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『船弁慶』無事終了

5月30日
いやいや、楽しかった。
もちろん、これは、無事に無事に舞台が終了したからです。

もう、昨日は半分生きた心地がしなかった。
とにかく、落ち着いて、無心に舞うべし。

朝は、本当は8時半に舞台に行かなくてはならないのだが、祖母の出番が朝一番ではなく、私も2時半予定の能楽だけなので、祖母に付き添って、9時半開始の直前に向かう。
なんと(というより当たり前か?)、朝一から舞台に来て下さるお客さんと駅で一緒になる。
その中には、「親子三代」「祖父の願いが生きている間に間に合わず」など、お涙ちょうだいの文句を綴った私の挨拶状に、ついほだされてきて下さった知人の姿も・・・
詐欺師みたいやなあ。
駅で「あれ、オガワさん。今頃来て大丈夫なんですか?」と声をかけられ、「あ、本日はありがとうございます。いや、祖母と一緒に少し遅めに・・・」としどろもどろに答える。
なぜ、本当の事なのに、動揺しているのやら・・・

今日は一応「能楽」という大役のため、あまり雑務に追われず、悠々?と見所にて、一番から皆様の初舞台やら、初仕舞、初素謡などなど、普段お稽古場で接しない社中の舞台を、拝見する。
合間に、早く来て下さる人々にご挨拶。
余裕に見えていたかも知れないが、本当は内心、いてもたってもいられない状態なのだ。
だから、見所から舞台を見て、気持ちを紛らわしつつ、心身共に、ドライブをかけていたのだ。

祖母の舞台を見終え、母の舞囃子を見た後、楽屋に籠もる。
トイレに行き、CDで申し合わせで大失敗した後を眼を閉じて聞き、肚を決める。
胴着(装束の下に着る襦袢みたいのもの)に着替え、鏡の間に行き、先生方に挨拶。
いよいよ装束付け。
いつもは、身内でやっているが、今日は師匠以外は、プロの先生方。
とはいえ、面識が全くないわけではない。
私が小さい頃からうろうろしている姿を知っている先生方が大半。
お稽古を始めた中学生の頃からお世話になっている先生方でもある。
それはそれで、逆にプレッシャーなんですが。

「きばりなさんなよ」
下川先生が耳元でささやく。
内心、血の気が引く思いで黙って装束を附けていただく。
少し早めにつけ終わった後、先生方、囃子方が裃に着替えるのを見て、その格の高さに身震いする。
鏡の間で床几に腰掛けて、舞っている私にそうそうたるプロの先生方が一人一人近づいては、「よろしくお願いします」と挨拶をしはる。
能楽って、こんなにたいそうなモノなのだ。
鏡の間はそれほどまでに、閉ざされた一種の別空間なのだ。
お囃子がなり、先生方舞台にはいる。
舞台を照らす証明を除き、電気がざっと消される。

幕の後ろでスタンバイ。
先生の合図を待ちながら、荒れた呼吸や鼓動をゆっくり鎮める努力。
いざ、出陣。

後は、何もよく覚えていない。
ただ、言われた事だけ、それだけ考えて無心に心がける。
能楽に限らず、舞台に立ったら「客席を見るな」と必ず注意を受ける。
変に、知り合いや客の顔を見て、気が散るのを防ぐためである。
その教えは、何年も言い聞かされてきた。
しかし、面がないと、視野が広いため、いくらでも焦点をぼかす事が可能であるが、面をつけると見える視野が極端に限定される。
もちろん、目付になる柱など見るポイントは、稽古中に教えられている。
しかし、視野があまりに狭いので、どうしても客席が眼にはいる。
ああ、こんなに大変なんや。
次の動作だけ考えよう、次の謡を考えよう、周りの謡や囃子に集中しよう。
それだけ考えて、舞台が終わった。
能楽が終わって、涙が出そうなほど、感動した。
能楽を舞いたがる人の気持ちがわかる。
そこには、やってみなくてはわからないドラマや世界が拡がっている。
感動的なので、これから能楽を舞う人があるであろうから、敢えて「何が」あったのかは言わない。
でも、それは本当に1年間の稽古の苦労やプレッシャーなど、吹き飛ぶどころかそれを上回るモノがあるのは、確かだ。
金と暇があれば、私もまた能楽に挑戦したいと、終わった瞬間に思った。
まるで、麻薬のようだ。

終わって、鏡の間で面だけをはずし、先生方全員に深々と頭を下げて、心から「ありがとうございました」とお礼を申し上げる。
着替えて、ロビーに出ると、嬉しい事に本当にたくさんの方が見に来て下さっていた。
遠いところ、足を運んでいただき、ありがとうございました。

打ち上げでは、下川先生より最高のお言葉をいただき、しこたまビールと紹興酒を飲んで、開放感を満喫。
祖母宅で、着替えに2階に上がったまま、ぶっ倒れる。
気がつけば、夜中2時。

祖母は寝ていた。
すまないと思いながら、そのまま眠ろうとするが、だめだ。
全然眠れなくなってしまった。
仕方なく、薬をのみ、興奮を抑えながら再び睡眠。

朝5時から目が覚めて、昨晩、報告できなかった祖父に、仏壇で手を合わせて報告。
自分では、どんな舞台かわかりませんが、とりあえず、周りの話では無事に果たし終えました。
もう一年はやければ、見てもらえたかも知れません。
そう思って、半分泣きながら合掌。

それから、ゆっくり祖母が起きてくるまで、昨日来て下さった方やお礼のメールなどする。
昼に、下川先生が来はるというので、挨拶を一緒にしようと、朝一で帰るのを止めた。
起きてきた祖母に、感謝とお詫びの辞を述べ、一緒に朝食を。
昨日近所の人で、見に来て下さった方に挨拶がてら、夕食の買い物につきあう。
前にも書いたが、祖父母は戦後関西にやってきて、ここに落ち着いた。
この辺りの界隈でも、もう古い。
母や叔父や叔母も、ここから学校、大学に通い、就職や結婚していった。
たまたま私は、その近くで育ち、祖父母の家にも入り浸っていた。
なので、この近所の人たち(いわゆる近所づきあい)や、祖母の友達を名前は断片的に、そして顔はよく知っていた。
「立派になられて」とか、お声をかけていただき、おめでとうございますと言われる。
本当に、消えつつある町内のつきあいを感じる。

下川先生に挨拶をしてから、家に帰り、非常勤へ出かける。
学生の発表に入っているが、あえて決めたテーマや作品やテクスト(素材)を指定していないので、何を発表してくるかわからない。
事前に、ある程度こちらから発表素材なりを指定しておけば、その周辺をあらかじめこちらも調べておけば、準備は万全であるが、初めての、何もわからないからこその「怖いモノ知らず」にしてしまった。
幸い、今日の二組は、両方とも映画を扱い、しかも言及した映画はすべて観た事のあるものであり、コメントもなんとかこなせた。
不思議な事に、私が知りたい事、これからも研究して勉強したい事を、学生が発表してくる。
なので、聞いていて余計に面白い。
前半の講義の時に、私の欲望がほとぼしり出ていたのかしら?
コメントをしながら、あらためて「もう一度、ここらへんは自分でやり直さなくては」と痛感する。

昨日の大会が終わったという大役の荷が下りたせいだろうか。
それとも、非常勤もだいぶんとなれてきたせいだろうか。
にやにや笑みがこぼれ出てしまうほど、楽しい。
そして、「足りなくてちゃんと勉強しなくては」と思う事自体、もはや自分の無知に落ち込むよりも、プレッシャーとして感じるよりも、それを越えてますます楽しい。
マゾなのか?

5月28日
今日は、ひたすら家で大人しく過ごすべし。
もう、風邪を引く事も、怪我をする事も許されない。

とはいえ、明日の大会が気になって、研究にも身が入らず。
うーん。
ストレッチをしながら、申し合わせのテープを聴き、身体をばたばた動かしたり、疲れたら、イメージ・トレーニング。
気のせいか、今週で少しやせた気がする。
ストレスがすごいものなあ。
おまけに、装束を附けて稽古をして、大量の汗を掻き、プレッシャーやいろいろハプニングがあって、精神的にもちょっと、まいっている。

昼食は、近くで、祖母と母と叔父と一緒に食べたが、「いよいよ明日」と言われると、もう胸がいっぱい。

これまで、楠公さんの舞台は何度も立ってきた。
修士の時は、祖母のツレで、能楽「鶴亀」の亀を舞った事もある。
しかし、装束はつけてもあのときは直面(面をつけない)だった。

なにせ、内輪の新年会の欠席という痛恨の事実がある。
周りが信用してくれなくても、それは己のせい。
もう、ここまできたら、はよう終わって欲しいわ。

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2005年05月31日 08:46に投稿されたエントリーのページです。

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