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2005年05月 アーカイブ

2005年05月08日

世間はGW

5月7日
惨敗。
恐怖と、苛立ち。
自律神経失調。

あああ、1日って長い。
長いけど、短い。
何を当たり前のこと言ってんねん。
でも、実感するのは怖いです。

とうとう薬切れ。
月曜日に体調が最悪なのは困るので、仕方なく昨晩薬なし。

悲しいことに、昨晩あれほどしんどかったのに・・・
全く、私の身体は眠ることを思い出しておりませんでした。
夜中に、星が散る中、ふらふらとお風呂から上がり、その勢いでベッドに横になったが・・・
眠れない。
カーテンを閉め切って、真っ暗にしてみても、だめ。
眠れない。
すごい恐怖感。
雨がときおり、邪悪なまでに激しくなって、余計神経がたつ。
眠りたい。
眠れない。
目を閉じても、身体の向きを変えても、脂汗は出ても、欠伸も出ない。
身体は疲れているのに、いたずらに時間が過ぎていく。
3時、3時10分、15分、ああ、もう時計を見ないでおこう。
はあ、ちょっとトイレに行ってみよう。
3時半、まだ夜中。
少しでも眠りたい。
横になっていたら、寝てしまうかなあ。
あ、寝てた?
え?まだ4時になってない?
5分も経ってない?
気のせいか。
寝ないと、明日持たない。
どないしよう。
焦ったら余計に眠れない。
謡を思い出して、腹式呼吸して。
気分を落ち着かせて・・・
あかん、咳が出てきた。
涙が出てきた。
いっそ、起きようか、でも起きたままやったら・・・

と、この調子で5時に、ギブ・アップ。
頭はぼーっとしているのだが、でも眠れない。
集中力が落ちる中、顔を洗い、TVでニュースって、土曜日はこんな朝早くニュースはないのか。
本を読もうと思っても、頭が冴えない。
ビデオを朝から見て、ぼーっとする。
思考が空回りしている事だけが、何故かよくわかる。
何処で考え、どこでそれを空回りだよって、把握しているのか?

漸く、朝日が高くなったら、今度はヘリの音だ。
もう、1日中、うるさい。
ただでさえ、眠れぬ夜を過ごしたので、神経が逆なでされる。
ああ、うるさい。じゃかましい。

やっと、9時になったので、とりあえず薬はあきらめて、体調だけ近くのかかりつけの医者に行く。
神経はおいておき、とりあえず、検診的には、疲れによるものでとりわけ問題はない。
1週間ほど様子を見ることで、そのまま終わり。休養か。休養したいわ。
郵便局に行って、ヘリの騒音に悩みながら、帰宅。
まだ、11時過ぎ。
1日長くて、いいやん。
さあ、天気がいいから、洗濯してみよう。
朝から何も食べていないから、なんか食べよう。
ついでにキッチンも少し磨こう。

さあ、仕事。
ヘリがうるさい。
集中できない。
でも、なんとかやらなくては。
あれ、なんでもう夕方なん?
日が落ちて風が冷たくなっている。
手足が冷え切っているわ。
ええ?
たったこれだけの仕事するのに、こんなに時間がかかってんの?
困ったなあ。
まだやらないかん事山ほどあるのに。
あ、阪神負けよった。
延長12回?こっちも長い時間試合してたんやなあ。
とりあえず、電気つけよう。
ビデオを1本。
リフレッシュ、多分。
思考が宙に浮いて、ゆっくり転回、そのまま、そのまま。

あ、そういえば、のど乾いたし、なんか食べなあかんな。

おかしいな、夜中はあんなに長かったのに。
今日1日ものすごい長いのに、なんで仕事はこれだけなんやろう。
仕事をしていないと、時間がたくさんあるように思う。
でも、すごい効率悪い事してるんやな。
少しばかり眠気を感じると身体を即座に横たえてみるが、5分ほどうたた寝できたら上出来。
はあ、どうせ、今日も眠られへんねや。
って、開き直っても、集中力落ちているし、頭に入るんやろうか。
さっきから、文字を書きたいのだが、身体が、手が震えて、字が書けなくなっている。
困った。
この仕事は後回し。
自分のメモすら、書くのが辛い。
手が震えて、あとで判読できる字が書けない。

今、22時。
明日丸1日。
このままいけば、すごい長い時間あるのだが・・・開き直って完徹。
というほど、頭回ってないがな。

とりあえず、お風呂にゆっくり入って、神経を落ち着かせな。
夜が怖い。
怖いけど、後1日しかない。
このまま私の身体は頭はどないなっていくんやろう。

5月6日
ちゃんと出勤。
郵便局で各種支払い。ビンボー。
土砂降りの雨で、さらに体調優れず。

けれども、来週から平常に戻るし、とうとう大会が29日に迫ってきているので、お稽古で休むこともあるし、お仕事しました。
細かいエクセルの表をみていると、頭がくらくらしてきた。

何度も書いたが、私は機械に弱い。
コピーをしていると、前からずっと調子が悪いと思っていたコピー機で、何度もトラブル。
ちょうど、ゼロックスの方が2階のコピー機の修理に来ていはった。
1階からよほど「ピー」と警告音?がなっていたのが気になったらしく、私が紙詰まりでごそごそしていると、後ろに立って「詰まりますか?」と突然声を掛けられる。
これこれこうで、と事情を説明すると、中を開けてなんやらいじらはって、「じゃあ、やってみて下さい」といわはる。
おおお!直ったではないか。
ちなみに、このトラブルは私のせいではない。多分。
4月からいつもこのコピー機で出来ない操作があったのだ。
だから、言い訳だけれども、一応「これは前からです」と言ってしまった。
まあ、共有のコピー機なので良かった良かった。

もう一つ、機会が弱いと言うより、コンピューターの検索ツールが使いこなせない事態が発生。
雑誌記事検索をして、資料課にお願いしていた記事が、実は日文研にもあり、製本されて所蔵されていたのが発見できていなかった。
「リクエストされたものが届いています」とメッセージがはってあるが、本の題名に全く記憶がない。
あのお、これは何かの間違いじゃあ?と尋ねに行くと、実はその中に探していた記事がある事を、逆に指摘される。
なまじ便利になったとはいえ、所蔵資料も自分で見つけられへんかったなんて・・・
ものすごい恥を掻きました。
余計なお手数を掛けて、しかも間抜けた事をぬかして、すみませんでした。

恥ずかしすぎる。
そんな思いをして、人のお手間を取らせているだけではなく、自分でも無駄な動作が多い。
気がつけば、夕方になっている。
あ、病院に間に合わない。
泣く泣く電話して「もしかして混んでいたら、診察時間伸びて間に合うかなあ」と探りを入れるも、思ったよりもすいていて、微妙に間に合わない気がする。
薬を速達でお願いする。
ちょっと、いかなアカンかってんけどなあ。
もう一軒は、明日の午前中も診察していることが分かって、ちょっと安心。
じゃじゃぶりの中、今日も大荷物で濡れ鼠になって帰宅。

雨のせいか、身体が痛い。
足から冷えたのかなあ。

あと2日でやらなくてはならないことが多いので、専念したいのだが、交流試合でいきなり大逆転。
アカンやん、またTVの前から動かれへん。
そうか、TVをつけなきゃええんか。
でも、ビデオが見られへんし、エア・チェックもできんからなあ。

5月5日
昨日の外出がやはり身体に触ったらしく、体調優れず。
微熱とはいえ、発熱して3日目。
って、この3連休やん。

それでも、明日より雨と聞いているから、昨日から冬物をすべて洗濯。
昼には取り入れ、布団を干し、炬燵布団も干して取りのけ掃除、アイロンがけをすませて、一段落。
うっかりしていたら、連休も残り少なくなっている。
ああ、最初の目標の半分も出来てへんがな。

気分を変えようと、「菖蒲湯」に入りました。
今日も、阪神大勝。
仕事にならんわなあ。

5月4日
朝から貧血。
でも、今日は久々にNOVAに予約を入れているし、レディース・デイなので、レッスンが終わると、ちょうど観たい映画の時間に間に合う。
と、思っていたが、世の中上手くゆかない。

ふらふらとしながら、とりあえずNOVAに行き、しどろもどろでレッスンをこなす。
NOVAさんはえらい景気がええらしく、4月からグランド・ビルに移動している。
場所が移転したのではなく、3月まで使うていたビルは、改修工事。
グランド・ビルは梅田のゆくゆく第二校となり、案内葉書によると(実は2月から行っていないのだ)3人までのレッスンが4人までに変更。
儲かってはんなあ。
で、さっさと映画を観て帰ろうと思っていると、また「レッスン後カウンセリング」だ。
かなり前、担当と名乗るスタッフの対応にムッとしたせいか、「要注意人物」と指定されたみたいで、次より担当と名乗る若いスタッフは最低限のことしか言わなかった。
だが、世の中4月から新年度だ。
しかも、今は場所も変わっている。
また、新しい担当を名乗るスタッフが・・・
悪いねんけど、マニュアルでどんな生徒か伝わってあらへんの?
なんで、毎回毎回同じ事言われなあかんねん。
そりゃ、全然通わん私も悪い、悪いが、私の金やし、時間や。
自覚しているので、全部あちらの言いたいことを先回りして「承知しております」と言うておるのに、これまた空気の読めん子やなあ。
新しく売りつけるノルマでもあんのかなあ?ご苦労なこって。
あんたのせいで(すんません、言い過ぎました、NOVAの方針のせいで、ですね)、私は映画に間にあわへんかったがな。
次回上映時間まで、2時間近く時間を潰さなアカン。
見たい作品やってんけど、この体調の悪さの中、気分もさらに滅入り、どんどん増えていく人の多さに人当たりして、完全に惨敗して帰宅。
悔しいので、初めて塚口のtsutayaに寄って、3本借りて帰る。
2本はすでに何度か見ている作品だが、手元にないので資料用にまた借りる。
1本は、学生さんのアンケートに二人も書いてあったのだが見ていなかったので慌てて借りた。
「黄泉がえり」である。
全然違う文脈でこの映画名が出ていたのであるが、私の感想は・・・
ごめんなさい。
草なぎ(字が変換しない)君の走り方って、なんか変やない?でした。
ついでに、朦朧としながら観た映画。
「次郎長三国志(東映版)殴り込み甲州路」「眠狂四郎卍斬り」「一心太助(TVドラマ版)」「子連れ狼その小さき手に」

田村正和って、やっぱり阪妻の子やなあ。
あまり似ていないと思っていたが、いやはやよう似てはりますわ。

やっと阪神が勝った。
結局、気になって映画が中断するんよね。

5月3日
朝から快晴。
とてもいい天気。
ちょっと暑い。

今日は、祖父の納骨をしたのである。
祖母が、寒い間にお墓に入れるのは可哀想というので、春が来て季節がよくなったら納骨しようと決まった。
祖父は、戦後関西にやってきて、一代で企業を起こした人だから、神戸に生前、墓を購入していた。
住吉霊園といって、御影というか六甲にある。
孫では私を含めて3人、後は伯(叔)父、伯(叔)母たちと祖母。
ところが、連休第2弾の大渋滞。
こっちからは車二台で、お坊さんも乗せて出発したのだが、予定より30分遅れて到着。
まあ、連れ合いの祖母と一緒に、お遺骨もお位牌も、ついでにお坊さんも一緒に遅れたので、罰は当たらんやろう。
藤が綺麗で、新緑がまぶしい中、無事に納骨を済ませた。
山から海がきらきら光って、とても印象的だった。
お墓参りに来ますね。
そうみんなで祈りながら、昼食会に移動。
って、うっかりお位牌を忘れそうになっていて、あわてて包んで私が責任を持って持たせて頂く。
昼食会が和やかに行われ、従姉と語らい、帰途につく。

家に帰ると、にわかに体調崩るる。
やはり、畏れていたことが・・・
GWに入ったときにちょっと不安に思っていたのだが、的中か?

とうとう発熱し、夕食をすべて嘔吐し、だだ崩れ。
あああ、ビデオを見てもどこか朦朧。(それでも見るんか)

5月2日
なんで、こうなんのかなあ。
今日は、なんとなく出勤しようか、家で仕事しようかなど迷っていたのだが、親孝行することになった。
別に、親孝行する気がないわけではない。
ここまで、育ててきてもらっているし、いまだに恩恵を被っているのであるから、感謝している。
いるが、1日べったり付き合うと・・・
こっちの体調も、ペースもあるさかいね。

1日何をしていたかというと、両親が、父の知り合いからチケットをもらったからと、南港で行われている「食博」に行くという。
で、チケットはまだあるから誘われた。
殊更、断る理由もなかったし、結構忙しくしているので、まあいいかと思って、同行したのである。
もちろん、父親は私を釣るための文句を用意している。
「ワインの試飲が出来るらしい」
でも、私はせっかく行くので、興味がなかったので何が出品しているのか知らなかったが、珍しい食にありつけるであろうと踏んでいた。
帰りは、母が久し振りに一緒に百貨店に行こうという話になっていた。
サンダルがもうだめだし、だからといって、日文研やその他に「下駄」で通うわけにも行かないので、サンダル欲しいなあと思っていた。
母の日も近いし、なんかええもんあればいいなあとも考えた。

けれども、あくまでもお付き合いし、同行した私の思うとおりに事が運ぶわけがない。
大体、両親と一緒に出かけると、いつもイニシアチブを取るのは父だ。
こういうと、聞こえはいいが、悪く言うと、父のペースにだけ振り回されて終わる。
そして、今日もやはりそうだった。
11時過ぎに会場に着いたのであるから、私も母も「食博」でいろいろ昼ご飯代わりに何かをつまむものだと思っていた。
だが、父は自分の行きたいところ、自分のしたいこと以外決して耳を貸さないし、正確に言うと、いくら訴えても、気付かない。
本当に、気付かない。
無視しているのなら、「俺についてこい」の昔人間と言えるけれど、そうではないだけにたちが悪い。
そして、生意気な娘から言わせてもらえば、「食」の勘に対しては、私の方が鋭い。
母の方が鋭い。
母は飲まれへんし、辛いもんやげてもんは苦手やけどね。
案の定、悪い予感が当たった。
お昼になって、みんなが並び出す前に、「あれ、食べたい」とか「あっちも見に行きたい」「今ならすいているから、少し買うてみいへん」と主張するが全く耳を貸さない。
そして、「ワインの試飲」ができると父が向かったところは、父の好みも知っている私としては、絶対あわない。
結局、2杯飲んで、不満そうに席を立つのに、母と私はついて行かなくてはならない。
仕方なく、後ろをついていくが、それでは南港まで来た割が合わない。
実行するしかあらへんと、父と母をおいて、すたすた自分の勘に従って会場を歩く。
おおっと、この「ワイン」は美味しそうだ。
そのコーナーにずかずかと入っていき、勧められるままテーブルに着くと、「またワインの試飲するの?」と訝しげに父が聞く。
「そう」(って、さっき甘いの2口飲んだだけやん)
両側にしぶりながら、両親が座る。
たくさん並ぶ瓶を眺めながら、担当の人に好みを伝える。
大ヒット!!
値段も手頃。
最初は私の勝手な行動にムッとしていた父だが、味には勝てなかったらしい。
自ら「これを買おう」とご満悦で購入してはった。
ほらね、だから私の方が勘がいいんだってば。
しかし、身勝手が罷り通ったのはここまで。
後は、母といくら訴えても、聞こえはらへんらしい。
全くマイペースに「あっちに行く」といったら後は無言で、すたこらさっさ。
都合6つのステージが組んであるのだが、それぞれのステージに所狭しと、出展や展示・販売がされている。
しかし、ゆっくりみようと思うと、自分の興味のないところは立ち止まってもくれない。
そして、12時になり、どんどん人が増えてきて、余計にゆっくり見ることも出来ず、気がつけばどこの店舗も長蛇の列。
父は並ぶのが大嫌いな人である。(残念ながら?私もこの点は父に似てしまった)
「人が多いから、一通り見たらもうええやろう」と勝手にうちきらはる。
それでも結構会場が広いので、一通りと言っても父の興味のあるところだけ一通り見て、何も食べず、最初のワインの試飲以外、何も飲まず、「出口」を出たら、1時半だった。
母も私もさすがにお腹が空いていたし、当ては外れて疲れていた。
なんのために「食博」来たん?
まあ、ワインを購入したからもうええんか。
しかし、さりげなく母と文句を言うと、「どこも馬鹿みたいに人が並んで、俺は並ぶのが嫌いなんや」と言う。
「だから、並ぶ前になんか食べようって言うたやん」と言ったところで
「そんなこと聞いてない」と切り返される。

実は、私も母も南港には来たことがない。
(随分昔に一度来たことがあるが、誰かに連れてきてもらったので、覚えていない)
父はWTCに行くと言い、自分もお腹が空いているので、漸くお昼御飯にありつけたが、入ったレストランは眺めがいいだけで、味はいまいち。
でも、天気がいいし、珍しく和歌山から、六甲山から明石大橋の方までぐるっと湾の周りに見えて、眺め代としてはいいか。(私が払う訳じゃないし)
それから、梅田に出て、「じゃあ、二人で買い物して帰るし」と言うと、なんだかはみ子にされた気がするらしい。
「どれくらいかかる?」
「さあ、2時間ぐらいちゃう」
「じゃあ、1時間半後に電話するが、一応待ち合わせ場所は○○」
「はあ?」
「はよ行ってこい」
ようわからん人やなあ、2時間言うてるがな。
と、ぶつぶつ言いながら阪神百貨店、阪急百貨店と母とうろうろする。
私はお気に入りのサンダルを見つけ、即座に決断。
大体、迷いに迷って妥協して買うたのは失敗する。
優柔不断の方だが、こういう時の商品との「出会い」は確実だ。
4月頑張った自分にご褒美だ!
次に、母のサンダルを探すが、どうもしっくりこないらしい。
私も同意見だが、母も「ミュール」は嫌なのだ。
だって、「ミュール」って言えば聞こえがいいけど、要は「つっかけ」やん。
今年は特に、ウェッジ・ソール以外は極端に細いピン・ヒールが流行っている。
母の世代は、若いときに上記の両者を履きこなしていたはずだが、さすがに60才を過ぎるともう、高いピン・ヒールはようはかんそうだ。
まあね、こけて、骨折でもしたらえらい事やさかいね。
一緒にいろいろ探すが、みつかってもサイズがない。
そうこうしているうちに、ほんまに父から電話がかかってきた。
すでに、勝手に指定した場所で待っているという。
疲れるなあ、と思いながら、15分ほど待たせて行く。
すると、「寿司でも食いに行くか?」という。
ええ?まだお腹空いてないねんけど。
だが、なんだか上機嫌でしきりに誘うし、久し振りに行きたいとか、前に行ったやろうとか言うが、私も母も大阪に「寿司」なぞ食べに連れてもらった記憶がない。
機嫌を損ねてもええ事あらへんし、おごってくれるというのだから、二人でご馳走になることにした。

だけどね、半日付き合う予定をしていたのが、1日に延び、父は妻や娘にこんなにもよくしてやっている自分にご満悦かも知れんが、だったらもっと計画的にしてや。

結局、トータルすると、家に着くとぐったりしている。
まあ、親孝行だよね。
なんだか、体調に翳りが・・・

5月1日
あまりにも暑い。
暑くて、汗が出て、夜が寝づらい。
昨日、映画を見に行ったが、他にもまだ見たい作品がいくつかある。
今日は、映画の日。
出かけようと思ったが、飲み過ぎか、寝不足(っていつもか)か、気分が優れない。
朝方は涼しくて、少しうたた寝して、気力回復。

昼過ぎたら、梅田にでも出かけようとか思いながら、朝からソファに寝ころびビデオを観る。
5月に入ってから、しこたま今月もエア・チェックしたい作品があるので、それも兼ねて保存必要のない作品を見たら、消していかないと。
これ以上ビデオを増やせないし、どうせ画質が落ちてしまうし。
気がつくと、外は大雨になっていた。

ああ、朝から身体が重いのはこのせいか。
本当に雨に弱い。
梅雨入りしたら・・・と思うと、憂鬱である。
花粉症の人に比べたら、比べものにならないほど楽なんだろうけれど。

この3日間で観たビデオは・・・
「アドレナリン・ドライブ」「鮫肌男と桃尻女」(以前観たのを忘れていたのでこれは2回目)「右門捕物帖片目の狼」「中国の鳥人」「喧嘩屋一代どでかい奴」「眠狂四郎円月斬り」「花のお江戸の法界坊」「ジョニーの事情」「銭形平次捕物控八人の花嫁」かなあ。

この間に、録画をしたり、続々と入るJRの事故などのニュース、腹の立つ阪神戦を見ているのだから、TVっ子になってしまっている。
とりわけ、JRを中心としたさまざまなニュースを見ていると、メディアというかマスコミというかTVの報道って、本当にこれでいいのだろうかと思う。
今日は日曜日だったので、1週間を振りかえる番組が朝から多い。
そのためだろう、現場からの中継のために、朝の8時頃、10時頃、12時頃、夕方とヘリが上空を飛んで、窓を開けているとTVの音声も聞き取れなくなる。
伊丹空港も近かったし、8年ほど線路沿いのマンションに住んでいたので、いわゆる「騒音」には慣れているはずだが、ヘリの音だけはどうしても駄目だ。

なんか、震災の時とか、映画で見続けた戦争に関する軍用ヘリとか、そんなものがあの独特の音から、私の中で想起されるためかも知れない。

4月30日
昨晩は、本当に楽しかった。
リラックスして、大騒ぎして、美味しいワインをたらふく飲んで、贅沢三昧。
あっという間に、時間が過ぎて、慌てて帰宅。
4~5年前に一度だけ、お会いした人と今回初めてゆっくりとお話しすることが出来た。
なんと、家が近所も近所、隣の丁目ということが発覚。
おかげで、帰りまでずっとご一緒させてもらいました。
これからもよろしくお願いします。

昨日の朝は、眩暈と頭痛でどうなる事やらと思っていたが、天気がよいので、窓を全開。
風に吹かれながら、洗濯して、掃除をして、お茶飲んで、贅沢な一時。
それから、ばたばたしていて一月で溜まってしまったビデオ整理を始める。

GW中の目標は、反省の4月から5月へ向けて新たに授業準備をすること。
とりわけ、5月末に能楽という大役を控えて、お稽古も最後の仕上げになっていく。
お稽古時間を作るためには、時間のあるうちに準備をしなくては。
それから、6月に発表を控えているので、その下準備もしなくてはならない。
そのため、木曜日に紙袋一杯の本を借りてきて、家でゆっくり仕事をするつもり。
バスを降りた瞬間、紙袋のひもが切れて、抱えて帰り、家に着いたとき腕がしびれていた。
悔しいので、ちゃんと目を通して勉強しなくては。
ビデオ整理も兼ねて、さらにいろいろな映画を観ようと思ってもいる。

そう思ってGWを迎えたわけだが、いきなり無理をしていたのか朝からふらふらになったので、驚いた。
体調がずるずる崩れたらどうしよう・・・と思っていたが、簡単な一品を作り、楽しい宴会で、すっかり精神的に癒される。
おまけに、昨晩のメンバーのお一人に、何気なく「コーヒー&シガレッツ」を観に行こうと思っていると話すと、善は急げ?と今日の夕方に一緒に見に行くことになった。

今朝は、飲み過ぎ貧血で朝は呆然としていたが、それでも朝からビデオを観たりと、少しずつ計画を進めていく。
夕方にテアトル梅田に何年ぶりかに行き、久々のジャームッシュ作品を鑑賞。
やっぱり、ジャームッシュだなあ。
私はやはり「イギー・ポップ」と「トム・ウェイツ」のツー・ショットにぞくぞくした。
もういいおじさんなのに、かっこいいなあ。
そして、また懲りずに二人で居酒屋に行き、飲んで帰宅しました。

さすがに、疲労してきたかも。

4月28日
突っ走ってきた4月。
やっとGWが目前だ。
と、言うより毎月末になると、暴走している一月を振りかえってんなあ。

GWに何をするかというと、別に旅行に行くわけでもない。
とりあえず、この時期になると、発症し出す5月病の兆候が出てきているので、体勢を整え直さないといけない。
にもかかわらず、相変わらず抜けている私は、先週末より崩れつつある体調を自分でわかっていながら、今日が病院の定休日である事を失念していた。
あああ、大型連休に入ったら、来週までいけないのかあ。
もつかなあ。

とりあえず、まだ咳がとれないので、耳鼻咽喉科にぎりぎりに滑り込み、よくなれば服用をストップするという条件で、連休明けまで薬を出してもらう。
明日は、久し振りに親しくして頂き、お仲間としていろいろご指導して頂いているメンバーと宴会である。
何を作ろうかなあ。
でも、なんだか・・・
暗いニュースが多いせいか、連休にはいるというせいか、眩暈が・・・
あれ、おかしいなあ。
暑いのか、脂汗か?

4月27日
最後の舞台稽古日。
とうとう、あと1ヶ月となった。

昨晩より、祖母の家に泊まっていたので、今日は祖母も一緒に舞台稽古に行く。
当日は、挨拶やなんやでゆっくり能を見ていられないかも知れないから、稽古の間に見たいという。
自分でも、不思議なのだが、後ジテを繰り返し、やり直されているうちに、意識が遠のくような、身体がふわーっとするような気がしてくる。
装束をつけているのだから、軽くても5kgは身にまとっているし、その上、長刀を振り上げ、刀を抜くのであるから、身体が軽いわけがない。
考えられるのは、体力が持っていないこと。
あるいは、ちゃんと腰が入っていないから、腰が浮いてしまって舞おうとするため、装束や長刀に身体が振り回されてしまっていること。
どっちにしろ、あかんやん。

汗だくになって稽古を終え、後は申し合わせまで、舞台に立つことはない。
さすがに、不安が否応なく募る。
だ、大丈夫なんやろうか。

祖母と一緒に帰途につく。
祖母が「大丈夫よ。おじいちゃんに見せたかったねえ」とぽつりと言う。
迂闊にも、ぐっと涙が出そうになった。
そうなのだ。
晴れの舞台を室内から天に向かって見えるように、堂々と舞いきらなければ。
時は止まらない。
5月29日は確実に迫ってきているのだから。

2005年05月17日

素麺文化圏

5月16日
不思議なもので、たくさん準備していたと思ったときに限って、時間が余る。(初回がそうだった)
「もし足りなかったら、どうしよう」と少々不安で、準備としては不十分だがいざという時にこれで誤魔化すかと自分で焦っているときは、最低限話したい事だけでも、時間が足りなくなる。
今日も、『ハリーの災難』の他、有名な『北北西に進路を取れ』、『サイコ』と用意していたが、『ハリーの災難』だけで、時間が一杯になった。
仕方がないので、コメントを返しながら出席をとり、来週からの発表予定を伝え、質問や感想、発表に対する相談等は、取り急ぎ、来週までに紙に書いてもらう事にした。
授業は終了していたが、いろいろ個々に対応している間に、何名か早速、何やら書いて渡してくれた。

家に帰ってから、目を通す。
なかなか、いい視点で書いてくれて嬉しい。
中には、少しアグレッシブな事を書く学生がいて、頼もしい。
だが、一つ残念な事がある。
なんとなくいいたい事はわかるのだが、日本語がちゃんと使いこなせていない。
それは、誰が、何を、何に対して、という事がすべて抜けた日本語であり、漢字の間違いがいくつかある。
私に、そんな事指摘されてどないすんねん。(いつも私が叱られている事やのに)
でも、これは今後、何かに対して同意するにしても、批判するにしても、相手に明確に伝えるためには意識しないといけない問題だ。
早速、小姑のように意地悪だが、「漢字」を訂正し、ついでに「主語は?」とか「誰が何に対して?」とか、コメントと共に、書いた。
コメントを書きながら、「これって自分の書く文章を反省する事にもなるし、とてもいい勉強になるなあ」としみじみ思った。
こんな機会を与えて頂けて、感謝である。
頑張らなくては。
次回からは、質疑応答の時間も用意しているので、是非皆様に「発言」していただきたいものだ。
自信を持って、くってかかってきてくれる日を楽しみにしている。
きっと、私も「たちの悪い」「出来の悪い」「日本語の出来ない」学生だったのであろう。
今も、あんましかわらへんか。
反省。

5月15日
ふはあ、疲れた。
昨日は、ミニ・シンポジウムが二つもあった。
両方とも、とても興味深いものであったが、残念ながら身体は一つ。
それでなくても、まだ授業準備が出来ていないのに。

しかも、昨日の研究会の疲れが取れず、身体が浮腫んで調子が悪い。
午前中は、自分の体力と優先すべき仕事を考えて、欠席。
プロジェクト室にて、黙々と作業をしておりました。
体力とは?
実は、今日オブザーバーとして聞きに行きたいミニ・シンポジウムは、経験上、時間通りに終わらない事を知っていたから。
私の同僚が名言を語ってくれた。
「学者は三度の飯より、議論が好き」
その通りである。
まさに、そういうシンポジウムなのだ。
案の定、午後からのこのこと顔を出してみると、午前中3人発表予定だったのに、2人しか終わっていなかった。
結局、シンポジウムが終了した時、予定時間から2時間もオーバーしていた。
途中、懇親会の連絡係を請け負ったので(発表者にさせるわけにはいかないでしょう)、懇親会にも顔を出す。
一つは、連絡係だったから。
もう一つは、時間がおしているので、質問したい事が出来なかった。だから、懇親会の場を借りて、今日の発表者に聞きたい事があったからである。
話している間は、楽しい時間だが、終電で帰ったら、さすがに疲労困憊。
お風呂に入る体力もなく、足と顔を洗って、服薬。
疲れすぎて、頭を使いすぎて、脳がぎんぎんしている。
でも、身体が疲れていたので、起きあがる気力もない。

そうだ。
今の私は疲れているが、昨日ショックな事があった。
午後から顔を出したら、久し振りにお会いする研究者が何人かいはった。
コーヒー・ブレイクの時に、挨拶をすると、「オガワさん、大丈夫ですか?ものすごく疲れているように見えるのですが・・・」と言われる。
「大丈夫。本番が近いから、稽古が忙しいし、昨日も研究会だったからかなあ」と言い訳する。
そんなに、疲れた顔しているのかなあ。
言われてみて、慌ててトイレで鏡に映った顔を見る。
そういえば、眼の下に隈ができているような気もする。
気にしない!と思っていたが、懇親会で、隣りに坐った後輩にも、「オガワさん、最近はお忙しいんですか?」と聞かれる。
さっきと、同じ返答をするが、やはり疲れているように見えるのかしら。
元気なつもりなだけに、ショックやわあ。

昨日、母から携帯に連絡が入っていたが、かけ直してもつながらない。
昨日は自分でもいっぱいだったので、忘れていたが、今日かけてもつながらない。
心配になって、携帯ではなく実家の方にかけたら、たいした用事ではなかったそうだし、携帯の調子が悪いわけでもなかった。
ついでにランチに誘われる。
ちょうど、駅前のTSUTAYAに、明日使いたい映画を借りに行こうと思っていたので、駅前でランチ。
母にも「あんた、眼の下に隈ができてるわよ。大会近いねんから、体調管理しなさいよ」と言われる。
ゲゲッ!
また言われた。
滅入るなあ。

阪神戦をTVでつけながら、その前にノートPCをおいて、今借りてきた映画をチェック。
いくら見た事のある映画だからって、我ながら器用な事すんなあ。
それから、先週、薬切れのため、自律神経失調。
字が書けずに、これまで書いてもらった事に対するコメントを書けずにいた。
今日は手も震えていないので、明日返すために、全員にコメントを書く。
私としては、授業中に発言によって、やりとりしたいのだが、どうも書くのはしっかり書いてくれても、発言してもらえないので、こうやってお答えするしか手段がない。
こういう時、「達筆な人が羨ましい」と心から思い、「にこちゃんのペン習字」(古いなあ)をやっておけば良かったと後悔する。

気がつけば、21時過ぎていた。
時間ってすぐに経つのね。
しまった。
使いたいコピーが見つからない。
一息入れてから、探すか。

5月13日
共同研究会。
他大学より借りた本の期限が、あまりにも短かったので、こっそり研究会の間に読めたら、などと、不埒な事を考えていた。
でも、そんな事出来ませんね。
これは、「やっていませんよ」って言い訳しているように見えるが、違います。
朝から仕事をして、昼の間もばたばた。
漸く席について、最初の挨拶の間にでもと手元に置いていたのだが、開こうと思うと何か用事が出来、こっそり手を掛けると、話題を振られる。
そして発表が始まると、あまりにも興味深いので、すっかり借りていた本の事を忘れる。
本当に興味深い話なので、本を読もうとしても、耳が発表に行くので、本には全く集中できない。
それだけ、面白かったのだ。
私の知らない事がたくさんあるので、刺激的。
研究会が楽しいのは、この刺激だろう。
でも、自分が発表する立場になると、この刺激が怖いのだが・・・

皆様、今後ともよろしくお願いします。

5月12日
ひやー。
ほんまにしんどいわ。
大丈夫なんやろうか。
「大分ましになりました」とのコメント。
でも、初能であるし、師匠もまだまだ不安らしい。
「今度はいつ稽古に来られるの?」と言われる。
明日が稽古日なのだが、研究会のため欠席。
次回が月曜日なのだが、慣れない非常勤の前に稽古をするのは無理な事を悟ったので、申し訳ないが欠席。
いけるとしても、夜になる。
仕方がない。
有閑マダムではないので、お仕事が大事である。
研究が大事である。

ああ、自分でも不安なので、稽古も優先させたい。
もう2週間ちょっとしかないのだから。

5月11日
秘密ルートより、高級三輪素麺をゲット。
早速、食べる事になる。
素麺だけでは、栄養が偏るので、卵、ハム、胡瓜、椎茸、ウナギ、ついでに若布。
薬味は生姜、葱、胡麻、海苔と、取りそろえる。
さすがに、流し素麺など風流な設定はできへんけど、何人かで集まって、わいわいと食べる。
さすが「三輪素麺」。
冷たい素麺は今年、初である。
美味しかった。

実は、すぐに飽きるせいか、私は素麺よりもにゅうめんのほうが好きなのである。
でも今日の三輪素麺は美味しかった。
まだまだ残っているので、次回はにゅうめんにしようっと。

どうでもいい事だが、私は「三輪素麺」文化圏ではない。
素麺といえば、「揖保の糸」であった。
もちろん「揖保の糸」にもピンからキリまである。
子供の頃から手頃に毎夏食べていたのは、普通の「揖保の糸」である。
だんだん知恵がついてきた頃から、私の中では「三輪素麺」=高級素麺となぜかインプットされた。
その話を、素麺を食べながらすると、大阪出身の人に言わせると、価格的にやはり手頃なのは「揖保の糸」。
お中元など、贈答品向けに、高価な付加価値がつくのは「三輪素麺」という見解。
私のいつの間にやら思いこんでいた「素麺」言説(幻説)に賛同の意を得たと一人で腑に落ちた気分になる。

明日は、「申し合せ」迄の間の、最後の能特訓日。
今晩は、祖母の家にお泊まり。
お仏壇に手を合わせる反面、焦りが増した。

5月9日
いえーい!
なんと、なんと、7時間も眠っていたのである。
おおお、感動。
ワンダフル!
毎晩服用しても、長くて4時間なのに、感動しました。
びっくりしました。

朝から、すっかり元気になって、最後の仕上げ。
ついでに、無謀にも、朝から稽古にも行ってしまった。
しかし、ちょっとこれは無理しすぎ。

夜になった今、またもや身体がしびれてきて、疲弊している自分が居ることだけは確認しました。
あほ、と呟く。

稽古から家に帰って、準備をして、非常勤に行く。
勢いに任せて、終了。
今日は、実は事前にプロから、アドバイスを頂いていた。
自分一人で授業も出来ないのか?と言われると、その通りで、情けない話である。
でも、初めてのことで、駆け出しなので、ちょっとおうかがいをたてたのであるが、嬉しいことに、助言を頂けた。
そのおかげか、今日はこれまでの中で一番上手く行ったような気がする。
ありがたい事である。
経験ってやはり、大事なんやね。
ちょっと、自信がつきました。

それで、すっかり気をよくして、帰りは祖母の家に。
これは、別の理由がある。
今朝、一緒に稽古に行くために、チャリで祖母の家に行ったのだが、稽古から帰ってくるとき、非常勤に行かなくては、と焦って、歩いて家に帰ってしまったのだ。
ついでに、夕食をご馳走になる。
ホッとしたのか、ものすごく疲れた。
体調のせいもあるが、能一番稽古して(面だけで装束はつけなかったけれど)、慣れない非常勤は、私にとってハード・ワークすぎる。

ところで、TVや新聞を毎日騒がせている、JRの事故であるが、私はあえて、「ヘリがうるさい」としか書いてこなかった。
本当にうるさいから。
しかし、連休明けの今日、事態はヘリだけではすまない事にあらためて気付いた。
連休中は振り替えの人が多いなんて、書いていたが、そんなのは多いうちに入らなかった。
夕方に帰ってきたから余計だが、うちみたいな小さな駅でも、大変な事になっている。
あと、声を掛けなかったが、学生の中で、親族か知り合いかそのへんは定かでないが、どうもケガをして入院している人がいるような会話を聞いてしまった。
比較的近所での事故であっただけに、あり得る話だ。
あるスポーツ新聞の見出しにあったのだが、「過剰報道」と書かれていた。
私もそう思う。
人の命を軽んじていいのか?と言う事に関しては、決して軽んじてはいけない。
JR西日本の体勢は確かに、問題にするべき点はある。
ただ、偏ったあの報道はなんなんだ?

尼崎は、震災の時、兵庫県の中では比較的被害が軽い方だった。
おそらく多くの人が、意識的か無意識的に指摘している。
どのように言われてきたかというと、例えば「大阪を出て、淀川を越えると、ブルーのビニールシートが目に入ってきた。そして武庫川を越えると、急激に数を増した」と言う風に、「武庫川」を越えると、被害甚大という指摘。
尼崎市は淀川のもう一つ西に流れる神崎川と武庫川の間にある市なのだ。
その、尼崎にいて震災の時も「ヘリがうるさい」と思っていた。
ところが、ある時ヘリの音が一斉に消えた。
それ以来、地域のニュース以外、震災報道もなりをひそめた。
オウム真理教の地下鉄サリン事件が起こったからだと気がつくまで、時間差があった。
だから、私は「ヘリがうるさい」と書いていた。
それは、別の大事件が起きたとき、そっちに飛びつくマスコミに対して言っているのだ。
今回は列車事故である。
非情に言えば、近隣の人々の問題は残っても、直接的な死者がこれ以上鰻登りに増える事は少ない。(ないとはいわない、増える事はあるだろう)
しかし、震災の時、事態は別のレベルだった。
それは、昨年の新潟の地震における報道のあり方を覚えている人なら、気がつくと思う。

JR西日本をかばうわけではないが、JRの職員に嫌がらせや暴力が振るわれる事件が起こっているそうだが、それは過剰報道が引き金になったケースもあるのでは?
また過密ダイヤは事実なのだろうが、それは一方的なものではなく、利用者との相互の要望でもあるだろう。
私が感じる限り、福知山線が便利になっていくにつれて、JRの駅の周りが一気に拓けたと思う。
過剰報道かどうかは、受け取る人次第だろうが、この事件だけに限らず、今は垂れ流しの一方的な情報が溢れすぎている。
受取手が、その中からどのような情報を選択して、自分の中に取り込むのか、大きな課題なのかも知れない。

5月8日
ありがたい。
速達って、日曜日も届けてくれるんや。
昨晩、さすがに朦朧としていたために、すぐに目覚めるもののうとうとしながら、なんとか計2時間ほど、眠っていたと思う。
自分でも、荒療治だも思うけれど、目が覚めたら、頭に入らなくても本を読んでみた。
すると、眩暈がして、気分が悪くなり、くらっと倒れる。
すると、何分かは気を失って、眠るらしい。
それって、睡眠ちゃうやんと言われるかも知れないが、とにかく、身体は休まっているのだから、私にとっては睡眠なのだ。

おかげで、二晩あわせて、いや、日中でもうとうと出来るときがあるので、二日あわせて、3時間、いや4時間になる。

昼過ぎ、なんとか仕事をしていたら、チャイムが鳴る。
誰?と思いながら、出ると郵便局。
まさか、速達が届くなんて・・・
受け取った途端、病院からだったので、嬉しかった。

人間というのは、良くできたものである。
これで、安心と思うと、なんとかもう少し元気になれるのである。
それまでは、身体をいかにして効率よく持たせようかと働くらしく、動きたくてもエネルギーを最小限に留めようと脳が指令するらしい。
どんどん体力が落ちていき、私に活動を停止させるよう強硬手段に出る。
でも、どこかで狂っているから、それが眠気につながってくれないのがおかしい。

とにかく、安心した私はやりかけていた遅々として進まない目の前の仕事を、一通り終えるまで、ちゃんと起きていたのである。
しかも、一応仕事をしていたのである。

でも、さすがに限界。
思考が、またもや空回り。
さっきから、ずっと同じ事を考えている。
壊れたレコードのように、同じところで繰り返し、そこから先に進まない。

服薬して、寝ます。
お休みなさい。

2005年05月28日

もうすぐ大会

5月27日
今日が、最後の稽古日。
昨晩、なんのたしにもならないのだが、後輩を思ってぼろぼろ泣いてしまった。
他にもいろいろあって、寝ているつもりでもそうでなかったらしい。

朝から稽古に行くつもりで、祖母と母と一緒に約束していたが、たっていられないほどひどい貧血に襲われ、断念。
昼から稽古に行く。

祖母の前で、今日は間違えずにすんだ。

ないても笑っても明後日が本番。
ただ、舞台に専念して、祖父にむかって舞うべし。

5月26日
出勤して、用意するが、昨晩よく眠れなかった。
先生は、あまり詳しく話し機会がなかったので。断片的な話だけ伝えて下さった。
ついでに連絡先も教えて下さった。
今から考えれば。自分も岡山に行けば良かったし、無理なら他に手だてがあったのだが思いつかなかった。

今日は、仕事上の打ち合わせで1日が終わり、仕事場に帰って、何気なく先生のHPをひらく。
そこには、私が知りたかった、そしてしりたくなかった後輩の連れあいの葬儀の話が書いてあった。
私が思っていた以上に、事態は悲惨であり、彼の人柄が象徴されたはなしだった。
私の想像を超えた・・・
もちろん、当人でないから、想像なんてどんな場合でもあてにならない。
でも、交通事故という「予測できない一寸先」という状況でもなかった。
私は、後輩の顔を思い浮かべた。

彼女は、はにかんだ笑いがともて可愛かった。
はにかんだといってもいろいろだろう。
私の印象は、ちょっと眠たそうなあるいは「泣きべそ」を書いたような風情を漂わせながら、にっこり笑った。
私にとって、そのとらえがたり笑顔は、可愛くて仕方なかった。
それから随分あっていない。
でも、あのはにかんだ、泣きべそ書いたような笑顔から、全く笑みが消えてしまった彼女を想像するだけで、辛かった。
私には、どうする事も出来ない。
だけど、字義通り、「やりきれない」思いにとらわれる。
結局、無力な自分に腹が立ち、さらにやりきれない。

5月25日
朝、出勤途中、先生より「今から岡山に向かうけれども、新住所は?」と携帯に連絡が入る。
「すみません。お願いします」
と、お願いして、そのままバスに乗って、出勤。
でも、今から考えたら、斎場を聞いて弔電を打つなり、自宅の住所を知っているのだからお手紙を出すなり、いくらでも手段があった。
でも、昨日の段階でなにも思いつかなかった。

ただ、機械的に仕事を済まし、今日も夕方に稽古場に向かう。
もしかしたら、日帰りして稽古に来ている先生に会えるかも知れないと思い、たてかえていただいた金額を封筒に入れて。
到着すると、なんと装束を附けて稽古をしてはる。
ええ?日帰りで岡山だったのに、さらに装束付けなんて。
まあ、いいか。
私は、先生に話がしたかった。
装束付けが終わった先生にそっと、よっていき、封筒を渡す。
代わりに斎場でのお返し(なんていうのか覚えていない)を受け取る。
そっと、後輩の様子は?と聞くと、予想通り、あるいはそれ以上にうちひしがれているらしい。
と、同時にご主人の人柄をあらわす話を聞く。

稽古がすんで家に帰り、考えてしまった。
後輩は、私より4つか3つ下だった。
一緒にフランスの語学研修に行った。
彼女の旧姓は、漢字が違うが「オガワ」であり、フランスに行っていたとき本当に姉妹と勘違いされた。
彼女は、本当に妹のように可愛かった。
だけれども、知識の面では圧倒的に彼女の方が上だった。
ベルギーのかな姫とともに、年上のあほな私を仲間に入れてくれて、本当に楽しい時間を過ごした。
いろいろ話もした。
彼女が結婚すると聞いたとき、正直びっくりしたが、彼女は自分をしっかり持っていたので、軽々しい考えではないと思っていた。
彼女が、生まれた子供と旦那さんと一緒に先生の研究室に尋ねに来た。
私の記憶が正しければ、それは今の研究室ではなく、それ以前の図書館本館の一室の時代だった。
曖昧な記憶だが、彼女はとても幸せそうで、しっかり母親だった。
一緒にいた夫のイメージははっきり覚えていない。
けれども、なんだか言葉を悪くすると田舎のヤンキーというか丘サーファーみたいななりの「やんちゃ」のイメージ。
けれどもガラス工芸家と聞き、作品が飾られたポスト・カードをもらって、イメージがかわった。とてもすがすがしい作品で、言葉もしっかりして新鮮だった。
彼女と連絡をとらなくなっても、さらに私の中で作り上げたイメージがそうだった。

家に帰り、当たり前だが、喪主に後輩の名前があるのを見てたまらなくなった。

5月24日
はあ、落ち込み。
これは、二つの意味で。

今朝、当日ゆっくり見られないであろうという祖母が、申し合わせに、祖父の写真を持参して見に来たのだ。
申し合わせはいつも緊張。
その上、祖父の写真と来たら、緊張が高まる。

祖母と一緒に楠公さんにいき、先生方に挨拶をする。
時間の関係で、内田先生が一番で待機してはる。
挨拶に行くと、突然後輩の名前を出して、覚えている?と聞く。
もちろん。
そりゃ、ここのところ、定期的な連絡も取っていないが、私にとって大事な印象深い後輩だから。
暗い顔をした先生は、「旦那が交通事故で亡くなって」という。
びっくりした。
どう対応していいかわからず、しかも今日は申し合わせという大事な日。
よく自分がわからない。
でも、彼女は私が妹のように可愛がっていた。
「交通事後で」「バイクで」
それだけが手がかりだった。

私は能を舞うので、鏡のまで装束をつける。
その合間に、先生を見つけ、明日告別式に岡山まで行くという言葉を頼りに、「すみません。私も包みたいので、先生お願いできますか?とはいえ、いま手元にないので、立て替えて下さい」
そういって、申し合わせに臨んだ。

申し合わせでは、後の拍子がメチャクチャで、おまけに終わってから、挨拶に行くと、長刀の扱いが悪く、ワキの先生をついていたと非難される。
正確に言うと、アドバイスである。
しかし、あまりにも幾人かの先生が注意、及びご心配の言葉をかけ下さるので、逆にプレッシャー。
もちろん、その前に聞いた訃報のせいにはしない。

でも、さすがに落ち込んでしまい、控え室に帰って、ぼろぼろ泣いてしまった。
よりによって、祖父の写真を持って見に来てくれた申し合わせである。
どうしようもなく、ぼろぼろ涙が出る。
祖母は「いいのよ、素人なんだから。お金を払っているんだから好きなように舞いなさい」と言われる。

祖母と一緒に家に帰って、荷物を持って、帰る。
でも、気持ちが不安定。
眠れない。
後輩は、とても可愛がっていた。
4つか3つ下だった。
長い間先生に指導していただいたので、何人ものゼミ生にあったが、フランスにも一緒に行ったとか、とりわけ私の中で印象が強い。
いまでは、全く手紙のやりとりもしていないのだが、それでも私にとって印象深く、いつでも話が出来る気がしている後輩だった。
私の感覚にすると、後輩と言うより友達に近かったかなあ。
とにかく、まだよく理解していない。

5月23日
朝から、授業準備を仕上げる。
今日から学生の発表が始まる。
事前に予告がないので、こっちもどきどきしながら発表を聞く、
ああ、私が拙い発表をしているとき、先生方はこのようにチェックしているのか、と余計な想像をしつつ、自分の気になる点、学生が触れた部分など、かき分けていく。
一方的に講義形式で話しているときは、発言数が極端に少ない。
後で、紙に書いてくれる。
しかし、発表になると、ハードルが低いと思うのかしら?
少ないけれど、いままでの中では一番発言する人が多い。

さて、明日はとうとう申し合わせ。
今日は、祖母の家に泊まる。
家に帰って、朝出る時間や持っていくものの確認をしに母に電話をすると、「あんた、どこにいるの?」と聞かれる。
今日は私の分の夕食を用意しているので、出来れば早く来て夕食を食べるようにと言われる。
はいはい。
用意をして、早めに向かう。
なんだか、皆さんが食事を済ませた後に、私のため?に残された料理は非常に多い。
「こんなにくわれへんって」
残してもいいというので、あまり盛りつけの綺麗な皿に手をつけず、自分が食べられるであろうと言うものだけに、手をつける。
残しても、全く構わないのだが、ひとり暮らしが長くなると、「もったいない」精神に磨きがかかる。

それはともかく、明日は申し合わせ。
いよいよ本番だ。

5月22日
ふはあ。
なんだか朝からだるい。
ぼけーっと映画を観ていたら、母から連絡。
あ、そうやった。
今日は、一緒に梅田に買い物行く約束してたんやった。

午前中用事があるから、終わったら連絡をすると言われ、あわてて、いつでも出られるように準備する。
明日の授業準備もしなくては。
ばたばたと掃除をして、準備を始める。

昼過ぎからぼちぼちと梅田へ。
私の行く先は「阪神百貨店」。
母は「阪急百貨店」に一つ用事があるという。
では、まずランチでも、と遠いところから戻る事にして、母がまだ行った事がないというハービス・エントに向かう。
ちょうど、「ナラ・カミーチェ」が入っていたので、母が「会に着る復が欲しい」と言うので、二人で入る。
私もここのシャツが大好きだ。
けれども、今年はワンピースを着る事に決めていたので、ざっと店内を見ただけで、後は母の試着に付き合う。
待っている間、暇なので、カタログを見ていると、とても気になるシャツを発見。
横にいる店員さんがめざとく、「これいいでしょう?」と声をかけてくる。
ついのせられて「これって、置いてます?」と聞くと、倉庫から取って来るという。
そんなんかわなあかんみたいやから、あわてて「だったら結構です」と断る。

ハービス・プラザでランチを食べ、阪神へ。
お買い物終了。
第四ビル前の「宝くじ売り場」で、「ドリーム・ジャンボ」を購入するのに付き合い、次に阪急へ。
催し場売場で、バーゲンに負けて、ジーンズを購入。
でも、裾を切らないといけない。
この瞬間って、「短足で嫌やわ」といつも思う。
別に急がないので、後日取りに来る事にして、母の用事を済ませ、塚口に戻る。

夕食を誘われたが、疲れが今ひとつ取れず、明日の授業もあるので断って、帰宅。
なんだか身体がだるい。

今日、薬が届いたが、昨晩あり合わせの頓服で間に合わせたせいか?
自律神経悲鳴を上げる。

5月21日
ぎりぎりに研究会に滑り込んで、オブザーバーとして参加。
そうそうたる先生方の前で、質問などおそれおおくて出来ない。
だけど、朝から夕方まで、本当に楽しかった。

領域的には、専門分野ではないのであるが、なにせ地元の話なので、聞いていて面白い。
地元の割には、全然知らない事ばかりなので、余計に興味深い。
はぁはぁ、そんなんや。
知らんかった。
と、大きくうなずいて、あほ面さらして、拝聴しておりました。
いやいや、なんだか少し賢くなったような気がする。
と言うより、根本的に私がモノを知らなすぎるだけなのか。

研究会終了後、懇親会は参加せず。
ちょうど井上先生も参加されないという事で、思わず、個人的にいろいろ質問をして、いろいろと教えていただく。
あまりに勢いよく、話しかけたせいか、「ちょっと、坐りませんか?」と言われる。
先生も、すぐに終わると思っていたのが、私がだらだら話すのでお疲れになったのでしょう。
申し訳ない。
いつも刺激的なお話しが聞けて、ありがたいと感謝して帰宅。

5月20日
しもうた。
仕事が溜まって、ばたばたしていたら、今日も主治医のところに行けなくなってしまった。
薬が切れると、もう駄目だ。
また、泣く泣く電話して速達で郵送をお願いする。

どうも要領が悪いのか、それとも・・・
甲子園ではしゃぎすぎ?

歳のせいか、最近疲れがすぐ取れない。
虚し。

5月19日
今シーズン3回目の甲子園。
復刻ユニフォームが見たかったから。

友人が仕事を終わるのが18時半過ぎと言うので、それにあわせて帰る事にする。
もちろん、ちゃんと勤務時間は働いています。
自分の仕事が遅れて、友人に当日券を先に買っておいてもらうようにお願いする。

しかし、バスが10分ほど遅れた頃から歯車が狂った。
阪急桂についたら、様子がおかしい。
電光掲示板に、次に来る電車の案内が出ていないのだ。
次に出たら、両サイドとも「先発」と出る。
おかしい?
漸く、駅員のアナウンスで事態を把握。
事故で、ダイヤが乱れているとの事。
JRの事があるために、誰も文句を言わない。
内心は、私はいらいらしてしまっていたが・・・あかんな。
いつ電車が来るのかわからないので、友人にメール。
もう止めようか?と返信がきたのだが、その時ちょうど快速特急が来たので、判断を任せて、とりあえず梅田に向かう。
電車は来たものの、前方で電車が詰まっているので、結局あちらこちらで信号待ち。
でも、ここでいらいらしてしまう心理をはっと気がついては、反省。
人間でけてへんから、しゃあない。
先に甲子園に向かって、当日券を買った友人に「先に球場に入っていて」と連絡して、走って阪神梅田へ。
甲子園に到着したときは、19時を過ぎていた。
まわりの会話を聞くと、3回が終わったらしい。
電話をすると、そばのダイエーで買い出しをして、待っていてくれた。
申し訳ない。

ひいの復刻ユニファームが欲しいと思ったが、それどころでなく、3塁アルプスへ。
西武戦だったのだが、結構空いていてびっくり。
昨日は、朝から雨で試合があるのか迷った人も多かったので、松坂でも結構席が空いていたとTVをみて思っていたが、今日も少ないのは意外。
日ハム戦は、前売りは完売なのに・・・

遅れてしまい、友人にも迷惑をかけたが、嬉しい事に今日も勝ちました。
これで、甲子園行った3回とも勝利だ。
こいつは縁起がいい。

ただ、85年の優勝に向けて、中学時代に甲子園に通っていたときと比べると、なんだか雰囲気が変わったような気がする。
私が歳をとったせいか?
8時半頃になると、ぞろぞろと団体が帰り始める。
そうか、制服を来ているところを見ると、修学旅行生か。
甲子園の阪神戦って、修学旅行に組み込まれるのか。
近くに住んでいると、あまり想像できない。

まあ、阪神が勝ったし、これで、土曜日の研究会は楽しく参加させて頂けそうだ。

5月18日
変体仮名講座が開始。
昨年、途中で挫折してしまったので、今年も再度チャレンジする。
出来るときにしておかなくては。

今回は、先生と一緒に新しいテキストを選んだ。
読めるようになるのかしら。

最近、祖母が「今度はいつ泊まりに来るの」とよくいわはるので、なんだか気になって、今晩泊まりに行く。
明日は出勤なので、8時半には家を出るが、祖母も明日は用事があるので、朝早く起きるからだ。
せっかく泊まるのなら、朝ご飯を一緒に食べて、挨拶したい。
ただ、稽古でばたばたしていて、仕事が出来てないので、夜は遅めに泊まりに行って、なんだかんだと0時過ぎまで話をする。

もうすぐ本番だねえ。
申し合わせには、おじいちゃんの写真を持ってゆっくり見るからね。

はああ、さりげなくプレッシャー。

5月17日
前回の能特訓で、出来が悪くて、今日は朝から稽古。
次が申し合わせなので、自分でも不安であったため、朝からお稽古場に行く。
さすがに、もう装束はつけないだろうと、足袋とお稽古本を持って行く。
実は、皆様に案内状を配る際、今回は能楽なので、略筋を同封した。
よく知ってはる人には必要ないが、やはり能楽は、歌舞伎よりもマイナーなようである。
メディアの進出率も違うし。
その話を奥様にしていたら、お友達に配りたいので余っていたら欲しいと言うて下さる。
昨晩、用意してファイルに入れておいた。
ついでに、内田先生から長い間借りていたビデオ&DVDを返さなくては、と袋に入れて用意していた。
だが、最近物忘れ激しくて・・・

略筋を忘れて、ビデオだけを持って行ってしまった。
なんだか、忘れている気がしても、言われるまで全く気付かなかった。
ひたすら謝って、家に帰って、すぐに郵送。
はあ、ぬけてるわ。

今日は、他の社中が装束をつけはるというので、いつも皆様にお手伝いいただき、お稽古しているので、手伝わせていただく。
本当は、お昼で帰る予定をしていたので、気がつけば夕方になっていて、初めて朝から何も食べていない事に気がつく。
装束をつけて舞が終わった後、コルネを食べたのが、本日最初の食事。
ケーニヒス・クローネの本店がすぐ近所なのだ。
先生から「しっかり食べときなさい」と二つ食べるように命じられる。
いや、あのお菓子で食事代用になるのはよくないのですが・・・
まさか、朝食ぬいてきたとも言えず、頂く。

はあ、お腹が一杯で、夕飯食べる気せんなあ。
でも、体調管理しなあかんしな。
疲れた。

2005年05月31日

『船弁慶』無事終了

5月30日
いやいや、楽しかった。
もちろん、これは、無事に無事に舞台が終了したからです。

もう、昨日は半分生きた心地がしなかった。
とにかく、落ち着いて、無心に舞うべし。

朝は、本当は8時半に舞台に行かなくてはならないのだが、祖母の出番が朝一番ではなく、私も2時半予定の能楽だけなので、祖母に付き添って、9時半開始の直前に向かう。
なんと(というより当たり前か?)、朝一から舞台に来て下さるお客さんと駅で一緒になる。
その中には、「親子三代」「祖父の願いが生きている間に間に合わず」など、お涙ちょうだいの文句を綴った私の挨拶状に、ついほだされてきて下さった知人の姿も・・・
詐欺師みたいやなあ。
駅で「あれ、オガワさん。今頃来て大丈夫なんですか?」と声をかけられ、「あ、本日はありがとうございます。いや、祖母と一緒に少し遅めに・・・」としどろもどろに答える。
なぜ、本当の事なのに、動揺しているのやら・・・

今日は一応「能楽」という大役のため、あまり雑務に追われず、悠々?と見所にて、一番から皆様の初舞台やら、初仕舞、初素謡などなど、普段お稽古場で接しない社中の舞台を、拝見する。
合間に、早く来て下さる人々にご挨拶。
余裕に見えていたかも知れないが、本当は内心、いてもたってもいられない状態なのだ。
だから、見所から舞台を見て、気持ちを紛らわしつつ、心身共に、ドライブをかけていたのだ。

祖母の舞台を見終え、母の舞囃子を見た後、楽屋に籠もる。
トイレに行き、CDで申し合わせで大失敗した後を眼を閉じて聞き、肚を決める。
胴着(装束の下に着る襦袢みたいのもの)に着替え、鏡の間に行き、先生方に挨拶。
いよいよ装束付け。
いつもは、身内でやっているが、今日は師匠以外は、プロの先生方。
とはいえ、面識が全くないわけではない。
私が小さい頃からうろうろしている姿を知っている先生方が大半。
お稽古を始めた中学生の頃からお世話になっている先生方でもある。
それはそれで、逆にプレッシャーなんですが。

「きばりなさんなよ」
下川先生が耳元でささやく。
内心、血の気が引く思いで黙って装束を附けていただく。
少し早めにつけ終わった後、先生方、囃子方が裃に着替えるのを見て、その格の高さに身震いする。
鏡の間で床几に腰掛けて、舞っている私にそうそうたるプロの先生方が一人一人近づいては、「よろしくお願いします」と挨拶をしはる。
能楽って、こんなにたいそうなモノなのだ。
鏡の間はそれほどまでに、閉ざされた一種の別空間なのだ。
お囃子がなり、先生方舞台にはいる。
舞台を照らす証明を除き、電気がざっと消される。

幕の後ろでスタンバイ。
先生の合図を待ちながら、荒れた呼吸や鼓動をゆっくり鎮める努力。
いざ、出陣。

後は、何もよく覚えていない。
ただ、言われた事だけ、それだけ考えて無心に心がける。
能楽に限らず、舞台に立ったら「客席を見るな」と必ず注意を受ける。
変に、知り合いや客の顔を見て、気が散るのを防ぐためである。
その教えは、何年も言い聞かされてきた。
しかし、面がないと、視野が広いため、いくらでも焦点をぼかす事が可能であるが、面をつけると見える視野が極端に限定される。
もちろん、目付になる柱など見るポイントは、稽古中に教えられている。
しかし、視野があまりに狭いので、どうしても客席が眼にはいる。
ああ、こんなに大変なんや。
次の動作だけ考えよう、次の謡を考えよう、周りの謡や囃子に集中しよう。
それだけ考えて、舞台が終わった。
能楽が終わって、涙が出そうなほど、感動した。
能楽を舞いたがる人の気持ちがわかる。
そこには、やってみなくてはわからないドラマや世界が拡がっている。
感動的なので、これから能楽を舞う人があるであろうから、敢えて「何が」あったのかは言わない。
でも、それは本当に1年間の稽古の苦労やプレッシャーなど、吹き飛ぶどころかそれを上回るモノがあるのは、確かだ。
金と暇があれば、私もまた能楽に挑戦したいと、終わった瞬間に思った。
まるで、麻薬のようだ。

終わって、鏡の間で面だけをはずし、先生方全員に深々と頭を下げて、心から「ありがとうございました」とお礼を申し上げる。
着替えて、ロビーに出ると、嬉しい事に本当にたくさんの方が見に来て下さっていた。
遠いところ、足を運んでいただき、ありがとうございました。

打ち上げでは、下川先生より最高のお言葉をいただき、しこたまビールと紹興酒を飲んで、開放感を満喫。
祖母宅で、着替えに2階に上がったまま、ぶっ倒れる。
気がつけば、夜中2時。

祖母は寝ていた。
すまないと思いながら、そのまま眠ろうとするが、だめだ。
全然眠れなくなってしまった。
仕方なく、薬をのみ、興奮を抑えながら再び睡眠。

朝5時から目が覚めて、昨晩、報告できなかった祖父に、仏壇で手を合わせて報告。
自分では、どんな舞台かわかりませんが、とりあえず、周りの話では無事に果たし終えました。
もう一年はやければ、見てもらえたかも知れません。
そう思って、半分泣きながら合掌。

それから、ゆっくり祖母が起きてくるまで、昨日来て下さった方やお礼のメールなどする。
昼に、下川先生が来はるというので、挨拶を一緒にしようと、朝一で帰るのを止めた。
起きてきた祖母に、感謝とお詫びの辞を述べ、一緒に朝食を。
昨日近所の人で、見に来て下さった方に挨拶がてら、夕食の買い物につきあう。
前にも書いたが、祖父母は戦後関西にやってきて、ここに落ち着いた。
この辺りの界隈でも、もう古い。
母や叔父や叔母も、ここから学校、大学に通い、就職や結婚していった。
たまたま私は、その近くで育ち、祖父母の家にも入り浸っていた。
なので、この近所の人たち(いわゆる近所づきあい)や、祖母の友達を名前は断片的に、そして顔はよく知っていた。
「立派になられて」とか、お声をかけていただき、おめでとうございますと言われる。
本当に、消えつつある町内のつきあいを感じる。

下川先生に挨拶をしてから、家に帰り、非常勤へ出かける。
学生の発表に入っているが、あえて決めたテーマや作品やテクスト(素材)を指定していないので、何を発表してくるかわからない。
事前に、ある程度こちらから発表素材なりを指定しておけば、その周辺をあらかじめこちらも調べておけば、準備は万全であるが、初めての、何もわからないからこその「怖いモノ知らず」にしてしまった。
幸い、今日の二組は、両方とも映画を扱い、しかも言及した映画はすべて観た事のあるものであり、コメントもなんとかこなせた。
不思議な事に、私が知りたい事、これからも研究して勉強したい事を、学生が発表してくる。
なので、聞いていて余計に面白い。
前半の講義の時に、私の欲望がほとぼしり出ていたのかしら?
コメントをしながら、あらためて「もう一度、ここらへんは自分でやり直さなくては」と痛感する。

昨日の大会が終わったという大役の荷が下りたせいだろうか。
それとも、非常勤もだいぶんとなれてきたせいだろうか。
にやにや笑みがこぼれ出てしまうほど、楽しい。
そして、「足りなくてちゃんと勉強しなくては」と思う事自体、もはや自分の無知に落ち込むよりも、プレッシャーとして感じるよりも、それを越えてますます楽しい。
マゾなのか?

5月28日
今日は、ひたすら家で大人しく過ごすべし。
もう、風邪を引く事も、怪我をする事も許されない。

とはいえ、明日の大会が気になって、研究にも身が入らず。
うーん。
ストレッチをしながら、申し合わせのテープを聴き、身体をばたばた動かしたり、疲れたら、イメージ・トレーニング。
気のせいか、今週で少しやせた気がする。
ストレスがすごいものなあ。
おまけに、装束を附けて稽古をして、大量の汗を掻き、プレッシャーやいろいろハプニングがあって、精神的にもちょっと、まいっている。

昼食は、近くで、祖母と母と叔父と一緒に食べたが、「いよいよ明日」と言われると、もう胸がいっぱい。

これまで、楠公さんの舞台は何度も立ってきた。
修士の時は、祖母のツレで、能楽「鶴亀」の亀を舞った事もある。
しかし、装束はつけてもあのときは直面(面をつけない)だった。

なにせ、内輪の新年会の欠席という痛恨の事実がある。
周りが信用してくれなくても、それは己のせい。
もう、ここまできたら、はよう終わって欲しいわ。

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