クマとの戦いの論点整理 【無理のクマさん その3】

 この記事は【無理のクマさん】連載3本中の3本目です。
 1本目は「シュレック氏との出会い」で http://nagaya.tatsuru.com/murayama/2025/12/12_0852.html

 2本目は「クマの出没を地形で考える」で 
http://nagaya.tatsuru.com/murayama/2025/12/13_0759.html
よろしかったら、これらもお読みいただけると幸いです。

 インバウンド型と難民型

 前回までの現状認識の上で、クマ対策を考えてみました。報道を見ていると、
人里や農地に現れるクマには2つのタイプがあると思われます。仔熊などが好奇
心から人里に出てきたり、人間の食料の味を忘れられずに畑に現れたような連中
で、わざわざ積極的に山を下りてきた、いわばインバウンド型のクマです。
 おそらく人類が集落を作っ以来ずっとあった事で、ごく一部の人食い熊以外に
は、鈴やロケット花火による威嚇が十分通用しました。最近までは、街で捕まっ
たクマも人間を襲った場合以外は山に返すことが多く、駆除されることは希でし
た。
 ところが、ここ数年。個体数が増えすぎたため生存競争に破れて山を追い出さ
れた、いわば難民型のクマが激増しています。彼らは人間よりも他のクマの方が
よほど怖いので、普通の威嚇は効果がありません。なんとか人里で生き残ろうと
しますから、山に返してもすぐ降りてきます。
 難民型が増えたせいで、東北や北海道では、今では人里でみかけた段階で問答
無用で駆除になります。ただし、同じツキノワグマでも絶滅が心配される四国で
は保護に重点がおかれ、駆除は極力さけるられています。
 従って早急に議論すべきなのは、クマが急増したレッドゾーン内の難民型のク
マについて、「原則保護・例外駆除」という考え方が、どこまで通用するかにつ
いてです。最初に両極端な意見を見てみましょう。
 まず、「野生の熊なんか絶滅させてしまえばいい」という乱暴な意見がありま
す。レッドゾーン内の住人にとっては、確かな安全が永久に確保できる究極的解
決策と言えます。
 逆に、「かわいそうだから狩猟も駆除もやめろ。クマの出るような場所には住
まなければ良い」という極論もあります。確かに、愛くるしい小熊たちと、知り
あいでもない住人たちとを比較すれば、西日本や首都圏にはクマの味方をしたく
なる人も一定数いるでしょう。心情的には理解できる部分もあるのですが、こう
いうのは善悪よりも美意識(「カワイイ」も含む)を優先する一種のルッキズム
なのでしょう。
 美意識がやっかいなところは、善悪の判断や損得勘定さえも簡単に超越してし
まうとことです。「良い○○人も悪い○○人も殺してしまえ」などというのもこ
の一種でしょう。対応策は、「投票など何か政治的・社会的選択をするときに、
自分が何かのルッキズムにとらわれていないかチェックする習慣をもつこと」と、
「他人がルッキズムで暴走する可能性を常に考慮して、挑発に類することをしな
いこと」ぐらいしかありません。
 ある種のフェミニストなどがやりがちなことですが、上から目線の論理や倫理
でルッキズムを批判しても逆効果にしかなりません。善悪と美醜とは相互に独立
した価値なので、いくら誠実に議論しても(珍しいケースですが)、話が堂々巡
りしてお互いに釈然としない感覚だけが残りだちだからです。相手の美意識を尊
重した上で、「それにとらわれすぎると多くの不幸と分断を生み出すこと」を説
明し、妥協点を探すより仕方ないでしょう。
 たとえば、若い女性の部下だけをチヤホヤする男性上司には、彼の感性自体は
否定せず、「そうした振る舞いは、仕事の効率を下げ、その部下を含む多くのメ
ンバーを不愉快にする可能性が高い」ことを、冷静に説明していくのが上策でし
ょう。職場では効率を低下させることは悪ですから、この部分は合意できるはず
です。

ルッキズムは永遠に不滅です,村山恭平,http://nagaya.tatsuru.com/murayama/2024/10/20_1504.html

 ゴキブリ退治と絶滅論

 話がそれました。クマ対策について両極論の間には、いくつかの「現実的だ」
とされている意見があります。整理してみましょう。

1.一定数の個体を飼育し、残りの野生のクマは絶滅させる
2.人里や農地に現れたクマは駆除し、山では狩猟を行い個体数を減らす。
3.人里や農地に現れたクマは駆除するが、狩猟は行わない。
4.クマは一切殺さず、人間の側が逃げる。

 軍事的な表現に直せば、1は全面戦争、2敵基地攻撃、3は専守防衛、4は撤
退戦ぐらいになりそうです。順に見ていきましょう。
 まず1の熊絶滅論は全く無意味。不可能だからです。うちの名物、北陸新幹線延
伸問題なんかでも見てきましたが、技術的に(実質)不可能なことを議論しはじ
めるのは、思考実験としては面白い(例.富士山は移動できるか?)かも知れま
せんが、政治や経済の場では時間の無駄でしかありません。
 クマ絶滅論はゴキブリ退治と全く同じ発想です。たとえば飲食店は、できれば
ゴキブリなど絶滅させてしまいたいのですが、ほとんどうまくいきません。いわ
ゆる三つ星フレンチの厨房でも深夜には......という実態がある一方、客の前に一
匹でも現れたら、店によっては致命傷になります。だから経営者には絶滅が悲願
なはずなのに成功例は皆無です。厨房を一度取り壊して作り直すのが唯一の方法
でしょう(半年もすれば元の木阿弥ですが)。
 クマで言えば山脈全体を焼く払うぐらいの話です。ヒグマを倒すために、北海
道の全ての山・森林・農地を一気に焼き尽くす......大量破壊兵器でも使わない限
り無理です。
 では、人海戦術で殲滅するというのはどうでしょうか。たとえばヒグマなら北
海道全体を完全包囲しなければなりません。山奥で悠然と暮らしている大型のヒ
クマが、身の危険を感じて大量に人里に向かいかねないからです。
 もちろん猟友会だけでは手が足りませんので、警察や自衛隊......まだまだ不足
します。米軍に加え、中ロ朝韓、ついでにASEANやらEU各国にも援軍を求めましょ
う。オール人類による北海道ヒグマとの戦い......考えるだけ無駄です。これに限
らず技術的に考えれば、絶滅論は現実的な話にはならないのです。環境保全や動
物愛護を持ち出すまでもありません。

弊害の多い狩猟

 では、2つめの「敵基地攻撃モデル」はどうか。今でも各地の猟友会は従来の
害獣駆除だけで手一杯でしょうから、陸上自衛隊にということになります。防衛
省関係者からは「銃剣で戦うぞ」とか、「攻撃ヘリから対戦車砲をぶっ放せ」み
ないなヨタ話(もちろん本気ではなく、何でもかでも自衛隊に押しつけることへ
の嫌味)が出ています。
 兵器とはあくまで人を殺したり建物や乗り物を壊したりするたの道具で、動物
相手には向きません。別途、必要な数の猟銃と十分な訓練が兵員には必要です。
やり過ぎて、「自衛隊は対クマ戦は強いが、普通の戦闘はすっかり忘れた」、な
どとならないか心配です。少なくとも猟銃に慣れ過ぎると、ライフル射撃の勘が
狂うのではないでしょうか。シュレック氏の話では随分体感が違うようです。東
京五輪の射撃の予選に出はったのですが、警察・自衛隊とは勝負にならなかった
そうです。
 もう一つ、仕留めた死骸はどう処理するのでしょう。山林や急斜面での運搬、
自衛隊に応援を求めるのならこの仕事が最適だと言われていますが、人数が足り
るとは思えません。300kgを越えるような個体は、平地でも運ぶのに4~5人がかり。
藪の中を時には数キロ運ぶ。かといって現場で解体すると、血の臭いに他の熊が
集まってきます。死骸や骨を現場に放置するなどもってのほかです。共食いとは
いえ、おいしくて栄養価の高い餌を与えて、クマたちに肉食化教育をすることに
なります。
 さらにもう一つ付け加えるならば、人里での駆除によって新鮮なクマ肉が大量
に出回る状況では、狩猟によるジビエビジネスには競争力がありません。公費に
よるガバメントハンターということになりますが、人工減少・少子高齢化・財政
悪化の三重苦が特に厳しい地方で、どれぐらい回せるのか心許ない話です。

 現状維持どころか後退戦

 結局、害獣駆除の考え方で「出てくるクマは、皆々倒せ」の対症療法しかなさ
そうです。3.の専守防衛の考え方ですが、このままでは現状維持すら相当難しそ
うです。東北・北海道地方の中小都市では、この問題が起こる前から急激な人工
減少に悩まされていました。徐々に耕作放棄地や廃墟が増え、周辺には柿・栗な
どがの果樹が収穫されることもなく放置されています。格好の環境です。食住環
境が良くなるのですから、狩猟で頭数調整をしないかぎり、レッドゾーンのクマ
は確実に増殖することになります。
 ところが狩猟や駆除を支える猟友会員は激減しています。免許をとり、自宅で
銃を厳重に管理し、危険をもろともせず、ひがな一日山野を駆け回り、ちょっと
した事故で前科がつく世界です。多くの若者が仕事はもちろん趣味としても、今
後狩猟を始めることはなさそうです。猟友会が弱体化すれば、狩猟どころか駆除
の数も減らさざるを得ません。
 防衛ラインがどんどん後退し、最終的には居住を断念する4.全面撤退になる集
落が、増えてくることになります。高齢化と人工減少による地域崩壊にクマが拍
車をかけたという事になりそうです。駆除も長い目で見れば時間稼ぎに過ぎず、
少子高齢化が進む日本人が繁殖意欲旺盛なクマに勝つことは、本質的に無理なの
ではないでしょうか。

 撤退論を考える

 私の提案です。まず、猟友会にしろガバメントハンターにしろ、狩猟のような
効率の悪いことはせずに駆除に徹することです。そして市町村ごとに、市街地な
ど確実に駆除を行うゾーンと周辺農地など可能な限り駆除を行うゾーン、そして
それらの周辺に位置する中間ゾーン、さらに放置する山林ゾーンに分けて管理す
ることです。
 必要なのは、最初に駆除の能力を見積もって、その範囲内でゾーンを決めるこ
とです。猟友会側で最大守れるエリアを指定してもらい、「守るべきエリアでは
なく、守れる大きさのエリア」ということになります。その範囲に限定しないと、
「うちの村も」とか「私の畑も」という正当かつ切実な要望が止めどなく集まり
ます。全てを受け入れてゾーニングをすると駆除の手が回らなくなり、隙をつか
れて市街地にまでクマが侵入してくることになりかねません。
 そうなると余計に街の活力の低下と住民の流出がおこり、市町村単位でコミュ
ニティーの維持が難しくなり、駆除に避ける人員も手薄になり、クマの出没が増
えます。さらに住民が流出するという悪循環に陥り、役場と住民票を残して市町
村が消滅するということになりかねません。
 逆に強引な政治力の行使か民主的な熟議(と言う名の強引な政治力の行使)か
は知りませんが、クマの侵入を防止できるゾーニングが完成した市町村は、近隣
からの住民も流入し、しばらくの間はコミュニティーを維持できます。けれども、
我が国の平均的な出生率を大きく越えるベビーブームがその街で10年以上続か
ないと、容赦なく人口減少と少子高齢化が進行して、一度持ちこたえた街も衰退、
消滅の途をたどることになります。
 つまり、限界集落の限界をクマのパワーが破ってしまったということです。さ
らに猪・鹿・猿など他の害獣が増え農産物などの被害も増えます。疲弊した地方
都市は、一度でも地震・風水害・山火事などで、コミュニティーに大きなダメー
ジを与えられると、そこから回復する余力があまりにも少なく、ちょっとしたこ
とでも致命傷になってしまうのです。
 なんとも気の滅入る話ですが、現実から目を逸らした政策は長期的にはかえっ
て状況を悪くします。たとえば、警察・自衛隊などの人員に過剰なリスクや負担
をかければ、本来の業務の空洞化、士気の低下、就職希望者の激減、などという
形で、時間稼ぎの成果を大きく上回る弊害が発生します。
 勝ち目のないことを受け入れながら知恵をしぼって撤退する......気勢の上がら
ないプロジェクト(「プロジェクトX」の題材には最も不適)、もしかしたら日
本人には最も苦手なことなのかもしれません。長屋の隅にころがっている3年前
のあの本が、行政をあずかる人たちの教科書になる日も遠くないでしょう。

 撤退論――歴史のパラダイム転換にむけて,内田樹編,https://www.shobunsha.co.jp/?p=7075