« Qちゃんのインサイド名古屋論 | メイン | 蟻の穴考 »

207系 Dead man's curve

4月26日

JR西日本福知山線の脱線事故については何とも言いようが無い。
現在わたくしがこの文章を書いている時点では死者73名、負傷者約450名ということだけれども、スクラップ状になった車内にまだ14、5名の人が閉じ込められているとも、負傷者のうち50名は非常に危険な状態であるとも伝えられている。
犠牲になった方々には心よりお悔やみを申し上げたい。
しかしネット上のあちこちに、「2ちゃんねるの鉄道版の、『在来線でかなりのスピードを出す区間』というスレッドにあった、今回の脱線事故が起こった路線について書かれた文章」ということで以下のような文章が貼られている。


JR酉 宝塚線 北伊丹~塚口間 207系快速爆走 120キロはかなり萌える!
宝塚駅AM7時16分発木津行き快速はラッシュで満員だがいつも1分遅れで出発
川西池田を出るとR171高架下までは83キロぐらいをキープ。そこを過ぎると
フルノッチ!一気に120キロ達成!北伊丹駅手前のカーブをそのままの速度で突っ込む。
満員の車内が大きく揺れ車体がきしむ。で伊丹のジャスコが見えてきたらフルブレーキ。
線路はブレーキシューの粉で真っ黒(w)伊丹駅を出るとまたまたフルノッチ
稲野駅を115キロぐらいで通過(ホームの人は怖くないのか?)塚口までのストレートを120キロで爆走。塚口駅過ぎたポイント付近で70キロ制限のカーブまでフルブレーキ
尼崎駅に着いた時は何事も無かったかの様にクールにホームイン。207系マンセー

今回の事故の原因については「運転手のせい」「置き石のせい」などといろいろ言われているけれども、素直に考えてこれけっこう危なくないか?しかも実際に福知山線で通勤している人の書き込みに「実際にこんな感じ。あと尼崎駅に着いた時のブレーキの金属の摩擦臭も付け加えて置いてください」なんて書いてあるし。
まあ、わたくしは実際に乗っているわけではないので分からないのですが。

4月25日

騒動が一段落したので、久しぶりに某お兄さんの書いているブログをAir"Hから読んでみたらとんでもないことが起こっていたということが書いてあったので、ブログ上で公開可能な程度に怒りを50分の1程度に抑制して表現すると「あれほど多くの人間を巻き込んで某団体の存亡の危機を招いておいて、私が某団体に所属しつづける事が出来ないようにいろいろなことを画策したくせに何なんだこの女!!!!!!!!」と思ったけれど、お仕事行く前だしむやみに切れていても仕方ないなあと思って、そのまま職場に行った。
でもお昼休みに「あ、ブログのテキストの肝心な部分をコピーしてテキスト保存しておかなきゃ」と思って再び開いた時にはもう某お兄さんの書いているブログのアカウント自体が消えてしまっていた。
「ちゃんとブログを見た瞬間に保存しておけば良かった」と後悔している。

4月24日

本部道場で多田先生の講習会。
早く着いたので正座をして黙想を続けていると、どんどん人が増えていく。
「今日はやけに人が多くないか???」と思っていたけれど、開始時刻の午後2時が近づくにつれてさらにどんどん人が増えていく。最終的には道場の半分が正座をする人で埋まってしまった。
このような状態では、もちろん技をかけたり投げたりをいうことが不可能になる。
必然的に実際に技をかけたりするよりは多田先生が口頭で説明することの方が多くなる。
しかし、相手にとらわれない心の説明→呼吸法→足捌き→2人掛け→太刀取りと行っていくうちに、だんだんと楽しくなって気持ちよくなっていく。
2人掛けはあまりにも参加人数が多いので投げる直前で寸止めしなくてはいけないのだけれども、それでも1か月ぶりに行う合気道が楽しくて仕様がない。この1か月くらい、お稽古を続けていきたいけれども、でも周囲の状況を考えるとそれは無理なのかもしれない。なんてことをいろいろ悩んでいたけれど、やはり私には合気道が必要なのだなということを改めて確認する。

4月21日

「最近何かを忘れているようだ」と思っていたら、日記を書くのを忘れてしまっていた(泣)。
先週から今週にかけて、職場の歓送迎会で高級中華を食べに行ったりとか、ほぼ一夜漬けでお勉強をして地獄を見たりとか、ロフトプラスワンのイベントに行ってきたりしたけれども、詳細まで書いている余裕がない。
でも、いろいろと考えることはあったのでちょっと書いてみようと思う。

・ブログの文体についての話

わたくしの日記は、テキストファイルに書いたものを内田先生にメールで送付してネット上にアップロードしてもらっている。
なので、必然的にテキスト上に草稿を書いてそれを何度も読み返したり微妙に寝かせたりしてから決定稿を完成させて、それから内田先生に送付している。決定稿を完成させるまでに、最低でも3回は読み返して、読後感が自分の身体にしっくりと馴染むようになるまでにひたすら手を入れる。
なので、「ユリイカ」4月号の対談「はてな頂上作戦」で以下のような記述があった時にちょっと違和感があったりしたのだ。


栗原:原稿に較べれば全然走り書きなんですけどね。言うほど推敲もしていないし、クリップでお茶を濁すことも多いし。上げてからちょこちょこ直すし。でも、まったく読み直さないでアップしちゃうという人の心理はなかなかわからないところがあります。
吉田:それ、まさに私だし!(笑)
鈴木:段落で切れない文章がブログには多い気がしますね、推敲されていないからか。これは、ワープロ以前の人たちともけっこう揉めるんですけど、五〇年代後半生まれくらいの人たちって、―宮台さんもそうだけど―原稿用紙に書いて清書するのが身についているから、「最初から決定稿が書けるなんてありえない」という感覚なんですよ。僕なんかは一〇歳からワープロ使っているから、最初から決定稿で当たり前で、推敲するというのがむしろわからない。
吉田:私もけっこう鈴木さんに近くて。パソコンで書いてると思われる最近の小説家もそうなのかな、と。舞城王太郎とか読んだときに思いましたけど。
   

わたくしは、鈴木謙介氏と吉田アミさんとは同年代だけれども、ガシガシと推敲している。
昔はわたくしも「自分の書いた文章は読み返さない人」だったけれども、むしろワープロやエディタで書くようになってから相当注意深く何度も手を入れるようになった。推敲する手間が昔と較べるとかからないようになっているし。
特にこのブログの文章は一度書いたものを少し置いておいて、書いた時とは違う人格の目で読み返して手を入れるようにしている。
時間がかかるのにこのようなことをあえてしているのは、いろいろ理由はあるけれども、やはり「読み手に悪意を持った人間が存在する可能性がある」ということを意識せざるを得なかったからだ。

・クイズマジックアカデミー2の話

「俺様キングダム」でクイズマジックアカデミー2の存在を知ってから、ずっとこれにはまってしまっている。
わたくしはクイズゲームには本当に目が無い。
大昔にデート中に「子育てクイズマイエンジェル」を3時間ぶっ続けでやってしまって、相手を引かせてしまったことがある。
で、このゲームの構成としては、オンラインで全国のゲームセンターとつながっていて同時に最大16人と対戦できるということと、エントリーカードというのがあって、そこに自分の使用しているキャラクターの経験値を記録することが出来て、経験値を蓄積していくと所属しているクラスが上がっていくというところが特徴なんだろう。
しかし、実際にやってみると脳内から激しくアドレナリンが噴出してしまう。
あえて例えるならば、大昔に受験勉強をしている時代の感覚とか、模試の全国順位が何番だったとかいうことに一喜一憂していたころの記憶が蘇ってしまうのだ。
それで、「学問ではわたくしに勝てる人間はそういなくってよ~」何て思って調子に乗って優勝してみたり、重度のヲタクにしか答えられないアニメ&ゲームの問題に粉砕されてしまっているうちに多くの貴重な時間と金銭を無駄に消費してしまっているわけだ。今までに約4500円ほどクイズマジックアカデミー2に使い、現段階では、クラスが修練生(10級~1級)→下級魔術師(10級~1級)→中級魔術師(10級~1級)→上級魔術師(10級~1級)→大魔導士(10級~1級)→賢者(賢者・大賢者・青銅賢者・白銀賢者・黄金賢者・白金賢者・金剛賢者)とあるうちの大魔導士のところまで来ている。
自分が無駄な事に貴重な時間と金銭を浪費していることを悟るためには、あと5000円くらい追加投入しないと駄目なのかなあなんて事を思う。(現在の時点では、貴重な時間と金銭を浪費していることを頭では理解しているがまだ悟ってはいない。)
しかし、ゲーム用の機械の横に大きな画面があって、それに全国のゲームに参加している人の総合順位などが映し出されている。
それを見てみると、「優勝した時にもらえるゴールドメダルを最も多く獲得している人の枚数は2200枚」なんて出ているけれども、よくよく考えてみれば「1回100円だと考えても、ゴールドメダルが2200枚ということは最低でも22万円を注ぎ込んでしまっているということか???」ということに気がついてしまい、思わず気が遠くなってしまった。

・インフォメーション・デバイドとか、そこらへんの話

2か月ほど前からとんでもないことに巻き込まれてしまっているので、その関係でいろいろな人のブログを見て回っている。
そこで、数多く「希望格差社会」についての議論とか「ブログは新聞やテレビのような既存のジャーナリズムを脅かすような存在になるか」という議論がなされているのだけど、それらのブログのエントリーやコメントを読み続けて思うことは、「デジタルデバイドの他にもインフォメーション・デバイドというものが存在する」ということだ。
ブログ上に非常に貴重な知見が発表されたとしても、その知見をきちんと受け取ることが出来る人もいれば、無闇やたらにゴミコメントを書き込んでけなし続ける人も存在する。
何によってそのような差異が作られてしまうのかということを考えると、結局のところ養老孟司先生が「バカの壁」で議論していたことや、レヴィナス先生が「自分の外部に重要な知見を教える『師』が存在する」と主張していることや、P・F・ドラッガーが「重要な情報は外部からもたらされる」と著書に書いていることなどのあたりに収束するのかなと。
要するに、「自分の外部にある情報に敬意を持って聞くことができる人間のみが必要な情報を手にすることができ、自分が一番賢いと思って他人の意見を見下す人間には必要な情報は入ってこない」ということになるのだろう。
そういえば、通常の3倍速で読み飛ばした「オレ様化する子ども達」の趣旨もこんな感じだったな、ということを思い出した。
内田先生がクビ大の存在について否定的なのも、クビ大では本当に必要な知恵や知識を学ぶことができないということに由来しているのだろうか。

About

2005年04月27日 10:41に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「Qちゃんのインサイド名古屋論」です。

次の投稿は「蟻の穴考」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type 3.35