8月22日(日)
9時会館集合で祭礼啓発大会へ。出席は21町の町会、世話人、若頭、後梃子、青年団
から各10名あまりと年番。
だんじり小屋でのツツミ巻きも同じ時間にあるから、若頭は2手に別れてそれにあた
る。啓発大会へは顧問・相談役・副責任者と会計が出席。ツツミ巻きは前梃子の管轄
だから、彼らと若手を充てる。昨夜M雄に「明日、M人とツツミやるよって、すまん
けど、ひろきは啓発大会へ筆頭として行ってくれ」といわれている。
啓発大会は10時開会であるが、岸和田の場合、こういう時は必ず15分前に各町が集
合する。中でもうちの五軒屋町は、何でも早め早めである。
会場の浪切ホールへは、ゆっくり歩いても5分そこそこの距離だが、9時集合だ。9
時10分前に会館に着くと、青年団、拾五人組、世話人さんとほぼ揃っていて、10
人出席するはずの若頭がまだパラパラだ。
携帯が鳴る。筆頭のM雄からだ。「みんな揃てるか。頼んどくで」との確認の電話で
ある。「分かってる、ちゃんと揃てる」と言って切り、携帯の時計ディスプレーを見
ると8時55分だ。まだ到着していないメンバーに手分けして携帯を入れる。
自転車で直接会場に来るNくんと従兄のKちゃん以外、全員揃ったところで「そろそ
ろ行きましょか」と曳行責任者に告げる。
見事に提灯が並ぶ、超大型の堺町の献灯台前を通り過ぎ、大北町の献灯台にさしかか
ると設置作業中で、大北の今年の筆頭がいる。彼は1つ下の年齢だ。
「ひろきくん、お早う。こんな早よから、ようけでどこ行くんや」と冗談が飛ぶ。
「岸和田カンカンへ買い出しや」とひとまず笑いを取って、「うちは真面目やからな
あ」と付け加える。
カンカン場の交差点につくと大工町の若頭一行と会う。この町も何でも早い目だ。
「おー、ひっさしのお(スタンダードな大阪弁では「久しぶりやなあ」)。こう、元
気か」
同級生のKから声が飛ぶ。
「おっす、ひろき」
宮本町のUである。Kと同じく小・中と同じ学校の同級生の彼は親戚筋で、彼の妹は
オレの従兄の嫁である。
「あれぇ、K野は」と去年同じく筆頭をしていたK野のことを訊く。
「きょうは塾や。受験勉強や」
「そうか、あいつは今年、高校進学やからなあ」
そういえば、建築士かなにかの資格を取る、と聞いていたK野のことを冗談半分で確
かめる。
とにかく、その5分ぐらいの道すがら、だれかと顔を合わすたびにこんな具合で挨拶
だ。もう20回はしたのだろうか、こんなことはだんじり祭関係の行事ならではで、
よその社会ではほとんど少ない。
ひろき、ひろきくん、ひろきちゃん、こうくん、こうさん…その名前の呼び方も微妙
に違う。
まず、「ひろき」。このファーストネーム呼び捨ては、町内の同い年と年長者の呼び
方である。同時によその町の人間で、とくにクラスメートだった同級生とか、あるい
は親しくしてもらっている年長者もそうで、兄や親戚のおじさんと同様のニュアンス
の言い方だと思っていただければいい。
次に後につける「くん」。これは京都や大阪の一部を除いて、他の街の人にはなかな
か分かりにくいのだが、近しい年少者からの愛称的敬称である。初対面とかあまり近
密でない関係なら必ず「さん」であるが、子どもの時からの親密な年長者にはこの「
くん」という(一種特別な)敬称をつけて呼ぶ。
会社などでは年長者に向かって「くん」は絶対ないが、岸和田ではそういう言い方を
する。
微妙なのは同級からの「こうくん」で、そう呼ばれるとちょっとあらたまった感じが
して「呼び捨てで、エエて(照れニュアンス)」と返したりして、親密度が増すにつ
れ、「こう」と呼び捨てになる。
それとは違ってちょっと微妙なところもあるが、同じような具合に年少者からの「さ
ん」も「くん」に代わってくる。
10時1分前に始まった啓発大会は例年通り、主催者の町会連合会の副会長(今年は
わが五軒屋町のTさんである)の開会の挨拶の後、同会長、来賓紹介、年番長、岸和
田市長、警察署長の挨拶と続く。
今年の啓発大会は、このところ多い熱中症の対策について、徳洲会病院の医師を特別
ゲストとして招き、その対策説明があったのがユニークで、 だんじり祭に即した原
因分析および「責任感の強い、がんばり屋に多い。そんな岸和田の青年は、必ず年長
者の言うことを聞くので、ちょっと休憩せい、というてやってください」とパワーポ
イントを使った岸和田弁丸出しの熱演は感動的ですらあった。
1時間半あまりの啓発大会の帰り際に、中之濱町の同級生Yに顔を合わせる。
お互いの近況報告の後「J郎おれへんから、やっぱりさびしいわ。ほんま」と去年漁
船事故で亡くした筆頭の話になる。
去年のこの日記でも確かふれたはずだが、その2日前にオレと2人で飲んでいたこと
もYは知っていて、そのことを感謝するようにオレに話す。
30年以上も同じ町で祭と共に人生をやってきた幼なじみがもういない事実を、また
やってくる今年の祭で確かめるように言う。
その哀しさと、最後に一緒に飲んだ他町の人間に対しての気遣いに、オレは声を詰ま
らせた。
8月21日(土)
午後6時から献灯台設置。
会計責任者のO崎に、預かったままの代金・提灯5張分5万円を渡さなくてはならな
いので、その前に5時過ぎに会館へ行くことを告げている。
編集部を出て、南海電車に乗ろうとしていると、携帯が鳴る。M人からだ。彼は同級
生で去年の副責任者兼前梃子責任者であり、来年の若頭筆頭が予定されている。
「どこなぁ」
「電車や。あと30分後や」
「今、アジサイ(町内の居酒屋の名前)でいてる。M雄もすぐ来る」
「わかった、すぐ行く」
いつものそんな調子で、難波から特急サザンに乗り、岸和田駅で降りてまっすぐ店へ
。まだ「準備中」の看板が上がってるアジサイに入ると、カウンターの一番奥で手長
蛸とシャコの酢の物で独りで飲んでいる。その光景は、堂々としていてなかなか、い
っぱしのおっさんである。
オレも同じものを注文する。夏の酢の物とビールはうまい。
そうこうしていると今年の筆頭M雄も登場。こうなると1杯では済まない。ボトルを
置いてある世話人のHさんの芋焼酎の一升瓶をシャコをアテに飲み出す。
「すまん、M雄M人に掴まってアジサイで飲んでるから、現場で渡す」とO崎に携帯
を入れ直すが、もう6時10分前だ。
せかすように店を出て昭和大通りの中央商店街入り口の現場へ。すでに大工のYさん
から毎年借りている3段7メートルのタワーが組まれ、だんじり小屋隣のガレージに
直してある鉄骨の献灯台のパーツをおのおのが手分けして運んでる最中だ。商店街の
入り口では会計チームが提灯にビニール製のカバーをかけ、3個口2個口のものを分
け、順番に並べている。
いつもながら段取りがいい。 大工と電器屋、土木建築関係のメンバーがいるうちの
町の献灯台設置仕事は業者などには委託しない。けれども本当に見事である。献灯台
設置の請負仕事というものがあれば、ジャカスカ仕事が来るだろう。
が、この献灯台も来年から、商店街のアーケードが外されるのでまったく違う構造の
献灯台を設計中だ。20数年続いたこの段取りも変わる。
3時間あまりの作業中にはいろんな人がその前を通り、しばし足を止めその作業を見
ていく。
北町の若頭筆頭と副責任者が一杯ひっかけた帰りに自転車で通りかかる。
「提灯の数、どうよ。やっぱり減ったんちゃうん」「そうやのお、不況やからしゃあ
ないわ」「うちは明日、朝からや。クレーン呼ぶから1時間で終わる」とかなんとか
、顔ぶれは違えど毎年同じようなやり取りがある。
今度は中之濱町の若頭幹部一行がやってくる。
「おお、毎度江くん」「毎度。ようけ揃て、どこ行くんや」「これから宮本と、花交
換や」「そうか、毎年なかんばは宮本と花してるんやのお」
顔見知りが通りかかると、そんな感じで祭が来たことを確認し合う。そして各町の献
灯台が設置され御神燈が点灯されると、一気にムードが高まる。今年も祭がやってき
たという認識する瞬間のひとつだ。
そしてこの献灯台設置始め、祭の段取りの後はいつも小宴会がありこれが楽しい。こ
の日は全員、お好み焼き「双月」で。
だいたい同じ年ごとの輪ができ、焼きそばや豚玉を食べ、生ビールをたらふく飲んで
、暑いからとかき氷を食べるものもいて、各小部屋で盛り上がってる。そんなところ
へ、筆頭のM雄が明日の予定メンバーと集合時間を確認しに行く。
あすは午前中からツツミ巻き、祭礼啓発大会、昼から犬鳴山安全祈願参拝と忙しい。
外へ出るともう12時前である。 店もわれわれが出ると同時に閉店する。