2月3日
雪騒動と体調が熱っぽい中、無理してレジュメを作成し(ってもっと前から用意していれば問題ないからこれは言い訳に出来ない)、気力で乗り切っていたせいか、朝がしんどい。
でも、今日も仕事があるし、昨日、本来雇われている時間に自分のレジュメ作成に当ててしまったので、振り替えて仕事を規定時間より多くして返さなくてはいけない。
しかし、昨日の天気予報よりも深刻に感じられる「京都府南部」の予報。
曇りと雪マークが付き、降水確率は50%を越えている。
昨日の過ちを繰り返さないために、同僚にメールするが返事がない。
とりあえず、時間に余裕を持って家を出る。
京都線もいつも通り、バスもいつも通りに乗れて、桂駅周辺は少しみぞれまじりにしぐれているものの、雪なんて何処にもない。
うーん。
バスも時間通り運行して、到着するが、さすがに、いつも降りるバス停になると、日陰になる方はまだ積雪と凍結が・・・
でも、昨日に比べると余裕でましなので、いつも通りに出勤できた。
なんやろね?
それでも、本日も積もらないが午後より雪が断続的に降り続く。
今日は、会議があって、帰りが少し遅くなったが、雪の影響は全くない。
考えてみれば、私が小さい頃(中学生ぐらいまでかなあ)は、阪神間であっても毎冬、雪が降り、毎年小さいながら雪だるまを作っていたし(寒いから降り積もった雪を家屋の玄関口まで持ってきて遊んで、水浸しにして怒られたなあ)、テニス部にいた頃は、霜や積雪対策に融雪剤を常備し、まいたこともある。
ウィンタースポーツ(スキーとか)をしない私は意識していなかったが、いつの間にかこの辺りは雪も降らない地域になってしまい、それが「暖冬」のせいにされなくなってきていたように思える。
暖冬、暖冬と毎年いっているうちに、あるラインまでは「これが平年」と温度が高く設定されるようになったのではないだろうか?
そして、ちょっとおかしいんやないの?と思うニュースが。
共通一次、センター試験の時期はいつも寒いという。
そして、その後に来る大学受験の時期も寒いという。
(新潟中越とは積雪量は比べものにならないが、政府や地域の対応も違うので・・・。
阪神淡路大震災が起こった1月17日からすぐ、雨よりも先に一部の地域では雪がちらついた。文明機器が発達した生活になれていた多くの人たちが突然抗えない寒い思いをした・・・)
毎年のように、雪による会場への到着遅延に対する「他の受験生と差がつかないように」と特別配慮がなされている。
しかし、だ。
予期できないほど突然の大雪ならともかく、毎年これだけ言われているのなら、雪が降りそうな地域で受験される方なら、かなり時間に余裕を持って行かなくてはという配慮は、マニュアルとして踏襲されるべきであろう。
情報社会でなんでもマニュアルにする時代なら、なおさらそれぐらい常識?として予測して行動して当然やないの?
でもまあ、今回の私のケースのように、過去の経験がありながら、1日違うケースになると油断して、結局これまでと同じ過ちを踏んでいるのであるから、まあ上記の発言は、自分の戒めとそうなりたいという気持ちである。
啖呵を切って、すまない。
今回驚いたニュースはそうではない。
いくら新幹線の種類が豊富になり、泊まる駅がまちまちになってややこしくなったからといって、受験目的地を通過した事に気付き、車掌に直訴(というより泣きつき?)。また、それを聞いた車掌が、周辺で通過するべき駅に臨時停車をして、その受験生をおろし、引き返して時間に間に合ったと言うニュース。
JR側が「例外中の例外で、停車駅を確認して乗車して欲しい」との見解をニュースで報じてが、ちょっと待ってや?
大雪などの災害や予期せぬ事故などで、ある方向に向かっていく人々全員が巻き込まれて時間に間に合わないという事態には、不可抗力があるかも知れない。
けれど、今回はその受験生一人(だよね)の問題であって、それは本人のポカミスやろ。
たとえば、近所に住んでいる人が寝坊して、時間に間に合わないあるいは一駅や三駅ぐらいだけど、乗るべき時刻の電車に乗り遅れたからって、公共機関がそんな配慮してくれますか?
あるいは、病人という非常事態ではなく、個人の私的問題にてごてて出発を遅らせる事件があれば、それは罪になっているんやないの?
「妨害」という名の下で。
で、なんで受験生は例外なん?
停車する駅をチェックしなかった、あるいはうっかりして目的駅に停車しない特急みたいのものにのってしまったので遅れましたなんて、「あほちゃうん。遅れたんはあんたのミスやろ」場合によっては、「責任は自分でとりや」というのが当たり前なんちゃうん?
車掌がとても人情派と持ち上げれば、「ええ話」とすまされるか知れんが、ひねくれ者の私からすれば「受験生ってそんなに偉いん?新幹線のタイム・テーブルに影響もなかったという結果論で許されるんか?」と悪態をついてしまう。
はあ、歳とったんやろね。
せやけど、それが「今だから」とか「時代が変わった」からということで自分を納得できない変な世界と思うのは、過去に固執した頑固婆(砂かけ婆?)の戯言か??
やはり、ぼやきなんかなあ。
2月2日
侮るべからず日文研・・・の周り。
誤解あるなあ、侮るべからず気候と地形だな。
昨日のことがあり、今朝は早く起きて、用意をして、快晴の空を見上げて「よし」と思ったところへ、日文研の近くに住んでいる同僚よりメール。
「すごい雪です。バスはなんとか動いていますがチェーンを装備」といった内容。
朝早いもう一人の同僚は、自家用車が出せず、バスに乗ったが、20分でつくところが1時間10分かかったとか。
びっくりして、とりあえず用意をして駅へ。
こっちは快晴で、何の問題もないし、いつもの通り、乗り換えのために京都線のホームに向かうと・・・がーん、京都線は雪のためにダイヤが乱れている。
とにかく、一番早く桂につく電車に飛び乗り(床がなぜかびしょびしょとその時は思った)、本を読みながらも窓からさんさんと差し込む日光が続くので、時折外を見るが、雪なんて見えない。
茨木に近くなってなんとなくあれは雪の名残?と思ううっすら白いものを感じ、高槻を過ぎると、「あ、積雪が・・・」と思う。
桂駅に着くと、薄暗くて、小降りとはいえしんしんと雪が降っている。
「やられた」と思いながら、バスの本数が多い方(市バスと京都交通の両方が乗り入れている方)のバス停に行き、並ぶと、バスもダイヤがメチャクチャ。
とりあえず、今日はどうしても仕事があるので行かなくてはいけないので「最悪、タクシー??」と思っていたが、とんでもない。
いつも「迷惑」と思うぐらい長く連なっているタクシーが一台もいないどころか、逆にタクシー乗り場に行列が・・・
バスも遅れているので、団子になって来るのでそれに乗る。
バスも徐行しているが、道自体が既に渋滞。
とろとろ進むバスに乗っていると、だんだん晴れてきた。
しかし、目的地の山は雪雲がかかり、その風貌すらかすんで見えないので、これまでの経験からして絶望・・・
結局、50分かかって漸く出勤。
10cm以上は軽く積もっているなあ。
それからも、1日降ってはやみ、やんでは降る雪と、プロジェクト室が北側のため窓の外が亀岡や嵐山に通じる山の斜面であり、真っ白になった地や雪化粧した木々を見て「大丈夫かなあ?」と心配をする。
今日は、17時半頃からゼミ形式をとった自主研究会のようなものがあり、その報告者が私であったのだ。
でも、断続的に降る雪は積もりそうな雪質ではなく、なんとなく、雪が溶けているような気もしないではない。
確かに感じるのは、雪が降っていてもこれ以上積もることはないということだけで、溶け出した雪の凍結などは予想も出来ない。
しかし、先生は私の報告を決行し、雪のなか幾人かの人にお付き合い頂き、貴重な意見を頂いた。
後かたづけをして、とりあえず、同僚とタクシーで分乗して帰ることにして、「タクシー来るかな?」と電話をするとすぐに来てくれるという。
ラッキーと思って、私は最終的に駅だが、日文研から桂駅の間に住んでいる同僚の近くを回って(雪が凍って滑ると危険だし、暗いし)帰ることにした。
よかったね、など、話し合いながら帰る道すがら、桂坂から9号線(ローカルですまない。要は山から下りていく緩やかな坂の途中)に向かうに連れ、日陰にうっすら白いものが残るくらいで、すでに雪は溶けている。
いやいや、帰るときは確かにまだ10cm近く積雪していた。
雪がないのは、車や人が通行する道の真ん中だけだったはずだが・・・
駅周辺については、道路は濡れているものの、雪の名残など全くない。
じゃあ、なんで昨日は阪神間や大阪が雪で、こっちが快晴やったんよ?
結局、雪に負けた・・・
2月1日
あれ、気候とはへんなものである。
昨晩の夜中から雪が降り出し、朝5時前ぐらいに、強風でがたがたなる雨戸の音で驚いて起きてしまった。
そっと、外をうかがっても雪はやんでいるようだが、2階から見ると屋根屋根や庭が、真っ白に薄化粧している。
それを、風が粉を巻くように吹き上げて、一瞬雪がまだ降っているような錯覚を起こす。
今日は、月参り。
出勤は午後からにしていたが、仕事が出来ていないので、起きてしまったついでに、階下に降りて、あまりの寒さにびっくり。
特に、前も書いたが2階はエアコンなので、上に暖かい空気が行っても、足下は寒い。
思い切って、掘り炬燵とガス暖房を入れて、顔を洗い、二階に上がって服を着替え、仕事の出来る用意をもっておりる。
いやあ、炬燵って優れているね。
一時、背骨のゆがみや骨盤のゆがみをさらに進行させるとして、通っていたカイロプラティックの先生に禁止され、なくなく炬燵=床生活をあきらめて、椅子生活に移行したことがある。
でも、ただでさえ末端冷え性の私は、足先が冷たくて、いつも寒かった。
それでも家が狭かった上、どんどん荷物が増えてしまい、その空間の狭さでなんとか乗り切っていた。
祖父母の家は、掘り炬燵である
いわば、椅子に坐っているのと同じである。
違うのは、立ち上がるのが、床からなので大変ということだ。
晩年の祖父が一番大変だったのが、掘り炬燵から立つことであった。
椅子なら、机に手をついて90度ほど腰を上げてもいいが、掘り炬燵はそういかない。
まず、おろしている両足を腰と同じ高さである床に引き上げ、それから、まったく平板な床から直立しなくてはならない。
それを気遣って、ダイニング・セットを購入し、かなり早い段階から椅子生活に移行させようと親戚で企てたが、長年慣れしたしんだ掘り炬燵の居間につよい愛着を持ち、とうとう最後まで言うことを聞かず、掘り炬燵の居間で過ごしていた。
亡くなる2週間ほど前まで、居間とトイレやベッド・ルームを行き来していたのだから、たいしたものである。
まあ、それはいい。
床の上に簡単における炬燵セットである。
広い場所を求めて引っ越したのであるから、ダイニング・セットをおいても、まだリビングに余裕がある。
5月に引っ越したので、余裕のある空間には、実家から連れてきて、狭かった以前のマンションにも無理矢理おいていたソファを置き、ゆとりの空間を作り、友達が来たら、ちゃぶ台を出して、二つのテーブルを使ってのびのび?と時間を過ごしていた。
だが、冬を迎え、暖冬なので侮っていたが、寒波が来ると耐えられない。
これまでは、狭いDKなので、そこで料理をするだけで部屋が暖まったし、暖房も少し入れればすぐに暖かくなって、切っていた。
しかし、以前より広いという代償に、料理をしても部屋が簡単に暖まらない、暖房のききも悪くなり、光熱費が跳ね上がった。
そこで、開き直って実家に返していた炬燵を運んだら、感動した。
よほどの寒波(今日のように)でない限り、炬燵で足を温めると、他の暖房を入れなくても平気なのである。
たしかに上着としてフリースにカーディガンという厚着はしているが、それでも炬燵だけで十分。
結局、足が温まり、あと首もとなどを冷やさないようにスカーフやタートルなどで工夫をすると、そこにいる限り体感的に寒くない。
寒いのは、トイレやお風呂に入る直前のわずかな時間だけである。
整体はお風呂上がりに素人仕込みのヨガもどきや軽いストレッチで筋肉を伸ばしてごまかしている。
というより、カイロプラティックに下手に通ってしまったために、ずーっと通わないといけないように感じるようになったと思う。
別に整体を批判しているのではない。
正しい骨格の位置に直すことで、いい方に向かっても、悪い方に向かうことはないであろう。
実際、肩はぱんぱんに張るし、腕を上げるとばきばき鳴るし、腰痛もあるし、スカートは歩いていると廻るし、靴底の減りはちんばだし、仰向けに寝転がると自分でも「ゆがんでいる」と思う。
肉も筋肉もはぎ取って、ばしっと組み立ててもらえるならしてほしいと、切実に願うときも多いが、いかんせん、生活習慣的に、治療をしてもらった後、先生が要望するような身体第一の生活をしようと思うと、私は喰っていけない、すなわち生活が成り立たないのだ。
ということは、(今のように)次回の治療費も払うことも出来ず、結局何にもならないのだ。
なので、早く療治と自分の生活スタイルを両方手に入れられるような定職に就きたい。
はああ・・・
稼ぎがないと、整体に限らず、医者に行けないんだよね。
なんだか、矛盾した気持ちになるときもあるが、現実は変えられない。
話がそれた。
そんな愚痴は私の愚痴だ。
それより、今日驚いたのは、気候が予測できないことだ。
実は、こっちが雪が降り、朝になっても雪が残り、強風がそれを巻き上げている状況を見て、「今日は朝一で日文研行かなくてラッキー」と思っていたのだ。
日文研は桂坂という桂駅から山の方に向かって早くて20分かかる山の麓にある。
朝、阪神間や梅田で快晴で暖かくても、桂駅に着くとなんだか寒くて、さらにバスでたどり着くと吹雪などという目に何度もあっていたからだ。
それで、お坊さんが帰って、昼休み頃にふんふんと京都向かうが、雪がない。
こっちも晴れていたので、「昼になって雪が溶けたんやな」などと思って、出勤し、「今朝大変だったでしょう?」とちょっと得意げに言うと、「何ですか?」と反応された。
あれ??
聞くと、この辺りは雪なぞふっていない。
強風で冷えたことは冷えたけれど、いつもと変わらないとのこと。
どういう事?
と、仕事をしていると、午後遅くなって、雪が降ってきた。
「オガワさん、もしかして雪雲と一緒に来ました?」と雪女疑惑をうける。
雪は、すぐにやんで「なーんだ」と思って帰宅。
ただ、あまり寝ていない(薬を飲んだ上に眠れないという意味ね)のでなんとなくだるい。
明日のレジュメも出来ていないけれど、だるくてダウン。
明日早く行って、仕上げなきゃ。