とエジソンとみのもんたのワンダーランド

「相撲は、過去でもない未来でもない現在を先取りするんだ」フリオが言った。視線こそ合わせなかったが、フリオは僕に対して話しかけていた。

「なるほど。でも、意味がよくわからない」僕が答えた。

口から「なるほど」と出た瞬間は、感覚として何かがわかったような気がしたが、少し考えると、わからなくなってしまった。現在は現在で、「先取り」されるものは先のことだから未来だ。でも、先取りに成功した今は現在だ。現在にいながらにして未来にいることなどできない。

「点とか線で考えちゃだめだ。もっと、ぼわっとしたものが入り混じっている」

「それは『先ヅモ』みたいなものですか」

「ある意味では正解だが、また別の意味では不正解だね。情報にアクセスするスピードの問題では明らかにない。作用効果は自分自身よりも、むしろ周囲に現れるんだ」

返事をしなかった。なんと答えたらよいか分からなかった。考えても仕方がないことのような気もした。

「悪いけどね、君は夢からしばらく醒めないよ」ズボンの裾についた土を払いながら、フリオが続けた。

「うそだね。夢はしばらく見てると必ず醒めるよ。夢の中で『あ、これ夢だな。そろそろ起きよう』って思うんだ。夢の中の出来事は強烈過ぎて、ずっといると疲れちゃうんだ」

「君が疲れようが疲れまいが、夢はしばらく続くよ。たとえ一時的に目が覚めても、君はこの夢としっかり繋がれているんだ。言い換えるなら、この夢が現実で、目が覚めた状態が夢みたいなものだ。これからは、目が覚めて、トイレに行って飯を食って仕事をして酒を飲んで…、そういうことはすべて君の夢だ。毎日そういう夢を見て、そして夢から醒めて君は此処に戻ってくることになる」

いつの間にか陽が傾いて、校庭は急速に暗くなり始めていた。少し離れたところにある鉄棒の柱で、エンリケがテッポウをしている。

「難しく考える必要はないよ。君は『夢は必ず醒める』っていうけど、逆に眠らずに居続けることだってできないだろう」

「徹夜は僕の最も苦手なことの一つだ」

「そうだろう。実はね、これは今始まったことじゃないんだ。もう随分前から、君が現実だと思っていたことは夢で、夢が君の現実だったんだ」

「うそだよそんなの。夢ではご飯食べたり、酒をのんだり、お金を稼いだりしないもの。確かな事実が積み重なってできたのが現実だろう。キュリー夫人がラジウムを発見したりとか、エジソンが電球作ったりとかして、その事実が積み重なって流れているのが今でしょ。再現性のある事象が積み重ねられているから現実だ。夢は違うじゃないか。」

「それは、その世界のルールで辻褄が合うように説明できる事だけを説明し、利用できる事を利用しているにすぎない。それにね、夢だからといって、それが必要のない世界というわけではないよ。誰もそっち側、君が今まで現実だと思っていた世界が、取るに足らない意味がない場所だとは言っていないよ。当たり前だ。キュリー夫人やエジソンみたいなことを大なり小なりしてくれる人は必要不可欠だ。そして、キュリー夫人やエジソンやみのもんたにとってはそっちの世界が現実だ。そしてここが夢だ。しかし、今の君は違う。君の現実は今ここにあるものだ。それは人によってそれぞれ違うんだ」

「じゃあさ」

「なんだよ」

「死ぬことはどうなんだ」

「夢の中で死んだらいいじゃないか」フリオはすぐに答えた。

「学校の中に入ってきたのが悪かったのかな」

「君が学校の中にはいってきたからこの話ができたんだよ」

一つの単純な疑問が浮かんだが、それはフリオに聞いても意味がないことだと思った。陽は完全に落ちてしまった。エンリケが地面に腰を下ろし、鉄棒の柱にもたれかかってタオルで汗を拭いているのが遠くから見えた。

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2006年1月16日 09:38に投稿されたエントリーのページです。

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