1月4日
仕事始めの日。大阪港の診療所は、がらがらだった。夜は新年会の司会をする。
1月3日
二日酔い気味で午前中は安静にする。てんぷらそば(緑色のやつ)を食べて、3時過ぎに研究室へ行く。また誰も居なかった。午前中に人が来た形跡がある。夜はロイヤルホストでハンバーグを食べた。年末に行った温泉の心地よさが忘れられず、大きなお風呂に入りたくなるが叶わず。
1月2日
お雑煮を食べて、朝から大掃除の続きをする。随分がんばったので、5時過ぎから三宮の『灘』にご飯を食べに行った。楽しくてだいぶ飲みすぎる。
1月1日
お雑煮と、おせちを食べてから研究室へ。ラジオを聴きながら研究室で作業を行う。ラジオからは、謡曲の「高砂」や、長唄の「鶴亀」などが流れてくる。街にも研究室にも人影がほとんど無い。最初から誰も居ないところは寂しいが、普段人がたくさん居るところが静かだと気持ちが良いというのだからわがままなものだなあと我ながら思う。
12月12日
研究室に着くと午後3時になっていた。5時にはミーティングが始まるので、短い時間でも進められる作業をした。ミーティングは一時間ほどで終わり、研究室にもどって翌日実験に使う細胞の準備をした。作業を終えると9時になっていたので、帰りの支度を始めた。病院から駅までのバスは9時台ですべて無くなってしまうから、これをやり過ごすと駅までタクシーを使う羽目になる。
外に出てバス停まで歩くと、停留所には誰もいなかった。空は、厚い雲が月や星の光を完全に遮っており、濃い灰色の闇になっていた。西には伊丹空港があるので、ときどき飛行機の赤い点滅が見えた。バスが来るまでに15分くらい時間があったので、朝通じなかった電話をかけ直した。電話は、今度は通じた。話をしている間に、バス停に人が集まり始めた。ぽつり、ぽつりという感じで3人が集まった。僕以外にバスに乗るのは、40代の医者、あるいは研究者風の男性が一人と、20代の大学院生らしき女性が二人だった。女性の方は、病院の看護師や、研究室の技術補佐職員(テクニシャン)のようにも見えたが、日勤の看護師やテクニシャンは、遅くても夜7時には帰るから、やはり大学院生だろうと思った。そのうちの一人が、「今からバスに乗るから、一時間くらいで帰る」と、短い電話をかけていた。
女の子が電話を切るとすぐにバスが来た。バスの横腹にある入り口の、奥側やや前方に一人掛けの席が空いていたので、そこに腰掛けた。バスはキャンパス内の坂道を上って病院前の停留所に停まり、今度は10人くらいが乗った。座席は半分以上が埋まっていたが、話をする人は誰もいなかった。かばんの中から『それから』を出して、適当にページを開いて読み始めた。本は思ったよりもちゃんと読むことができた。
昼過散歩の出掛けに、門野の室を覗いたら又引繰り返って、ぐうぐう寝ていた。代助は門野の無邪気な鼻の穴を見て羨ましくなった。実を云うと、自分は昨夕寝つかれないで大変難義したのである。例に依って、枕の傍へ置いた袂時計が、大変大きな音を出す。それが気になったので、手を延ばして、時計を枕の下へ押し込んだ。けれども音は依然として頭の中へ響いてくる。その音をききながら、つい、うとうとする間に、凡ての外の意識は、全く暗こうの裡に降下した。が、ただ独り夜を縫うミシンの針だけが刻み足に頭の中を断えず通っていた事を自覚していた。ところがその音が何時かりんりんという虫の音に変って、奇麗な玄関の傍の植込みの奥で鳴いている様になった。-代助は昨夕の夢を此処まで辿って来て、睡眠と覚醒との間を繋ぐ一種の糸を発見した様な心持がした。
読んでいるうちに少しずつ気持ちが落ち着いてきた気がした。気持ちがやや落ち着いてから、それまで気持ちが落ち着いていなかったことに気がついた。本を読んでも眠くならなかった。落ち着いた気持ちと落ち着かない気持ちの間を繋ぐ糸を発見したような気持ちが少しした。
読んでいるうちに、バスはJRの駅に着いた。乗客の3分の2くらいはここで降りる。残りの人はこの先の阪急電車の駅で降りるはずである。バスが停まるか停まらないかのうちに、運転席の脇にある降り口に清算の行列ができた。行列に並びながら、カード入れからプリペイドカードを出して用意をしていたが、自分が清算する段になったところで、手に持っていたカードがJRのカードであることに気がつき慌てた。バスを降りて、今日の午後に渡ったばかりの歩道橋を渡り、駅に入った。そして電車に乗った。電車は、新大阪で少し人が乗り、大阪駅でたくさん人が乗った。多くは勤め人で、ときどき学生か美容師ふうの若者(なぜか学生以外の若者はみな美容師に見える)が混じっている。朝の電車は混んでいるが静かで、帰りの電車は話をしている人が多い。通勤・通学は大抵一人だが、帰りは同じ方面へ帰る人と一緒になるからだ。電車は尼崎に停まった。割とまとまった人が降りて、まとまった人が乗った。電車が尼崎を出たときに初めて、この日の午後に一度この駅を通過した事を思い出した。
電車を芦屋で降りて家に帰った。家に着くと手を洗ってうがいをした。ビールを飲みながら飯を食べた。食後に水割りを飲んだ。そして、シャワーを浴びて寝た。
その夜、夢を見た。僕は電車に乗ってどこかへ向かっていた。電車は新幹線ではないが、長距離を移動する電車だった。窓の外には、遠くの方に、低い山が連なって見えた。隣には父が座っていた。向かいには詩人がいた。指定席だったが、詩人の席と僕たちの席はボックスのように向かい合っていた。詩人とは、旅の連れではなかった。じろじろと見過ぎないように詩人のほうを見たり、窓の外を眺めたりしながら過ごしていた。僕たちのボックスは、車両の一番端だった。僕は進行方向に向かうように座っていて、詩人の背中は壁になっていた。だれも言葉を発する人はいなかった。僕たちはただ黙って座席に座っていた。
少しして、何となく隣の父を見た。父は手にパイプを持っていた。パイプから白い煙がふらふらと立ち昇っている。父は小さな満足を口元にあらわしながら、優しく包むようにパイプを握っていた。僕は次に向かいの詩人を見た。詩人もパイプを吸っていた。詩人はいつの間にか二人掛けの席に横向きに寝そべり、左腕で頭を支えながら、右手にパイプを持っていた。詩人は静かな表情をしていた。嬉しそうにも悲しそうにも見えなかった。ただ当然のようにパイプを吸っていた。
「パイプっておいしいの」と僕は父に聞いた。
左横に座っていた父は、いつの間にか向かい側の座席の上に両脚を乗せて、リラックスしていた。普段あまりそういうことをする人ではないので少し驚いた。
「僕が小さい頃、一時期パイプ吸ってたじゃない。あのころ好きだって言っていた銘柄、なんだったっけ」
「うーん、アンフォーラかな」
父は少し考えてから答えた。もっと早く答えが帰ってくると思っていたら、予想よりも反応が遅かった。僕はそのパイプ煙草の銘柄を本当は知っていた。知っていて父に尋ねた。パイプは持っていないが、僕はせめて話だけでも二人の仲間に入りたかったのだ。