7月23日(金)
宮本町、上町、五軒屋町の宮三町の祝儀交換親睦会が夜七時半から、上町の会館で行われる。
今、これを書きながら去年の7月26日のこの日記を読み直しているのだが、会場は去年が宮本町、そして今年上町と三町持ち回りで違えども、本当に見事なほど同じことをやっている。
わが五軒屋町からの出席は、若頭筆頭と会計、顧問(わたしである)そして前梃子係と大工方、後梃子拾五人組の組長と幹部の計一五名である。
南海岸和田駅からほど近い、ローソン前で待ち合わせして、岸城神社に入る一四町で唯一、百姓町の面影色濃く残る上町のぐねぐね曲がった旧道を「こんなとこ、だんじり通ってるんか」「そら、走られへんのお」「休憩ごと町に帰って、また出てくるの大変やろ」とか、がやがや言いながら、上町のだんじり小屋(収納庫)の前でしばし休憩。
「むちゃくちゃおっきい小屋やのお。うちの二倍ある」「そらそうや。この辺、ちょっと前は田んぼばっかりやった」
逆に彼らは一昨年、うちの町に行く時に、一体どんなことを話しながら遠い道のりを歩いたのだろう。
一見、幼稚園のように見える、デカくて立派な建物の前で、上町の若い連中が「ご苦労さんです」「こんばんわ」と出迎えてくれる。
スリッパを勧められ、会場の2階へと通される。一番奥が五軒屋町、真ん中が宮本町、手前が当番町の上町で、向かい合う形で2列ずつの長机が置かれている。
筆頭のM雄と拾五人組の組長が前に置かれている別席に座る。
顧問のオレは五軒屋町席の一番前、背中合わせで宮本町のこれまた顧問となったK野がいる。
乾杯発声は宮本責任者のK本くん。中小高と同じで1年後輩だ。
宴会に入る。 ビールや焼酎がどんどん上町の若い衆の手で注がれ、席を替え話題を替えるが、話は全て祭の話である。
18日の安全祈願祭の後、昨年のカシラたちは昼食会を共にしたが、メンバーはガラリと違えどその同じ話題がまたこの席、つまり宮三町の祝儀交換親睦会で続いている。
それはKさん家についての話である。
18日の安全祈願祭をしていたちょうどその時、Kさん家の次女が テレビのワイドショーかなんかに出演していて「ファッションショーはわたしのだんじり祭です!」とか、パンパカパーンという感じで、「わが心の岸和田だんじり」を熱弁していた(らしい)。
「それやったら、年番長も市長も警察署長も出てる、祈願祭に来んかい」
「あほ、テレビ出るのに忙しいんや。それに浪切神社、言うても知らんやろ」
とか、ここでは(ということは、どこでも)書けないことも含め、ほとんどボロクソだ。
もちろんそのメディアなどは、この安全祈願祭を知る由も興味もないから(取材に来ていた岸和田テレビは別、ご苦労さまです)、そのワイドショーで「今日は岸和田で祭礼安全祈願祭が行われていますね」という通でディープな話題も上がらないし、こちらとしてもテレビであろうが新聞であろうが「そんなもん、どうでもええ」し「おたくら関係あれへん」である。
けれども、Kさんとこの家は伝統的にトラブルの元続きである。
ニュース番組では決してなく、岸和田のだんじりは、当のその祭を特別番組にしたテレビでもよく登場しているが、そのようにここ数年メディアに取り上げられるようになってから、Kさん三姉妹はいつもこの日だけは岸和田に客を連れて帰ってくる。
その客が芸能人とか吉本のタレントとか、そういう人たちで、そんな人らが2階のバルコニーから身を乗り出さんばかりにいて、時にはクラッカーが鳴ったりするから、テレビもそれをフォーカスする。
だんじりは昼間は、ぱーっと走るから、Kさん家なんて藤原紀香が来ようがブッシュが居ようがだれも見ているヒマがない。
けれども提灯に灯を入れてゆっくり歩いて曳行する夜は違う。
なので、Kさんの家の2階からはタレントたちがだんじりに拍手喝采、それに応える(おちょくることも多いが)酒が入った若い衆…、で結構トラブルの原因になる。
結局、一昨年のとある町同士の大喧嘩も、「芸能人なんか相手してんと、はよ行け。後ろ混むやろ」と前の町に言いに行ったことが原因だった。
「A町のなあ、世話人さんが『おまえとこそんなヤツ呼ぶから、若いもんが相手するやろ。せやから、だんじり止まるんや。どないか、せえ』て、ほんまに言うたらしいで」
「2階から芸能人、おヒネリか何か放って、下を通っていたB町の若頭が『こら、おのれは殿さんか。リオのカーニバルちゃうぞ、見せもんちゃうぞ。下りてこい』って、ヤカラ言うた」
20代の若い連中と違い、だんじり玄人の若頭は「今年は誰が来るのか」といった話題に対しては、まったく逆のとらえ方をする。
まあ、この人たちは目立ってナンボやから、しゃあないとして、今年はどうか余計なトラブルはないように切に願うばかりだ。