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浪切神社の安全祈願祭

7月18日(日)

「岸和田祭礼安全祈願祭」が浪切神社で行われる。

この祭礼神事は若頭責任者協議会の主催で、昨年はその準備と当日の受付・接待に追われた。

去年のこの日記の4月6日に書いている通り、4月に執り行われていたが、今年からはこれから本格的に祭に突入するという、夏の盛りの7月第3日曜に決まった、と今年の若頭責任者のM雄から聞いている。

本年度の町会連合会の会長、年番長、市長ほか、各町の曳行責任者、若頭責任者、後梃子組長、青年団長の各正副が出席し、玉串を奉納して祭礼の安全を祈願する。この式典に、昨年と一昨年度の各町の若頭責任者が来賓として招かれているのだ。

法被にバッチ、鉢巻を絞め地下足袋をはいた「正装」で自転車に乗り、9時半きっかりに現地に着くと、会場の浪切神社はすでに準備万端で、記帳しようと受付に行く。受付は昨年に引き続き今年も責任者をやっている中之濱町のKで「おい江。M雄、酔うてもて、おまえとこで泊まったてかぁ」。「そうや、むちゃくちゃや」。

そうなんである、昨夜のオレとM雄は結構大変だった。

明日は安全祈願祭で、実家に帰ろうと、夜11時前に岸和田駅に着くやいなやのタイミングで、M雄からケータイが入った。

「今、どこなあ。H(本町若頭責任者)とK(堺町同)と近所で飲んでるんや」とのこと。酒屋のHは幼稚園以来の同級生だしKは本年度若責協の会長だ。断る理由なんてない。「ほな、今から顔出すわ」と近所だけれど初めてのスナックへ行く。

「オマエら明日、早よから段取りちゃうんか」
「そうやその最終打ち合わせやないか」

藤井町の若頭も来ていて、とにかく飲んでいる。オレが来たのでさらに焼酎の水割りをどぼどぼ、という感じで、今年の日程はあーじゃこーじゃ、去年はどーのこーのとあいかわらずの祭話あった後、腹が減ったと近所のうどん屋へと場所を替える。

引き戸をガラリと開けると、うちの町と中北町の年番さんほか諸先輩方がいらっしゃった。これはえらいことになりそうだ。

予想通り「この子らに、ビール10本やって」といきなりだ。40半ばの我々でも彼らにかかると「この子ら」であるのが岸和田というところだ。「えらいすんません」と声を揃えて、差し入れを頂くが、時計を見ると1時である。「こんなようけ、飲まれへんのお」と4人でめくばせしながら、それでも冷やしトマト、めざし…とアテを注文して飲み始める。

「ほな、お先に。あした頼んどくど」「ごちそうさんでした」と諸先輩方が帰ると同時に、今度は平成11年の若頭責任者数人がどやどやと入ってくる。オレの従兄弟の顔もある。

「すんません、これ飲んでください。うちの年番からもろたんですわ」とそのビールがパスされ、一人千円通しの勘定を済まし、ようやく外に出る。

M雄は結構酔っている。おまけにクルマだ。もし飲酒運転で捕まったりしたら、五軒屋町として明朝の祈願祭は洒落にならん、と実家に連れて帰る。

母親が起きてきて、今年のカシラであるM雄は子どものように「あー、えらいすんません。こんな夜中に」と恐縮している。ええからここで寝ろ、とオレが寝るはずだった6畳の部屋に布団を敷いて寝かせる。

兄夫婦とその子ども2人、そして母がいるオレの実家は狭い。母が一人寝ている部屋に、もう一枚布団を敷いてオレは寝ることにして、とにかく朝を迎えたのである。


平成15年度若頭責任者御席と書かれた席は、21町のうちの2町の町名がない。祭の明けに亡くなった大工町のM治さんと、去年春に漁船事故で亡くなった責任者のJ郎の後を継ぎ、今年もその任に当たる中之濱町のKの席だ。

今年は全員が若頭顧問に上がっただんじり男たち。普段は顔を合わさない、祭のみで繋がっている連中が、えびす顔でいる。

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2004年08月05日 19:51に投稿されたエントリーのページです。

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