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素麺文化圏

5月16日
不思議なもので、たくさん準備していたと思ったときに限って、時間が余る。(初回がそうだった)
「もし足りなかったら、どうしよう」と少々不安で、準備としては不十分だがいざという時にこれで誤魔化すかと自分で焦っているときは、最低限話したい事だけでも、時間が足りなくなる。
今日も、『ハリーの災難』の他、有名な『北北西に進路を取れ』、『サイコ』と用意していたが、『ハリーの災難』だけで、時間が一杯になった。
仕方がないので、コメントを返しながら出席をとり、来週からの発表予定を伝え、質問や感想、発表に対する相談等は、取り急ぎ、来週までに紙に書いてもらう事にした。
授業は終了していたが、いろいろ個々に対応している間に、何名か早速、何やら書いて渡してくれた。

家に帰ってから、目を通す。
なかなか、いい視点で書いてくれて嬉しい。
中には、少しアグレッシブな事を書く学生がいて、頼もしい。
だが、一つ残念な事がある。
なんとなくいいたい事はわかるのだが、日本語がちゃんと使いこなせていない。
それは、誰が、何を、何に対して、という事がすべて抜けた日本語であり、漢字の間違いがいくつかある。
私に、そんな事指摘されてどないすんねん。(いつも私が叱られている事やのに)
でも、これは今後、何かに対して同意するにしても、批判するにしても、相手に明確に伝えるためには意識しないといけない問題だ。
早速、小姑のように意地悪だが、「漢字」を訂正し、ついでに「主語は?」とか「誰が何に対して?」とか、コメントと共に、書いた。
コメントを書きながら、「これって自分の書く文章を反省する事にもなるし、とてもいい勉強になるなあ」としみじみ思った。
こんな機会を与えて頂けて、感謝である。
頑張らなくては。
次回からは、質疑応答の時間も用意しているので、是非皆様に「発言」していただきたいものだ。
自信を持って、くってかかってきてくれる日を楽しみにしている。
きっと、私も「たちの悪い」「出来の悪い」「日本語の出来ない」学生だったのであろう。
今も、あんましかわらへんか。
反省。

5月15日
ふはあ、疲れた。
昨日は、ミニ・シンポジウムが二つもあった。
両方とも、とても興味深いものであったが、残念ながら身体は一つ。
それでなくても、まだ授業準備が出来ていないのに。

しかも、昨日の研究会の疲れが取れず、身体が浮腫んで調子が悪い。
午前中は、自分の体力と優先すべき仕事を考えて、欠席。
プロジェクト室にて、黙々と作業をしておりました。
体力とは?
実は、今日オブザーバーとして聞きに行きたいミニ・シンポジウムは、経験上、時間通りに終わらない事を知っていたから。
私の同僚が名言を語ってくれた。
「学者は三度の飯より、議論が好き」
その通りである。
まさに、そういうシンポジウムなのだ。
案の定、午後からのこのこと顔を出してみると、午前中3人発表予定だったのに、2人しか終わっていなかった。
結局、シンポジウムが終了した時、予定時間から2時間もオーバーしていた。
途中、懇親会の連絡係を請け負ったので(発表者にさせるわけにはいかないでしょう)、懇親会にも顔を出す。
一つは、連絡係だったから。
もう一つは、時間がおしているので、質問したい事が出来なかった。だから、懇親会の場を借りて、今日の発表者に聞きたい事があったからである。
話している間は、楽しい時間だが、終電で帰ったら、さすがに疲労困憊。
お風呂に入る体力もなく、足と顔を洗って、服薬。
疲れすぎて、頭を使いすぎて、脳がぎんぎんしている。
でも、身体が疲れていたので、起きあがる気力もない。

そうだ。
今の私は疲れているが、昨日ショックな事があった。
午後から顔を出したら、久し振りにお会いする研究者が何人かいはった。
コーヒー・ブレイクの時に、挨拶をすると、「オガワさん、大丈夫ですか?ものすごく疲れているように見えるのですが・・・」と言われる。
「大丈夫。本番が近いから、稽古が忙しいし、昨日も研究会だったからかなあ」と言い訳する。
そんなに、疲れた顔しているのかなあ。
言われてみて、慌ててトイレで鏡に映った顔を見る。
そういえば、眼の下に隈ができているような気もする。
気にしない!と思っていたが、懇親会で、隣りに坐った後輩にも、「オガワさん、最近はお忙しいんですか?」と聞かれる。
さっきと、同じ返答をするが、やはり疲れているように見えるのかしら。
元気なつもりなだけに、ショックやわあ。

昨日、母から携帯に連絡が入っていたが、かけ直してもつながらない。
昨日は自分でもいっぱいだったので、忘れていたが、今日かけてもつながらない。
心配になって、携帯ではなく実家の方にかけたら、たいした用事ではなかったそうだし、携帯の調子が悪いわけでもなかった。
ついでにランチに誘われる。
ちょうど、駅前のTSUTAYAに、明日使いたい映画を借りに行こうと思っていたので、駅前でランチ。
母にも「あんた、眼の下に隈ができてるわよ。大会近いねんから、体調管理しなさいよ」と言われる。
ゲゲッ!
また言われた。
滅入るなあ。

阪神戦をTVでつけながら、その前にノートPCをおいて、今借りてきた映画をチェック。
いくら見た事のある映画だからって、我ながら器用な事すんなあ。
それから、先週、薬切れのため、自律神経失調。
字が書けずに、これまで書いてもらった事に対するコメントを書けずにいた。
今日は手も震えていないので、明日返すために、全員にコメントを書く。
私としては、授業中に発言によって、やりとりしたいのだが、どうも書くのはしっかり書いてくれても、発言してもらえないので、こうやってお答えするしか手段がない。
こういう時、「達筆な人が羨ましい」と心から思い、「にこちゃんのペン習字」(古いなあ)をやっておけば良かったと後悔する。

気がつけば、21時過ぎていた。
時間ってすぐに経つのね。
しまった。
使いたいコピーが見つからない。
一息入れてから、探すか。

5月13日
共同研究会。
他大学より借りた本の期限が、あまりにも短かったので、こっそり研究会の間に読めたら、などと、不埒な事を考えていた。
でも、そんな事出来ませんね。
これは、「やっていませんよ」って言い訳しているように見えるが、違います。
朝から仕事をして、昼の間もばたばた。
漸く席について、最初の挨拶の間にでもと手元に置いていたのだが、開こうと思うと何か用事が出来、こっそり手を掛けると、話題を振られる。
そして発表が始まると、あまりにも興味深いので、すっかり借りていた本の事を忘れる。
本当に興味深い話なので、本を読もうとしても、耳が発表に行くので、本には全く集中できない。
それだけ、面白かったのだ。
私の知らない事がたくさんあるので、刺激的。
研究会が楽しいのは、この刺激だろう。
でも、自分が発表する立場になると、この刺激が怖いのだが・・・

皆様、今後ともよろしくお願いします。

5月12日
ひやー。
ほんまにしんどいわ。
大丈夫なんやろうか。
「大分ましになりました」とのコメント。
でも、初能であるし、師匠もまだまだ不安らしい。
「今度はいつ稽古に来られるの?」と言われる。
明日が稽古日なのだが、研究会のため欠席。
次回が月曜日なのだが、慣れない非常勤の前に稽古をするのは無理な事を悟ったので、申し訳ないが欠席。
いけるとしても、夜になる。
仕方がない。
有閑マダムではないので、お仕事が大事である。
研究が大事である。

ああ、自分でも不安なので、稽古も優先させたい。
もう2週間ちょっとしかないのだから。

5月11日
秘密ルートより、高級三輪素麺をゲット。
早速、食べる事になる。
素麺だけでは、栄養が偏るので、卵、ハム、胡瓜、椎茸、ウナギ、ついでに若布。
薬味は生姜、葱、胡麻、海苔と、取りそろえる。
さすがに、流し素麺など風流な設定はできへんけど、何人かで集まって、わいわいと食べる。
さすが「三輪素麺」。
冷たい素麺は今年、初である。
美味しかった。

実は、すぐに飽きるせいか、私は素麺よりもにゅうめんのほうが好きなのである。
でも今日の三輪素麺は美味しかった。
まだまだ残っているので、次回はにゅうめんにしようっと。

どうでもいい事だが、私は「三輪素麺」文化圏ではない。
素麺といえば、「揖保の糸」であった。
もちろん「揖保の糸」にもピンからキリまである。
子供の頃から手頃に毎夏食べていたのは、普通の「揖保の糸」である。
だんだん知恵がついてきた頃から、私の中では「三輪素麺」=高級素麺となぜかインプットされた。
その話を、素麺を食べながらすると、大阪出身の人に言わせると、価格的にやはり手頃なのは「揖保の糸」。
お中元など、贈答品向けに、高価な付加価値がつくのは「三輪素麺」という見解。
私のいつの間にやら思いこんでいた「素麺」言説(幻説)に賛同の意を得たと一人で腑に落ちた気分になる。

明日は、「申し合せ」迄の間の、最後の能特訓日。
今晩は、祖母の家にお泊まり。
お仏壇に手を合わせる反面、焦りが増した。

5月9日
いえーい!
なんと、なんと、7時間も眠っていたのである。
おおお、感動。
ワンダフル!
毎晩服用しても、長くて4時間なのに、感動しました。
びっくりしました。

朝から、すっかり元気になって、最後の仕上げ。
ついでに、無謀にも、朝から稽古にも行ってしまった。
しかし、ちょっとこれは無理しすぎ。

夜になった今、またもや身体がしびれてきて、疲弊している自分が居ることだけは確認しました。
あほ、と呟く。

稽古から家に帰って、準備をして、非常勤に行く。
勢いに任せて、終了。
今日は、実は事前にプロから、アドバイスを頂いていた。
自分一人で授業も出来ないのか?と言われると、その通りで、情けない話である。
でも、初めてのことで、駆け出しなので、ちょっとおうかがいをたてたのであるが、嬉しいことに、助言を頂けた。
そのおかげか、今日はこれまでの中で一番上手く行ったような気がする。
ありがたい事である。
経験ってやはり、大事なんやね。
ちょっと、自信がつきました。

それで、すっかり気をよくして、帰りは祖母の家に。
これは、別の理由がある。
今朝、一緒に稽古に行くために、チャリで祖母の家に行ったのだが、稽古から帰ってくるとき、非常勤に行かなくては、と焦って、歩いて家に帰ってしまったのだ。
ついでに、夕食をご馳走になる。
ホッとしたのか、ものすごく疲れた。
体調のせいもあるが、能一番稽古して(面だけで装束はつけなかったけれど)、慣れない非常勤は、私にとってハード・ワークすぎる。

ところで、TVや新聞を毎日騒がせている、JRの事故であるが、私はあえて、「ヘリがうるさい」としか書いてこなかった。
本当にうるさいから。
しかし、連休明けの今日、事態はヘリだけではすまない事にあらためて気付いた。
連休中は振り替えの人が多いなんて、書いていたが、そんなのは多いうちに入らなかった。
夕方に帰ってきたから余計だが、うちみたいな小さな駅でも、大変な事になっている。
あと、声を掛けなかったが、学生の中で、親族か知り合いかそのへんは定かでないが、どうもケガをして入院している人がいるような会話を聞いてしまった。
比較的近所での事故であっただけに、あり得る話だ。
あるスポーツ新聞の見出しにあったのだが、「過剰報道」と書かれていた。
私もそう思う。
人の命を軽んじていいのか?と言う事に関しては、決して軽んじてはいけない。
JR西日本の体勢は確かに、問題にするべき点はある。
ただ、偏ったあの報道はなんなんだ?

尼崎は、震災の時、兵庫県の中では比較的被害が軽い方だった。
おそらく多くの人が、意識的か無意識的に指摘している。
どのように言われてきたかというと、例えば「大阪を出て、淀川を越えると、ブルーのビニールシートが目に入ってきた。そして武庫川を越えると、急激に数を増した」と言う風に、「武庫川」を越えると、被害甚大という指摘。
尼崎市は淀川のもう一つ西に流れる神崎川と武庫川の間にある市なのだ。
その、尼崎にいて震災の時も「ヘリがうるさい」と思っていた。
ところが、ある時ヘリの音が一斉に消えた。
それ以来、地域のニュース以外、震災報道もなりをひそめた。
オウム真理教の地下鉄サリン事件が起こったからだと気がつくまで、時間差があった。
だから、私は「ヘリがうるさい」と書いていた。
それは、別の大事件が起きたとき、そっちに飛びつくマスコミに対して言っているのだ。
今回は列車事故である。
非情に言えば、近隣の人々の問題は残っても、直接的な死者がこれ以上鰻登りに増える事は少ない。(ないとはいわない、増える事はあるだろう)
しかし、震災の時、事態は別のレベルだった。
それは、昨年の新潟の地震における報道のあり方を覚えている人なら、気がつくと思う。

JR西日本をかばうわけではないが、JRの職員に嫌がらせや暴力が振るわれる事件が起こっているそうだが、それは過剰報道が引き金になったケースもあるのでは?
また過密ダイヤは事実なのだろうが、それは一方的なものではなく、利用者との相互の要望でもあるだろう。
私が感じる限り、福知山線が便利になっていくにつれて、JRの駅の周りが一気に拓けたと思う。
過剰報道かどうかは、受け取る人次第だろうが、この事件だけに限らず、今は垂れ流しの一方的な情報が溢れすぎている。
受取手が、その中からどのような情報を選択して、自分の中に取り込むのか、大きな課題なのかも知れない。

5月8日
ありがたい。
速達って、日曜日も届けてくれるんや。
昨晩、さすがに朦朧としていたために、すぐに目覚めるもののうとうとしながら、なんとか計2時間ほど、眠っていたと思う。
自分でも、荒療治だも思うけれど、目が覚めたら、頭に入らなくても本を読んでみた。
すると、眩暈がして、気分が悪くなり、くらっと倒れる。
すると、何分かは気を失って、眠るらしい。
それって、睡眠ちゃうやんと言われるかも知れないが、とにかく、身体は休まっているのだから、私にとっては睡眠なのだ。

おかげで、二晩あわせて、いや、日中でもうとうと出来るときがあるので、二日あわせて、3時間、いや4時間になる。

昼過ぎ、なんとか仕事をしていたら、チャイムが鳴る。
誰?と思いながら、出ると郵便局。
まさか、速達が届くなんて・・・
受け取った途端、病院からだったので、嬉しかった。

人間というのは、良くできたものである。
これで、安心と思うと、なんとかもう少し元気になれるのである。
それまでは、身体をいかにして効率よく持たせようかと働くらしく、動きたくてもエネルギーを最小限に留めようと脳が指令するらしい。
どんどん体力が落ちていき、私に活動を停止させるよう強硬手段に出る。
でも、どこかで狂っているから、それが眠気につながってくれないのがおかしい。

とにかく、安心した私はやりかけていた遅々として進まない目の前の仕事を、一通り終えるまで、ちゃんと起きていたのである。
しかも、一応仕事をしていたのである。

でも、さすがに限界。
思考が、またもや空回り。
さっきから、ずっと同じ事を考えている。
壊れたレコードのように、同じところで繰り返し、そこから先に進まない。

服薬して、寝ます。
お休みなさい。

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2005年05月17日 12:13に投稿されたエントリーのページです。

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