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夢の余韻

一瞬真っ暗になり、そして目が覚めた。夢の余韻が残っていて、頭の中の半分はまだ校庭にいるみたいだった。本棚の時計を見ると午前10時だった。8時に大学で用事があったのだが、完全に寝過ごしてしまった。目覚まし時計はセットしていなかったが、いつも6時30分には自然に目が覚めるので、そんなものをかけなくても間に合うと思っていた。
この朝は、昨晩8時に遺伝子導入をした細胞の培養液を交換しなければならなかった。遺伝子導入12時間後の培養液交換である。しかし、今から朝の支度をしてどんなに急いで出かけても、大学に着くのは11時を過ぎる。予定の時間から3時間以上オーバーである。培地交換の遅れた細胞は随分なダメージを受けているだろう。もう一度細胞の準備からやり直さなければならないかもしれない。もしそこからやり直すとすると、計画の進行が二日遅れたことになる。3時間の朝寝坊で二日のロスである。しかし、いつまでも悔やんでいても仕方がない。すべては夢の中の出来事だ。夢の中の実験が二日や三日遅れようが、大きな問題ではない。
布団に入ったままで、天井を見ながら考え事をした。フリオは「お前の夢が現実で、現実こそが夢だ」と言った。相撲の鮮やかな勝ちっぷりを見せられた後の言葉に不思議な説得力を感じてしまったが、考えてみると夢の登場人物が夢のことについてどうこう言うのはおかしい。「ボタンエビの『ボタン』とは洋服のボタンのことである」とボタンエビ自身が言うようなものである。いや、この例も変だから言い直すと、自分の論文に自分で点数をつけるようなものである。信用が置けない。信用を保証するものがない。
もともと夢の中の出来事を本当かどうかなんて考えること自体が馬鹿げている。でも、もし万が一フリオの言葉をそのまま信ずるならば、その夢は現実だということになる。フリオは「君の夢は現実なのだ」と言った。しかし、フリオと会ったのが現実だったとしても、彼が言うこと信じていいかどうかというのはまた別の問題ではないのか。現実でこそ人はやたらと嘘をつくではないか。
寝室の天井には木の板が張ってある。奇麗な木目がついた幅50センチほどの長い板が横並びになっている。よく見ると、それぞれの板の木目は完全に同じ模様になっていて、それが人工的に貼り付けられたものであることがわかる。よく見ると薄気味悪い気持ちもするが、気にならないといえば気にならない。昔の人がこれを見たら、どんな風におもうのだろうか。そういえば、店に並び始めた頃は何となく買うことがためらわれたペットボトルのお茶にも、今では完全に慣れきってしまった。カーテンの隙間から日の光がもれている。景色は見えないが外は晴れているようだ。布団の中は温かい。寝起きはいいほうなので朝の布団に未練を感じることはあまりないが、この朝の布団は特別心地よかった。寝坊をしたからかもしれない。僕はフリオのいうことを信じてみようと思った。理屈をつけて彼が言うことを信じないのは、つまらない気がした。
とりあえず僕は夢の中に今いる。そういうことにした。そういうことにすると、次の問題が浮かんできた。それは「朝寝坊も所詮は夢の中の出来事よ」と気取っているこの世界が夢であるということが、僕という人間に限定されているということだ。キュリー夫人やエジソンみのもんた。ニートくんやミートくんにとってもこの世界こそが現実である。僕にとっては夢に過ぎない出来事も、周囲の人達にとっては数量的利害関係、手に取れる喜怒哀楽が絡むリアルファイトである。のんびり構え過ぎて痛い目を見るのは僕自身だ。いくら夢の中とはいえ、あまり嫌な思いはしたくないではないか。

「工夫が必要かもしれないなー」

口から自然に言葉が出た。久しぶりに自分の声を聞いたような気がして少し驚いた。漸く布団から起き上がり、シャワーを浴びた。昨晩浴びたばかりだったが、頭が寝癖だらけだったので浴びることにしたのである。

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2006年1月18日 21:32に投稿されたエントリーのページです。

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