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2007年10月 アーカイブ

2007年10月15日

シナモンロールを焼いた

le 13 octobre

おばあちゃんが、胃に穴を開ける手術をした。
彼に会えなかった。
肌荒れが酷い。
左耳が痛い。
来週の仕事の予定で心配なことがある。
日に何度かイライラすることがある。
混乱した。

だから、シナモンロールを焼いた。

『かもめ食堂』のシナモンロールのレシピを、
ミクシーつながりの人に送ってもらっていたので、
丁度良い機会だと思い、朝から化粧もせずに
作った。
失敗することも多いようだったので、
失敗するかもなぁと思いながら作った。

パン作りに挑戦するのは、初めてだった。

とりあえず、イーストやら牛乳やら強力粉やら
バターやら卵やら砂糖やらを捏ねる。
どれぐらい捏ねればいいのか、レシピに載ってなかった
ので、疲れてきたところで適当にやめてみた。
本当は、その全てをなめらかにまとめなきゃいけない
みたいだったけど、まとまるどころか、手やボウルに
びたびたくっつきまわっていた。
捏ねていた右手から、そのびたびたを剥がそうと、
ついうっかり左手で触ったら、左手もびたびたになった。

とりあえず、手を洗うことにして、なかなかとれない
びたびたをお湯で落としている間に、生地は
落ち着いていた。
何となくまとまっていた。

何となくまとまっていたので、そのまま発酵させる
ことにし、ボウルの上に布巾をかけて、
一番暖かそうな自分の部屋に運んだ。
今日は寒かったので、発酵に少し時間が
かかるかなぁと思い、のんびりと朝ごはんの後片付け
をして、次に使うバターの準備をして、様子を
見に行ったら、かなり予定通りに発酵が進んでいた。

たぶん、もう元の2倍ぐらいになってる・・・と
感じたので、生地を延ばす作業にかかる。
麺棒に粉をはたいたのに、延ばそうと転がすと、
生地が絡んできた。
発酵しても、びたびたはびたびただったらしい。
仕方ないので、手のひらでふにふに延ばす。

延ばしたら、溶かしたバターを塗り、砂糖と
シナモンをふりかけ、端から巻いてゆく。
この場面は、DVDを何度も見ているので、意外と
手際よくそれらしくできた。
同じように、最後の型を決めるときも、
DVDの記憶があるので、意外とそれらしくできた。

後は焼くだけ。
焼きあがらないと、成功したかどうかわかんないなぁと
思いつつ、後片付けをしながら焼き上がりを待つ。

レシピ通り、途中で前後を入れ替え、焼き色が
均等になるようにし、その6分後ぐらいに
焼き上がった。

焼ける途中から、砂糖とシナモンの甘い香りが
していたけど、オーブンを開けると、それプラス
焼きたての香ばしい香りがぶわっと広がって、
それだけでしあわせを感じた。

上手く焼けているのだろうか。
そう思って、焼きたてのシナモンロールをひとつ
手にとってみる。
それは、本当にシナモンロールのようだった。
映画の中みたいに、ほわっと割って口に運んでみると、
食べてもそれは、シナモンロールだった。

どうやら成功したらしい。
両親にも、評判が良かった。

しょっちゅう作ればいいのに。だそうだ。
でも、今度作ったら失敗するかもしれないけどね。


おばあちゃんは、ついに自分からものを食べられなく
なってしまった。
口に運んでも、飲み込もうとしなくなったらしい。
このままにしておくと、すぐ死んでしまうけど、
胃に穴を開けて、そこから直接栄養を取るように
したら、また長く生きることができます。
うちは違うかったけど、もし仮に、本人から、
食べられなくなったらそのままにしておいて欲しい、
胃から栄養を取るようになって生きていても
仕方ない、と言われていたとして、
だからと言って、家族は手術をしない道を選ぶことが
できるだろうか。
どうなんだろう。

まだ少ししゃべることができて、目を開くことができる
その家族を前にして、手術はしないで下さい、と、
私は到底言えない。
でも、食べ物を食べれないで胃から栄養を取る状態で
生きていて、幸せなのだろうか、と問われれば、
幸せではないかもしれないと思う。

わからない。

2007年10月28日

二度目のシナモンロール

le 26 octobre

2度目のシナモンロールを焼く。

焼くつもりじゃなかったので、かなりのんびり
寝てたけど、起きたら、やっぱり今日は焼こう、
という気持ちになった。
今日は、焼かなくてはいけない。
そう思ったので、3時のおやつに合わせて
焼くことにした。

前回、びたびただったことの原因は、牛乳の量に
あるのではないか、と思い、今回は、若干牛乳
少なめで。

牛乳の量が多かった気がするのには、理由があって。

イーストが、生の場合は、牛乳でイーストを溶く必要が
ないのだけれど、ドライの場合は、予め決まった量の
牛乳で溶いておかなくてはならない。

私が使っているのは、ドライイーストなので、
他の材料と混ぜる前に、牛乳で溶いている。
・・・ってことは、たぶん、そのあと粉と混ぜる
牛乳の量は、ちょっと少なめでもいいのでは?
みたいな。

結果的に、今回の生地は、びたびたにはならなかった。
ふにふにだった。
もうちょっと固めでもいいのかなぁという感触。

実は、前回も今回も、レシピに載っているカルダモン
というものが入っていない。
普通にスーパーに行ったら、売ってなかったので。
でも、こないだ、輸入食料品がわんさか売ってるお店を
覗いたら、あった。
粒と粉と両方売っていた。
なんですが、そのときは、まさかこんなに早く
2回目を焼くとは思ってもみなかったので、
今度作るときに買いに来よう、と買わず。

カルダモンは、シナモンみたいな感じで、クッキーや
ミルクやらに入れても良いらしいので、今度その
お店に行ったら迷わず買おう。

今回焼いてみての新たな課題。

焼きあがると、ぷぅーと生地が膨れて、ロールした
部分が両サイドから出て来てしまうものがある。
そうなると、渦が飛び出ている感じなので、
ちょっと不恰好だ。
でも、全部が全部そうなるわけではない。
ということは、飛び出る理由があるんでしょうねぇ。

とりあえず、今度作るときは、ロールした後
切り分ける段階で、細い方の辺を、かなり細く
してみようかと考え中。


あぁ、最近めっきり寒くなりましたねぇ。
こないだ毛布を出したんですけど、したら次の朝、
ちゃっかり寝坊してしまいました。
ケータイのアラームは、いつも通りに5分おきに
鳴ったはずなんですけど。
途中で止めちゃったらしい。

これからどんどん、朝起きるのが嫌になるなぁ。
早番が特に辛くなる。
5時45分とかだと、まだ薄暗くて、夜と
勘違いしちゃうんですよねぇ。
気をつけないと。

それにしても、毛布っていいですよね。
ほわほわしてて、くるまってるとしあわせ・・・。

ケベックに行ったことはないけれど

le 27 octobre

中・高の同窓会誌の集まりに行く。

この集まりには、いつも会長さんや副会長さんも
来られて、みんなでお菓子を食べつつ、
ページ数をどうするかとか、何枚印刷するかとか、
この文章どうでしょう?とかについて話し合う。

やる事が多そうだし、頻繁に集まらなきゃいけない
ので、同窓会役員の中でも人気がないところだけど、
意外に楽しいのだ。

会長さんは、先日、カナダの修道会へ行かれ、
9月に行われた学院祭とバザーの報告をされたそうだ。
そのときのお話を、カナダ土産のメイプルクッキーを
いただきながら拝聴。

私たちの頃は、シスターは、ほとんど日本人だった
けれど、会長さんたちのときは、カナダから
来られている人も多かったようで。
お話の中に出てくるシスターたちで、私が知っているのは、
シスタークレアだけだった。
と言っても、私たちの学年は、クレアには直接
授業をしてもらったことがないのですけど。
でも、顔はちゃんと覚えてる。
私が在校中に、すでにおばあちゃんだったシスタークレアは、
つい最近カナダに戻られたそうだ。

このカナダ出身のシスターたちは、教壇に立てなくなる
くらい歳をとったら、カナダに戻るらしい。
若いときに日本に来て、歳をとってからカナダに帰る。
シスタークレアは、会長さんに、私は姫路人です。
と言われたそうです。
人生の、一番いろいろな時期を姫路で過ごされたわけ
ですもんね・・・と、一同でしんみり。

今日聞いたお話の中で一番感動的だったのは、
私たちの学校の校歌を作られたシスターの話でした。

そのシスターは、今92歳。
あまり体調が思わしくないそうで、車椅子で
出迎えてくださり、歓談のときもずっと車椅子のまま
だったそうです。
それでも、日本から訪ねて来た教え子たちを歓迎し、
学院祭やバザーの報告を喜び、ほんの数時間ですけど、
楽しいひと時を過ごされました。
そして、会長さんたちが修道院をあとにするとき、
それまで車椅子にかけてらっしゃったそのシスターは、
見送るときぐらいは立ちますとおっしゃり、
両端から支えようとするシスターたちに、
一人で大丈夫ですよと言い、立ち上がって手を振って
見送ってくださったということでした。
会長さんたちが乗るバスが、動き出すまで、
ずっと手を振っていてくださったそうです。
その姿に、会長さんたちは感謝の気持ちでいっぱいに
なり、校歌をバスの中から歌われたということでした。

行ったことはないけど、ケベックにある修道院が
目に浮かび、そこにおられるシスターたちのことを
想いました。

今は、ケベックまで空路で14時間ぐらいだそうですが、
シスターたちが日本に来られたときは、飛行機じゃなく
船だったとか。
大変な思いをして来られて、歳をとってから
故郷へ戻るんですね・・・と、再びしんみり。

こういうお話を聞くと、校歌の3番が英語でも、
全然嫌じゃないし、むしろ、すごい校歌だなぁと
思いますけども・・・今日まで、あの校歌を
作られたのが、カナダのシスターだってことさえ
知らなかった。

ケベックかぁ。
私もいつか、修道院を尋ねてみたいなぁ。

会長さんのお話の中のおもしろ話は、
ケベックだから街の中もフランス語だらけだし、
バスの運転手さんにももちろんフランス語で
挨拶しなきゃいけない、と思って、ずーっと
「ボンジュール」とか「メルシー」とか言って
たのに、その運転手さんは、英語しか
話せない人だったってこと。
しかも、それを知ったのが、最後の最後だったらしい。
日本からの添乗員付きだったそうなんですけど、
なんで、その添乗員さんも、最後にそんなことを
言ってくるのかしら、みたいな。
ははは。

そう、言われてみれば、一度、カナダの修道会から
カナダ人のシスターが来られていて、全校生徒で
お話を聞いたことがあるんですよねぇ。
そのとき、そのシスターがフランス語を
しゃべってて、校長先生が訳してくれた気がする。
でも、修道会がケベックにあったって知らなかったなぁ。
今だったら、カナダのシスター→フランス語→ケベック
って結びつくけど、その頃は、結びつかなかったし。

結局、6年も在校してても、学校の成り立ちとか
全然知らないんですよね。
いやはや。

あと、聖歌の中にフランス語の歌も
入ってて、歌ってたんだった。
『le ciel entier contemple』とか。
さっき、その聖歌の歌詞を見たら、自分が歌ってた
発音がめちゃめちゃだったことが発覚しましたけど。

私とフランス語の出会いは、大学が初めてでは
なかったんですねぇ。
あらためて・・・。
初めて生で聞いたフランス語は、ケベックのフランス語
だったみたいだし。
なんだか、感慨深い。

あ、会長さんからもう一つお土産をいただきました。

ストラップになっているお人形なんですけれど、
手作り感で溢れていて、カラフルな服を着ています。
嫌なこと、悲しいことがあったときは、このお人形に
話すといいそうです。
おぉぉぉ。
早速、ケータイに付けてみる。

だいぶん増えて来てしまった、私のケータイストラップたち。


学校から帰るとき、正門のところで音楽の先生に出会う。
音楽の先生であり、私の中2のときに担任の先生であり、
コーラス部の顧問の先生である、いずみちゃん。
全然お変わりなく、いずみちゃん節炸裂だった。

「あなたたち何回生だったかしら?」
「46回生です。」
「あら。30何回生だったと思っちゃった。」
「えーー、まだ27歳ですから。」
「まあー。だんだんこっちに歳が近づいてきてると
 思って。」
「いやいや、歳の差は変わりませんから。」

みたいな。

帰り際、いずみちゃんから、デパートにあなたに良く似た
子がいるのよ、と言われる。
へー。

どうも私に似た人は結構いるらしいですね。
こないだも、職場で、さっきそこの交差点で、
マスモトさんと同じ車が衝突してて(縁起悪い・・・)、
運転手の女の子が出てきてたけど、同じような制服着てたし
よく似てた・・・とか言われたばかりでして。

全部は覚えてないけど、なかなかよく言われるんですよねぇ。
中・高の頃も、何個か下の学年にそっくりな子がいるって
生物の先生に言われたりしてたし、成田で会ったとか、
行ったこともないのに言われたこともあるし。
あと、ガソリンスタンドのおじさんに、あれ?こないだ
まで原付乗ってたのに・・・とか言われたりもしてます。
これまた原付には、乗ったことないんですけどね。

よく、自分に似た人が世の中には3人いるらしい、
とかって聞きましたけど、もう確実に3人を
越えてるな。
だけど、会ったことないんですよねぇ、これが。
ちょっと会ってみたいんですけども、なかなか
会わないもんですね。

あー、出だしと全く関係ない話で終わっちゃった。

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