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てんごけでしるて・えんのらぶえな すぐかきすらの・はっぱふみふみ

■救急病院の内科医は、こう云った:
"Tengo que decirte; ¡enhorabuena!"
「テンゴ・ケ・デシ(ル)テ、エンノラブエナ!」

 たいへん、ご無沙汰していました。
店子・湯川カナはなにをしていたかというと、腹に子を宿していました。
それが、高熱を発して運ばれた救急病院でわかるという体たらく。
ツレアイに支えられて診察室に入った途端、医師が満面の笑顔で言ったのが上のことばだった。
「とにもかくにも、おめでとう!」
続けて「妊娠してるよ」と驚きの、しかし身に覚えがあるコンセプシオン(受胎告知)。
ちなみになんとバカバカしくも、エイプリル・フールの夜のことでした。

 ところで上のスペイン語を直訳すると、「あなたに言わなくてはなりません、おめでとう!」となる。
しかし私の耳に入ってきたそのフレーズはとても快い響きを伴っていて、感覚的にも似た日本語を探すと、「とにもかくにも、おめでとう!」の、七五調になった。
どうやらそこには、ちゃんとした理由があるようなのだ。


■トシちゃんは、こう云った:
「鼻炎、鼻炎」

 スペイン語は、5つの母音をもつ(a,i,u,e,o)。お気づきのように、日本語と同じである。
なんでも、世界中にはこの「5母音言語」が、けっこう多いらしい。5母音という体系は、ひとつひとつの音の違いが明瞭なため、安定性が高いのだという。(※)
そんな、根源的なところでけっこう似ているスペイン語と日本語だが、大きく違う点が、ふたつある。

 ひとつは、スペイン語には子音だけの発音があること。
たとえばMadridの発音は、「マドリード」ではなく、「マ(drイ)ー(d)」である。むろん、常に子音と母音がセットの日本語で表記できるわけはないが、実感としては、「マ・ドゥリー・ッ(ス)」に近い。
なお日本語にも母音を用いない例外「ん」があるが、これはもともとの日本語(平安時代など)にはなく、後に中国語の影響を受けて輸入されたものという。
 もうひとつの違いは、スペイン語に「まとめて一気に発音する母音」があること。
スペイン語では5母音を、強母音(a,e,o)と弱母音(i,u)に分ける。
母音が複数続く場合、[強母音+弱母音]と[弱母音+弱母音]の組み合わせは、とくにアクセント記号が付されていない限り、ひとつの母音とみなして発音する。
たとえばDon Quijoteは、「ドン・クイホーテ」ではなく、「ドン・キホーテ」。

 とはいえ、母音が38もあるという中国語、同じくその半分ながら19ある英語、それより少ないが16のフランス語などに比べると、日本人にとってスペイン語は、「だいたいそのまま発音できる簡単な言語」である。
あるいは「ローマ字読みで通じる言語」でもある。そういえば、まさにローマのあるイタリア語も5母音。そしてローマ字は、イタリア語やスペイン語のルーツであるラテン語を表記するため、古代ローマ時代に作られた表音文字であるという。
 表音文字といえば、日本では、「かな」。
横方向に母音の「段」、縦方向に子音の「行」を示す50音図を外国人に見せると、そのシステマティックな構成に、大いに驚嘆してくれる。
しかもこの50音図、私は鹿鳴館なんかの西欧化に伴って導入されたと思っていたのだが、実際にはずっと前の平安時代に、サンスクリット(梵字は表音文字)を表すため作られたもので、成立は「いろは」以前だという。
どうやら日本語は、私たちが思っているよりもずっと、根源的にユニバーサルなものらしい。

 ということで、スペイン語と日本語は、音声面で、とてもよく似ている。
日本語で「バカ」と発音すればそのままスペイン語で「牛」を意味する単語になり、「アホ」は「ニンニク」になり、「傘」が「家」になり、「マン○」が「片腕」になる(『ドン・キホーテ』の作者セルバンテスの愛称は、「マンコ・デ・デパント」=「レパントの海戦の片腕」)。
そして3年前に還暦を過ぎてスペインへ来た我が母トシちゃんもまた、スペイン旅行中もっとも使用頻度が高い単語"bien"(=good)を、発音が同じ「鼻炎」として覚えようとした。
ある朝、管理人が「お母さん、ご機嫌いかが?」と訊いてきた。私は(いまやで!)と、トシちゃんの脇をつつく。ハッとしたトシちゃんはニッコリ微笑み、「鼻炎」と、実にコレクトな発音で返事をしてみせた。
ただし、なぜか右手の人差し指で自分の鼻を押さえていたのが、失敗といえば失敗。管理人は怪訝な顔をしていたが、まぁ、東洋の奇習かと思われたくらいで済んだだろう。


■カルメン・サンチェスはこう云った:
「カステジャーノ(標準スペイン語)の基本リズムは、8シラブルです」

 日本語と音声面でよく似た構造をもつスペイン語の基本リズムは、8シラブル(音節)。大雑把にいうと、母音の数が8つということになる。
たとえばスペイン語でもっとも古い詩の形態であるロマンセは、8シラブル×2=16シラブルである。
"Por el mes era de mayo/cuando hace la calor,
cuando canta la calandria/y responde el ruiseñor,"
それぞれの音節を数えると、8/7(+1)、8/7(+1)=8×2×2となる。(アクセントが最後の母音にくる場合、1拍加えて数える決まりがある)
このロマンセの流れを非常に良く汲むのが、20世紀の詩人であり、内戦中にフランコ側勢力によって射殺された、ガルシア・ロルカ。
テクスト読解の授業で彼の『血の婚礼』を取り上げたのだが、登場人物のセリフなど、見事なまでに8シラブルを基調としていた。

 転じて日本語の基本リズムといえば、五と七。ご存知、
「古池や/蛙飛び込む/水の音」
などであるが、奇数であり、まったく8シラブルではない。
と思っていたところ、現在マドリード自治大学で日本語を教える若き言語学者のナイスガイ阿部新さんが、「五・七・五も、実は休符(等時拍)を入れると8シラブルになるんですよ」と、驚くべきことを教えてくれた。

 心の中で、詠んでみる。
「ふるいけや●●●/●かはずとびこむ/みずのおと●●●」
たしかに、前後に等時拍を入れて、8シラブルに整えている。
そういえば大家の内田樹さんによるこのコラムのタイトルも、「こんやもよぎりが/えすぱーにゃ●●●」と、見事に、ガルシア・ロルカも納得の8シラブル×2。
なぜか耳に残る谷川俊太郎の『ことばあそびうた』も「はなののののはな/はなのななあに●/●なずななのはな/なもないのばな●」。
あるいは宮沢賢治の『風の又三郎』も「どっどどどどうど/どどうどどどう●/●あおいくるみも/ふきとばせ●●●/すっぱいかりんも/ふきとばせ●●●」だ。

 実はこの、「8シラブルへの調整」に欠かせない等時拍は、外国人の日本語学習者にとって最大の難関である。
上記のような「見えない休符」は論外としても、表記される撥音(ん)、促音(っ)、長音(ー)についても、きちんと1拍を刻んで発音するのは、かなりの上級者でも難しいらしい。
たとえばコータローという名前の私の兄は、アメリカで、だいたい「コタロ」と呼ばれている。
「私の名前は、日本語では下ネタになります」と流暢な日本語で話すスペイン人通訳アナちゃんですら、「ビル飲みましょか、ちょと暑いですから」となる。

 わりとユニバーサルな5母音言語であり、同じくその安定感により人間が快の感情を抱きやすいという8シラブルを基本リズムとしながら、しかし奇数の五と七を基調とすることで、日本語はフレキシビリティーを手に入れ、それゆえ、今日の日常生活に至るまで、快い言語のリズムを、知ってか知らずか楽しんでいる。どうも、そういうことらしい。
ちなみに、ギリシャ語やラテン語にも精通する言語学の教授と、詩歌や日本文化にも造詣の深いテクスト読解の教授に訊いてみたところ、「私が知る限り、詩歌以外に標語やキャッチコピーまでリズムが支配する日本語のようなことばは、ないわね」とのことだった。


 ところで冒頭の医師のことばは、あいにく、さほど完璧な8シラブルではない。
ただし等時拍による8シラブル換算に慣れた私の頭が勝手に、撥音も1拍とし、休符をも加えたりして、これを「テンゴケデシルテ/エンノラブエナ●」の、8シラブル×2にしてしまったようだ。
ひょっとしたらそれどころではなく、同じ内容のことばを、私が記憶のなかで勝手に、快いリズムをもつ文章に変えてしまったのかもしれない。
どちらにしろ、この響きの快さが、妊娠がわかった喜びとともに、いまも耳にありありと焼きついている。おかげでおそらくずっと、あのときのきもちを、忘れることはないだろう。
 そして最後まで呆然としていたツレアイは、「すみませんが、さっきなんと仰いました?」と何度も医師に訊き返し、呆れた医師は私にそっと「あれか? ひょっとして君のご主人、身に覚えがないのか?」と質したのでした。
いやあいにく、腹の子はヘスース(イエス・キリスト)ではなさそうです。


(※)今回、日本語の成り立ちについて調べる際、「ことばの散歩道」を参考にしました。

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Mayo 20, 2006 10:43 AMに投稿されたエントリーのページです。

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