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2005年04月 アーカイブ

2005年04月06日

とんでもなこと地獄

4月3日

3月21日の日記の文章の中でも「最近とんでもないことに巻き込まれているので、自分のブログの文章を書くことをうっかり忘れてしまっていた。」とあったけれど、今週はさらにとんでもないことが発生したので自分のブログの文章を書けるような状態に持っていけなかった。
わたくしの場合、何かが発生した場合それに対してすぐに脊髄反射的に文章が出てくるわけではなく、どうしても何も予定の入っていないまとまった時間がないと文章を書けない。だからいろいろな事が発生していると「ああ、またブログに書かなくてはいけないことが増えてしまった」と思うけれどもそれを文章化することができないのだ。
あまりブログ向きではないのかもしれませんね。
なかなか1週間に1回以上には更新頻度を上げることができない。

ところで、内田先生の最近のエントリーの「『希望格差社会』とオルテガ」シリーズがけっこうさくさくと読めてしまう。
でもこれはわたくしが読解力があることを自慢したいわけではなくて、わたくし自身が典型的な「大衆的人物」に甚大な被害を受けてきたというのと、内田先生がこのようなこのような文章を書いて発表せざるを得ない事情というのを想像するとどうしても居たたまれない気持ちになってしまう、ということがあるからだ。

4月2日

今年の初めくらいから「最近焼き肉を食べてないので、そろそろ焼き肉にでも行きたいなー。」とずっと思っていたけれども、なかなか実際に行く機会に恵まれなかった。
そんな感じなので、「わたくしの人生に焼き肉が足りません」ということをまりりんたんとまーべらすちゃんに常日頃から言っていたところ、本日ついに「わたくしの人生に焼き肉を補充する会」の開催に至ったのである。
13:00に下北沢の駅前で、まずまりりんたんと待ち合わせをする。
そして、わたくしが喉の調子がいまいち良くなかったので、モスバーガーで2時間ほどお話をする。
まりりんたんがオランダに旅行してきた話や、最近腹筋にはまっているという話などを聞く。
3時ちょっと過ぎにモスバーガーを出てカラオケに行く。
その途中に、「あいのり」に出演していた「歯医者」という人が開業した歯科医院を見に行った。
カラオケボックスに入って5、6曲くらい歌ったところでまーべらすちゃんがやってくる。
「新選組!のテーマ」や「日本印度化計画」など、いろいろ歌う。
16:30を少し過ぎたところで、「牛鉄」に移動。
ビールと焼き肉を一通り頼んだところで、まーべらすちゃんに電話がかかってくる。
まーべらすちゃんがお付き合いをしているM氏とそのお友達のN氏が、いろいろと情報交換をしたいとのこと。
4人掛けの席から、6人掛けの席に場所移動して、お肉を焼く。
暫しの間お肉を焼いていると、M氏とそのお友達のN氏がやってくる。
「情報交換」という話だったけれども、なぜか自衛隊の話と、自衛隊のものすごくえらい人であるM氏のお父様の話と、身近にいる変な人の話になってしまった。
その後、2時間半飲み放題で980円の沖縄料理のお店に移動して、かぱかぱ飲む。
まりりんたんに長時間説教されてしまったけれども、ちゃんと反省してるので許してください。。。

3月30日

この1か月くらいずっと咳が止まらなくて体力を著しく消耗している状態だった。
最初のうちは「風邪が治りきっていないのかもしれない」と思って1週間ほど放置して、その次には「もしかしたら花粉症にでもなっているのかもしれない。今年は特に花粉の量が多いという話しだし」と思ってさらに2週間ほど放置していたら、あまりにも職場で繰り返しげほげほとやっていたせいで、上司のおじさんから「そろそろ病院に行って診察してもらいなさい。今ホームページで近所の病院の診察時間を見ているところだけれども、明日のの午前中が呼吸器科ということになっているから、行ってきなさい」とまで言われてしまったので、休みをとって病院に行くことにした。
病院の受付に行って保険証と昨年診察してもらった時に作った診察券を渡す。
そして待合室で暫しの間待つ。
思っていたよりも早く名前を呼ばれて、診察を受ける。
お医者さまから開口一番、「ところで、先週から何か変わったことはありましたか???」と聞かれたので、「えっ???診察を前に受けたのは、ものすごい前のことなのですけど。」と思わず口に出してしまった。
すると、「……ああ、よく見てみたらちょうど一年前くらいですね。この時期に咳の症状が出るのであれば、花粉症でしょう。前回と同様に咳止めの薬を出しておきます。目のかゆみの症状もあるのであれば、その薬も出しておきます」とお医者さまが仰られたので、「目のかゆみの症状も無い事は無いですが、言われればそうかなと思うくらいなので咳止めだけでお願いします。」と言って診療を終えた。
それから少しの間待って会計を済ませて処方箋をもらい、その後に薬局で薬をもらってきた。
けっこう時間がかかるかもしれないと思って午前中休みをもらってきたけれども、思ったよりも早く終わってしまった。
かなりの空き時間が出来てしまったけれど、すぐに職場に戻る気分にもなれなかったので、病院の近くの喫茶店で本を読んで時間潰しをした。

咳のせいなのか、それともいろいろなことがあったせいなのか根本的な部分の疲労が抜けない。

3月26日

まーべらすちゃんからものすごく凄まじい話を聞いてしまったので、彼女の許可を取ってここに載せておく事にします。


私の上司に「ふくよかな体型で40過ぎになのに一見すると20代後半に見えて、いい人そうな感じだけれども実はそばに近づくと深刻に精神が蝕まれてしまう人」という人がいて、かわいそうなAさんという人がその「ふくよかな体型で一見いい人そうな感じだけれどもそばに近づくと深刻に精神が蝕まれてしまう人」の部署にいたのだが、この人は最初から嫌われていて、いつも理不尽に扱われていた。普通に仕事ができるし、技術系もかなり詳しいし、「ふくよかな体型で一見いい人そうな感じだけれどもそばに近づくと深刻に精神が蝕まれてしまう人」お気に入りのEさんなんかより、ずっと会社に貢献しているのに、いつも「君なんか全然だめだ」「何やってんだ」とばかり言われていた。このような上司から逃れたくて異動を画策していたが、「ふくよかな体型で一見いい人そうな感じだけれどもそばに近づくと深刻に精神が蝕まれてしまう人」に阻止されたため、叶わなかった。
その上、顧客のクレーム対応なんかも数多くこなさなければならなかったため、内からも外からもいじめられ続け、重大な病気で入退院を繰り返すような体になってしまった。そしてついに、治療に専念するため退職せざるをえなくなった。そのときは私は既に別の部署に異動していたので、詳しいことは知らなかったが、その頃にはもう本当に体調が最悪だったらしい。

その半年後くらいに、かわいそうなAさんが亡くなったという知らせがあった。
どう考えても、「ふくよかな体型で一見いい人そうな感じだけれどもそばに近づくと深刻に精神が蝕まれてしまう人」が遠因である。
一応在職時の上司だということで、かわいそうなAさんの父上から「ふくよかな体型で一見いい人そうな感じだけれどもそばに近づくと深刻に精神が蝕まれてしまう人」に電話があったそうだ。このあとが、またひどい。「ふくよかな体型で一見いい人そうな感じだけれどもそばに近づくと深刻に精神が蝕まれてしまう人」は、一応このことを自分の部署の人間には伝えたのだが、そのときに口止めしたのだった。「もう退職した人のことだから、あまりほかの部署の人に知らせないように。」と言ったらしい。違うだろう!周りに広く知られると「『「ふくよかな体型で一見いい人そうな感じだけれどもそばに近づくと深刻に精神が蝕まれてしまう人」』は人殺しだ」とみんなに言われるから知られたくないんだろうが!「退職した人だから」亡くなったことを知らせてはいけない、なんていう変な論理があるかい!

なお、私自身は、このことは、口止めを破った人から聞いて知った。「ほかの部署の人には言うなと言われてるが、まーべらすさんは元同じ部署だったから知らせたほうがいいと思った。それから今、部署内だけでかわいそうなAさんへのお花代を集めてるんだけど、よかったら参加してほしい」とのことだった。

気前のいい上司も昔かわいそうなAさんと同じ部署だったこともあったので、私が上司のところに行き、「かわいそうなAさんのお花代を今から出しに行くのですが、Sさん(上司)も、もし参加されるのなら、合わせて届けに行こうと思うのですが・・・」と言うと、「それじゃあ、これ、うちの部署みんなからということで出してきて」と、1万円を手渡された。自分の名前を出さずに、しかもそんな高額を。なんて奥ゆかしくて気前のいい!(さすがに、届けに行くときには「うちの部署からという名目ですが、実質はSさんからです」と伝えたが・・・。)ちなみに、このとき「ふくよかな体型で一見いい人そうな感じだけれどもそばに近づくと深刻に精神が蝕まれてしまう人」は、最も責任のある者であったにもかかわらず、2000円しか出していなかった。

わたくしも大学院にいた時にはほぼ同じような経験をしたけれども、「パワーハラスメントの結果人が死ぬような事態というのもあるのか!!!!!」ということに相当の衝撃を受けてしまったのでここに載せて「このようなことがありうるのだ」ということを少しでも多くの人に知ってほしいと思ったのです。


3月23日

今日から3日間、内田先生が上京して非常に過密な日程の中で講演活動と雑誌の取材を行う、いわゆる「死のロード」に突入する。わたしはその中の、内田先生と釈徹宗先生の対談を聴きにいくことにする。
お仕事を定時で強引に抜けてから、走って池袋のジュンク堂まで向かう。
ものすごく急いだけれども、わたしが対談の会場の4階の喫茶店に到着した時にはもう既に対談が始まってしまっていた。
「いきなりはじめる浄土真宗」と「はじめたばかりの浄土真宗」の両方を購入し、オレンジジュースを注文して会場の片隅にひっそりと座る。
釈先生は、「いきなりはじめる浄土真宗」の冒頭で"若年の頃はひんぱんに「あ、どっかで見た顔!」と言われました。初めて会った人に、「知っている人にそっくり」と何度言われたことか。"と書かれていたのですが、わたくしも「大学時代の知り合いのH磨くんにものすごく似てる人だなあ」と思ってしまった。
関西人には良くある顔なのでしょうか。

対談の内容はそれこそ縦横無尽にいろいろなことが話題に上ったけれども、わたくしが覚えている限りでは

・最近の人は「どうして?」と思うほど宗教情報に影響されやすい。
・「無宗教のお葬式」というのが最近流行しているんですけど、どうかって思うんです。
・内田先生が甲野先生と初対面の時に、甲野先生はものすごく具合が悪そうだったけれども、その原因は宇佐八幡宮の奥社でブッシュとビン=ラディンを呪い殺そうとする大量の呪術者の群れの邪気に当たってしまったから。
・釈先生が、古い日本家屋を改装してお年寄りのグループホームを始めたそうです。
・瘴気とか邪気に鈍感だと、どうしても人の輪から外されてしまうと思う。
・名酪のコーヒーに入れる「スジャータ」の名前は、お釈迦様が菩提樹の下で瞑想している時に乳粥を持ってきてくれたスジャータさんに由来しているが、でも名酪の社長は天理教を信仰している。どうしてこんな名前にしたのだろう。

というのがあった。

内田先生と釈先生にサインを頂き、わたくしがなぜかお土産に持ってきた「トイレットペーパーの形状をした書籍」をお二人に渡す。
その後は新宿のロフトプラスワンへ。
以下は文章が長くなってしまって10キロバイトを超えたので省略。

2005年04月13日

Qちゃんのインサイド名古屋論

4月10日

今日はゲームセンターに行って「クイズマジックアカデミー2」を試しにやってみた以外は、一日中おうちで勉強していて特に書くこともない。でも最近長屋の隣の江さんやマスモトさんが名古屋についてあれこれ書いているので、わたくしも名古屋について書ける事を書いてみようと思う。

わたくしは小学3年生の終わり~高校卒業まで名古屋に住んでいたけれども、名古屋の文化というものを一言で表現すると「閉鎖的でケチ」という感じだろう。よく名古屋の人間を揶揄する時に「3食味噌煮込みきしめんを食べ続けて、トラック3台くらいに載せて運ぶ娘の嫁入り道具を買うためのお金を貯めこんでいる」ということが時々言われるけれども、これがけっこう誇大表現として斬って捨てることもできない部分がある。普段のごはんとか、お洋服とか、レジャー活動とか、そういうものにはあまりお金を使わない。文化って言うものは大量のお金をドブに投げ捨てた後に生えてくるような側面もあるので、名古屋という地域が「文化的不毛地帯」だといえば確かにそうだと言える部分もある。
だから、ここ近年女性誌などで「名古屋嬢」なるものが大々的に取り上げられるのを目にすると、「不況で日本全体でみると若い女性がお洋服や化粧品などに使うことのできるお金が少なくなっていて、比較的お金に余裕のある女子が名古屋地区にしか生息していないからといって、名古屋の女子のファッションが大々的に取り上げられるというのは、1970年代に女性誌が創刊されて以来ずっと形成されてきた『女性誌的なものが煽りまくってきた先端的な消費文化』のどんづまりではないのかしら。『名古屋嬢』の中身といえば、要するに親と同居している小金持ちの娘さんが巻き髪を巻き巻きして、ルイ・ヴィトンのモノグラムのかばんを持って、(←ここが重要ですが、例えルイ・ヴィトンでもヴェルニや村上隆のデザインした変なやつは、名古屋地区では有名な大須のコメ兵が高値で買い取らないため、名古屋嬢は避けて通ります!)で、ピンクでリボンのついたお洋服を着て、週末には母親と一緒に松坂屋か高島屋でお買い物をする、という保守的なものの極致ではないでしょうか。」
などとわたくしなどは思うのだけれども、それでもやはり名古屋が良い意味でメディアに取り上げられているのを見ると中日ドラゴンズが優勝したときと同じようにささやかに嬉しかったりするわけで、そのあたりはちょっと複雑だ。

でも一方で「名古屋の文化が特別だ」とも言われているわけで、そのあたりは「名古屋がとっても閉鎖的」ということが関係していると思う。地理的に隔離されているために他の地域とは異なる生態系が発達したタスマニア島やガラパゴス諸島のようなものだ。東京と名古屋を比較すると、いろいろと違う点があり過ぎてあまり比べ物にはならないけれど、わたくしが個人的に思うにここが一番違うんじゃないかなあと思うのは、「名古屋には学生街が存在しない」ということだろうと思う。
わたくしのように高校を卒業してから他の地域の大学に行くというのは、決して少なくは無いけれどもどちらかというと異端で、早稲田・慶應以上の名の通った大学や地方の医大に行くという以外なら手堅く地元の大学に進学するという人の方が多いと思う。(ちゃんと統計を取ったわけではないけれども。たぶん。)そういう感じなので、南山大学や名城大学など全国区ではあまりネームバリューが無いところでもそこそこには偏差値が高かったりするわけで、入学者の大半は地元民で占められてしまい、他県から若者がどっと押し寄せてくることもない。
そんな感じなので、東京その他多くの都市が「若者が一人暮らしをしている」というのを前提として盛り場のアーキテクチャなどなどが決定されているのに対し、名古屋では「若者は親の家に同居している」ということが前提となって街のあれこれが決定されてしまっている。おそらくこれが「たとえ人口が200万を超えていようが名古屋は田舎」ということを決定付けているように思う。

だって、人間の流動性というものが本当に無いですもの。


内田先生のエントリーの中で、"「異族」が住みつくことができるのが都市の条件"という一文があったけれども、名古屋には「異族」が住み着く余地があまりないような気がする。住み着いたとしても、「住むからには、村人の一員としてちゃんと村の掟を守ってくださいねー。車はトヨタのを買って下さいねー。」と強制的に名古屋人の一員にさせられてしまうような部分がある。
名古屋に一応港も無い訳ではないのですが、主な用途は「トヨタ製の自動車の出荷」であって、そこから「異族」や「異文化」が流入することは絶対ないだろう、というのが現状だろうと。
ここには「異族」が身を寄せ合って暮らしている逃れの町もなく、きらびやかな文化を目くらましにして騙す相手である他の田舎からやってきた若者もおらず、ただ名古屋人が普通だと思っている日常だけが存在して、その「普通」を他の地域の普通と比較したり擦り合せたりすることも無い。
そのような形で何となく自然に形成されてしまったものが、とんかつに味噌ベースをつけて食すだとかコーヒーを頼むともれなくピーナッツがついてくるとかいうことに代表される「他の地域の人から見るとびっくりの、とってもディープな名古屋独自の文化」ではないだろうかとわたくしは思う。
しかし、「名古屋がとっても閉鎖的」ということが悪いことだけあるというわけではなく、人間の流動性があまりないものだから住宅の供給に比べて需要もあんまりなくて、その結果関東圏や関西圏と比較すると家賃が圧倒的に安い。
昔わたくしの両親がよくわたくしに文句を言っていたこととして、「東京でワンルームマンションを借りている家賃とほぼ同額で、名古屋では3LDKを借りることができる!!!」ということがあった。わたくしはそれを聞いて「それが東京での家賃の相場だから仕方がないではないかー!!!」とその時は思っていたけれど、今改めていろいろ考えてみると、名古屋圏は家賃相場が他と比較するとかなり安いものだから人々のお給料を低めに抑えておいてもあまり文句が出ることもなく、その結果としてメーカーさんが人件費を切り詰めることが可能なので、グローバルな視点で見た場合でも企業の競争力がそんなに削がれることがなく、今のデフレで不況な状況でも名古屋地区だけ活況を呈することができるのではないかのなと。
ちょっと「風が吹けば桶屋が儲かる」的な思考ですが。

・・・・・・実際に書いてみると、長いくせにまとまっていなくて、且つ書こうとしていたことが全部書けていないので鬱になっているのですが、これを読んで少しでも名古屋に興味を持たれた方は、清水義範氏の傑作である「蕎麦ときしめん」や、村上春樹氏らによって書かれた「東京するめクラブ」の名古屋編などを読んで、とってもディープな名古屋文化に戦慄してくれれば有り難いなあ、と思うのです。


4月5日

ものすごくついていない日でたった24時間のうちにとんでもないことが立て続けに起こったけれど、一番とんでもなかったのは職場のマシンを壊してしまったことだ。
まず、隣の人のマシンの配線をいろいろ動かしているうちに、どうしてだか理由はわからないけれどわたくしのマシンの電源が自然に外れてしまっていた。
真っ青になって自分のマシンの電源を立ち上げてみたところ、一応マシン本体の起動は正常にできたけれどもディレクトリの移動やアプリケーションの起動ができなくなっていて、全くお仕事にならない状態になっていた。
それについてはスキャンディスクをかけてみたところ見た目は正常に動作するようになったけれど、何とかマシンも復旧したしほっとしたわ、と思ってさくさくお仕事を進めているところに、上司のおじさんが「念のため、マシンの電源が自然に外れたりしないように一度マシンの電源を落として自分の足元のコンセントから電源を取るようにしておきなさい」と言われたのでそれに従って自分の足元から電源を取るようにしたところ、何もさわってないのに勝手にマシンの電源が入ってしまい、そしてそのまま起動できなくなってしまった。驚愕して思いつく限りの手を試してみたり、上司のおじさんや同僚のお兄さんを巻き込んでハードディスクを他のマシンに入れ替えてみたり、マシンを開けてみて何かおかしい所がないか探してみたりした。
4時間くらいあれこれとやっているうちに、同僚のお兄さんが細い回線の束に針で開けたくらいの小さな穴があいていて断線しているのを発見して、動かなくなった別のマシンから回線の束を取ってきて付け替えてみたところマシンが正常に動くようになった。何とか最悪の事態は免れたけれど、今日は結局5時間以上マシンを復旧させるための作業に時間を取られてしまい本来やるべき作業に大幅な遅れが生じてしまった。あーあ。

しかし「どうしてマシンの電源がいつのまにか外れていたり、変な動きをしてしまったんだろう。」と考えると、「マシンがわたくしの身代わりになって、わたくしに向けられている強い邪念を引き受けてしまったのではないか」とどうしても思ってしまう。
全く科学的ではないけれども。
ああ、でもそろそろ真っ当な生活に戻さなくててはなあ。

2005年04月27日

207系 Dead man's curve

4月26日

JR西日本福知山線の脱線事故については何とも言いようが無い。
現在わたくしがこの文章を書いている時点では死者73名、負傷者約450名ということだけれども、スクラップ状になった車内にまだ14、5名の人が閉じ込められているとも、負傷者のうち50名は非常に危険な状態であるとも伝えられている。
犠牲になった方々には心よりお悔やみを申し上げたい。
しかしネット上のあちこちに、「2ちゃんねるの鉄道版の、『在来線でかなりのスピードを出す区間』というスレッドにあった、今回の脱線事故が起こった路線について書かれた文章」ということで以下のような文章が貼られている。


JR酉 宝塚線 北伊丹~塚口間 207系快速爆走 120キロはかなり萌える!
宝塚駅AM7時16分発木津行き快速はラッシュで満員だがいつも1分遅れで出発
川西池田を出るとR171高架下までは83キロぐらいをキープ。そこを過ぎると
フルノッチ!一気に120キロ達成!北伊丹駅手前のカーブをそのままの速度で突っ込む。
満員の車内が大きく揺れ車体がきしむ。で伊丹のジャスコが見えてきたらフルブレーキ。
線路はブレーキシューの粉で真っ黒(w)伊丹駅を出るとまたまたフルノッチ
稲野駅を115キロぐらいで通過(ホームの人は怖くないのか?)塚口までのストレートを120キロで爆走。塚口駅過ぎたポイント付近で70キロ制限のカーブまでフルブレーキ
尼崎駅に着いた時は何事も無かったかの様にクールにホームイン。207系マンセー

今回の事故の原因については「運転手のせい」「置き石のせい」などといろいろ言われているけれども、素直に考えてこれけっこう危なくないか?しかも実際に福知山線で通勤している人の書き込みに「実際にこんな感じ。あと尼崎駅に着いた時のブレーキの金属の摩擦臭も付け加えて置いてください」なんて書いてあるし。
まあ、わたくしは実際に乗っているわけではないので分からないのですが。

4月25日

騒動が一段落したので、久しぶりに某お兄さんの書いているブログをAir"Hから読んでみたらとんでもないことが起こっていたということが書いてあったので、ブログ上で公開可能な程度に怒りを50分の1程度に抑制して表現すると「あれほど多くの人間を巻き込んで某団体の存亡の危機を招いておいて、私が某団体に所属しつづける事が出来ないようにいろいろなことを画策したくせに何なんだこの女!!!!!!!!」と思ったけれど、お仕事行く前だしむやみに切れていても仕方ないなあと思って、そのまま職場に行った。
でもお昼休みに「あ、ブログのテキストの肝心な部分をコピーしてテキスト保存しておかなきゃ」と思って再び開いた時にはもう某お兄さんの書いているブログのアカウント自体が消えてしまっていた。
「ちゃんとブログを見た瞬間に保存しておけば良かった」と後悔している。

4月24日

本部道場で多田先生の講習会。
早く着いたので正座をして黙想を続けていると、どんどん人が増えていく。
「今日はやけに人が多くないか???」と思っていたけれど、開始時刻の午後2時が近づくにつれてさらにどんどん人が増えていく。最終的には道場の半分が正座をする人で埋まってしまった。
このような状態では、もちろん技をかけたり投げたりをいうことが不可能になる。
必然的に実際に技をかけたりするよりは多田先生が口頭で説明することの方が多くなる。
しかし、相手にとらわれない心の説明→呼吸法→足捌き→2人掛け→太刀取りと行っていくうちに、だんだんと楽しくなって気持ちよくなっていく。
2人掛けはあまりにも参加人数が多いので投げる直前で寸止めしなくてはいけないのだけれども、それでも1か月ぶりに行う合気道が楽しくて仕様がない。この1か月くらい、お稽古を続けていきたいけれども、でも周囲の状況を考えるとそれは無理なのかもしれない。なんてことをいろいろ悩んでいたけれど、やはり私には合気道が必要なのだなということを改めて確認する。

4月21日

「最近何かを忘れているようだ」と思っていたら、日記を書くのを忘れてしまっていた(泣)。
先週から今週にかけて、職場の歓送迎会で高級中華を食べに行ったりとか、ほぼ一夜漬けでお勉強をして地獄を見たりとか、ロフトプラスワンのイベントに行ってきたりしたけれども、詳細まで書いている余裕がない。
でも、いろいろと考えることはあったのでちょっと書いてみようと思う。

・ブログの文体についての話

わたくしの日記は、テキストファイルに書いたものを内田先生にメールで送付してネット上にアップロードしてもらっている。
なので、必然的にテキスト上に草稿を書いてそれを何度も読み返したり微妙に寝かせたりしてから決定稿を完成させて、それから内田先生に送付している。決定稿を完成させるまでに、最低でも3回は読み返して、読後感が自分の身体にしっくりと馴染むようになるまでにひたすら手を入れる。
なので、「ユリイカ」4月号の対談「はてな頂上作戦」で以下のような記述があった時にちょっと違和感があったりしたのだ。


栗原:原稿に較べれば全然走り書きなんですけどね。言うほど推敲もしていないし、クリップでお茶を濁すことも多いし。上げてからちょこちょこ直すし。でも、まったく読み直さないでアップしちゃうという人の心理はなかなかわからないところがあります。
吉田:それ、まさに私だし!(笑)
鈴木:段落で切れない文章がブログには多い気がしますね、推敲されていないからか。これは、ワープロ以前の人たちともけっこう揉めるんですけど、五〇年代後半生まれくらいの人たちって、―宮台さんもそうだけど―原稿用紙に書いて清書するのが身についているから、「最初から決定稿が書けるなんてありえない」という感覚なんですよ。僕なんかは一〇歳からワープロ使っているから、最初から決定稿で当たり前で、推敲するというのがむしろわからない。
吉田:私もけっこう鈴木さんに近くて。パソコンで書いてると思われる最近の小説家もそうなのかな、と。舞城王太郎とか読んだときに思いましたけど。
   

わたくしは、鈴木謙介氏と吉田アミさんとは同年代だけれども、ガシガシと推敲している。
昔はわたくしも「自分の書いた文章は読み返さない人」だったけれども、むしろワープロやエディタで書くようになってから相当注意深く何度も手を入れるようになった。推敲する手間が昔と較べるとかからないようになっているし。
特にこのブログの文章は一度書いたものを少し置いておいて、書いた時とは違う人格の目で読み返して手を入れるようにしている。
時間がかかるのにこのようなことをあえてしているのは、いろいろ理由はあるけれども、やはり「読み手に悪意を持った人間が存在する可能性がある」ということを意識せざるを得なかったからだ。

・クイズマジックアカデミー2の話

「俺様キングダム」でクイズマジックアカデミー2の存在を知ってから、ずっとこれにはまってしまっている。
わたくしはクイズゲームには本当に目が無い。
大昔にデート中に「子育てクイズマイエンジェル」を3時間ぶっ続けでやってしまって、相手を引かせてしまったことがある。
で、このゲームの構成としては、オンラインで全国のゲームセンターとつながっていて同時に最大16人と対戦できるということと、エントリーカードというのがあって、そこに自分の使用しているキャラクターの経験値を記録することが出来て、経験値を蓄積していくと所属しているクラスが上がっていくというところが特徴なんだろう。
しかし、実際にやってみると脳内から激しくアドレナリンが噴出してしまう。
あえて例えるならば、大昔に受験勉強をしている時代の感覚とか、模試の全国順位が何番だったとかいうことに一喜一憂していたころの記憶が蘇ってしまうのだ。
それで、「学問ではわたくしに勝てる人間はそういなくってよ~」何て思って調子に乗って優勝してみたり、重度のヲタクにしか答えられないアニメ&ゲームの問題に粉砕されてしまっているうちに多くの貴重な時間と金銭を無駄に消費してしまっているわけだ。今までに約4500円ほどクイズマジックアカデミー2に使い、現段階では、クラスが修練生(10級~1級)→下級魔術師(10級~1級)→中級魔術師(10級~1級)→上級魔術師(10級~1級)→大魔導士(10級~1級)→賢者(賢者・大賢者・青銅賢者・白銀賢者・黄金賢者・白金賢者・金剛賢者)とあるうちの大魔導士のところまで来ている。
自分が無駄な事に貴重な時間と金銭を浪費していることを悟るためには、あと5000円くらい追加投入しないと駄目なのかなあなんて事を思う。(現在の時点では、貴重な時間と金銭を浪費していることを頭では理解しているがまだ悟ってはいない。)
しかし、ゲーム用の機械の横に大きな画面があって、それに全国のゲームに参加している人の総合順位などが映し出されている。
それを見てみると、「優勝した時にもらえるゴールドメダルを最も多く獲得している人の枚数は2200枚」なんて出ているけれども、よくよく考えてみれば「1回100円だと考えても、ゴールドメダルが2200枚ということは最低でも22万円を注ぎ込んでしまっているということか???」ということに気がついてしまい、思わず気が遠くなってしまった。

・インフォメーション・デバイドとか、そこらへんの話

2か月ほど前からとんでもないことに巻き込まれてしまっているので、その関係でいろいろな人のブログを見て回っている。
そこで、数多く「希望格差社会」についての議論とか「ブログは新聞やテレビのような既存のジャーナリズムを脅かすような存在になるか」という議論がなされているのだけど、それらのブログのエントリーやコメントを読み続けて思うことは、「デジタルデバイドの他にもインフォメーション・デバイドというものが存在する」ということだ。
ブログ上に非常に貴重な知見が発表されたとしても、その知見をきちんと受け取ることが出来る人もいれば、無闇やたらにゴミコメントを書き込んでけなし続ける人も存在する。
何によってそのような差異が作られてしまうのかということを考えると、結局のところ養老孟司先生が「バカの壁」で議論していたことや、レヴィナス先生が「自分の外部に重要な知見を教える『師』が存在する」と主張していることや、P・F・ドラッガーが「重要な情報は外部からもたらされる」と著書に書いていることなどのあたりに収束するのかなと。
要するに、「自分の外部にある情報に敬意を持って聞くことができる人間のみが必要な情報を手にすることができ、自分が一番賢いと思って他人の意見を見下す人間には必要な情報は入ってこない」ということになるのだろう。
そういえば、通常の3倍速で読み飛ばした「オレ様化する子ども達」の趣旨もこんな感じだったな、ということを思い出した。
内田先生がクビ大の存在について否定的なのも、クビ大では本当に必要な知恵や知識を学ぶことができないということに由来しているのだろうか。

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