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2005年02月 アーカイブ

2005年02月01日

あっというまの一ヶ月

1月31日
1月は行く。
鼻の傷も大分といえてきたが、相変わらず鼻づまり、咳がおさまらない。
月末なので、仕事で出勤前に銀行に行くと、やはり月末なので朝から混んでいる。
みんな、月末にいろいろ振り込みとかあるのね。

思ったよりも時間がかかってしまい、一仕事を終えたと行っても、昼前に出勤。
みんな出入りが激しく、私も、提出する報告書と、今日中に発送しなくてはいけない仕事をまとめて、大わらわ。
1時前に、スタッフで「あらこんな時間」とお昼を食べる。

それから、2時過ぎまでに受付の荷物をまとめて、郵送をお願いし、相手方に連絡のメールを書いて、作業の流れをまとめておく。
金曜日、ちゃんと下調べしていなかったため、一つ疑問点が残ってしまい、「のちに連絡」と言い訳をメールする。

それから、郵便局に振り込みに走り、帰ってきて、頼まれていたメールの返信をしたりすると、すぐ夕方。
外は、雪が舞ったりやんだりと、寒波が近づくのを予想させる天気だ。
先生に「すみません、一つ聞き忘れていました」と指示を仰ぎ、図書館にて調べ上げて、先方にFaxをして、とりあえず返事を明日待つことにする。

そんなこんなで、19時頃になって、今晩は祖父の家に泊まるのを思い出して、あまり遅くならないように帰宅。

老猫がなかなか賢いことに気がついた。
前から賢いのかも知れないが、私の顔を見たら逃げていたので、そんな側面に遭遇することがなかった。
以前にも書いたが、勝手口を通ろうとすると、走ってきて「みー」と顔を見て「開けて」と催促する。

お風呂に入ろうと、二階に上がって荷物を分けたり、お風呂セットをそろえたりしていると、珍しくとことこっと二階に上がってきて、ドアの向こうで「みーみー」と泣く。
「どうしたん?」
と、ドアを開けるとぴゅーっと階段を下りていく後ろ姿が。
なんだろう、とあわててついて降りていくと、いない。
居間できょろきょろしていると、トイレから祖母が出てきて「あ、なおちゃん。先に寝るからね」と声をかけた。
ははーん。
みーちゃん(祖父母の家の猫はみんな「みーこ」「みーちゃん」と呼ばれている)は、祖母が寝に行くので、私に知らせに来たな。
だって、私がドアを閉めて二階の部屋にいると、祖母は階段の下から大声で、「先に寝るよ」と叫ばなくてはならないからだ。
私は、みーちゃんに呼ばれて、階下に降りたためにちゃんと祖母の顔を見て「お休みなさい」と挨拶も出来た。
なかなかやるなあ。

私も、もう少しかしこならなあかんな。
見習おう。

1月30日
金曜日、日文研のみなさんは優しいので誰も傷で真っ赤になった私の鼻のことに触れなかった。
なので、鏡を見るまでは、仕事中は忘れていた。

しかし、身内は違う。
母に会うなり、「あんた、なにその鼻?」とまっさきに指摘される。
「鼻のかみすぎ」
「そんなんなるまで、強く押さえんでもええでしょう」
言われんでも、わかってるわい。
気にしてんのに・・・

昨日、うっかりしていて主治医のところに行けなかった。
花粉症か、風邪か、アレルギーか、ちょっと相談したかったのになあ。
まあ、仕事優先か。
熱があるわけでもあらへんし。

結局、京都に出かけるタイミングを逸し、(両日とも郵便も宅急便も、来るのが遅い!)家で作業していた。
家ですると、ついつい他のことも手が出てしまって、洗濯して、片付けをしたら、掃除が途中でおろそかになり、違うことをしてしまっている。
探していた資料が出てきたので、ついついそっちの方に気が行くのだ。

あっという間にお昼が過ぎて、そうそうお昼御飯を作らなくては、などと暢気に水回りの仕事に気がうつる。
本来の報告準備に加えて、映画3本を見ながら思索。
『路傍の石』『緋ざくら天狗』『不知火検校』。

そういえば、金曜日の帰りの車中、悪夢を見た。
正確に言えば、その時見た光景と瞬間的に自分が思ったことが、後に悪夢となって私を襲ってくるのだ。
それは、何か?
人相である。

電車の中で、本を読んでいたら、途中から乗ってきた女子高生らしい若い女の子たちのマナーがあまりにも悪かった。
別にじろじろ見ていたわけではない。
大声で友達と話しているのなら、別におばちゃんたちでもよくある風景だが、「あ、電話すんの忘れとった」と大きな声で言い、携帯で話しているその声が、聞き耳立てなくても、聞こえてくる。
「あー。本を静かに読ましてえな」と内心思ったが、なんかいちゃもんつけられてもカナンので、小心者ゆえ黙って本に集中する。
私が見たのは、十三について降りようとその子たちの方を初めて向いたときだ。
ミニスカートも、ルーズソックスも別に構わないが、いくら席を占領しているからって、大股開けて、ぬぎすてた靴をはき直す姿が目に入った。
「おっちゃんみたいやなあ」と思いながら、通路に出ようとすると、向こうも下車するらしく目の前で顔を上げた。
瞬間、邪悪な私の心が叫んだ。
「うわっ。ぶさいく」
私の方がおっさんやなあ。

でも、濃いめの化粧をしているその顔は、その後見ると(神戸線でも一緒だったので)なかなか可愛い顔をしているのだ。
では、なぜ私は瞬間的に「醜い」と感じたのか?
それは、行動や態度ですでに見る前からバイアスをかけているため、「そういうことをする人は不細工な面にちげえねえ」という、私の思い込みなのだ。

そうして、悪夢は始まった。
そう、自分も同じようにまわりの人に思われ、それがそのうちあからさまに態度に出て、蔑視され、気がつけばひとりぼっちで、誰も相手にしてくれない。
さまざまなシチュエーションを変えて、最後にはひとりぼっちという夢を繰りかえしみては、恐ろしくなって目覚めるのだ。

別に自分はまともで、可愛いですよ、などと言い訳したいのではない。
そうやって、他人を見てしまったことは、すなわち自分の鏡を見ているに違いないからだ。
人が持つ毎日の行動や性格は、おのずと人相に現れる。
そう思うなら、「おのれはどないやねん?」と問いかけられると、極悪非道の数々。
とてもお天道様に顔をむけられやしねえ。

後生だ、堪忍してくれえ。

1月28日
ぎええ。
咳で目が覚めて、ぜいぜい言いながらうがいをしに洗面所に立ってびっくり。
鼻の頭を挟んで、両小鼻の上が真っ赤になって、どうも薄皮がむけてしまっている。
特に右側がひどい。
鼻の下から上唇にかけては、がびがびになっている。
なんでこんなところが?とショックを受けながら、考えていると、一つしか思い当たることがない。
それは、鼻をかむときに上から押さえつけた時だ。
そんなになるほど、きつう押さんでも、と自分でも思うのだが、それしかこんなところが傷になる原因はない。

ファンデーションで誤魔化しのきくような薄さじゃないし、といってバンドエイドはるのもなあ。
しかし、午後からは先生と昨日持ってこられた仕事の打ち合わせがあるし、それまでに別の先生の仕事も仕上げておかなくてはならない。

月末だから、出勤簿も提出しないと。
はあ、またもや要領の悪い1日である。

昨日は、一人でご満悦だったが、なんだか少し調子に乗りすぎたような気がして、「昨日は、ご満足頂けました?」と聞いてみる。
「美味しかったですよ」
と言われ、お世辞でもやはり嬉しい。

それにしても、時間の経つのが早い。
あっという間にお昼が来て、あちらこちら連絡したり、残りの仕事をしたり、漸く一段落して、さあ、今日の本題、と思ったところで、すぐに先生が来られた。
ああ、実はまだ先に目を通して、全部下調べがすんでいないのです・・・
それでも、なんとか説明をして、疑問点を整理してもらい、指示を受ける。
あっという間に4時過ぎになり、走り書きしたメモをチェックして、とりあえず終了。
図書館に用事があって行く時に、郵便が届いていた。
仕事だ。
あわててプロジェクト室にもどり、まだ先生がいはったので、その旨を伝えて、もう今日は間に合わないので、月曜日にすべてをまとめてすることで了承を得る。

他の職員さんもみんな忙しそうで、私も18時頃になってから、自分のことにとりかかる。
やっぱり要領が悪いなあ。
定期的に鼻が詰まり、鼻水が垂れて、咳が止まらなくなり、思考が完全停止。
鼻をかんで、涙を流しながら吐きそうになるほど咳き込み、止まったら水分で痛んだ喉を潤して、一段落すると再び思考開始。
能率上がるわけないやん。

結局、近くのバス停まで送ってもらい、ため息をつきながら帰宅しました。

明日、もし早く郵便が届いたら(不在届けが入っていたので、明日の午前師弟で再配達を頼んでいるのだ)、仕事しに行こうかなあ。
でも、洗濯や掃除やいろいろ家事もしたいしなあ。
調べものもあるから、家にある本をまず目を通し直さないと。
週末は暖かそうだけれど、来週は大寒波とか。
冬だから、寒いのは当たり前か。

1月27日
ほっほっほ。
今日は、久し振りにええ肉食いましたわ。
贅沢したわあ。

皆さんもとても満足してもらったみたいで、料理人冥利につきますわ。
といっても、ほんまは今日の新年会は、私の腕ではなく、素材がよかったのだ。
まあ、それでえええも、この素材を仕入れてきたのは私なんやけどね。(っと自慢してみたりして)
素材の上手さで、味が決まる料理って、ぎょうさんありますけれど、なんやと思います?
なんや、そんなもん誰でも出来るやんと言われる簡単のもんでした。
「しゃぶしゃぶ」です。
つまり、最近はいろいろな産地が有名であるけれど、一昔前はブランド名にまでなった「神戸牛」のええ肉を、しかも安く仕入れてきたのだ。
自分でも、期待以上に美味しかった。
最近、手の届くのは安い輸入肉やさかいね。
贅沢させてもろうたわ。

あ、別に私は新年会だけで1日すましたわけではない。
朝から、昨日に引き続き、仕事に奔走。
窓口になっている仕事に関しては、これまでメールや電話で対応してきた担当者が、仕事に関してこちらに来るという連絡を頂き、あわてて挨拶に出かけるなど、おろおろしておったのだ。

今日もまた帰宅したのが23時半。
あいかわらず、げほげほの咳とずるずるの鼻水。
さっき漸くお風呂から出て、少し鼻が通った気がするところ。
鼻をかみすぎて、鼻の下から唇の上にかけてかびかびになってしまっていて、でもお風呂で柔らかくなった肌は、感覚を失っていたのか、化粧水がしみることもない。
明日には、少しましになってへんかなあ。

そうそう、昨日遅すぎて言及するのを忘れていた。
昨日と今日の話題にして、みんなで「あほや」と笑っていた事件である。
昨日の朝、最初に見たニュースで、最近嫌な事件ばかりが多い中、こんな人もおるんかいなとうけていたのである。
昨日の夜中に、猿の着ぐるみを着て四日市のコンビニに強盗に入ったものの、弱気の上、結局なにも盗らずに逃げた人がいるという事件。
目立つやん。

この事件といい、1月の初め頃に起きた「水戸黄門の末裔」と騙って詐欺事件を起こし、捕まった事件など、昼休みの話題にふるのだが、こういう変な事件はいつも誰も知らない。
というより、そんなしょうもない事件しか知らんのか?と思われてるかも。
まあ、どちらにしろ「犯罪」とカテゴリーにはいることをした(しようとした)事は、あかん事やけど、あまりに凶悪犯罪が多いので、こんな「あほや」と言える事件が余計に眼につくんかもしれんなあ。
他にもっとええ話題があったらええんやけどね。

1月26日
朝10時から、会議に参加。
本当は、どちらでもよかったらしいのだが(私が参加しても、よく理解できないから)、先生から「社会勉強と思って、同席して下さい」とメールがあったので、末席に座らせてもらう。
案の定、専門用語はちんぷんかんぷんで、「このカタカナ語や省略文字はなんやろう」と思いながらも、必死で理解しようと説明を聞く。
CMDBに関することなので、私も一応関係しているのだが、言われたことをしているだけで、管理その他はすべて先生や情報課の方々、他の職員さんにしてもらっているので、よくわからないのよね。

でも、今の現状のことなど聞かれたら、相槌をうち、知っている限りの知識を導入して、「あのことですか?」と言ってみたりするが、ハズレも多い。
お恥ずかしい。

その他の仕事に関しても、朝から(実際には、昨日お休みを頂いている時に限っていろいろメールの問い合わせや、電話があったらしい)ばたばたしていた。
午後は、1回生の発表会だから、会議が終わった後、まとめて先生に質問をして、プロジェクト室にかえる。
その間に、また問い合わせの電話。
はあ、あちこち駆け回り、発表を聞きに行きながら、休憩の間に先生から回答をもらって、仕事に奔走。
5人発表者がいたのだが、残念ながらちゃんと聞くことが出来たのは二人だけ。
後二人は半分、一人は全然聞くことが出来なかった。
すまない。
先週の中間報告も、体調を崩して欠席してしまったのに・・・
別に私に参加の義務もないし、とりわけその場で何か発言するわけでもないが、折角同じ院生室で研究を共にした、あるいは学年的には後輩になるが同じ専攻のもの同士なので、みんながどんな研究をしているか興味があるし、勉強にもなる。

でも、立場上、頂いている仕事の方が大事やからね。
まあ、飲みに行ったときや、院生室に遊びに行ったときに教えてもらえばいいか。

夜は、1・2回生のねぎらいを兼ねて、飲みに行く。
普段はゆっくり話す機会のないメンバーもいるので、楽しい。
調子に乗って話していたら、すっかり遅くなり、さすがに二次会のカラオケは勘弁してもらい、帰宅。
0時過ぎに家に帰り着きました。
明日も、実は宴会。
なのに、喉の痛みと咳、そして今日になって鼻水が止まらなくなってしまった。
大丈夫かなあ?

1月25日
朝も、咳き込んで目が覚める。
あかんなあ。いまいちや。

昨晩やるはずの仕事を、朝から仕上げる。
まだ、祖母は起きてこないので、居間に降りて、掘り炬燵で仕事をする。
2階の部屋には、TVもビデオもDVDも机も椅子も設置してもらっているが、エアコンなのである。
夏場はいいけれど、冬場の上、喉が痛いから乾燥するエアコンはパス。
居間は掘り炬燵だし、ガス暖房もあるので、部屋を先に暖めるという一石二鳥の考えで、顔を洗い、着替えて、一仕事。

祖母の家には1匹の老猫が居る。
もとは野良猫であったが、最近はすっかり慣れて勝手気ままに餌をもらっては、暖かい場所を占拠している。
元野良猫ということもあって、祖母以外の人間にはなかなかなつかず、顔を見たら外に逃げて入ってこなかった。
震災後だったかなあ。
この猫が隣の家の屋根裏に5匹の子猫を生んだ。
祖父母もこの町内に古くから住んでいるから、まだ近所つきあいが盛んである。
いわゆる「怒鳴り込み」というわけでなく、「あら、奥さん」と言ったのりで、どうもお宅の猫(って餌だけやっていた野良なんだけど)が、うちの屋根裏に子猫生んだみたいで、えらいミーミー鳴き声がきこえてくるんですわ」と言われたので発覚した。

最近の世の中では、「餌はやっているが野良で、うちの猫やない」なんて言う人もいそうだが、古い町内なのでそんなことはない。
隣の家も、古いおうちで、震災できしんでいる屋根裏にあがり、梁を伝って、隅っこにほこりだらけで真っ黒な顔をした子猫五匹を救出した覚えがある。
そんな思い出のある猫なのだが、昨年より、たびたび祖父母の家に泊まりに行くようになったのと、もう歳をとって丸くなったのか、最近は私が居ても気にすることはない。
それどころか、朝早く起きてくる私の足音を聞きつけて、勝手口で「みー」と声をかけ、「外に出たいからドアを開けて」と催促する。
本当は、器用に自分で窓を開けて(あるいは居間の引き戸を開けて)出入りするのだが、体力が衰えてきたのだろう。(開けるけれど、猫なので閉めないのが難儀)
できるなら、ヒトにしてもらいたいらしい。
外に出してやったあと、ついでに新聞を取りに行く。

さて、一仕事。
うっかり、FDを忘れてしまったのでフォーマットに後で貼り付けるところまで完成。
ふう。
祖母が起きてきたので、朝ご飯の準備。
といっても、お昼がご馳走なので、少量にする。
昼から出かけたらいいので、ゆっくりお話しをして、ぼちぼち着物を着る。
祖母と二人で、着物を着て話をして、なかなか楽しいものである。

今年の新年会は、「なだ万」である。
昨年末に試食に行って、決めたんだけれど、なんだか、その時よりも味が少し濃いなあ。
「なだ万」さんは確か、東京だったっけ?
まあ、最近の京都でも、だんだん味が濃うなってきてるから、えらそうなことは言われへんけれど。
それでもなかなか美味しいと、評判である。
ただ、献立に漢字の間違いがあったのが、アカンなあ。
「なだ万」さんという看板背負うてはるんやさかい。

そういえば、今朝のニュースで長崎の小中学生のアンケートに、「人は死んでもまた生き返る」と本気で信じている割合が14~15%、なんと中学生が18%と聞いて驚いた。
最近のマスコミの情報は、なんだか過剰すぎて何処まで信じて良いのやら、不安もあるが、それでも本気で信じているのであるのなら、恐ろしい。
ゲームが理由の一つとして挙げられていた。
確かに、最近のゲーム・ソフトにはやたら殺し合うものが増えているような気がするが、門外漢なのでよく知らない。
そういえば、「たまごっち」が最初に出来たとき、簡単にリセットするという感覚が「なんだか、嫌な気がするなあ」と思ったことを思い出した。
ヴァーチャルな世界と現実が、すでに区別がつかなくなってきているのか?
そして、いつもやり玉に挙げられるのが、TVや映画の影響である。
詳しくニュースを見ていなかったが、以前から青少年の犯罪が増えると、小説のせいにもよくされていたなあ。
そういう意味では、私だって小説もあるが、TV・映画世代である。
けれども、人を殺すなんて出来へんし、よく小さい頃から喧嘩したり、外で遊びながらよくケガをしていたので、「痛み」も刷り込まれてきたと思う。
そりゃ、小さい頃は仮面ライダーや、ウルトラマン、赤影などなど、ピンチの時に助けてくれるのかもと信じていた時期はあったであろう。(覚えてないが、全く信じないほど冷めた子供ではなかったと思いたい)
そのうち、映像の作られた世界は、やはり現実だと思わなくなった。
だからこそ、そこに浸り「おお、かっこええ」とか、その間だけ憑依されたように、映画などの話にのめり込んでいた。(今もすぐに感動してしまうけど)

もうすでに大人と呼ばれる年齢になった性犯罪者の問題が、今話題になっている。
プライベートを保護するか、公開するかとか、法律でどうするかなどの問題である。
別に、性犯罪者の擁護するわけではないが、彼等たちの更正とかの問題も、欧米と日本じゃ社会が違うのだから、安易にあちらのやり方を導入する事には、賛成できない。
その問題ももちろん大事だが、それよりも、「死んでも、人は生き返る」などと、本気で信じてしまっている子供たち(今の中学生は、子供といえるんかなあ)の問題の方が、先決ではないか?
だって、もし彼等がそのままの精神状態と社会の把握の仕方で、大人になったときの方が恐いではないか?
まあ、浮上する問題点に、優先順位をつけるのは容易なことではないけどね。

1月24日
やばい。
喉があまりに痛くて目が覚めた。
調子悪いんかなあ。

出勤準備をしていたが、喘息気味の発作で咳き込んで、動けなくなる。
ごほごほ。

結局、咳き込んで苦しんで、昼過ぎに漸く出勤。
やるべき事がたくさんあるのに、困ったなあ。
同僚には、「大丈夫ですか?」と言われるが、「なんとかなるでしょう」と、とりあえず「もし風邪だったら悪いから、うつらないようにうがいしてね」と謝る。

おそく出勤してしまったので、少し遅くまで仕事を続ける。
それから、家に帰って、軽く御飯を食べて(といっても喉が痛くて柔らかいものしか入らないので、スープ系)、泊まりの準備。

そう、今は祖母の家である。
なかなか行ってあげられないけれど、なんとか今月は4回泊まることにした。
明日は、最近すっかり秘書状態になった母の料理教室の新年会である。
まあ、ただで美味しいものを食べさせて頂けるのだから、文句は言いません。

裁縫道具を借りて、祖母がお風呂に入っている間に襟と衣紋抜きをつける。
明日は、天気が持ちそうなので、着物を着ることにした。
もちろん、祖母も母もである。

あまり遅くまで起きていると心配されるので、お風呂を先にいただき(といっても、私がお風呂に入っている間に祖母は寝てしまったが)、とりあえず今日は休む。
喉が痛いのが、少しはましかなあ。
朝に、仕事するかあ。

2005年02月04日

京都雪地獄

2月3日
雪騒動と体調が熱っぽい中、無理してレジュメを作成し(ってもっと前から用意していれば問題ないからこれは言い訳に出来ない)、気力で乗り切っていたせいか、朝がしんどい。
でも、今日も仕事があるし、昨日、本来雇われている時間に自分のレジュメ作成に当ててしまったので、振り替えて仕事を規定時間より多くして返さなくてはいけない。
しかし、昨日の天気予報よりも深刻に感じられる「京都府南部」の予報。
曇りと雪マークが付き、降水確率は50%を越えている。
昨日の過ちを繰り返さないために、同僚にメールするが返事がない。
とりあえず、時間に余裕を持って家を出る。

京都線もいつも通り、バスもいつも通りに乗れて、桂駅周辺は少しみぞれまじりにしぐれているものの、雪なんて何処にもない。
うーん。
バスも時間通り運行して、到着するが、さすがに、いつも降りるバス停になると、日陰になる方はまだ積雪と凍結が・・・
でも、昨日に比べると余裕でましなので、いつも通りに出勤できた。

なんやろね?
それでも、本日も積もらないが午後より雪が断続的に降り続く。
今日は、会議があって、帰りが少し遅くなったが、雪の影響は全くない。

考えてみれば、私が小さい頃(中学生ぐらいまでかなあ)は、阪神間であっても毎冬、雪が降り、毎年小さいながら雪だるまを作っていたし(寒いから降り積もった雪を家屋の玄関口まで持ってきて遊んで、水浸しにして怒られたなあ)、テニス部にいた頃は、霜や積雪対策に融雪剤を常備し、まいたこともある。
ウィンタースポーツ(スキーとか)をしない私は意識していなかったが、いつの間にかこの辺りは雪も降らない地域になってしまい、それが「暖冬」のせいにされなくなってきていたように思える。
暖冬、暖冬と毎年いっているうちに、あるラインまでは「これが平年」と温度が高く設定されるようになったのではないだろうか?

そして、ちょっとおかしいんやないの?と思うニュースが。
共通一次、センター試験の時期はいつも寒いという。
そして、その後に来る大学受験の時期も寒いという。
(新潟中越とは積雪量は比べものにならないが、政府や地域の対応も違うので・・・。
阪神淡路大震災が起こった1月17日からすぐ、雨よりも先に一部の地域では雪がちらついた。文明機器が発達した生活になれていた多くの人たちが突然抗えない寒い思いをした・・・)
毎年のように、雪による会場への到着遅延に対する「他の受験生と差がつかないように」と特別配慮がなされている。

しかし、だ。
予期できないほど突然の大雪ならともかく、毎年これだけ言われているのなら、雪が降りそうな地域で受験される方なら、かなり時間に余裕を持って行かなくてはという配慮は、マニュアルとして踏襲されるべきであろう。
情報社会でなんでもマニュアルにする時代なら、なおさらそれぐらい常識?として予測して行動して当然やないの?

でもまあ、今回の私のケースのように、過去の経験がありながら、1日違うケースになると油断して、結局これまでと同じ過ちを踏んでいるのであるから、まあ上記の発言は、自分の戒めとそうなりたいという気持ちである。
啖呵を切って、すまない。

今回驚いたニュースはそうではない。
いくら新幹線の種類が豊富になり、泊まる駅がまちまちになってややこしくなったからといって、受験目的地を通過した事に気付き、車掌に直訴(というより泣きつき?)。また、それを聞いた車掌が、周辺で通過するべき駅に臨時停車をして、その受験生をおろし、引き返して時間に間に合ったと言うニュース。
JR側が「例外中の例外で、停車駅を確認して乗車して欲しい」との見解をニュースで報じてが、ちょっと待ってや?
大雪などの災害や予期せぬ事故などで、ある方向に向かっていく人々全員が巻き込まれて時間に間に合わないという事態には、不可抗力があるかも知れない。
けれど、今回はその受験生一人(だよね)の問題であって、それは本人のポカミスやろ。
たとえば、近所に住んでいる人が寝坊して、時間に間に合わないあるいは一駅や三駅ぐらいだけど、乗るべき時刻の電車に乗り遅れたからって、公共機関がそんな配慮してくれますか?
あるいは、病人という非常事態ではなく、個人の私的問題にてごてて出発を遅らせる事件があれば、それは罪になっているんやないの?
「妨害」という名の下で。
で、なんで受験生は例外なん?
停車する駅をチェックしなかった、あるいはうっかりして目的駅に停車しない特急みたいのものにのってしまったので遅れましたなんて、「あほちゃうん。遅れたんはあんたのミスやろ」場合によっては、「責任は自分でとりや」というのが当たり前なんちゃうん?
車掌がとても人情派と持ち上げれば、「ええ話」とすまされるか知れんが、ひねくれ者の私からすれば「受験生ってそんなに偉いん?新幹線のタイム・テーブルに影響もなかったという結果論で許されるんか?」と悪態をついてしまう。

はあ、歳とったんやろね。
せやけど、それが「今だから」とか「時代が変わった」からということで自分を納得できない変な世界と思うのは、過去に固執した頑固婆(砂かけ婆?)の戯言か??
やはり、ぼやきなんかなあ。

2月2日
侮るべからず日文研・・・の周り。
誤解あるなあ、侮るべからず気候と地形だな。

昨日のことがあり、今朝は早く起きて、用意をして、快晴の空を見上げて「よし」と思ったところへ、日文研の近くに住んでいる同僚よりメール。
「すごい雪です。バスはなんとか動いていますがチェーンを装備」といった内容。
朝早いもう一人の同僚は、自家用車が出せず、バスに乗ったが、20分でつくところが1時間10分かかったとか。
びっくりして、とりあえず用意をして駅へ。
こっちは快晴で、何の問題もないし、いつもの通り、乗り換えのために京都線のホームに向かうと・・・がーん、京都線は雪のためにダイヤが乱れている。
とにかく、一番早く桂につく電車に飛び乗り(床がなぜかびしょびしょとその時は思った)、本を読みながらも窓からさんさんと差し込む日光が続くので、時折外を見るが、雪なんて見えない。
茨木に近くなってなんとなくあれは雪の名残?と思ううっすら白いものを感じ、高槻を過ぎると、「あ、積雪が・・・」と思う。
桂駅に着くと、薄暗くて、小降りとはいえしんしんと雪が降っている。
「やられた」と思いながら、バスの本数が多い方(市バスと京都交通の両方が乗り入れている方)のバス停に行き、並ぶと、バスもダイヤがメチャクチャ。
とりあえず、今日はどうしても仕事があるので行かなくてはいけないので「最悪、タクシー??」と思っていたが、とんでもない。
いつも「迷惑」と思うぐらい長く連なっているタクシーが一台もいないどころか、逆にタクシー乗り場に行列が・・・
バスも遅れているので、団子になって来るのでそれに乗る。
バスも徐行しているが、道自体が既に渋滞。
とろとろ進むバスに乗っていると、だんだん晴れてきた。
しかし、目的地の山は雪雲がかかり、その風貌すらかすんで見えないので、これまでの経験からして絶望・・・
結局、50分かかって漸く出勤。
10cm以上は軽く積もっているなあ。

それからも、1日降ってはやみ、やんでは降る雪と、プロジェクト室が北側のため窓の外が亀岡や嵐山に通じる山の斜面であり、真っ白になった地や雪化粧した木々を見て「大丈夫かなあ?」と心配をする。
今日は、17時半頃からゼミ形式をとった自主研究会のようなものがあり、その報告者が私であったのだ。
でも、断続的に降る雪は積もりそうな雪質ではなく、なんとなく、雪が溶けているような気もしないではない。
確かに感じるのは、雪が降っていてもこれ以上積もることはないということだけで、溶け出した雪の凍結などは予想も出来ない。

しかし、先生は私の報告を決行し、雪のなか幾人かの人にお付き合い頂き、貴重な意見を頂いた。
後かたづけをして、とりあえず、同僚とタクシーで分乗して帰ることにして、「タクシー来るかな?」と電話をするとすぐに来てくれるという。
ラッキーと思って、私は最終的に駅だが、日文研から桂駅の間に住んでいる同僚の近くを回って(雪が凍って滑ると危険だし、暗いし)帰ることにした。
よかったね、など、話し合いながら帰る道すがら、桂坂から9号線(ローカルですまない。要は山から下りていく緩やかな坂の途中)に向かうに連れ、日陰にうっすら白いものが残るくらいで、すでに雪は溶けている。
いやいや、帰るときは確かにまだ10cm近く積雪していた。
雪がないのは、車や人が通行する道の真ん中だけだったはずだが・・・
駅周辺については、道路は濡れているものの、雪の名残など全くない。

じゃあ、なんで昨日は阪神間や大阪が雪で、こっちが快晴やったんよ?
結局、雪に負けた・・・

2月1日
あれ、気候とはへんなものである。
昨晩の夜中から雪が降り出し、朝5時前ぐらいに、強風でがたがたなる雨戸の音で驚いて起きてしまった。
そっと、外をうかがっても雪はやんでいるようだが、2階から見ると屋根屋根や庭が、真っ白に薄化粧している。
それを、風が粉を巻くように吹き上げて、一瞬雪がまだ降っているような錯覚を起こす。

今日は、月参り。
出勤は午後からにしていたが、仕事が出来ていないので、起きてしまったついでに、階下に降りて、あまりの寒さにびっくり。
特に、前も書いたが2階はエアコンなので、上に暖かい空気が行っても、足下は寒い。
思い切って、掘り炬燵とガス暖房を入れて、顔を洗い、二階に上がって服を着替え、仕事の出来る用意をもっておりる。
いやあ、炬燵って優れているね。
一時、背骨のゆがみや骨盤のゆがみをさらに進行させるとして、通っていたカイロプラティックの先生に禁止され、なくなく炬燵=床生活をあきらめて、椅子生活に移行したことがある。
でも、ただでさえ末端冷え性の私は、足先が冷たくて、いつも寒かった。
それでも家が狭かった上、どんどん荷物が増えてしまい、その空間の狭さでなんとか乗り切っていた。

祖父母の家は、掘り炬燵である
いわば、椅子に坐っているのと同じである。
違うのは、立ち上がるのが、床からなので大変ということだ。
晩年の祖父が一番大変だったのが、掘り炬燵から立つことであった。
椅子なら、机に手をついて90度ほど腰を上げてもいいが、掘り炬燵はそういかない。
まず、おろしている両足を腰と同じ高さである床に引き上げ、それから、まったく平板な床から直立しなくてはならない。
それを気遣って、ダイニング・セットを購入し、かなり早い段階から椅子生活に移行させようと親戚で企てたが、長年慣れしたしんだ掘り炬燵の居間につよい愛着を持ち、とうとう最後まで言うことを聞かず、掘り炬燵の居間で過ごしていた。
亡くなる2週間ほど前まで、居間とトイレやベッド・ルームを行き来していたのだから、たいしたものである。

まあ、それはいい。
床の上に簡単における炬燵セットである。
広い場所を求めて引っ越したのであるから、ダイニング・セットをおいても、まだリビングに余裕がある。
5月に引っ越したので、余裕のある空間には、実家から連れてきて、狭かった以前のマンションにも無理矢理おいていたソファを置き、ゆとりの空間を作り、友達が来たら、ちゃぶ台を出して、二つのテーブルを使ってのびのび?と時間を過ごしていた。
だが、冬を迎え、暖冬なので侮っていたが、寒波が来ると耐えられない。

これまでは、狭いDKなので、そこで料理をするだけで部屋が暖まったし、暖房も少し入れればすぐに暖かくなって、切っていた。
しかし、以前より広いという代償に、料理をしても部屋が簡単に暖まらない、暖房のききも悪くなり、光熱費が跳ね上がった。
そこで、開き直って実家に返していた炬燵を運んだら、感動した。
よほどの寒波(今日のように)でない限り、炬燵で足を温めると、他の暖房を入れなくても平気なのである。
たしかに上着としてフリースにカーディガンという厚着はしているが、それでも炬燵だけで十分。
結局、足が温まり、あと首もとなどを冷やさないようにスカーフやタートルなどで工夫をすると、そこにいる限り体感的に寒くない。
寒いのは、トイレやお風呂に入る直前のわずかな時間だけである。
整体はお風呂上がりに素人仕込みのヨガもどきや軽いストレッチで筋肉を伸ばしてごまかしている。
というより、カイロプラティックに下手に通ってしまったために、ずーっと通わないといけないように感じるようになったと思う。
別に整体を批判しているのではない。
正しい骨格の位置に直すことで、いい方に向かっても、悪い方に向かうことはないであろう。
実際、肩はぱんぱんに張るし、腕を上げるとばきばき鳴るし、腰痛もあるし、スカートは歩いていると廻るし、靴底の減りはちんばだし、仰向けに寝転がると自分でも「ゆがんでいる」と思う。
肉も筋肉もはぎ取って、ばしっと組み立ててもらえるならしてほしいと、切実に願うときも多いが、いかんせん、生活習慣的に、治療をしてもらった後、先生が要望するような身体第一の生活をしようと思うと、私は喰っていけない、すなわち生活が成り立たないのだ。
ということは、(今のように)次回の治療費も払うことも出来ず、結局何にもならないのだ。
なので、早く療治と自分の生活スタイルを両方手に入れられるような定職に就きたい。
はああ・・・
稼ぎがないと、整体に限らず、医者に行けないんだよね。
なんだか、矛盾した気持ちになるときもあるが、現実は変えられない。

話がそれた。
そんな愚痴は私の愚痴だ。
それより、今日驚いたのは、気候が予測できないことだ。
実は、こっちが雪が降り、朝になっても雪が残り、強風がそれを巻き上げている状況を見て、「今日は朝一で日文研行かなくてラッキー」と思っていたのだ。
日文研は桂坂という桂駅から山の方に向かって早くて20分かかる山の麓にある。
朝、阪神間や梅田で快晴で暖かくても、桂駅に着くとなんだか寒くて、さらにバスでたどり着くと吹雪などという目に何度もあっていたからだ。
それで、お坊さんが帰って、昼休み頃にふんふんと京都向かうが、雪がない。
こっちも晴れていたので、「昼になって雪が溶けたんやな」などと思って、出勤し、「今朝大変だったでしょう?」とちょっと得意げに言うと、「何ですか?」と反応された。
あれ??
聞くと、この辺りは雪なぞふっていない。
強風で冷えたことは冷えたけれど、いつもと変わらないとのこと。
どういう事?
と、仕事をしていると、午後遅くなって、雪が降ってきた。
「オガワさん、もしかして雪雲と一緒に来ました?」と雪女疑惑をうける。

雪は、すぐにやんで「なーんだ」と思って帰宅。
ただ、あまり寝ていない(薬を飲んだ上に眠れないという意味ね)のでなんとなくだるい。
明日のレジュメも出来ていないけれど、だるくてダウン。
明日早く行って、仕上げなきゃ。

2005年02月14日

迷惑メールに切れる

2月13日
連休が潰されて、さまざまな事柄に振り回されて怒髪天!
だったが、あまりの頭痛と理不尽さに昨晩、一人わんわん泣きながら薬で寝てしまい、朝はぼうっと腫れた眼で起きる。

これほど、眼が腫れて、身体が浮腫み、熱っぽく、しかも失神したように8時間!!眠っていたのだから、記憶が飛んだ。
すなわち、荒療治ながらかなり落ち着いたと言うことである。

金、土に行こうと思っていたNOVAにやっと通い、しかも開き直ったのか、いつもの「先生からのコメント」のカウセリングも笑ってすまし、明日のヴァレンタインのチョコを買いに、少しばかりうろうろする。

朝から、映画も見たし、夜は録画により映画は見られないが、ちゃんと料理もして(っていっても、この程度のお料理はいつもしているのだが)自分のために時間を使う気持ちを取り返す。

でも、本当はかなり無理をして嫌なことを忘れようとしたために、昨日より、突然言いつかった仕事の電話の内容すら、忘れてしまった。
どないしよう?
明日、出勤して、言い訳して仕事内容をあらためて聞いて、叱られながらするしかないなあ。
全然、覚えてない上、メモすら紛失してしまった。
同じようなポカをもう一つ。
珍しく、駅までチャリで行っていたのだが、帰りにすっかり忘れて徒歩で帰宅。
家にたどり着いて、ポケットのチャリの鍵に気がつき、徒歩で駅前にもう一度引き返す。
チャリを乗って帰宅しながら、「やっぱりいかれてるわ」とため息。

今週末は、エノケンの映画を2本見る。
あらためて、エノケンの偉大さに感動。
おもろい!
他に、やくざ映画も見る。
現代劇も見る。
本当は、来月の発表のために別のモティーフを見ないといけないのだが、勘で?手当たり次第映画を見たら、全く外れたが、別のテーマにたくさん出会う。
まあ、見ること自体肥やしになるのだから、無駄な時間とは言わないが、でもね・・・
発表に間に合うんやろか?

2月12日
あまりに腹立たしきことありて、頭痛す。

ほんまに、近年珍しいぐらい頭に来た。
しかし、あまりの不快のことゆえ、文章にするのも腹立たしい。

腹がたつを、「頭にくる」とも表現するよね。
まさに、頭にきた。
それを、簡単にぶちまける「むかつく」なんてレベルではなし。
理不尽で、しかもややこしい関係ゆえ、どこにも吐き出し口を持って行けない。

私は、あほなので、基本的に多少のことでも怒らない。
というより、事の本質に気付くのが遅いため、「へらへら」しているのが事実である。

まあ、その私が「どついたろか」といきり立つ出来事ありて、しかもどうしようも出来ず、とうとうひどい頭痛に陥った。
耐えられない頭痛。

いてもたってもいられない。
と思って、これだけでも文章化して気持ちを落ち着かせようとしていたのだが、駄目だ。

今年になって急激増えた、詐欺まがいメールである。
どこかのサーバーを利用して未払いだの、仮登録だの、退会をせよだのとあれこれ迷惑メールが携帯に入り、「最終警告です」など、脅迫めいたことおびただしい。
昼間に入ればいいが、こんなに絶望して、頭痛を起こし、体調まで崩している夜中に、また「ブラックリストに入っているので、今回だけ、特別にお客様にお知らせします。退会手続は以下のアドレスにアクセス・・・」などと書かれていると、むかついた。
腹立たしいを、超えた。
それでなくても、ストーカーやもう死滅したと思われるわいせつ電話に悩まされ、今回は無差別の迷惑メール。
ああ、私のプライベートは保護されんのか?

しかも、迷惑メールを確信するのは、時々驚くほどうっかりした事を書いているからである。
たとえば、「由佳より。お友達になりたいの。由佳の写真は以下にアクセスして」とか、「男性会員である貴方がご利用になられたサーバーが仮登録であるので、正会員にするか退会にするかいずれにせよ以下にアクセスせよ」など、誰が男性やねん。
二つ目はあまりにうっかりなので、一笑に付したが、1つめは周りの知人にも来るらしい。
見解が一致したのは「○○子」という名前がないこと。
すなわち女の子の名前に「子」をつけるのが、既に時代遅れであり、もし、「○○子」ですなんてメールが来たら、即「うわ、ばばあ」と思われているのでは?という事である。

いずれにせよ、ただでさえ迷惑する「迷惑メール」が、常識的時間外に入ってきて、その着信音でさらに気分を害するのであるから、相手はどうもぶち切れてうっかりアクセスしてしまうのを、待っているのか?

さもしい世の中である。
絶望して、眠られず、ちょっと多めに服薬するしかないか?
気狂いそうやわ。

2月11日
チャールズ皇太子っていくつ?
と言うほど、老けて見えてただ唖然。

週末にならないと、家の雑事が出来ないのが悔しい。
普通の人なら、家事も仕事も両立していはるんやろうなあ。

おまけに、母から不吉な連絡が。
なんだか、嫌な予感の1日。

橋蔵の「風の武士」を見ても、こころ集中せず。
なんでや?

2月9日
ちゃんと復帰して、朝から出勤。
いろいろ仕事が溜まってしまって、大わらわ。

今日は総研大の入試。
それに、月曜日から国際シンポジウムが開催されているので、空気がいつもと違う。
今日私が受験者だったら、絶対落ちていたやろうな。
まあ、それは審査する先生方が決めることやけれど、私が受験に来たときは、日文研は閑散としていて、ほとんど誰とも会わなかった。
こちらはこれまでの大学入試の感覚があるので、受験の日は院生も登校禁止なんかなあ、と勝手に思っていた。
でも、今日みたいに、国際シンポで人が多いだけでなく、海外からの研究者がうようよしているのに遭遇したら、面接の前にびびってしまい、「あかん、場違いなところに来てしもうた」と臆してしまうやろう。

今日は一日大人しく黙々と仕事をする。
どうしても、先生に質問があったのだが、昼休みに一瞬捕まえて「忙しいですよね」と言うと、「出来るんだったら、自分で判断して」とやはり無理。
困ったなあ。
この仕事は、先生のご厚意で1月から臨時で増やしてもらった(つまり収入を増やしてもらった)ものなので、それ以前までどういう流れで来たのかよく分からず、全体像を把握できていないので、判断しかねる。
明日は出張って言うてはるし、とりあえず、同僚にでも相談しようか。

2月8日
午前中だけ出勤しようかと思ったが、体調すぐれず断念。
午後から日文研フォーラムがあるので、昼過ぎに烏丸にある会場に向かう。
これは、一般の人向けのフォーラムなので、わかりやすく聞いていて楽しい。
定員50名のせいか、無料のためか、満席である。
ほとんどが、中高年という、年齢の高さ。
生涯教育の影響なのか、日文研という京都の一部の間でのネーム・ヴァリューのおかげか、それとも地域的に関心事が高いのか?
オーディエンスを見ながら考える。
他のこういうフォーラムや講演会をあまり行ったことがないので、一体どういう人たちがどういう理由のもとに参加するのか興味がある。
カルチャーセンターや大学が夕方などに設けている生涯教育向けの連続講義なら、有料であるのだから、お金を払ってでも参加したい人が応募するから満席でも納得する。
無料の場合は、無料だからこそ集まるのか?

それにしても、日文研の先生方の知識の豊富さには、本当に脱帽する。
もちろん、これまでお会いした他大学の先生方や研究者に対してもそう思う。
以前、総研大で日文研受け入れの第一期生である先輩が「高レベルなので、こっちも毎日背伸びしているから、足がつりそうになっていた」と冗談を言ってはったが、その喩えはよく分かる。
まあ、私のようなアホは、もう背伸びしても届かないから、ただただ圧倒されるだけなのだが。
私は、とても運がよくて、大学時代に巡り会った内田師匠(先生には不幸でしたね)から始まり、今でもお世話になっている日文研の先生方、また先生方にくっついて、ご縁あって巡り会えた研究者が本当に素晴らしい人たちが多い。
同僚に対してもそうである。
いつもいつも、教えられることが多く、感謝しているのであるが、時々「これだけの先生方に指導を受けているのに、全く学習せず、進歩しないのは申し訳ない」と場違いな人間であるのでは?と落ち込むときもある。
素質あらへんのかなあ。
精進をせねば。(詰めが甘い、基礎体力がないとは、もう10年以上言われているのに・・・)

フォーラムの後、先生方やスタッフで懇親を兼ねてお茶を飲みに行くので「どうですか?」とお誘い頂いたのだが、残念ながら今日もお稽古。
また日文研にてご指導頂きますと辞退して、今日もまた御影にゴー!

昨日が前シテのお稽古だったので、今日は「後シテ」。
昨日よりも早く到着したが、今日も夕方が混んでいる。
前回、「だいぶんましになった」と言われたが、今日は所作事(長刀の扱い)が出来ていないとこっぴどく叱られ、同じ所作を何度も何度も繰り返し稽古させられる。
つまり、身体で覚えろ!という型の繰り返し稽古なのであるが、やればやるほど、焦ってしまいどうしてもうまくいかない。
他の方々もお稽古を待っていはるのに、ただでさえ時間のかかる私がさらに時間がかかってしまい、申し訳ない。
一進一退と言うところか。
お稽古が足りないと言えば、そうなのだが、やはり能楽を舞うには、まだまだ未熟なのもあるだろう。

それでも昨日よりは早く20時前に終わりました。
ありがたいことに、私のお稽古に付き合って下さった内田先生に、私の後になってしまったので、遅くなってしまったウッキーと一緒に駅まで送ってもらいました。
ありがとうございます。
わーい、BMVに乗せてもらえる。
後部座席に乗ると、「オガワさん、後ろに乗るのは君が初めてだよ」と言われ、
「そうなんですか?そうしたらアホがうつるかも知れませんね。どうしよう、アホシートになったら」
「やめてくれよ、なんでそんな不吉なこと言って、俺を呪うんだよ」
と、露骨にいやがられる。
すみません。

せやけど、言い訳。
大阪では「あほ」って不吉なことやないんですよ。
「あほになれる」ちゅうのは、ある意味褒め言葉でもあるんです。
「馬鹿」はあきませんけど。
もう10年以上も関西にいやはるんですから、汲み取ってくれませんやろうか?
え?私が言うからほんまもんの「アホ」という不吉にしかとられへんて?
そ、それは・・・
弁解できまへん??

2月7日
昨日より、体調を崩す。
そんな事は言っておられないので、ちょっと遅れると連絡して、出勤。
週末の発表に関して、しばし同僚と話をする。
ついでに「ちゃちゃいれて、ごめんなさい」と軽率な発言に対して謝罪する。

ばたばたと仕事をして、17時にはお稽古なのでとっとと帰る。
遅れた分は、ちゃんと残業して埋め合わせます。

毎度ながら、遅くなってしまったので奥様に駅まで車で迎えにきて頂く。
嬉しいことに、昨年より少し社中が増えた。
時代は変化しているので、社中は有閑マダムが主流ではもう無理だ。
もちろん、いまだに能楽のお稽古を支えている大半が有閑マダムであることには変わりないが、その「有閑マダム」自体が、残念ながら減少している。
このままでは、能楽はもう維持できないのでは・・・という危機感の中、大変嬉しいことに新たなる稽古希望者出てきた。
仕事を持っている人たちである。
となると、平日のお稽古が大半であるため、どうしても皆さん、来る時間が遅くなる。
これまでは、私一人遅い時間にご自宅兼用のお稽古場にうかがって、大変恐縮していたのだが、最近はお稽古場についても、先生はまだ他の人の稽古を付けているので、ちょっとホッとする。
まあ、朝から夜遅くまで、だらだらと社中が来るので、先生にとってはご迷惑?かもしれませんが。

でも、普通のお稽古と違って私は今年は「能楽」のお稽古であるから、人一倍時間がかかる。
それでも、しっかり稽古を付けて頂き、今日は終わったのが21時前。
さぞ、お腹が空かれたことでしょう。
すみません。

よろよろとなって帰宅。

2月5日
今日は1日大忙し。
朝10時から、日文研の研究会に顔を出す。
私の敬愛する同僚の発表であり、またテーマが個人的に関心が近いところであるが、それは趣味的な範囲であって、学術的には全くの素人分野であるので、いろいろ勉強させてもらおうという魂胆もあったからである。
なるほど、なるほどと聞いていたが、全く主観的には「なんで?」とか「これは見当はずれかも知れないけど聞いてみたいな」という質問が出てきて、ディスカッションの時に、おそるおそる?質問をしてみた。

結果から言うと、今回の発表のテーマから外れていたが、さすが、ちゃんとその辺りも答えてもらい、いい勉強になりました。
だけど、主催である先生に「オガワさん、それは違うよ」とある一つの感想に対して、叱られてしまいました。
すみません、とんちんかんで。

いつもなら、この後、昼食に移動して、さらに議論?を続けるのであるが、今日はお稽古日。
まあ、いつも一緒に働いているので、来週にでも個人的に話をしようと思い、失礼して、一路、御影にゴー!

とても久し振りに内田先生にお会いして、噂のBMVを拝見する。
「これが噂のBMVですか。かっこいいですね」と言うと、
「シャコタンだぜ」といわはる。
先生、ものすごく久し振りに「シャコタン」という言葉を聞きました。
車に興味がある人は知らないけれど、もうそれって若い子には通じないのでは?

能特訓ではないので、今日は「ノチ」を、面だけつけてお稽古。
だいぶんとましになりました、とのコメント。
だって、前回こけたからね。
せやけど、また装束を付けると、危ないかもなあ。

2月4日
朝から今日も働いて、夜は後輩と飲みに行く。
この1月に無事、公開審査を終え、後は全体の会議を控えるだけの後輩と、ねぎらいをかねてホルモンを食べに行く約束をしていたのだ。

ホルモンを食べるのはどの辺りの文化なのかよく分からないが、とりあえず、私はまわりにも「げてもん食い」と言われながら、ホルモンが好きである。
(関西とか、九州とか、「もつ鍋」ブームの時にいろんな本場説が言われたけれど知らない)
それに、住んでいるところも結構ホルモン焼きの店が多いとこやしね。
お祝い(と言っても、貧乏だからおごってあげられないの、ごめんね、割り勘で)なので、滅多に人に教えない、とっておきの店に連れて行く。
ここは、むかし、親友に「絶対美味いと言わせてみせる」と連れてきてもらったところで、すっかりはまってしまったところである。

普段は、親友としか行かないし、実は、2週間ほど前も行ってきたところだったので、店に顔を出すと、「あれ?」と顔をされる。
理由は、予約を親友の名前でしか入れたことがなかったから。
「今日は予約聞いていませんけど?」というリアクションだった。
店の人にお願いして、本日のおすすめを教えてもらった。
親友と行くと、飲んでいる量の方が多いし、食べるものももう大体決まっているので、たまには違う人と来るのもいいものだ。
大満足していただけた。(よね?)

後輩の感想は「幅広いですね」と。
「何が?」と聞くと、「だって、たん熊にもいっているのに、ホルモンも範囲ですか」。
そういわれてみれば、そうだなあ。
でも、この店の常連は私じゃなくて、親友であって、私はいつもついて行っているだけだから。
美味しかったらええやん。
美味しいもの食べているとき、飲んでいるときが幸せやね。

2005年02月18日

待田京介はよいね

2月17日
なんともいえない気分である。

先週末の連休より私事で悩まされた事柄により、体調は今ひとつだった。
昨日より、夕方になると身体、特に下半身が浮腫んで、歩いていてもだるくなってしまい、どうも調子が悪い。
おまけに、昨晩遅くから咳が出始めた。

今朝も、激しい咳により目覚める。
咳の質からいって、どうも昨年春に宣告された気管支喘息一歩手前にかなり近い。
痰が絡んでこないが、喉の奥から「ごぼ」っというような咳が出る。

3日間連続でお稽古だったので、仕事が溜まっており、朝から頑張って出勤。
咳は止まらない。
昼過ぎより、身体が痛くなる。
嫌な予感だ。

気を紛らわしたく、同僚に「何が入っていた」と聞きながら、息子さんの容態もきく。
昨晩も高熱が出て、今朝、奥さんが病院に連れて行くとか。
まだ小さいから、高熱は心配である。
でも、お世辞でも息子さんもその食玩を握って遊んでいたと言ってくれて、嬉しい。

いろいろな仕事が同時並行に溜まりすぎて、頭混乱。
連絡を取るが、先方が不在であったり、うまくいかない。
おまけに、身体の痛みが、腰から背中に走る。
我慢できるが、トイレに行くと、ひどく咳き込んでしまう。
でも、お昼を食べられたから大丈夫かな、と思っていた。

そして、今。
家には体温計なるものがあるので、発熱は確実に証明された。
帰りの電車が耐え難くしんどかったので、覚悟していたが・・・

それでも今日、個人的にはとても嬉しいことがあった。
ここ最近の腐った気分を思えば、もう、涙が出るほど嬉しい事であった。
並行的に、やはり耐え難い体調の悪さと、大きな心掛かりになることが起こり、喜んでいいのやら、案じていいのやら、心痛があるのやら、どうにも表現しがたい。

ニュースを見て、いろいろ書きたいこともあるが、断念。
寝屋川の事件である。
見当違いだから、簡単に感想。
私は恩師や大事な先生が殺されたというショッキングな事件がないため、はっきり言って追体験は出来ない。
でも、私なりに辛いことがある。
幼稚園から、小学校に上がって、希望とそれを上回る不安を抱えた時に出会った1年生の時の担任の先生が居た。
素敵な女性で、母のようでお姉さんのように、私はなついていた。
翌年、転校されたしまった。
それから、数年。
小学校4年生の時(5年だったかな?)、新聞の3面記事に私の記憶には大きな記事を見た。
「親子無理心中」である。
顔写真があった。
1年生の時になついたあの大好きな先生であった。
実は、私は、先生が転校されてからも、覚え立ての字で葉書を送って、母の手を借りて文通らしきことを、途切れそうになりながらしていたのであるが、ある時から返事が来なくなった。
いつだったかは、覚えていない。
新聞の詳細もまた覚えていないが、離婚をめぐり、幼い息子と無理心中だったように記憶している。
ショックだった。
どうしていいかわからなかった。
新聞の写真は、あのころと全然かわっていなかった。
でも、それは、世界の違う、黒白の紙面でしかなかった。
そのころ、自分がどう対処したのか、覚えていない。
おそらく、成長して、先生の死の記憶以外は無意識的に記憶を消去したのだろう。
ただ、当時は、「カウンセリング」などはなかったことである。
精神的、メンタルにかかわることは、イメージ的に即「気ちがい」(差別用語なんですってね)だったので、タブーであったのだと思う。
年がばれますね。

もう、だめだ。
さっきから、咳と嘔吐、腹痛で、うろうろしている。
熱は下がらない。
でも、明日に絶対しなくてはならないことが・・・

普段の悪逆非道な行いに、嬉しい知らせだけで喜ぶことは許されず、代わりにそれ以上の苦しみで償えっていうことか。
ああ、思い当たることがあるだけに、今晩中、私が熱を出して、嘔吐して眠られなくてもいいから、他のことが生かされますように。

神の御名のもとに、アーメン。
(一応、ミッション・スクール出身)

2月16日
同僚に、しょうもないヴァレンタインのプレゼントを、日ごろの感謝の代わりにあげたが、目の前であけられるのは、相手が誰であろうと、少し気恥ずかしい。
お子さんの病気で、月曜日に用意していたのが、今日に遅れた。
いつも朝早く出勤するので、既にあけて「大笑い」してくれていることだろうと思っていたのだが、楽しみを後に取っておくタイプらしく、「家に帰ってから、開けるのを楽しみにしています」と言われる。
スタッフみんなであげたチョコや、子供さんにあげる駄菓子はそれでいいが、個人的にあげたものは、ちょっと奥さんの前で開けられるのが恥ずかしい。
誤解をしないでもらいたいが、何も、変な感情を持っているのではない。

同僚とは私と一つ違いであり、実は兄と同じ年齢。
私は、小さい頃から兄にひっついていつも遊んでいたから、意識して女の子同士で遊ぶようになるまでは、小さい頃は兄と同じものばかりで遊んでいた。
同僚の奥方は、私も存じている。
私よりも年下だと思うが、とてもしっかりしていて、魅力的な人だ。
私の記憶が間違いないとしたら、彼女は女姉妹で長女だったように思う。
ああ、くどいなあ。
自分でも嫌になる。
すなわち、子供の頃にあこがれたヒーローものやアニメ、見ていたTVなどが、同僚と私はほとんど同じなのである。
奥さんは、女の子の環境で育っているので、少しばかり違うらしい。
まあ、私の場合自主的に見ていたのではないことは、先に書いたとおりだが。
で、何をあげたかというと、コンビニで売られている食玩である。
これまで、よく昔話に花を咲かせて、時にはマニアックなヒーローものについて語っていたのであるが、食玩の話は聞いたことがない。
私も、食玩がこのように流行るまで、ついぞ知らなかったのであるが、今年の1月、知り合いの先生を通して、このようなグッズが流通していることを知った。
世間に疎いものである。
まあ、食玩は安いし、マニアにはちょっと刺激をもたらし、そうでない場合は、笑ってすませられるだろう。
そういう、いたずら心で「ウルトラマン」(の敵)シリーズ(中には、何が入っているのかは私も知らない)を、用意していたのだ。
全然、知らない奥方であれば、「変な人と一緒の職場なのね」で、すまされるが、ちょっとは顔見知りであるだけに、「そんな変な人やったの?」と思われるのも恥ずかしくて、
「ごめん。全然しょうもないもんやし、恥ずかしいから一人で開けて」と頼んでしまった。
相手は、中身が何か知らないから、「だったら、昼休みに開けさせてもらいます」と言われ、気恥ずかしい思いをしたのである。

結果的には、うけてくれて(ありがとう!)、箱の中身は家で開ける楽しみにするので、明日報告すると言うことで、終わった。
食玩も知らなかったらしく、私はまわしものではないが、「いろいろあって面白いよ」と言ってしまう。

でも、子供さんがまだ熱が下がらないそう。
心配やねえ。

今日も、お稽古なので、そうは言いつつも、17時過ぎに日文研を後にする。
今度の日曜日にある内輪の新年会で、装束をつけて本番のリハーサルを兼ねて舞わなくてはならない。
それまでの、最後のお稽古日。
遅くなってしまったので、通しでするが、面も装束も付けない。
その代わり、両足に1kgずつの重石をつけて、訓練としてさせられる。
昨日の注意事項と、当たり前だが足が重たいのとで、ごそごそして、また叱られる。

家に帰ったら、ちょっと疲労。
またもやビデオを見て、今日もワクワク。
待田京介という役者を御存じだろうか。
私の、ひそかに好きな役者さんの一人なのである。
彼は、私が見た映画の限りでは、主役ばかりはるようなスター役者ではなかったが、脇役では抜群にかっこようて、目をひいていた。
もちろん、無名の大部屋俳優でもない。
いわば、オールマイティの脇役とでもいうかな。(実はよく知らない。スクリーン上の記憶だけである)
私が彼に出会えるのは、まだまだみている本数が少ないので、主に60年代に流行る任侠ものが多い。
いいんだなあ、これが。

あれ、先ほどから、だんだん咳が激しくなる。
困ったなあ。

2月15日
能特訓日。

昨晩、遅かったので、私にしては遅めに起きた。
まだ、祖母は眠っているみたいなので、しずかに居間を温めて、寝室横のトイレに行こうとしたら、「なおちゃん?仕事しているの?」と声がする。
「いや、先ほど起きたところです」
どうしたのかな、と思うと、昨晩はよく眠られなかったらしい。

祖母は、祖父が亡くなってから暫く眠れなくなったというので、寝る前に睡眠薬を飲むようになった。
睡眠薬にはいろいろな種類がある。
不眠の私が言うのも変だが、人それぞれ状態や体質によって、同じ睡眠薬でいいわけがない。
いまだに薬に頼らないと眠られない私が言うと、矛盾しているやん、と言われるのは承知である。
しかし、私もこれまでの間、睡眠薬は何度も変わっている。
きっと、主治医が私にあっているのであろう、症状に応じて変えてもらっているので、これまでひどい副作用が出たり、弊害が出たりしていない。
「ひどい」のがないだけで、副作用がないとは言わない。
睡眠薬に限らず、薬物を服用する以上、それは異物であることには違いないのだから、絶対に副作用はあると思う。
だから、薬王国に対して賛同できない気持ちがあるが、矛盾しているが、現在私は薬をやめるわけにはいかない。
徐々に、抜いていくしかない。

こんな説得力のない話はどうでもいい。
祖母の飲んでいる睡眠薬に、私は賛成できない。
眠られないことも否定しない。
何日も眠られない苦しさは、嫌と言うほど知っているから、せめて違う種類の薬に変えた方がいいと思う。
しかし、祖母のかかりつけの医者が「大丈夫」と処方するのであるし、医者でも薬剤師でもない私は、どうしようも出来ない。
昨日、祖母はめまいがして、調子が悪かったそうだ。
それは、毎日服用している睡眠薬が残っているのと、この温度差の激しい毎日のせいだと言われたらしい。
そこで、昨晩、寝酒の梅酒だけで、眠ることにしていたのだ。

本人は、「眠れなかった」と言っていたが、祖父がとても薬に弱い人だったので、自分でも薬に頼らないようにしようと思っているらしい。
朝ご飯を食べたあと、TVを見ているのかと思えば、うたた寝をしている。
うたた寝、昼寝が出来るのなら、大丈夫かな?

早めのお昼を一緒に食べて、私は夕飯を丁重に辞退して、母と能特訓へ出かける。
前シテの居グセの部分(といっても短いんだけれど)の所作が汚い。
どうしてもうまく動けない。
「工夫するように」と言われるが、洋服を着ているよりも、分厚い装束を着ている方が、中の動きがわかりにくいように単に思えるが、今日の私には、動きにくいので逆にちょっとした所作が目立つように思う。
難しいなあ。
後シテは、これまで下手にいろいろかじったことが災い。
今日は、太刀がうまく抜けなくてもたもたした。
理由は、下手に居合いを習い、また剣術をかじって木刀をいじったことがあるからである。
私がかじったのは、江戸以降の剣術に基づいた刀の扱いである。
だから、刃を上にして刀を腰に差し、柄には下から最短(最小?)で手をかけて抜く。
しかし、後は知盛の亡霊なのだから、太刀をはく。
芸能とはいえ、作り物の太刀でもその時代を背景にしているのだから、刃を下につけるのである。
だから、柄に手をかけるのもその仕様でしなくてはいけない。
それをうっかり柄に手をかけるのを下からにしたために、刀が引っかかったのである。
下手なことをしたらあかんなあ。

芸(武だろうと舞だろうと)は奥深い。

2月14日
ヴァレンタインである。
なんだか、商戦はますますエスカレートしているようで、海外(主にヨーロッパ)の有名ショコラティエが、来日して目の前で作るとか、やたら高級のチョコが売れているらしい。
自分のために買うだとか。

昨日も、お世話になっている先生と同僚に、研究室のスタッフで贈るチョコを私が代表して買いに行ったのだが、ゴディヴァなど、もう長蛇の列!
まあ、お金がある人はいいけどね。(ついでに並ぶ時間がある人も)

毎年、どんなチョコレートをあげようか、二~三週間前から、職員さんと盛り上がっている。
ちゃっかりしているので、先生にあげるついでに実は「試食」と称して、研究室用に(すなわち自分たち用に)購入して、お茶の時間を楽しんでいる。

今年は、久し振りに素朴な昔からある元町の一番館にした。
グルメな先生はきっと召し上がったことがあるだろうが、かなり前に昼休みに話しているときに、同僚が食べたことがないと言っていたので、独断と偏見で決めた。
職員さんは神戸出身だったし、私も小さい頃、両親あてに贈り物として届いたのを、分けてもらえるのが楽しみだった。
久し振りに、食べたいなあ、と勝手に決めたのだ。

残念ながら、同僚はお子さんが熱を出したためにお休み。
朝から、先生が来やはって「ヴァレンタインのチョコレートです」と手渡すと、恒例なので待ちかねていたご様子。
「これは誰から?みんなから?オガワさんから?」
「スタッフみんなからです」
と言いつつ、内心、「しもうた。私からも用意しとけばよかったかな」と思う。
先生、すみません、気がつかなくて。

先週から持ち越した仕事が溜まっていて、午前中に漸く片づけたと思ったら、昼頃に新たなる仕事の山が・・・
それだけでなく、別の先生のお仕事も手伝っているため、朝から電話が何度もかかってきて、混乱。
肝心の先生が、なんとヨーロッパに海外出張中。
とりあえずなんとか応対して、乗り切るが、こんなに把握していない仕事のことを電話で相手に失礼のないようにべらべら喋って「いかにも、その通り」と相づちを打っている自分が恐い。
口から先に生まれてきたんやろか?

仕事も途中なのだが、お稽古なので、定刻にあがって、また御影にゴー!
久し振りに、面をつけずにお稽古すると、視界が広がって、舞いやすい。
明日は能特訓日で、明後日もお稽古なので、きっと今日は時間も遅いし、おもてなしで動き・舞の稽古にしたのであろう。

家に帰ってから、お泊まり準備をして、祖母宅に行く。
夕食をいただき、お話しをしながらTVをみて、祖母が寝た後にゆっくりお風呂をいただく。
それから、ぼちぼち仕事をしていたら、夜中になってしまい、あわてて服薬。
はよ、寝な。

2005年02月22日

闘病記

2月21日
げほげほ。
ごほごほ。

週末より、3日間寝込んでしまっている。
木曜日の夜、発熱したが、解熱剤を飲んで、お風呂はやめて早めに寝た。
それで、いつもなら下がるもんやった。

しかし、咳がひどく、全身いたくて、何度も夜中に起きて、頭痛もひどい。
体温計を手に取ると、38度5分。
びっくりして、市販の解熱剤を飲み、2時間ほど寝て38度。
また解熱剤を飲んで、やっと37.7度。

ふつうなら、仕事を休むところだが、まさか、こんな事になるなど思わず、今日中に連絡しなくてはならないものなど、大事なものをすべて日文研に置いてきていた。
他の人にうつしてはいけないので、自分のものを取りにふらふらになりながら出勤。
2時間ほどいたが、昨晩嘔吐しているので、固形物を食べるのが恐い。
荷物を取って、そのまま病院へ直行。
インフルエンザではない、と言われて、ちょっと安心。
咳の薬を出されて、熱は市販の解熱剤でいいと言われる。
理由は、以前、抗生物質の解熱剤が効きすぎて、低体温になったから。

それから、土・日と、固形物はすべて嘔吐し、ビタミンや葛湯、生姜湯、はちみつレモンやリンゴのすり下ろし、などで喉を潤し、後は布団の中。
悪寒がひどくて、身体が痛い。

日曜日は、内輪の「新年会」で能楽を舞わねばならず、そのために、夕方の出番に間に合うように、家で養生していたが、よくなるどころか、熱は上がる一方。
とうとう、39度も越えてしまい、(40度になったら、救急車呼ぼう)と決意。
以前、効き過ぎた解熱剤に手を出すと、みるみるうちに熱は下がり、平熱に戻る。
しかし、胃腸は何も受け付けず、喘息気味になって、咳がひどくて、耳まで響く。
解熱剤は効果が切れるのもてきめんで、またすぐに39度に熱が上がる。
土曜日の夜に、39度を越えて、ぜいぜい言いながら母に電話し、「とりあえず、遅れていきます。本番でも、風邪を引く可能性もあるから。解熱剤を飲めば、熱は下がるし」と強がる。
本心は、まじである。
素人のお遊びとはいえ、これまで稽古してきたのである。
まだ、本番が控えているが、皆さんの前で実際に舞って、いろいろ意見を頂ける唯一の機会なのである。
残念ながら、日曜日の昼間も、ようやく38度6分にさがっただけであり、「もう、今日はお休みしてあきらめなさい」と電話で言い聞かせられる。
熱は、この解熱剤さえあれば、問題ないけれど、咳がひどくて謡が一節も謡えない。
咳き込むと全身がけいれんするほど痛くて、立っていられない。
よくよく考えると、老若男女皆様が集まっているので、うつすのもいけないし、断念。
内輪とはいえ、会に大穴を開けてしまった。
悔しい。無念じゃ。
自分でも、みんなの前で舞うのはいい稽古になったのに。

今朝も、朝方4時頃(1日中寝ていて、しかも身体が痛くて睡眠できないから、違反は承知で睡眠、誘眠、頓服を時間に関係なく飲んでいるので、サイクルがおかしい)起きて、37度6分に下がっているのに感動。
でも、7時半に耳鼻咽喉科に予約の電話を入れ始めたころから身体が痛くなって、診察に出かけたときは、38度を超す。

「インフルエンザではないし、扁桃腺も腫れていないけど、高熱が不思議ねえ」
と、言われ、「咳は、痰も少し絡んでいるし、喘息性のものだから、大きな深呼吸とかしないで、安静にして」
処方された喘息の薬にプラス、インフルエンザ用のカプセルを出される。
今はインフルエンザにかかっているのではないけれど、いろいろな型が流行っているので、予防を兼ねて、38度熱が越えたら一緒に飲むように、と言われる。

少しばかり、のどごしのいいものを食べて、薬を飲んでお休みなさい。
と言っても、横になると喘息って余計に咳が出るのよね。
つらい。

ごそごそ起き出して、今、少しばかり食べてみる。
今のところ、嘔吐はないけれど。
熱も37度4分。
ここまでくると、これでも、平熱ではないかと錯覚する。
明日は、能特訓日だったので、母に電話をして「熱が下がったから」と言うが、「先生にうつしても悪いし、明日は大事を取って養生して、休みなさい」と叱られる。
今は、だいぶんと楽になったんだけれど。
風邪は万病のもとというからね。

ここ数年、高熱出しても1日でケロッとなおっていたのに。
何年ぶりかなあ。
はあ、大事な日に倒れるなんて、また喘息性の咳に苦しむなんて・・
ほんまに、日頃の行い悪いわ。
みなさま、ぜひぜひ5月29日の大会は、見に来て下さいね。
これに懲りて、体調管理をしますから。
(といっても、なにも不摂生など思いあたらんねんけれど)

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